第3話

 羽鎧虫とは、湿地に生息する巨大な虫だ。湿地に無限に生え広がっている赤い葦のような植物を食べている。

 全身を硬い殻で覆っているから鎧。その下に透き通ったガラスのような羽を持っているから羽。合わせて、羽鎧虫。

 色は茶色だったり黃色だったり黒色だったりする。私は灰色が一番好きだった。一番レアな色だ。今乗っているキャノンベールさんに借りた羽鎧虫も、私のお気に入りの灰色だった。

 私とミシェルは羽鎧虫の頭に載せた鞍を乗っている。乗り心地は、正直言ってあまり良くない。

 私は騎手として手綱を握り、羽鎧虫の向きと速度を調整していた。羽鎧虫はそれなりに速度を出せるが、鎧の重さ故に長い間飛んでいられない。だがそれでも、隣の塔まで飛ぶくらいなら造作も無いので、塔住まいの魔法使いたちに重宝され、必ず数匹は飼われているのだ。そして、そんな羽鎧虫を飼育する役目を負う者達が虫飼と呼ばれる。

 合羽の上から被ったゴーグルに、容赦なく降りかかる雨粒を手袋で拭い、雨のカーテンの向こうに、暗い塔が見えてきた。

「見えてきたわよ。着陸のときに舌を噛まないようにね、ミシェル」

「わかったわ! それにしても楽しみね。私、久々に胸がドキドキしているわ。ああ、中はどうなっているのかしら。ゲジがたくさん住み着いているといいわね___んきゃっ!?」

 羽鎧虫が急激に高度を落とす。着陸姿勢を取り、ガシャン、と鎧を鳴らして、羽鎧虫は塔の屋上へ降り立った。

「言わんこっちゃない…」

 舌を噛んだらしいミシェルが涙を浮かべて口元を抑えている。私は先に羽鎧虫を降り、痛みを堪えるミシェルの手をとって床に降ろした。

「大丈夫、もう治ったわ」

 んべ、とミシェルは綺麗なピンクの舌を見せる。そこに噛み跡はもうない。

 しかし、そう無防備に舌を見せられても困ってしまうのだけれど…。

「そ、それじゃ、塔に入ってみましょうか」

 ミシェルの柔らかそうな舌から視線を逃し、塔の屋上を見回す。

 私のよく知る塔の屋上と何も変わらない。見張り台が遭ったり、虫除けの香を焚く台座があるのも同じだ。北側の端に階下へとつながる天扉があるのが見えた。

「天扉は施錠されているのかしら?」

「それはもちろんされていると思うけど」

 廃塔を管理しているのは王様だろうか? なら人を遣わせて施錠などは入念に行っていそうだ。

「なら、これの出番ね」

 雨降りしきる中、背負った防水鞄から、ミシェルは枝切り鋏のようなものを取り出した。枝切り鋏にしては刃が倍くらい厚く太い。

「それは?」

「お祖父様の道具箱にあったのよ。鉄断ち鋏と言っていたわ。草原人の国の道具だと思うわ」

 そんな便利なものが草原人の国にはあるのか…。

「これで錠前ごと断ち切ってしまいましょう」

 ニコニコと恐ろしいことをいう。

 ミシェルは鉄断ち鋏を両手で構えつつ天窓へと近づく。およそ魔法使いの令嬢の姿とは思えない出で立ちだった。

 やはりというべきか、天扉には分厚い錠前が施されており、鍵が無ければ開けられないようになっていた。

「よーし、ノノ。見ててね」

「え、あ、はい」

 ミシェルは鉄断ち鋏を錠に充てがい、勢いよく刃を重ねた。ギッ…!と、鉄擦れの音がするが、流石に錠前は丈夫に出来ているらしく、断ち切ることはできないようだ。

「なんの」

 しかし、ミシェルは鋏をグリンと勢いよく捻ってみせる。

 バキリと雨音を一瞬消すほどの破砕音が響き、錠前どころか扉そのものに猛烈な捻る力が加えられ、天扉は破壊された。蝶番が完全に破損している。

「あら? 流石お祖父様の道具ね!」

「い、いや、ミシェルのパワーが要因の9割だった気がする、けど…」

「ちょっと捻ってみただけよ? あ、ひょっとして天扉そのものが弱っていたのかしら。ならここも作り直さなければならないわね」

 う、うーん…! 色々言いたいことはあるが全て飲み込む。

「とにかく中に入っちゃおう。誰かに見られても面倒だし」

「ええ、そうしましょう!」

 ミシェルは壊れた天窓を鉄断ち鋏を使ってバキバキと豪快に引き剥がし、塔の内部へと侵入する。私も羽鎧虫を牽いて後を追うが、せめて少しでも雨が降り込まないように壊れた天扉の残骸を、入り口にかぶせておいた。


 階段を降りていくと、早速埃っぽい虫舎に出る。当然だが、舎内は空っぽだ。本来なら羽鎧虫の寝床に木屑を集めてあるはずで、木のいい匂いがするのだけれど、今は暗く、カビ臭いだけの虫舎だった。

 もはや用済みと言わんばかりに綺麗にされて、忘れ去られた虫舎は何だか物悲しく見えた。こんな場所に羽鎧虫を繋いでいくのは少し憚られたので、羽鎧虫は中まで連れて行くことにする。

 塔の内部にはゲジや毒虫の類が巣食っていないとも限らなかったので、私は薪割り斧を手にし、ミシェルは先程有効活用した鉄断ち鋏を構えたまま虫舎を出て、螺旋階段に至る。

 どの塔も基本構造は同じはずなので、このまま螺旋階段が最下層の湿地まで続いていて、途中に上層、中層、下層の階層があるはずだ。そして、螺旋階段の途中に細々した部屋への扉が設けられている。

「はぁー! ドキドキするわ! 伝説の魔獣でも何でも出てこないかしら!」

「それは勘弁してもらいたいな…」

 できればゲジ一匹すら出てきて欲しくない…。

「それじゃ、階段を下りながら部屋を一つずつ確認していきましょう! それから、一番良さそうな部屋を見繕っておきましょうか!」

「早速自分の部屋を決める気?」

「ノノは二番目に良い部屋を使うことを特別に許します」

 ふふん、と令嬢気取り(いや実際令嬢なのだけれど)な仕草を見せるミシェル。

「私は狭い部屋でいいわ」

 広い部屋があっても、使い道に困る。

 それに、私の部屋はライフォテール魔法塔にもうある。2つも3つも必要ない。

「えぇ~? せっかく好きにできるのだから、とっても大きな部屋に住みましょうよ! あ、それなら、一緒の部屋に住んでもいいわね。二段ベッドというのが世の中にはあるらしいの。お祖父様が言ってたわ! ね、ね、二段ベッドで寝るようにしましょう!」

「魅力的なお誘いだけど遠慮するわ」

 ミシェルと一緒に寝起きする生活を夢想しないでもなかったけれど、何だか大変そうなのでやめておこうと思う。恐らく、私が全く寝られなくなる。寝られなくなるぞ、私は…。

「もう、ノノは欲がないのね!」

「下賤な生まれなものですから」

 冗談めかしく言ったつもりだったが、ミシェルは笑顔を消した。眉をしかめ、唇を尖らせる。

「ノノは下賤なんかじゃないわ! 羽鎧虫にも乗れるし、料理も、掃除も、洗濯も、栽培もできる。出来ないのは裁縫だけでしょう?」

「…裁縫は修行中です…」

 さ、裁縫はもうじき出来るようになるから…。

「お祖父様もお父様もお母様も、みーんな、ノノは働き者だって仰っていたわ。とっても助かってるのよ。だから自分自身をそんなに下卑しないで。私まで悲しくなってしまうわ」

「…わかったよ、ごめん」

 心配そうに私の眼を覗き込んでくるミシェルの柔らかい金髪を、私は撫でた。

 決して人前でこんな事は出来ない。

 二人っきりの今だから出来る。

「それじゃ、二番目にいい部屋を選ばせて貰おうかな。でもその前に、ミシェルの部屋よね。一番窓の大きな部屋にしない? 働き者の裁縫見習いの私が、赤いレースのカーテンを作ってあげる」

「ホント!? それなら一番窓の大きな部屋にしましょう! ふふ、楽しみだわ!」

 私が提案すると、ミシェルはくるりと深刻そうな顔から楽しげな表情へと変わり、足取りも軽く階段を降り始めた。

 悲しい顔は、彼女には似合わない。

 私は、自分を下卑するような軽口は慎もうと心に決めた。


 そして、いくつか部屋を巡り、


「まぁ、大きい! じゃあ、私の部屋はここにしましょう!」

「………」

 彼女が選んだ部屋は、高さは私の約2倍。幅は私の約5倍くらいある超巨大出窓のある部屋に決まった。

 果たして、どれだけ巨大なカーテンが必要になるだろうか…。

 働き者の裁縫見習いには、少しだけ荷が重いような気がした。

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