紛い物の鳥

「おかえりヒナ。戻ってくると思ってたよ」

「––––––––ッ」


 雛乃が楽園の外に出たと知って、それでもこうして待ち伏せしていたのだろうか。


「その翼はヴィンにもらったんだろ? じゃあ、彼の居場所もわかるはずだ。連れて行け」

「な、なにを……」


 裏切ったナツが、ヴィンと戦っている姿が蘇る。雛乃を排除するためにヴィンとも争ったナツ。そんな人を連れて行ったらどうなるかわからない。


「あ、あなたは、わたしを始末できれば、い……いいんでしょ……」


 情けないが声が震えた。ヴィンのところにたどり着くことも出来ずに、ここで最期になるかもしれない。

 ヴィンに会いたい、それしか考えていなかったことに今さらながら自分を呪った。まさかナツが、雛乃が帰って来ることを見越して待ち伏せているなどとは思いもしなかった。


「なんでヴィンに……」

「ヒナのことは今はどうでも良い。俺をヴィンのところに連れて行くんだ」

「どうしてよ‼︎」


 ナツの表情が忌々しげに歪んだ。


「ヒナは鳥じゃないからわからないだろうけど、楽園の生き物じゃないものは違和感を発している。鳥喰草も、ヒナ、君もそうだ」

「ヴィンがそう言ってたわ……」

「そう。そして、ヴィンも」

「え……?」


 ヴィンは楽園の生き物では、ない……?

 いやナツの言うことだから信用できない。前にもヴィンを疑わせるようなことを言っていたではないか。

 そう思うのに、ナツへ全意識が集中する。


「なに言ってるの……ヴィンは、ヴィンは力を持つ、鳥……でしょ……?」

「ヴィンは鳥じゃない」


 ナツがなにを言っているのかが理解できない。

 ヴィンは鳥だ。鳥の姿をして、その力で楽園を守っている鳥。翼のないナツのほうが鳥ではないと言われても違和感がないくらいなのに。

 ナツはまたそうやって雛乃を動揺させてくるつもりなのだろうか。なんのために。


「ヴィンは楽園を出られなかった。だからあの肉体は楽園のものだろう。ただし、ただの入れ物だ。紛い物なんだよ」

「そんなわけ……」

「俺たちの感覚は騙せない。ヴィンは、鳥喰草だ」

「嘘よ‼︎」


 ヴィンが鳥喰草だなどと言われて信じられるはずがない。ヴィンは心から楽園を守ろうとしていた。鳥喰草を前にすると感情が爆発するくらいに、力を使いすぎてしまうくらいに憎んでいた。

 傷ついた鳥を癒しの力で治してもいた。あれは本来の力を持つ鳥の姿だ。


「言っただろう、ヴィンは鳥喰草の場所を最初から知っているようだと。ヒナは鳥喰草との遭遇率があまりに低いとは思わなかったのか?」

「そ、そんなこと……」


 否定しようとして浮かんだのは、ピクニックに行った紅葉の美しい島。あそこにも鳥喰草はいた。だが、遭遇したのは一体だけだ。対して、さほど時間が経たないうちにドゥードゥに呼ばれて行った島は鳥喰草だらけだった。

 ヴィンは鳥喰草のいる場所を知っていて避けていたと、そう言いたいのだろうか。

 動揺してはナツの思うつぼだとわかっていながら、胸に広がる不安が隠せず手が震える。


「嘘よ、そんなわけない……‼︎」

「嘘だと思うなら案内してくれ。そうすればヒナにもわかる」

「そ、そんなことできないッ‼︎ ナツ、離して‼︎」


 なんとかナツから逃れようともがくが、ナツの手の力はゆるまない。

 ナツをヴィンのところへ連れて行くなど、なにをされるかわからないではないか。


「ヴィンが鳥喰草の本体だ」

「もうやめてよ‼︎」


 別れ際に急に苦しみ出したヴィンの姿が脳裏に浮かぶ。


「だったらなんなの、ヴィンをどうするつもりなの⁉︎」

「必要があれば排除する。楽園を助けるために」

「いやよ、連れてなんて行けない‼︎ そんなことのために戻ったんじゃないもの‼︎」

「じゃあヒナは楽園に滅びろって言うのか‼︎」


 ナツの瞳に焦ったような色が浮かぶ。あまり表情が変わらない印象のあるナツが、今は憎しみにも似た怒りをありありと浮かべていた。その剣幕に背筋が震えた。

 ここで、ナツに殺されてしまうかもしれない。そんな恐怖が這い上がり、歯が噛み合わなくなる。


「ヴィンは鳥喰草を操ることが出来る。そうして、落下した君を助けただろう」


 落下したのは、ナギに襲われた時だ。そう、あの時真下に鳥喰草がいた。大口を開けていて、喰われるのだと思った。

 しかし、その口はすんでのところで閉じた。それがヴィンがやったかどうかはさておき、そこに激突し落下の勢いが多少なりとも殺されたのだろうということはわかる。


「ナギの炎も君に当たるのを鳥喰草が庇ったね。偶然とでも思っていたのか⁉︎」

「ちが……そんなわけない……」

「違わない。ヴィンは君を助けようと鳥喰草を操った」

「もしそうでも、ヴィンはわたしを助けようとしてくれたの。楽園だって心から救いたいと思って––––––––」

「ああそうだねヴィンは本当にいい奴だよ。だから困るんだ。だからためらうんだ。だから楽園はこんなことになっている‼︎」


 怒鳴ったナツの声に胸が締め付けられた。それは、絞り出すような悲痛な声。


「俺たちが情に流されたばっかりに‼︎ 楽園から離れてくれるかもしれないと期待したばっかりに‼︎ 俺たちは力を持つ鳥なのに、こんな滑稽な話があるか⁉︎」


 ナツの瞳の鋭さが増していく。それは怒りを通り越して、冷たい輝きを放ち出す。その輝きに本能的な恐怖を感じた。

 ナツは本当に、心からヴィンのことが好きだったのだろう。良き友だと思っていたのだろう。だからこそ、その怒りが怖い。


「触れなければわからないほど僅かなものだが、ヴィンは鳥喰草と同じ違和感を発している。それでも彼には知性があり、楽園を愛していた。鳥喰草とは別物だと信じたかったさ。鳥喰草が君を庇うまではね」


 鳥喰草と同じ違和感を発するヴィン。雛乃を庇う鳥喰草。

 ヴィンが鳥喰草と言われてもおかしくない状況は揃っている。それでもまだ信じられない気持ちの方が大きい。


(でも、ヴィンは助けを求めてた……)


 あのヴィンの助けを求める声を聞いたのは、きっと初めてじゃない。前にもたしかに聞いた気がする。

 その声の主を助けたくて、雛乃はその場所を目指したのだ。自分の命を、推進力にして。

 記憶の糸が解けていく。自分の命を使って飛び続け楽園へ来たから、存在も希薄になって記憶もあやふやになったのでは?


(それならやっぱり、わたし行かなくちゃ。ヴィンのところへ)


 なんとかナツの手から逃れようともがく。意識を背中に集中させた。

 光の翼はヴィンの命。そしてこの命は、攻撃として使うことが出来る。

 翼から熱いものがナツに捕まれた腕に流れ込んだ。その熱をどうすればいいかはわかる。ヴィンの命が教えてくれている。

 一気に熱を解放すると、捕まれた腕から電撃が走り、そこにあったナツの手を焼いた。

 悲鳴を上げて手を離したナツに、心の中で謝りながら翼を広げる。


「逃すかッ」


 距離を取った雛乃へ向けて、ナツが焼けた手を振った。それと同時に現れた光の矢が雛乃の太腿に突き刺さり、あまりの痛みに悲鳴を上げる。

 視線をおろすと、太腿に突き刺さった光の矢がある。しかしそれはすぐに消え、その痛みもなくなった。皮膚は破れていない。

 ヴィンの命がまだ守ってくれている。

 ナツの瞳が細められた。その腕が上がる。

 ヴィンの命はあとどれくらいあるのだろう。このまま命を削られたらいずれ尽きてしまう。そうなると雛乃も飛ぶことができなくなり、ヴィンの元へはたどり着けない。


(そんなのいや! 絶対にいや!)


 ここまで来てヴィンに会えなかったら、それこそ全てが無駄だ。

 なんとかしなければ。


「ヴィン、力をかして……!」


 雛乃の周囲に無数の光の玉が出現する。それはすぐに電撃となり、バチバチと音を立てた。

 無言のままこちらへ向かって飛んでくるナツの姿を睨みつけ、腕をふり抜く。

 激しい音を響かせてナツへと向かう電撃。それはナツが展開した光の壁よりも早く、彼の身体に到達していた。


「––––––––⁉︎」


 信じられない、そんな表情をしたナツと目が合った。その表情のまま、ナツの羽毛が火を噴き、下へと落ちていく。雛乃の背で、何枚かの羽根が光の粒子になって消えた。

 頭が真っ白になり、胸が息も出来ないほど早鐘を打つ。

 今、自分はなにをしたのだろう。


「ナツ‼︎」


 火はすぐに消えたようだが、ナツが戻ってくる様子はない。その姿はどこまでも続く暗い青にまぎれてすぐに見えなくなった。

 両腕が震える。ヴィンのところに行くためとはいえ、楽園を守るナツを攻撃してしまうなんて。

 力を持つ鳥であるナツがあれくらいでやられるはずはない。そう言い聞かせても、自分のやったことの大きさに不安で押しつぶされそうになる。


「わたし、行かなきゃ……」


 ナツを攻撃してしまったのだ、許してもらえるはずもない。こうなったら、自分の意思を貫くしか道がない。

 ヴィンの気配を探す。道もなにもない空の中から、はっきりと熱を感じた。雛乃が好きになった、優しく、楽園を愛するヴィンの命の熱。

 翼を広げる。


(どうか、たどり着きますように……)


 会いたい。ヴィンに会いたい。

 その手をにぎって、最期まで一緒にいよう。それをヴィンが許してくれるのなら。

 もしヴィンが鳥喰草なのだとしても、彼の心を自分は知っているのだ。


(ナツは、ナツもこう思ってずっとためらっていたのかな)


 ヴィンの心を知っていたから、鳥喰草と同じ違和感があっても別物だと信じたかった。でも疑って、迷って。

 そして決断したのだ、力を持つ鳥として。それはどんなに辛い決断だっただろう。


「ナツ、わたしも決断する。ヴィンの側にいる。最期まで」


 たとえヴィンが鳥喰草でも、自分を襲ってくることがあったとしてもそうしよう。雛乃の命は楽園に戻った時点でいずれ尽きることが決まったのだ。それが早いか遅いかなどもう関係がない。

 雛乃にできるのは、ヴィンの手を握ることだけだ。

 翼を羽ばたかせる。ヴィンの熱へ向けて、真っ直ぐに空を翔けた。


(待ってて、ヴィン。今、行くから……‼︎)


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