届かない手
「ヴィン、お願い……目を、覚まして……ッ」
くり返される痛みに意識を手放しそうになりながら、必死にヴィンの姿を視界に入れた。背中に残っているだろうほんの少しの羽根に意識を集める。
思い描いたのは、ヴィンと初めて会ったあの瞬間。
背中から内側に消えたそれは光の矢となり、雛乃の胸を貫通して外へと飛び出した。意識を失っているヴィンへ向かってまっすぐに飛び、その背を貫く。
ヴィンの背中に突き刺さった矢はすっと中へと吸い込まれるように消え、呼応するようにヴィンの指先がかすかに震えた。わずかに触手の力が弱まる。
「ヴィン……っ‼︎」
ヴィンの顔が歪んだ。その瞳が開き、雛乃の姿を捉える。瞳が大きく見開かれ、パニックになった鳥の悲鳴のような鳴き声がほとばしった。必死に雛乃の名を呼ぼうとしている様だが、その声はほとんど音になっていない。
背中の翼は使い切った。雛乃にできることはもうない。それが悔しくてたまらない。ヴィンの手は目の前にあるのに届かない。
「ヒナ、ヒナッ‼︎ くそッ、やめろ、やめてくれ、頼む……‼︎ ぐ……ヒナ……ヒナ、待っていろ今喰っ……ヒナ……ッ」
ヴィンの瞳は恐怖に怯える子どものように揺れている。触手の力が抜け、一斉に雛乃を離して後退していく。
急に離されて地面に倒れ込んだ雛乃は、ヴィンの命がその痛みを癒していく熱を待たずに身体を引き起こした。
「ヴィン‼︎」
「来るなッ‼︎ もう、俺はだめだ、自制がきかない……う、うあぁッ……だめだッお前を喰わせてくれ……来るな……命が欲しい、もう俺の意思じゃ、止め、られないッ……」
ヴィンの身体が痙攣を起こしたように震え、瞳が虚ろになった。その途端に、再び触手が雛乃を捕らえようと伸び、それは後方から飛んだ無数の光の矢に貫かれてちぎれ飛ぶ。
悲鳴を上げて駆け寄ろうと前に出た身体は、後ろから伸びた2本の腕に抱き上げられ阻まれた。真っ白で大きな翼が羽ばたくのが見え、雛乃の身体を後方へと運ぶ。
「ドゥードゥ‼︎ ヴィンが、わたしヴィンのところに––––––––」
「ヴィンは鳥喰草だよ、ヒナちゃん‼︎」
吐き捨てるようなドゥードゥの声にびくりと背中が震える。そこには天使のようだと思っていた美しさも、神々しさもない。
唇を噛み締め、苦痛に耐える表情をしたそのほおは、涙の跡で濡れている。
「でも‼︎」
確かにヴィンの意識が戻って雛乃は離された。それがヴィンの意思なのだとすれば、やはり鳥喰草なのだろう。だからドゥードゥは攻撃をしたのか。別れる時にヴィンも大丈夫だと言ったのは、雛乃を帰すための嘘だったのだろう。
ヴィンが狂った獣のような苦痛の声を上げた。その声に反射的に駆け寄ろうとして、ドゥードゥに身体を押さえられる。
「ヴィンは苦しんでいる‼︎ もうどうにもならないんだよ‼︎ あの苦しみはヴィンの命があるかぎり消えない‼︎」
「だから殺すの⁉︎」
「僕にそれが出来るとは思えないよ。でもやるしかないでしょ。僕は力を持つ鳥だ、最期まで楽園を救うことを諦めないよ」
「ヴィンは」
「ヴィンだって苦しみを終わらせて欲しいはずだ‼︎」
叩きつけるように叫んだドゥードゥのほおを、また新たな涙が伝った。
「嘘つき! 大丈夫だって言ったじゃない……ッ」
ヴィンが苦しんでいる。その表情は苦痛に満ち、鳥喰草の触手も震えている。
雛乃の名を呼びながら、血反吐を吐くような声を上げている。その姿に、雛乃の胸に鈍痛が走る。
もしかしたら、ヴィンの意識を取り戻せたのは、彼にとっては苦痛なだけだったのではないだろうか。そのことに気がつき血の気が引く。しかし、もう雛乃にはどうすることも出来ないのだ。
「ヒナちゃんには生きて欲しかったんだ。それを、ヴィンの願いすら無駄にして……」
ドゥードゥの声が震える。それは、雛乃が戻った事に対する怒りだ。
そうだ、みんなの力を借りたのに、それを全部無駄にしたのだ。ただヴィンの手をにぎりたい、それだけのために。
楽園の未来など雛乃にどうこうすることなど出来ない。それならば最期までヴィンの手をにぎっていたい。ヴィンがそうしてくれていたように。今出来ることはそれだけだ。
「知っていたのね、最初からヴィンを騙していたのね⁉︎」
「騙す? 騙していたのはヴィンの方だよね?」
ドゥードゥの声が冷たく固まる。その声は微かに震えていた。
「長いこと気が付かなかったよ。軽くじゃだめだ、密着して初めて気づくくらい微かだった。その違和感が鳥喰草だって気づいた時のことが君にわかるかい?」
息を飲む。ヴィンの苦しみに喘ぐ声が胸を締め付ける。
ドゥードゥはきっとヴィンを大切に思っていた。きっとナツも、ナギも。それなのに、同胞の鳥を喰い楽園の命を吸い尽くして崩壊させている張本人なのだと気がついてしまったのだ。
もちろん、ヴィンはそのことをずっと隠していたのだろう。だから、ドゥードゥの言い分は最もなことだというのは理解できる。
楽園を救うために、そしてヴィンの苦しみを終わらせるために、彼は涙を流しながらもそれを遂行しようとしている。それは、おそらくは譲られることはないだろう。
唇をかみ締める。
ナギだって気づいていたのだろう。ヴィンにいつもくっついていたのだから。
ナツもナギもその違和感に気づいて、それでも一縷の望みにすがっていた。間違いであって欲しいと願って、雛乃を襲って鳥喰草がどう動くかを見たのだ。
彼らは力を持つ鳥。楽園を救うことを諦めない。
「わからないわ」
彼らの絶望を、わかった気になることは出来る。けれど、本当に理解できるとは思えない。
(だけど、そんなこと、もういい)
もう雛乃にもヴィンにも時間は残されていない。そして、楽園にも。
それならば、雛乃は今すぐにヴィンの手をにぎるだけだ。
「ごめんなさい、ドゥードゥ。あなたたちの親切を無駄にして」
「––––––––……」
「ありがとう、嬉しかった。でもわたし、ヴィンの側に最期までいるわ」
「僕は楽園を助けることを諦めないよ。ヒナちゃんがいても」
君ごとヴィンを吹き飛ばす。そう言ったドゥードゥに頷く。
雛乃はどの道、死ぬしかない。それなら、ヴィンの側にいたい。死ぬのが早いか遅いか、そんなことはどうでもいい。
「本当に帰らない? 僕の力を分けても?」
「あなたは分けないわ。ヴィンを倒さなくちゃならないんでしょ?」
それに、たとえ分けてくれたとしても、楽園から放り出されたとしてもまた戻ってくる。そう言うと、ドゥードゥの瞳が冷たく輝いた。
絶対に帰る、そう約束したのに放り出して来た。帰りを待つ人がいるのはわかっている、それでも帰れない。今雛乃が望んでいるのは、帰ることではない。
ただ、助けを求めていた優しい鳥の手を取ることだけだ。救えなくても、側にいて励ますことだけ。それで鳥喰草に命を奪われても、さっきみたいに痛くても苦しくても我慢する。
「そう。じゃあ、お別れだ」
ドゥードゥが突き放すように雛乃の肩を押した。その勢いにたたらを踏んでいるうちに、ドゥードゥは素早く後ろへ飛び雛乃と距離を取る。
その腕をふり上げた。空間が歪み、風が集まって行く。
脳裏に風の弾丸で全身を撃ち抜かれたナギの姿が蘇る。足がすくみ、恐怖が一気に駆け上がる。
(動いて、わたしの足……‼︎)
ドゥードゥと敵対して背筋が寒いと言っていたナツ。その気持ちがやっとわかる。彼は敵に回してはいけない人だ。圧倒的な力を持っている人だ。
風が雛乃の髪を巻き上げほおを打ち、その痛みに弾かれるように踵を返した。グロテスクとも言える異様な姿の鳥喰草に向かって、全速力で走る。
「ヴィン‼︎」
「ヒナぁぁあぁ––––––––‼︎」
背中に重い空気の圧が押し寄せて来るのがわかった。手を伸ばしても届かない。
ヴィンの手も取れずここで終わるのか、そんな絶望の涙も吹き荒れる風に押し流された。周りの景色がスローモーションのようにくっきりと浮かび上がる。
触手によってありえない方向に折れ曲がっていたヴィンの腕に力が入り、叫び声を上げてその触手を千切った。雛乃へと手を伸ばす。
苦しみに歪んだ紅玉の瞳。流れ落ちる涙。風に煽られてなびく髪。
地面を蹴る感触。その足が再び地面に着くより先に迫った圧倒的な力。伸ばしたお互いの腕、その届かない距離。
雛乃を呼ぶ甲高い声が響き、なにかが雛乃の身体を包み込んだ。その瞬間に空間が歪み、大地をえぐりあらゆるものを無に返そうとするかのごとく暴れる。
圧力、熱、痛み、悲しみ、怒り、あらゆる感情が暴れている。
(だれッ⁉︎)
雛乃の身体を誰かが抱きしめている。その二本の腕が雛乃をドゥードゥの力から守ってくれている。
永遠にも思える暴風がおさまった時に、雛乃の視界に映ったのは漆黒。
雛乃を抱きしめ、その翼で包んで庇ってくれていたのは、お人形みたいに可愛い女の子。しかし、その髪も翼も羽毛も、ひどく乱れていた。
「––––––––ナギ⁉︎」
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