原初、そこにあったのは飢えだった。

 いつから存在していたのかわからない。どれくらいそうしていたのかもわからない。ただ飢えていた。

 引き寄せられるままに進み、命と呼ばれるものを喰った時に初めて満たされることを知った。そして自分という存在を感じた。

 命というものが照らす自分という存在。いつでも飢えを感じていた自分を満たす命。それを求め、喰い、満たされ、そして飢える。命とは自分が満たされるために存在し、それを喰うのが自分の存在意義だった。それ以上もそれ以下もない。

 命の光が見えると、そちらへ向かう。たとえそれが壁に守られていても、その壁そのものを解析し、構造プログラムを書き換え進入することが出来た。

 そうしてその世界への侵入を果たすと、最後の一つまで命を喰い尽くす。そうするように自分は出来ている。それ以外の選択肢はない。

 いつでも命は自分のために用意されているものだった。


 満たされることを知ると、同時により飢えを強く感じるようになった。原因を探るために、これまで喰って来た命の情報データを解析する。

 そこに記録されていたのは悲しいとか、寂しいという心の動き。理解はできなかったが、満たされた後にそれがわき上がっているようだった。飢餓状態になることは良くない、危険だと知った。


 命は喰われる瞬間に、悲しいという情報を残す。それを喰うと満たされる。しかしすぐに寂しいに襲われ、また命を求める。命が見つからなければ苦しくてたまらず、我を忘れて命を探す。そこには飢えだけがあり、意思は霞む。

 嫌だ、飢えしかなかった頃に戻りたくはない。満たされたい。

 命がなくてはならない。自分の存在をこの世に繋ぎ止め、飢えから開放してくれる命が。


 その世界は、今までの世界と比べて明らかに色彩が多く命にあふれていた。その時胸に訪れたのが、歓喜。命の情報に入っていたものの、今まで理解できていなかった感情。

 命があふれることが歓喜。飢えることがないのが歓喜だ。

 どんなに喰っても尽きないくらいに大量の命。

 どうすればこの命を効率よく自分のものにできるのか。それを知るために少しずつ命を喰いながら、観察することにした。


 命を観察していると、彼らは増殖するという力を持っていることがわかった。時間をかけじわじわと増える様は効率が悪かったが、喰える命はその分多くなる。

 増えたら喰い、また増えたら喰う。飢えはなくなり、おだやかな時間が流れる。むやみやたらに喰う必要もない。命は勝手に増える。

 長く一つの世界にとどまることで、命を求める焦りもなくなる。

 定住という概念を理解した。


 この世界は広い。その隅々まで命がいる。

 それならば、自分も増えてみよう。増えた自分の分身コピーが自動的に命を集め、それを転送してくればいい。それをある程度自立させて行えば楽だ。

 動かない命を模して、芽吹いた。


 動く命と、動かない命がいる。動く命たちは地面を離れ、空を翔けている。

 なんのために動くのだろう。あんなにも早いスピードで。

 知りたかった。動く命に初めて興味を抱いた。これまで、動く命か動かない命かなど考えたこともなかったのに。

 試しに動く命を食い、その情報データを解析した。その構造プログラム記憶メモリから再現し、その動く命の入れ物に入った。

 空を飛ぶ。気持ちがいい。空を飛ぶ。動く他の命がいる。寂しいはなくなる。

 命を喰われるとも知らずに、動く命が寄ってくる。側に来て鳴いている。なぜ。


 動く命は鳥という。彼らは集団で過ごすもの、単独で過ごすもの、つがいで過ごすものなど暮らし方は様々だった。ただ一様に鳥たちが歌っていたのは、歓喜だ。飢えることのない歓喜。

 この鳥という命は、自分と同じものなのだろうか。なぜ自分と同じことを感じているのだろう。命を喰うのは自分の側なのに。

 それとも、ここでは自分も喰われる方なのだろうか。


 注意深く過ごした。幸い喰われることはなく、分身コピーたちも絶えず命を吸い上げ送ってくれている。自分がなくなるような飢餓は忘れ去った。時折鳥も喰ったが、量を調節して怪しまれることもなく過ごせた。

 やがてそれに出会った。鳥とは明らかに形が違う命。それなのに、その命は自分を鳥だと称した。

 知りたかった。それが本当に鳥なのか。だから喰った。

 記憶メモリを解析して、鳥だと知った。その記憶メモリから驚くほどたくさんの感情というものを知った。理解が追いつかない。この鳥になってみよう。

 入れ物を変える。再構築リビルドはもう造作もなかった。

 記憶メモリから読み込んだその鳥の名前は、ヴィン。

 ヴィンのしていたことをなぞってみよう。同じことをしてみたら、理解できるかもしれない。


 分身コピーから命を供給してもらいながら、ヴィンとして鳥たちに尽くす。癒しの力を使い、喜びに震える歌を聴く。そしてともに歌う。

 愛しい、美しい、喜び、祈り、慈しみ、楽しみ……ヴィンの知るあらゆる感情を体験し、学び、吸収した。

 ここは命があふれる楽園。歓喜に満ちた場所。

 自分がいつか、命を根絶やしにする世界。

 胸が疼いた。なぜ。

 命は自分が喰うためにある。そのはずだった。

 なぜ、こんなにも胸が痛むのか。

 なぜ。なぜ。


 自分は、楽園の命を喰うことを望んでいるのだろうか?


 喰わないという選択をしてから時間が経った。いや、正確には違う。動かない命は定期的に喰った。だが、それも満たされるには足りないほどだ。

 飢餓感が強くなっていく。それでも、鳥たちに感じる友愛の情が喰うことを留まらせる。

 なぜ自分は鳥を喰ってしまったのか。それらの持つ感情を学んでしまったのか。命の持つ美しさに気づいてしまったのか。

 これまでに散々喰って来た命も、この鳥たちの様に感情があった。それははっきりと情報データとして残っている。ただ自分が理解していなかったから、それらがなにを意味するのかわからなかっただけだ。

 苦しい。痛い。辛い。悲しい。

 もう取り返しのつかないこと。

 この世界に来なければ良かった。ここから出て行けたなら良かった。だがそれは叶わない。全ての命を喰い尽くすまで、ここから出ることは叶わないのだ。それが自分という命の有り様。意思とは相反する生存本能。


 ああ、我慢が出来ない。嫌だ、喰いたくない。命は美しい、だから喰うと自分の存在を感じる喰わなくては、命を、命が欲しいその喰われる瞬間の輝きが自分の姿を見せてくれる。

 ただその光が欲しい。喰いたい……‼︎


 激しい飢餓に襲われて分身コピーとの接続が切れた。自立した分身コピーは命を求め鳥を手当たり次第に喰い、巨大化し、さらに鳥を喰った。

 接続が復帰した時には、もう手遅れだった。流れ込む膨大な量の命に気が狂うほどの痛みを感じた。それと同時に、満たされていく自分の内側が歓喜の声を上げていた。

 命を喰わないでいることは不可能なのだ。


 鳥喰草と名付けられた分身コピーが鳥を喰う。どんなに駆除しても、動かない命を模したそれは自ら増えていく。

 やがてヴィンと同じ姿の鳥と出会った。黒い羽毛のその鳥は、ナギと名乗る。鳥喰草を排除し、楽園を守るために協力しようと言ってきた。

 鳥喰草を排除できるなんて思えない。だからと諦めることもできずに、頷く。

 楽園を救う、そのためだけに奔走する力を持つ鳥たち。その命が眩しかった。憧れた。そうなれないことを呪った。

 楽園を愛する心は同じなのに。


 同じなのだろうか。この感情はヴィンのもので、自分のものではないのでは?

 そうか、自分は紛い物の鳥。

 これは、全部、紛い物の感情だ。

 なのになぜ、こんなにも、苦しいのだろう……。


 力を持つ鳥たちとの邂逅が、さらに苦しみを産む。

 いつか、自分は彼らを喰うだろう。楽園の全てを喰い尽くして滅ぼすだろう。


 誰か、助けてくれ。

 誰か?

 これまで散々その誰かを喰って来たのに?


 楽園に侵入したなにかを感じたのは、どれくらいの時間が経ってからなのか。

 それは小さくて、今にも消えそうな命だった。その命は、それでも辛うじて源と繋がっているのが視えた。

 楽園の外から来た命。この命は、楽園から出られれば源の元へと帰れるだろう。


 帰したい。

 楽園の命でなければ、ここから出られるはず。出られれば助かる。

 唯一、自分にも助けられる命だ。


 ヒナという名のその命は、自分の胸をあたためた。救えるという事が、自己への憎しみでいっぱいだった心を癒やしてくれるようだった。

 ただ手を繋いでいるだけで歓喜がわいた。その熱にずっと触れていたかった。

 ヒナが生きていてくれるならなんでもしてやりたかった。

 出来るならば、叶わない夢だとしてもその手を離したくなかった。その熱を感じながら、生きて行けたらどんなに幸せだっただろう。

 ヒナが笑いかけてくる度に、歓喜に包まれた。それと同時に、どうしようもなく胸が締め付けられてたまらなかった。それは苦しみにも似ているもの。しかし、その原因であるヒナへの慈しみはなくならず、むしろ増すばかりだ。

 初めての感情。それは「愛」という名で命の情報データに記録されていた。


 命を吸い尽くし、世界を滅ぼし続けた醜悪な存在が、愛だなんて笑わせるな。そんなものが許されていいはずがない。

 かつて愛を持って生きていた全ての者の命を奪ったのは、この自分なのに。楽園も、美しい鳥も、大切な友でさえ喰うしか出来ないのに。

 こんな醜いものが愛など持つはずがない。

 こんな感情など知りたくなかった。

 触れていたい。やめろ汚れた手で触るな。

 触れると、その熱を感じると、世界が光に包まれているようだ。

 これが愛なのか。

 これが。


 醜く汚れた存在でも、愛は感じられるのか。


 その唇に触れた。

 胸に愛が押し寄せる。

 ああ、この命を守らなければ。

 たとえそのことによって、楽園の崩壊が早まったとしても。


 ヒナに命を分けた。翼を与え、楽園から出してもらう。

 空虚感に苛まれた。

 ヒナのいない空は色あせて見える。

 苦しい、鳥喰草との接続が切れそうだ。

 楽園は崩壊するだろう。

 それでもヒナが生きてくれるならいい。

 愛というのは、こんな醜い感情を産むものなのか。

 美しいだけが、愛ではなかったのか。

 ヒナ……。


 激しい痛みに襲われて意識が戻る。

 接続が復帰する。

 戻った視界に映ったのは、自分の手の中でまさに命を奪われようとしているヒナの姿だった。

 気力をふり絞ってなんとか離したものの、ヒナがここにいる理由がわからない。

 与えたはずの翼は、すでにヒナの背にはなかった。

 なぜ楽園から出て行かなかったのか。なぜここにいるのか。

 それと同時に、また歓喜に襲われる。楽園を出なかったヒナは、このままなら自分が命を奪うことになる。それなのに、胸が震えた。

 愛は醜い。愛は美しい。愛は汚い。愛は綺麗。

 愛は、全て。


 これは誰の感情なのだろう。ヴィンか、それとも。


 ヒナの腕が抱きしめてくれる。

 鳥喰草が、楽園の命を奪う存在ということを知りながら、この醜悪な姿を見ながら、それでも側にいると言う。

 触れ合った唇から流れ込む熱。まるで自分もヒナも溶けて混じり合ったかのような瞬間。その喜び、罪、愛しさ、後悔、美しさ、あらゆる感情が濁流となって流れ込み膨張し暴れる。

 内側から自分という存在が。光が満ちる。これ以上は器に入らない、それでも光は増え続ける。

 その光は今や、自分の内側から外へとあふれ出ようとしている。その光が身体のすみずみにまで走り、一つの意志を発動させる。

 全てを飲み込むように。全てを包み込むように。全てを洗い流すように。


 ————誤作動修正デバッグ、開始。


 ◆ ◇ ◆








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