第六章 真実と旅路

強い意志

 そこにあったのは、鳥喰草が何本も絡み合い木のようになったものだった。その前に降り立ち、ドゥードゥは顔を曇らせた。

 鳥喰草の根元には、まるで吸収されでもするようにヴィンの身体が埋まっていた。上半身はかろうじて外に出ているものの、下半身は鳥喰草の中に絡め取られてしまっている。そして、その出ている上半身も触手にあちこち締め上げられ、腕も翼も変な方向に曲がっていた。その瞳はかたく閉じられている。

 ドゥードゥに気がついた鳥喰草がうねり、触手を伸ばして来たがそれはドゥードゥに届く前に全て見えない壁に弾かれた。


「ヴィン、待たせたね」


 もう届かないのを承知で、そっとつぶやく。

 ヴィンが力を分けてくれと言ったのは、自分の居場所を知らせるためだ。ドゥードゥはヴィンに分けた力、自分の命の気配をたどってここまで来た。それをヴィンが望んだから。


「僕に出来ると思う? 君の方が絶対的な存在じゃないかな〜。僕らなんて君から見たらちっぽけなものだよ」


 楽園の全ての命を吸い尽くすことができるというなら、ヴィンの器がそれだけ大きいということだ。ドゥードゥは所詮、楽園の中で生きる鳥。楽園と同じ量の力など持ち合わせてはいない。もし楽園の命をドゥードゥに注いでも、量が多すぎて受け入れられないだろう。

 それでも力を持つ鳥として、そしてヴィンの友として、やらなくてはならない。


「ヒナちゃんは楽園から出たから。安心して」


 鳥喰草の蔓がうなりを上げて襲いかかってくる。それを腕を上げて透明な壁を作り出し弾く。しかし、鳥喰草も負けじと攻撃の手をゆるめない。その様子に苦い笑みが浮かぶ。

 あれはおそらく、命を求めて自制が効かなくなってしまったヴィンだ。禍々しい違和感を発しながら、目の前の命を吸収しようと躍起になっているに違いない。その姿は、まるで泣いているかのように悲しい。


「いや……泣いているのは僕か」


 ほおを熱いものが濡らす。

 ヴィンに初めて触れた時の衝撃は今も鮮明に覚えている。普通に接している分にはヴィンの違和感には気が付かなかった。しっかりと身体を密着させて触れて初めて、ヴィンの中のごくごくわずかな違和感に気がついたのだ。それは鳥喰草と同じもの。

 しかし、ドゥードゥにはヴィンを排除することが出来なかった。ヴィンは心から善良で、楽園のことを思い、鳥たちを助けていた。確証はないが、その力を持つ鳥としての能力は鳥喰草が喰った鳥から補充していたのだと思う。そうだとしても、その善良さは本物だった。

 楽園の命を吸い尽くそうとする自分を憎み、葛藤していた。だから力を自制することなく鳥喰草を、自分を攻撃し続けていたのだ。その力も喰った鳥や植物から集めていて自分のものではないから、すぐに枯渇するのも無理はなかった。

 わかっていた、知っていてなにもしなかった。その心は楽園を崩壊させている張本人なのに澄んでいて、まぶしいほどだったから。

 いや、そんなものは詭弁だ。ただの言い訳だ。


「僕も同罪だ」


 力を持つ鳥として、やるべきことはとうにわかっていたのに。それなのに楽園が崩壊する寸前までなにも出来なかった。

 なんとか楽園もヴィンも救いたかった。その方法を探していると自分に言い訳をして見ないふりを続けた。

 だが、もうそれは出来ない。そしてどちらかしか選べないなら、楽園を選ぶ。自分は、楽園の力を持つ鳥だから。


「ヴィン、それでも僕は楽しかったよ。だからどちらが勝っても恨みっこなしにしよう」


 意識を集中する。右手を高く掲げると、その周囲の空気がぐにゃりと曲がった。そのまま手のひらの上に透明な球体が出来て大きく膨らんでいく。

 ヒナの背に付けられた光の翼は、ヴィンの命を分けたもの。それはちゃんと楽園を出ることが出来た。

 となると、ドゥードゥがやれることは一つだけだ。ヴィンの肉体を破壊して、本体を引きずり出しとどめを刺すか楽園の外に捨てるかだ。

 そんなことができるかはわからない。もしここにいるヴィンだけでなく、全ての鳥喰草をそうしなければならないなら、おそらく間に合わない。それでもやるしかない。


「さよなら、ヴィン」


 腕をふり降ろすと同時に、透明な球体が鳥喰草に絡め取られたヴィンへと放たれた。

 そして、それは一瞬のことだった。ぐにゃりと空間を捻じ曲げながらヴィンへと向かうその球体の前に、輝く光が躍り込んだのだ。

 それは小さな人影に見えた。ヴィンを球体から庇うように立ち塞がる。その体が輝きを放った。


「––––––––馬鹿なッ‼︎」


 爆風が吹き荒れる。ドゥードゥの髪が舞い上げられてめちゃくちゃにほおを打つ。腕を上げ飛び散った砂から顔を庇いながら、記憶を反芻する。

 あの人影は、ここにいるはずのない人物に見えた。間違いない。

 胸に苦いものが込み上げる。


(どうして……)


 爆風がおさまり腕を降ろすと、視界に入って来たのは一人の少女。

 その背には輝く羽根が申し訳程度にしかない。元々翼の形をしていたそれは、もう翼ですら無くなっている。おそらくドゥードゥの攻撃を受け止めるためにほとんどの力を使ってしまったのだろう。完全には受け止められなかったのか、あちこちに痛々しい傷ができてしまっている。

 それでも、ヴィンの前に立ち塞がるその瞳には、強い意志が見えた。


「ヒナちゃん……」


 ◆ ◇ ◆


 痛いところがないくらいに、身体のあちこちに痛みが走った。しかし、雛乃の内側からその傷を癒していく力が染み出し、すぐに痛みは感じなくなる。


「ヴィン‼︎」


 ふり返ると、鳥喰草に絡め取られたヴィンの姿が目に飛び込んできて息をのむ。その腕はあり得ない方向にねじ曲がってしまっていて、思わず悲鳴がもれた。身体には至るところに触手が絡みつき、動きを封じている。

 その姿は痛々しくもグロテスクで、本能的な恐怖が這い上がって来るのを抑え切れずに背筋が震えた。ヴィンの瞳はかたく閉じていて、ぴくりとも動かない。

 ドゥードゥがヴィンを攻撃したことは気になるものの、それどころではない。激しく気持ちが動揺し、混乱していると自分でもわかった。

 そして混乱し恐怖すら抱いている雛乃にわかるのは、ヴィンの手をにぎらなければ、それだけだ。


「ヴィン、しっかりして‼︎」


 一歩を踏み出そうとして、目の前に伸びてきた無数の触手にいとも簡単に捕らえられた。胴に巻きつき、それを外そうとした腕も絡め取られて引っ張られる。聞いたことのないような軋んだ音がして、その痛みに絶叫した。

 それでもその力は緩まない。


「あ、あぁあぁぁぁッ‼︎ や、やめ……ヴィン……」


 これはヴィンなのだろうか。

 鳥喰草とヴィンの違和感は同じものだとナツは言ったが、それは雛乃には感じることの出来ないものだ。

 手足が引きちぎられそうだ。さらに首にまで伸びた触手が気道を塞ぐ。どこからかわからないくらいいろんな場所から、みしみしと音がした。その度に痛みで気がおかしくなりそうになり、すぐにその痛みは胸の光で癒される。そしてまた痛みを加えられ頭の中が真っ白になった。

 このまま、ヴィンがくれた命を使い果たすまで苦しんで殺されてしまうのだろうか。ヴィンの手を取れないままに。


「ヴィン、どこ行ったの……ヴィンっ……」


 息を止められたのどを熱いものが込み上げ、しかしそれは外に出ることができずに渦を巻く。目が霞む。

 鳥喰草に取り込まれたヴィンが視界に入る。まるで死んだように動かないその顔は苦痛に歪んでいるように見えた。


(諦めちゃ、だめ……)


 ヴィンの助けを求める声が聞こえた。自分になにが出来るかなんてわからない、もしかしたらなにも出来ないのかもしれない。

 それでも、その声を聞いて自分は戻ってきたのだ。今度こそ最期まで、ヴィンの側にいるために。

 なにもせずに諦めたくはない。

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