第9話

 動力炉に踏み込むなり、ミシェルの身体から魔力が沸き立ち、それは赤い霧のように見えた。不気味な魔力の霧は、部屋中隈なく広がりながら動力炉に満ちる。

 魔力を使って、動力室に潜むゲジの居所を探査しているのだ。

「あと三匹だわ」

「何処に居るか教えてくれる?」

「その必要はないわ、ノノ」

 ミシェルは綺麗な腕を真っすぐ伸ばし、開いた手のひらをゆっくり握る。その途端、グシャリ、と柔らかいものが圧し潰される嫌な音が3つ響いた。そして動力装置のごちゃごちゃした機械の隙間から、薄汚い粘液が吹き出す。

 部屋に満ちたミシェルの魔力が何らかの力を生み出し、ここからでは見えない死角に潜んでいたゲジを潰したのだろう。

 これが魔法である。しかも、純粋な魔法使いの血族が扱う真の魔法。

 舌を巻くほどの手際だった。

「ごめんね…」

 目的のためとは言え、大好きな生き物を手に掛けたことに心を痛めるミシェル。その横顔は天使が人々の争いに心を痛め泣いているようにも見えた。が、やはりゲジにかける慈悲に関しては理解できないので、単に私にとっては物憂げな表情を浮かべるミシェルのレアな顔を堪能するだけの時間だった。

 見惚れているとミシェルが振り向いたので、私はミシェルの視線から逃れるように、オーベルを呼び、一緒に壊れた動力炉へ向かう。

「オーベルさん。私がこの容器を外したら、預けたそれをここに嵌めてください」

「わ、わかった…」

 そろそろ腕の筋肉が限界なのか、赤い顔でプルプル震えているオーベルを見やりつつ、私は再び装置から魔力炉を引き抜く。

 間髪入れず、オーベルが半ば倒れ込むように空いた隙間へとミシェルの動力炉を押し込んだ。

 ボゥン…と、淡い音がして、容器の中の水が淡く輝き始める。

「よし、上出来よ」

「はぁ…はぁ…物凄く重いぞ、これ…」

「そう?」

 私は両手に抱えた水漏れ炉を部屋の隅に下ろしながら、草原人の軟弱さに嘆息した。

「でもこれで炉が交換できたわ。さぁ、ミシェル。炉を起動してもらえる?」

「ええ。行くわよ」

 部屋に満ちたミシェルの魔力は、そのまま炉に集まっていく。炉の中の光は強さを増し、やがてゆっくりと、内部の石が回転を始めた。十分に魔力が集うと、炉の中の石の回転は最高潮に達し強い輝きを放つ。

「成功ね!」

 ああ、無事成功だ。

 しかし…。


「汲み上げ機が動いてない。上層に水を送り込めてないわね…」

 私は下層広間に戻り、最下層から汲み上げされるはずの水桶が登ってこないことを確認していた。汲み上げ機が正常に動作していれば、湿地から水を汲み上げて中層の浄水槽まで自動的に水を運ぶ仕組みになっているはずだ。

「”門”はどうなんだ?」

 私が確認しているところにオーベルが割り込んでくる。

「この感じだと、”門”へも魔力が供給できていないわ」

「だとすると…”門”は動かせないのか?」

「現状、そうね」

「どうにか直せないのか?」

「こうなってくると、どこで魔力の経路が寸断されているのかを一つ一つ探っていかなければならないわ。本当なら修理工を雇うところだけど…」

 私達はいま、ここに不法侵入して塔の動力炉を起動させている。

 修理工を雇うなんてことすれば、私達の計画は水泡に帰すことになるだろう。

「訳あって、それはできない。ここから一歩一歩直していくしかないね」

「………くそっ」

 オーベルが顔を歪ませる。握った拳が震えているのが見えた。

「…あ、いや、すまない。ノノ、君に悪態をついたわけじゃないんだ」

「いいわ。気にしてない」

 私も悪態をつきたい心境だけれども、私の方が大人だ。大人の余裕をこの野蛮で非力な草原人に見せつけていこう。

「ノノー? では、これからどうするの?」

 ミシェルも私の傍らに立ち、私を覗き込んでくる。

「一旦帰るしかないわね。修理の道具や材料をかき集めないと」

「なるほど、お祖父様の道具箱ね!」

「勝手に道具箱を持ってきたら、怒られるでしょ…」

「上手く借りるわ。お祖父様なら、事情を話せば貸していただけると思うわ」

 事情を話したら私達の悪行が白日の元にされてしまうのでは…?

 いや、それよりも、尚悪い。オーベルのことも露見する可能性がある。

 私は苦悩の表情のまま動力炉の前をウロウロしているオーベルを見やる。そうだ、私達はこの”門”から現れた草原人を匿う必要があるのだから。

「ノノ? オーベルがどうしたの?」

「彼をどうするか考える必要があるわ」

「私の家に客人として招けばいいわ」

「草原人を客人として招くなんてことしたら、どこから連れてきたのかって大事になるわよ、ミシェル」

 ゲジや羽鎧虫の幼虫を拾ってくるのとはわけが違うのだ。

「………それは、確かに…」

「そして、私達が勝手に廃塔に入った挙げ句、謎の装置を誤作動させてしまったことがバレてしまうわね」

「………泥沼送り、かしら…?」

「間違いないと思うわ」

「お、オーベルも…?」

「オーベルは…」

 この国の法律では、不法入国の罪の重さはどれほどだっただろうか? 居住権のこととも合わせて調べる必要がある。だが、多くの国では、不法入国は重大な罪とされているはずだ。

「最悪、死刑も考えられるわね」

「し、死刑…!?」

 ミシェル、声が大きい。

「お、オーベル! 大変よ! 逃げないと!」

 そしてオーベルを呼ぶな!

「な、なんだ? え、逃げるって…?」

「オーベルが死刑にされちゃうかもしれないわ!」

「え? え、いや、どういうことなんだ…?」

 オーベルが助けを求めるような顔で私を見る。ミシェルの言いたいことを翻訳しろというつもりなんだろうが、そんな目で私を見るな。

「今日中にこの塔の動力を回復させることが出来ない以上、貴方を安全なところに匿う必要がある。だけど、万が一それが他の者に露見した場合、貴方は不法入国という罪に問われるかもしれない。そうなったら、最悪死刑の可能性が高い、ということよ」

「……なるほどな」

 オーベルは神妙に頷いた。

「俺の国でも不法入国は重罪だ。斬首されることが多い」

「斬首…!?」

 ミシェルが悲鳴のような声を出した。

「そんな…! こんな事、隣の人の部屋にちょっと入ってしまったのと変わらないわ。それなのに命で贖う必要がある罪だというの…?」

「ミシェル、勝手に人の部屋に入ったら普通は物凄く怒られると思うわよ」

「ノノは怒らないじゃない」

「次から怒るよ」

「どうして!?」

 どうしてもこうしてもない! 勝手に私の育ててる葉っぱを食べるな!

「ともかく、そういうことだから。今からオーベルさんをどう匿うか、ミシェルと話し合う」

「…すまない、迷惑をかける」

 本当だよ。


 とはいえ、私達が取れる選択肢は少ない。


 案1、オーベルをこのままここへ置いていく。

 オーベルに最低限ここで暮らしていける物資だけ渡して、ここに居てもらうという案だ。これは、双方にとって第三者に発見されるリスクが少なく、私が最も推す案でもある。ただし、定期供給される水は無いし、食料もなく、ゲジがまだ大量に塔内に残っているであろうことを考えれば、オーベルの安全を保証できるものは何一つ無く、彼への危険は残る。


 案2、オーベルをライフォテール魔法塔へ案内し、匿う。

 オーベルを私達の住居であるライフォテール塔へと移動させ、私かミシェルが匿うという案だ。尤もミシェルが自室に男を匿うことは不可能なので(バレる可能性が大いに有り得るし、バレたときに発生する問題の大きさが計り知れない)、匿うのは私の仕事になるだろう。裁縫見習いが部屋に誰を連れ込もうと、誰も気にしないはずだ。


 どう考えても案1以外に方法はないと私は考える。

「わかったわ。ノノ。オーベルにはノノの部屋に泊まってもらいましょう」

「………」

 私の完璧なプレゼンテーションは空振りに終わった。

 ミシェルの鶴の一声によって、案1は即却下され、案2をベースに詳細を詰めていく。

「でも、ちょっとだけ、不満はあるわ」

「え?」

「ノノばっかりオーベルとお話できるじゃない…」

「ならミシェルの部屋に匿う?」

「それは……難しいわ。きっとお母様にすぐにバレてしまうわ…」

「なら私の部屋に匿うしか無い。何度も言う通り、彼を最低限暮らしていける道具や食料と一緒にここに置いていくのが一番だと、私は思うけど」

「そんなことはさせられないわ! 客人を廃塔へ残していくなんてことしたら、ライフォテールの名折れだわ!」

 なんとか案1を再びテーブルに載せようと小細工を弄するが…ちっ、駄目か。

「………。そうなってくると、もはや議論の余地は無いと思うのだけれど」

「うぅ~…」

 ミシェルが不満そうに呻く。

 私も自分の部屋に野蛮で下賤な草原人を寝かせるなんてことはしたくない。だけど、これは客人に粗相をさせられないというミシェルの意向であるし、そもそもミシェルの部屋にこの蛮族を置いておくなどという危険な行為をさせられるわけがないのだ。

 この厄介事に関しては、私も身を切って対応している。ミシェルは不満かもしれないが(何故なのかよくわからないが)、なんとか納得してもらいたい。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る