第10話
最終的には、ミシェルの納得を得ることができた。
オーベルは私の部屋に匿う事となる。
改めて草原人と共同生活することを意識すると頭痛と吐き気を感じるが、これもミシェルの為だ。仕方がない。
「…わかった。すまないが、その、世話になる」
オーベルに二人で決めた内容を話すと、彼はあっさりと同意した。もう少し渋ると思ったのだが意外だった。「魔人の部屋なんかで寝泊まりできるか!」とかなんとか、そんな感じで文句を言い出すかと思ったのだ。気になったので問い詰めてみると彼は、
「自分の立場は弁えてるつもりだ。いまは、そんなことを言ってる場合じゃない」
と、案外クレバーな回答をした。
オーベルは、やるべきことのために恥を受け入れて前に進める人間のようだ。野蛮人には変わりないが、それでもその中では随分とマシな部類なのだろう。
「ま、悪いようにはしないわ」
「お客様には最高のお饗しをするのよ、ノノ!」
「わかったわかった」
なんだなんだ、まったく…。私の部屋に匿うとなってから、ミシェルの押しがかなり激しい。そりゃ、ミシェルはオーベルのことが気になっているのだろうから、当然といえば当然なのだろうが、何か敵愾心のようなものまで感じる。
心優しいミシェルがこうも荒れた様子を見せるのは初めてだったので、私は内心泣きそうだった。
ともかく、話もまとまったので、我々は廃塔の屋上から羽鎧虫に乗って、ライフォテール魔法塔へと戻る事になった。
塔の外へ出ると幸運なことに雨は上がっていた。代わりに、濃い霧が立ち込めている。
「なん、だ…これ…」
塔の外へ出るなり、息苦しそうにオーベルが口を手で覆った。
「ど、どうしたの!? オーベル!?」
オーベルの足元が覚束なくなり、羽鎧虫に寄りかかってしまう。視線が定まらなくなり、鼻から血が垂れた。
魔力酔いだ。
私は迅速に自分の着ている雨合羽を脱ぎ、オーベルに被せる。そして、普段は使うことのない、雨合羽の首元に収納されているマスクを取り外し、オーベルに付けさせた。
「え、オーベル!? どうしたの!?」
「ミシェル、これは魔力酔いよ。ミシェルも魔法が使える様になった時に起きたでしょ?」
「いいえ?」
あ、そうなんだ…。
「と、ともかく、普通の人が魔法を使える様になった時や、高濃度の魔力に突然曝された時に、身体が魔力に慣れずに魔力酔いが起きるの」
私のみならず、魔法使いでない国民は皆、濡闇ノ国の濃霧の中を何時間も彷徨っていれば魔力酔いになる可能性がある。だから、この国の雨合羽には全て魔力酔いを緩和することの出来るマスクが常備されている。
ちなみに、雨を飲んでも魔力酔いになることはある。だが、やはり濃霧が危険だ。肺から吸い込むことで、身体の中に深く魔力が入り込んでしまうからだろう。
「はぁ……はぁ……す、すまない…楽になってきた…」
「でもオーベルさん、申し訳ないけど、十分休ませてあげる時間はないの。手を貸すから、羽鎧虫に乗ってくれる?」
「ああ、わかった…。足手纏いですまない」
ほんとだよ。
「ミシェルは私の前に座って貰えるかしら?」
「嫌よ。私、オーベルの後ろに座るわ」
そしたらミシェルがオーベルに抱きつくような格好になってしまう! それは許されない…!!
「ノノ、騎手は貴方よ。なら、オーベルをエスコートするのは私の役目。だって、貴方は両手が離せないもの。ちゃんと羽鎧虫を操って、私を塔へ連れて行く仕事があるわ。そうでなくって?」
た、たしかに、そうだけど…そうだけど…そうだけども!
私が言い返せないでいると、ミシェルは勝ち誇った笑みを浮かべた。くるっと身体を翻して、オーベルに添う。
「ほら、オーベル。大丈夫よ。私が肩を貸してあげる」
「え、あ、ああ…」
うわあああああ!
もうその場で石床に頭を叩きつけて2~3時間気絶したい気持ちだ。
だ、だが、そんなことしていたら日が暮れる…。
なんとか夕食の時間までに、ライフォテール魔法塔に戻らなければならないのだ…。
「う、うぐぐ…」
唇を噛みつつ騎手としての仕事を全うする。
こうなれば全速力でライフォテール魔法塔へ帰還するしかない!
「まぁ、オーベルの背中ってとっても大きいのね!」
ミシェルのはしゃぎ声が背後から聞こえてくる度、手綱を握る手が誤ってオーベルの首に伸びそうになるが、必死で衝動を抑えつつ、私は羽鎧虫を駆った。
結果から言うと、行くときの半分の時間でライフォテール魔法塔へ到着することができた。
キャノンベールさんに灰色の羽鎧虫を返却する。
「なぁ、ノノちゃん。一人客が増えてるが?」
私が知らない男を連れ込んだことでキャノンベールさんは怪訝な表情を浮かべる。当然だ。だが、私は既に完璧な言い訳を構築済みだった。
「私の故郷の村の友達です。丸石虫が暴れて家を壊されてしまったらしくて。直るまで私の部屋に。駄目だったでしょうか?」
「なんだ、そういうことか。珍しく出掛けたいって言ってたのは、そういう用事だったんだな!」
「ええ、そうなんです」
後から思ったが、いまオーベルに雨合羽とマスクをさせているのも、功を奏した。雨合羽を着込んでいれば髪の色はわからない。草原人だと看破されることもない。
私の部屋以外では、こいつにはこの格好をさせておこう。雨合羽は特別にくれてやる。
「村へ行くんなら、ミシェルお嬢様もついていきたいってダダ捏ねるわけだ。いやぁ、俺ぁてっきり二人で駆け落ちでもしたんじゃないかと」
「なぜです…?」
何故駆け落ち…? どうしてそんな結論になる…?
キャノンデールさんは時々訳のわからないことを言う。
っていうか、駆け落ちかもって思ったなら羽鎧虫を貸すんじゃない。特に、万が一にもありえないと思うが、エーテル粒子レベルで存在する可能性として、ミシェルが誰かと駆け落ちする場合は特に、必ず、絶対、命に代えても止めて欲しい。
「い、いや、あ、あははは! ノノちゃん、そう怖い顔しないでくれよ」
「私はいつも通りです」
「は、ははは」
キャノンデールさんは乾いた笑いを繰り返すだけだった。
ともあれ、無事ライフォテール魔法塔へ帰還した私達は、まず迅速かつ隠密にオーベルを私の部屋へと連れて行く必要があった。
雨合羽を被らせ、ついでにマスクもさせたままで、虫舎から上層へと降りる。
「ここまでくれば後少しね!」
「ここが、君達の家なのか?」
「ええ、ライフォテール魔法塔よ」
「さっきの塔と違って温かい。動力炉が正常に動いているからか?」
「魔力炉が魔力を生むときに、一緒に熱を出すのよ。それで塔が温かいの」
ミシェルが熱心にオーベルに解説をしている。流石に自分の家の事はミシェルも詳しく、私が口を挟む隙はない。ので、黙ってる。黙って、唇を強く噛んで正気を保つ。大丈夫、先頭を歩いてるから、ミシェルにはこの自傷を見られてない。
「おや、お早いおかえりだ」
と、思ったら、目の前に予期せぬ人物が現れた。
「伯父様!」
ミシェルが笑顔を向ける。
目の前に居るのは灰色の鎧を着込んだ銀髪で長身の男。その顔にはミシェルと同じ、魔法使いであることを示す朱眼があった。
リオエール・ライフォテール。
ミシェルの伯父にして、ライフォテール魔法塔に住まう”一家”の一人。
「お父様とのお話は終わったのね。長いお話だったから、すっかり挨拶が遅れてしまったわ。伯父様もおかえりなさい」
「ああ、ただいま。ミシェル。そしてノノも」
「お久しぶりでございます、リオエール卿」
私は”いつもの顔”を取り繕い、会釈を返す。
「それと、もう一人…?」
リオエール卿は、私の背後へ目を向けた。雨合羽を着込んだオーベルにだ。
「え、あ…」
おい、オーベル、挙動不審になるな。いや、考え方によっては好都合か。
私は少し癪だったが、オーベルを庇うように私は立つ。
「彼は私の友人です。同郷のオーベルと申します」
「なんだって!? ノノ! 君に異性の友人がいるとは!」
え、なに? 何故驚かれてるの…?
「伯父様! 仮にノノであっても、私以外にもお友達はいますわ! まるで友達が居ないような物言いはノノに失礼です!」
「そ、そうだな。ノノ、本当にすまない。許してくれ」
「え、あ、はい、お構いなく…」
何か釈然としない! ミシェルのそれはフォローなのか!?
だが、話の流れとしてはいい感じだ。このまま押し切ろう。
「オーベルは丸石虫が暴れたせいで家を壊されてしまい、直るまで私の部屋に住まわせることにしたのです」
「ああ、なるほど、そういうことか。しかし、何故塔の中で雨合羽を…?」
「生まれつき魔力酔いしやすいのです。家がなくてはまともに暮らせないほどに。ですから、私の部屋にしばらく住まわせることにしたんですが…。羽鎧虫でここまで来る間に、濃霧を吸ってしまって…」
「そうか…。それは災難だなオーベル。おぉ、そうだ。ライフォテールには腕のいい調合師がいるんだ。後ほど私から話をしておこう。引っ越しが落ち着いたら中層の調合師を訪ねて欲しい。魔力酔いに効く良い薬を調合させるように手配しておこう」
「は、はい。お心遣いに感謝致します。リオエール卿」
オーベルはおずおずと私が先程見せた礼をリオエール卿にやってみせる。
その慣れてない仕草が如何にも村出身の田舎者といった感じだ。非常に良い。
これは完全にリオエール卿を騙せた。あ、いや、”説得”できた。完全に私の同郷だと信じ込んだだろう。私は手応えを感じた。
「おっと、こうしては居られなかった。ミシェル、ノノ、オーベル。すまないがこれで失礼するよ」
何か用事を思い出した様子のリオエール卿は、私達の横を抜けて虫舎へと登っていった。どこかへ出かけるのだろうか? 国境基地から戻ってきたとすれば、一週間は滞在するのが常だけれど。
ま、どうでもいいか。
リオエール卿との遭遇を切り抜けた私達は、どうにか私の部屋へとたどり着くことができた。
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