2章 草原ノ国ノ少年

第6話

「お、お前達は―――人間…か?」

「ええ、人間よ? 変なことをいう方ね」

 眉をしかめる草原人に対し、ミシェルは微笑んでみせた。

 割り込むのなら、このタイミングしかない。

 私は少々強引に二人の会話に割って入る。

「とにかく、そこのお前。目覚めたのならミシェルから離れなさい」

「え、あ、ああ! そ、そうだな。すまない」

 見ず知らずの少女に膝枕されているのだから、目覚めれば遠慮するのが当然だ。さっさと離れろ。

 草原人はよろよろとゲジが如くミシェルから離れ、床に腰を降ろした。まだ若干目眩がするらしく、額にミシェルのハンカチを貼り付けたまま軽く頭を振っている。

「ノノ、そんなに邪険にしなくたっていいじゃない」

「そういうわけにはいかないわ」

 ミシェルは魔法使いの娘なのだから、こんな野蛮な草原人の男とは適切な距離を保たなければならない。

「あー、えー、その…。すまない、俺は助けてもらった、んだろうか…?」

 草原人の男は状況を上手く飲み込めていないようだった。

「ええ、そうよ! この”門”から貴方が出てきたの!」

 ミシェルは喜々として昨日を停止した”門”とやらを草原人に示す。

 草原人も、何か納得したような顔になり、自分の胸や腹、腕、脚を何度も何度も確認し始めた。

「そう、か。斬られる前に、転送魔法が間に合ったんだな…」

 斬られる…? こいつ、何だか物騒なことを言っているな…。

「転送魔法? 貴方も魔法が使えるの!?」

「い、いや、俺じゃなくて、俺に仕えてくれてる魔術師が、俺を逃がすために…」

「貴方の国にも魔法を使える人が居るのね!」

 ミシェルが草原人の話の腰を折るように、妙な食いつき方をしている。重要なのはそこじゃない。話が進まない。

「ミシェル、そうじゃないでしょ。さっさとこの人には戻ってもらわないと」

 私は可能な限りこいつを早く排除したかった。ミシェルに近づくゴミを何としてでも草原の国へと放逐したい。

「そ、そうだ。俺はすぐ国に戻らねばならないんだ!」

 なんと草原人と意見が一致した。いいぞぉ、このまま望み通り送り返してやろう。

「えぇ!? 折角いらっしゃったのに、そんな、すぐに戻るなんて」

「俺達の国の危機なんだ。兄上や妹に危険が迫っている。それを一刻も早く知らせに行かないと――」

 俺達の国の危機…?

 嫌な予感がゾワリと広がる。

 斬られそうだった、魔法使いが仕えていた、俺達の国の危機―――

「………俺はオーベル。身元は…理由合って明かせないが、この礼は必ずする。だから今は、俺をこの”門”とやらで故郷へ戻してくれ」

 ―――おまけに、身元が明かせないなんて言う奴は、大抵碌なもんじゃない。

「そうは言っても…」

 ミシェルは困ったように”門”を見た。

 門は先程と打って変わって、あらゆる魔力の流れが断ち切られ、完全に停止している。おそらく、内蔵していた魔力を全て使い果たしたのだろう。

「魔力炉から魔力を送らないと動かすのは無理そうね。完全に魔力が空っぽのようだわ」

「ノノの言う通りね。動かすには魔力が無いと…」

「…そう、か。ではどうすれば魔力を得られる? 戻れるのなら何だって協力する」

 よし。話のわかるやつのようだ。ミシェルが何か余計な事を言う前に、私が主導権を握ろう。

「この”門”を動かすには、この塔の下層にある魔力炉を起動する必要がある。私達も塔の魔力炉を起動させられるか見に来たのよ。一緒に来て手伝って貰えたなら、貴方を早く送り返せるかもしれないわ」

「承知した。何を手伝えるかはわからんが、出来る限りのことはする。共に魔力炉へ向かおう」 

「ちょっとノノ! そんなの早急だわ! ここは一回、食事や休憩を挟むべきよ。ゆっくり休んでそれから魔力炉へ行けばいいじゃない」

「ミシェル、この人__あー、えっと、オーベル? オーベルさんは自国のためになるべく早く戻りたいと仰っているわ。彼がお客様だというのなら、その意思は最大限尊重されるべきでしょう」

 ここまで食い下がるミシェルは珍しいが、完全に理論武装した私もまた一歩も退くつもりはない。

「そ、それは、そうだけど……。もっとお話したいわ。折角草原の国からいらしたんですもの…」

 消え入るような声で抗議するミシェルを見て、不意に申し訳なさが湧き立つけれど、ここで手を抜いては駄目だ。私が押しの一手を切ろうとしたところで、オーベルとかいう野蛮人が「待ってくれ」と会話に挟まってきた。

「草原の国とは何だ…? 俺はダグニム王国から来たんだ」

「ここでは、乾いた草の陸地の広がる国を、草原の国って呼んでいるのよ」

「……待て、待ってくれ。ここはダグニムではないのか? だとしたら、ここはどこなんだ?」

 まずい、急に雲行きが怪しくなってきた。余計なことに気付くんじゃない。ここが何処かなんて、そんなことどうだっていいだろ。お前は門を潜って帰れればそれでいいはずだ。疑問を抱くんじゃない。

「ここは濡闇ノ国よ。湿地と雨と塔の国なの」

 ミシェルがまた余計なことを言った!

「濡闇…? それに、湿地に塔って……まさか!? お前達、魔人!?」

 事実に気づいたオーベルは、とっさに立ち上がり、腰の短刀に手を伸ばす。だが、その柄を握ることはせず、警戒のみに留めた。

 その柄を握って短刀を抜いてたら、手首から先を斧で落とすつもりだった。私達は手足を切り落とされても拾ってくっつければ2~3日で治るが、草原人の手足は戻らないらしいし、命に関わる傷になっただろう。

「魔人…? ねぇ、ノノ。私達は、魔人に見えるのかしら? 私、角は生えてないわよね?」

「昔、この国は草原人と争っていたから、”魔人”という呼び名はその名残なのよ」

 私が王様から聞いた限りでは、草原人とは200年前から50年ほど戦争をしていた。

 半ば難癖をつけられて攻められていたようなものだった為、王様は厭戦し、私の両親に防戦を任せた。しかし、私の両親が討たれたことから王様は激怒する。

 王の采配により、膠着状態だった戦況は激変し、濡闇ノ国の圧倒的勝利で終わったのだ。

 戦況を一息に覆され歴史的敗戦。私達を目下最大の脅威だと位置づけ、草原人は未だ、この濡闇ノ国を畏れているらしい。だから私達を魔人と呼んでいるのだ。

「お、俺をどうするつもりだ!?」

「どうするもこうするもない。故郷へ返してやると言ってる」

「何故だ!?」

「お前が帰りたいって言い出したんだろ!」

 私としても早急に帰ってもらいたいが、ミシェルの手前だし、それは黙っておこう。

「………」

 私が怒気を孕んだ強めの声音を放つと、オーベルは後ずさりする。挙動不審に周囲を見回し始めた。恐怖で心が乱れてパニックになっているのか?

 いや、違うな。

「逃げ場を探すのはいいけど、万が一塔から落ちたら助けられないわよ。落ち着きなさい」

 さもないと中層まで落下した私のように、全身の骨を折る羽目になる。アレは痛いぞ。

「ノノの言う通りよ、オーベル。今は落ち着いて。私達がもし貴方を害そうとしているのなら、最初から助けたりしないわ。私達を信じて」

「魔人のことなんて、誰が信じるものか! お前達なんぞ__」

 そう叫ぶオーベルの額から、濡れたハンカチが落ちた。

 刺繍を編み込んだ、ミシェルのハンカチだ。

 私があげた、ハンカチだ。

 それをこの汚い埃だらけの塔の床に落としたとなれば、万死に値するが、しかし、

「………」

 オーベルはそれを見て、聞き苦しい言葉を止めた。なので、私も必要以上に責め立てることはしなかった。

 それからしばし、沈黙の間が降りる。

 私は表情を崩さず、いつでも薪割り斧でオーベルの腕を断ち切れるように構え、彼もまた短刀の柄に手を伸ばせるように構えていた。

 ミシェルだけが、私とオーベルの間に立ち、彼の瞳をじっと見つめたまま、祈るように両手を胸の前に合わせ、自分たちに害意がないことを示している。

 10秒…30秒……1分………。

 長い、長い時間だった。

 オーベルは冷や汗をいくつも垂らし、やがて、ゆっくりとその場に尻もちをついた。落ちたハンカチも拾う。

「………わかった」

 それは、絞り出したかのような苦味を帯びた声音だった。

「わかった。お前達を信じる。失礼な物言いを謝罪する。それに、ハンカチも…。ありがとう」

 そう言いながら、彼は自身の看護の為に額に当てられていたハンカチを、持ち主へと差し出した。

「よかった…」

 ミシェルが花のように美しい笑顔を向け、差し出されたハンカチを受け取る。

 草原人のゴツゴツした指に、白い絹のようなミシェルの指が触れた。

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