第14話
この塔が、いつからこの場所にあるのかは誰も知らない。少なくとも、200年生きた程度の私やミシェルはもちろん、400年は生きているであろうミシェルの両親や、800年は生きているであろう敬愛する
2000年の時を生きていると言われるヴァスガロン様はどうだろうか?
あるいは、創世の日より生き続けていると言われる王様ならば、知っているのだろうか? いや、あの物草な王様が石を1つずつ積み上げて塔を作ったとは到底思えないけれど。
生と死が入り混じり泥となって蟠る、この醜悪な湿地の中に、整然と立ち尽くす塔があるおかげで、この国は成り立っている。
塔は家であると同時に城であり、城であると同時に街であり、街であると同時に領であるとも言えた。
塔以外の場所は、生と死が容易く交差し入れ替わる混沌の世界であり、言葉持つ者達の世界ではない。
だから、塔の中といえど、最も湿地に近い場所は、塔の中でも1、2を争う危険な場所なのだ。
「わぁー! 見て! ノノ! 青ネズミが沢山いるわ!」
「………」
誰だよ、ゴミ捨て場に生ゴミ捨てたやつは…。
横着した馬鹿のせいで、今、目の前には青ネズミと呼ばれる魔物が山のように連なっている。
廃棄された野菜屑を狙って、近場の青ネズミが全て集まってきているようだ。
「………の、ノノ…。こいつらは?」
「見ての通りネズミよ」
「大きさがネズミの比じゃないぞ!? 羊くらいあるぞ!」
羊なら私も知っている。白い毛で覆われた草原の生き物だったな。こいつから採れる毛も肉も革も、この国では貴重品だ。
「オーベル、この子達は青ネズミというのよ。毛が無くて、青い肌をしているでしょう? だから青ネズミと呼ばれているの」
「ミシェルの言う通りよ。あと、付け加えておくと、噛まれると雑菌が傷口から入り込んで酷く腫れるわ。気をつけて」
「気をつけろって…ど、どうするつもりなんだ!? 戦うのか…!?」
「もう相手はこっちに気づいてるからね」
オーベルに青ネズミを示すと、青ネズミは野菜屑から目を離し、新鮮な肉に向けて鼻をひく付かせていた。髭がブルルッと震え、口から臭い唾液を零す。やる気満々のご様子だ。
「ヒッ…」
オーベルが喉を鳴らした。
しかしそれでも背中を見せて逃げるようなことはせず、腰に差した短剣を抜き放つ。この薄暗い湿地に、白銀の刃が閃いた。
って、そういえば…。
「しまった。武器を持ってくるの忘れたわ」
「おい!?」
オーベルが泣きそうな声で叫ぶ。
「まぁ! ノノったらおっちょこちょいさんね!」
「……。ミシェルは持ってきてるの?」
「えっへん! もちろんよ!」
と、ミシェルは自信満々に何処からともなく裁縫ハサミを取り出した。
ミシェル、それは武器じゃない。私の仕事道具だ。それ。
私は仕方なく近くに落ちていた骨を拾う。何の骨かは知らないが、何かを叩くのに適当な硬さと重さだった。
「お前たちやる気あるのか!?」
オーベルが叫んでる間にも、青ネズミ達はジリジリと私達との距離を詰めてきていた。一息に飛びかかれる距離に近づくまでは、奴らは慎重に、静かに近づいてくる。
この湿地において、弱い生き物の取りうる戦術は、基本的には奇襲だ。青ネズミも例に漏れず泥水の中や茂みの中に潜み、誰にも悟られぬよう近づき、弱った獣を集団で狩る。
青ネズミはそれに加え道端に転がっている死骸や、植物等、食べられるものは貧欲に食す。常に食欲を満たして居なければ我慢できない貧欲な連中だった。
「ああ、もう! ノノ! ミシェル! 武器が無いなら下がってくれ! どうにか切り払って、逃げる時間を稼ぐ!」
「え? 逃げる…? オーベル、どうして?」
「ど、どうしてって、武器もろくに持たない女の子二人じゃ、どう見たって勝ち目はない! 俺が時間を稼ぐから、その間に塔へ逃げ込むんだ!」
「???」
ミシェルが首をかしげた。
私も急にオーベルがおかしなことを言い始めたので、疑問符を浮かべていたのだが、ああそうか、と一つの納得を得る。
こいつ、ミシェルが魔力炉で見せた魔法が”見えていなかった”んだな?
魔力でゲジを握り潰したミシェルの手腕を見ていれば、彼女を武器もろくに持たない女の子などと評することはないはずだ。
「ミシェルとノノは俺の恩人だ。傷ついて欲しくない__だから、早く逃げてくれ」
「…ノノ、もしかして私、オーベルに心配して貰っているのかしら…?」
「うん」
それは間違いない。
勘違いも甚だしいけれど。
「そう、そっか…。そうなんだ」
ミシェルはオーベルを見る。そして、花のように微笑んだ。
「とても嬉しいわ」
魔力が迸り、ゆっくりと近づいて来ていた最寄りの青ネズミ二匹が絞った雑巾みたいな姿になる。血や内臓を絞り出され、その場で赤い水溜を作った。
私はミシェルの攻撃に合わせて背後に振り返りつつ跳躍し、奇襲しようと忍び寄っていたネズミの首に拾った棒骨を突き立てて捻った。
勢い余って骨は折れてしまったが、青ネズミの首はゴキリと音を立ててネジ曲がった。丁度いいので、首をネジ折られて絶命したネズミの尻尾を掴み、そのまま残りの青ネズミ達に向けて放り投げた。近づいてきていた青ネズミの一団に見事命中し、それらはそのまま塔の基礎から湿地へ転がり落ちていった。
まぁ、こんなものか。
生き残った青ネズミ達も背中を見せて逃げ出していた。逃げ出そうと走り出した先から、見えない力で雑巾のように絞られて生ゴミに変換されていく。
「嬉しい、嬉しい…。ふふっ」
「あー…ミシェル?」
「ねえ、ノノ! 私、オーベルに心配されちゃった! お姫様に尽くす騎士みたいだったわ! オーベル、格好良かったわ!」
「えー、あー…そう。それはよかったわ。ところでそのオーベルなんだけど」
「あ! そうだわ! オーベルにお返事しないと! オーベル、心配してくれてありがとう。でもね、私なら大丈夫。むしろオーベルの方が心配で……って、あら」
ミシェルがオーベルを見るが、そこにはオーベルの姿はない。
オーベルは地面に転がり、気絶していた。
まぁ、いきなり目の前で大きなネズミが絞った雑巾みたいな形になったら驚くだろうな。色々飛び出すし。
私にはミシェルの魔力の奔流が視認できているので、彼女が感情の赴くままにやったことを理解しているが、草原人であるオーベルにはそれほど高い魔法の素養はないらしく、彼女の魔力をまだ視認できないようだった。
だから、彼にはいきなりネズミが弾け飛んだように見えたはずだ。確かにショッキングな映像だとは思う。
「オーベル! しっかりして!? ああ、なんてこと…! オーベルは青ネズミに噛まれてしまったの!? すぐに毒を吸い出さないと…!」
「ミシェル、ミシェル落ち着いて」
私は慌てふためくミシェルをオーベルから引き離す。
「オーベルは気絶してるだけよ」
「え…? 気絶…? どうして?」
「突然ネズミが爆発してびっくりしたんでしょう、きっと」
「でも、これは魔法よ? どうして魔法で驚くのかしら?」
「オーベルは魔法が見えないからよ」
「えぇ?」
ミシェルが怪訝そうな顔をした。
「私、魔力隠しなんてしていないわ」
「ミシェル、オーベルは草原人なんだから、魔法は普通ではないの。特別な力なのよ」
草原の国では魔法を使える人間は大層重宝されるそうで、魔法使いを目指す者達は、何年も掛けて魔法の研鑽に励むのだそうだ。それこそ人生をかけて魔法を学ぶのだという。
「……。つまり、もし私が草原の国へ行ったなら、オーベルに自慢できるということ?」
「え…? いや、まぁ、そう、かな…」
確かにまぁ、自慢できるとは思うけど…。
「ふうん。そう。そっかぁ」
「ミシェル、これで草原人の脆弱さはわかったでしょう? 濡闇ノ国は弱すぎる草原人が暮らしていくことが出来ない場所なの。だから早く彼を元の国へ返してあげましょう」
「そうね。うん、それがいいわ。彼のためですものね」
私は何か引っかかったが、振り向きざまにミシェルが可愛く「ん?」と小首を傾げた姿に完全に心を奪われてしまい、思考を投げ捨ててしまった。
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