第11話
「よーし、到着ね! オーベル、雨合羽は窮屈だったでしょ? はい、雨合羽を脱いで脱いで」
「あ、ああ、ありがとう」
ミシェルは甲斐甲斐しく”私の”―――”私の”! ”私の雨合羽”をオーベルから脱がせ、コート掛けにかける。
「いまお茶を淹れるわね! オーベルは座って休んで」
「待って、待って、ミシェル」
「どうしたの? ノノ?」
ミシェルは私が戸棚に隠していた、かなり良い特別な紅茶の缶を開け始めたため、流石に私は声を掛けざる得なかった。
色々訊きたいことはあったけれど、まず大事なことを先に伝えておこう。ひょっとすると、彼女が忘れてしまっているかもしれないから。
「ミシェル”お嬢様”も、座っていてください」
「…あ、え…で、でも…」
「と、いうかミシェル。お茶の淹れ方なんてロクに知らないでしょう…?」
「そ、そうね…そうだったわ…」
私はミシェルから紅茶缶を受け取り、ミシェルを上座に座らせる。
上座といっても、別にこの部屋には客間のようなテーブルがあるわけじゃない。木の床の上には湿地クマの毛皮の敷物が敷かれているだけだ。その脇には私のベッドがあり、湿地クマの毛皮の敷物を挟んで反対側にはソファと、私の物書き机があるだけだった。この部屋でいう上座とは、この二人がけのソファを指す。
この部屋にあるのはそれだけだ。あ、いや、部屋の隅には天上までの高さの本棚と衣装棚に戸棚。そして、トイレと浴室を兼ねた部屋へ続く扉がある。でもまぁ、そのくらいか。
ミシェルの部屋と違い、絵は壁にかかってないし、魔力灯もない。小型の魔力炉も備え付けられてない。だから夜は寒いし、ランプを使わなければ暗い。
「え、ええっと、俺はここでいいか…?」
どうしたらよいのか分からぬまま、とりあえずという感じで部屋の隅の床へ座るオーベル。殊勝な心掛けだ。
「駄目よ。オーベルもこっち!」
ミシェルが部屋の隅に落ち着こうとしていたオーベルの手を引いて強引にソファへ座らせる。さらに、その隣にミシェル自身も座る。ご満悦の表情だ。
手にする紅茶の缶が私のお気に入りブランド――その中でも最高クラスの高級品でなければ握りつぶしていたところだった。
私は震える手でどうにかティーポッドにお茶を入れ、携帯魔力炉…と、いうか、魔力に反応して熱を発するだけの小型装置なのだが、こいつで水を沸かす。
程なくして3人分の紅茶が完成した。
仕方ないので、戸棚のさらに奥へと隠した秘蔵の茶菓子も出す。嘆きの花の種子を炒り、貴重な砂糖をまぶしたお菓子だ。
「まぁ、こんなものまで隠していたのね! ノノったら!」
ミシェルは戸棚の最奥までは調べきれて居なかったらしい。
ともあれ、全員お茶を啜り、一息付く。
ようやくここまできて小休止といった感じだ。
「それで、ノノ。具体的にこれからどうしようかしら?」
「道具と材料を集めて、”門”を修理。オーベルさんを送り返すわ」
「そうだけど、どういった手順で進めるの?」
「まずミシェルには、ヴァスガロン様の予定を調べておいてもらいたいわ」
「お祖父様の?」
大魔法使いヴァスガロン・ライフォテール。このライフォテール魔法塔の家長だ。
「図書室を使いたいの」
「ああ、調べ物ね! わかったわ! お祖父様にノノが調べ物をしたいって伝えて、図書室へ入る為の許可を貰っておくわ」
「ええ、よろしく」
法律のこと、炉の構造のこと、そして、あの”門”のこと。さらには隣の魔法塔のかつての所有者のことまで、調べる必要があるだろう。
何故ならあの”門”を作ったのは、あの塔のかつての所有者なのだろうから。
何を考えてあの”門”を作ろうとしたのか。その意志も確認しなければ。
「俺はどうすればいい?」
オーベルは気後れした様子で私を見た。
「オーベルさんはこの部屋に居てください。可能な限り、誰とも接触しないこと。ああ、いや、リオエール卿に中層の調合師を紹介されてましたか。なら、調合師のところへは行かなきゃまずいか…」
一息ついたら行くとするか。
「私の情報収集が済んだら、修理に必要な道具と材料もはっきりするはず。そうしたら、次はそれらを集める。道具や材料がそろったら、もう一度あの塔へ向かい、動力炉と”門”を修理するわ」
「ううん、道程は長いわね…」
いつものミシェルなら、そんなのぱぱっと早く終わらせて、自分の塔で遊びたい! と言い出すのだけれど、今はやけに静かだった。どことなく、修理に時間がかかることを好ましく思っているように思える。
いや、好ましいと考えているんだろう。オーベルと少しでも長い時間を過ごしたいのだろうから。
「まだなんとも言えないけど、オーベルさん。一ヶ月は修復に時間がかかると思っていて貰えるかしら?」
「一ヶ月…か…。いや、そうする他ないのだから、待つよ。いや、待たせて欲しい」
口惜しそうなオーベル。彼の本音は、1秒でも早く故郷へ戻りたいというところなのだろうが、残念ながら少なく見積もっても一ヶ月だ。
いや、私の情報収集次第では、持っと期間が必要だろう。出来ることなら半年ほど時間を貰いたい。
しかし、私もオーベルには早急に故郷へ帰ってもらいたい。そして2度とこの地に踏み込んでもらいたくない。なので、可能な限り私も協力するし、努力は惜しまない。
「では、差し当たってはこの部屋で私と一緒に暮らしてもらいます」
「ノノ、それなら私も一緒にここで暮らすわ!」
「駄目です」
ミシェルに即答で返す。一体何を言い出すんだ…。
「何故駄目なの!?」
「ミシェルにはちゃんと自分の部屋があるからです」
「それはそうだけどー!」
「この部屋で暮らすのではなく、毎日遊びにくればいいのよ。それなら問題ないわ」
「なるほど! そうね! それで問題ないわ!」
「そ、そうなのか…?」
オーベルが首を傾げる。傾げるな。肯定しろ。ミシェルに毎日会えるんだぞ私が。
いやまて、こいつもミシェルと毎日会えることになってしまうな…。それは駄目だ。問題がある。どうにかしてこいつだけ別の部屋に押し込んでおけないか…?
その後、オーベルと(ミシェルと)共に、調合師のもとへ行ったり、オーベルの着替えや身の回りの細々としたものを揃えたりで夜がやってきた。
ミシェルは夕食の時間となったので、ゴネにゴネたが、最終的には惜しむ気持ちを振り切って帰路についた。
それ以上は特にない。配給される夕食をオーベルの分も貰って、部屋に潜んでいる彼に与えたり、ババア(師匠)のところへ行ってしばらく休みが欲しいと伝えにいったりした。(休みに関しては何故か快諾してもらえた)
調合師も、食堂の配給係も、ババアも、みんなにオーベルのことを私の村の同郷で友人だと紹介するとかなり驚き、以降オーベルに対し極めて友好的な態度になるのは、一体何なんだ…。
まぁ、そんなこともあり、難なくオーベルを紛れ込ませることに成功し、大きなトラブルもなく初日を過ごすことが出来た。成果としては花丸といえる。
だが、オーベルもこの生活に相当慣れるのは大変だとは思う。異国に流れ着き、匿われているこの状況、本人を前にしては口が裂けても言えないが、まぁ、なんだ。その、多少は同情してやる余地はある。
ミシェルから客人を饗せと言われていることもあるし、私はオーベルの気配には常に気を配っていた。
床に就いて1時間経ったが、オーベルはまだ起きていた。よく眠れないようだった。きっと故郷のことが気がかりなんだろう。
「いや、違う」
「え、違うの?」
違うらしい。意外だった。
「………。言うべきか言わないべきか悩んでいることがある。それが原因だ」
一体何だ? 今の生活に何の不満があるんだ?
いや、まぁ、確かに不法入国者生活は大変だろうが。
しかし、もし問題があるのならミシェルに告げ口される前に可能な限り改善する必要がある。
なんだ、何が不満だ? 言ってみろ。
「どうして俺はノノのベッドで寝てるんだ!?」
私のベッドからがばっと起き上がり、オーベルは叫んだ。
私はソファに横になりつつ、起き上がって顔を赤くしているオーベルを面倒臭そうに見る。
「どうしてと言われても、ベッドが一つしかないからだが…?」
「それは見ればわかる! だけど、ほら! 普通逆だろう? 女性はこういうの嫌がるだろう!? 俺の妹なんか物凄く嫌がるぞ!」
「嫌がる?」
「ノノ、お前は男の俺に自分のベッドに上がりこまれてどう思ってる!?」
「妙な真似をしたら殺すとは思ってるし、お前が居なくなったら入念に洗濯するつもりだけど? 匂いが完全に消えるまで」
「そうだろう!? ……って! そこまで!?」
「当然よ、オーベルさん。私はお前に心を許したつもりはないし」
「ならどうして俺を自分のベッドに寝かせてるんだ!?」
「ミシェルに言われたからだが…?」
そうじゃなきゃお前なんて床で寝かせるわ。
「なら俺、床で寝るよ! すまなかった…!」
「やめろ! 床で寝させてるなんてミシェルにバレてみろ! 私がミシェルに嫌われる!」
そうなったら私は破滅だ!
「でもノノ、本当は俺をベッドに寝かせるのは嫌なんだよな!?」
「ああ、私はお前のことが嫌いだからね」
あ、つい言っちゃった…。
「………。やはりそうか」
「やはり、って…?」
「ノノ。お前は気持ちが顔に出やすい」
そんなバカな。私は完全に無表情を貫いているつもりだ。それはオーベルの誇大妄想ではないか?
「お前が俺の事を好いてないのは分かってる。それでも、ミシェルを思いに応える為、嫌々ながら俺の世話をしてくれているんだ。本当にありがたいと思っている。だから俺は、出来る限りお前に負担を掛けたくないと思ってるんだ」
「………」
「ミシェルに言われたからという言い訳はやめてくれ。ノノ、お前の本心で俺に命じてくれ。お前に床で寝ろと言われたら、俺は床で寝るから」
「………」
なら床で寝ろ、と言ってやりたいが、その前に一つ、絶対に確認するべきことがあった。
「…このことは、ミシェルに言わない?」
「絶対に言わない。亡き母に誓う」
よし。
「なら床で寝ろ」
「わかった」
床に寝転がったオーベルは毛布を被った。すぐに寝息が聞こえてくる。
よく眠れるようになったらしい。単純な奴だ。
私はベッドを取り戻し、目を閉じる。
オーベルの匂いが少ししたが、すぐ慣れた。洗濯は天気の良い日にやろう。
こうして私も、よく眠れるようになった。
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