思惑

「どうしたのヒナ。眉間にシワ寄ってるけど?」

「えっ⁉︎ あっ、その……」


 頭上から降ってきた声に慌てて立ち上がる。そこには、可笑しそうに笑うナツの顔。

 ナギに苛立ってとは言えない。ナツはナギの兄だ。


「いやあの、もうどの島にも鳥喰草がいるようになったんだなって」


 慌ててごまかしたが、ナツは疑問を抱かなかったらしい。そうだねと同意して頷く。


「これからもっと増えるよ。こうして鳥喰草を駆除できるのも今のうちさ、果ての方はそれどころじゃない数だから」

「そ、そうなんだ……」

「そ。だからゆっくり出来そうな時はしたらいいよ。今のうちだ」

「ありがとう」


 どんどん増えていく鳥喰草。基本は空を飛んでいるとは言っても、危険な場面だって出てくるだろう。

 楽園で最初に気がついた時、雛乃は鳥喰草に喰われる直前だった。もうあんな怖い思いはごめんだ。


「俺たちは鳥喰草の違和感というか、気配はわかるから安心して」

「うん」

「特にヴィンは特別察知能力が高いから」

「ヴィンもそう言ってた!」


 鳥の中で最も優れているとかなんとか言っていた気がする。自分で言うだけならまだしも、ナツもそう言っているのだから本当なのだろう。

 そう納得しかけて、次のナツの言葉に凍りついた。


「まるで、最初から鳥喰草がそこにいることを知っているみたいにね……」

「え、ナツそれどういうこと?」

「ヒナ、ちょっと木の実を食べさせてくれる?」


 雛乃の疑問を無視して、ナツはもう一つ木の実を取るとかじりだす。その横顔は特になんの表情も浮かべていなかったが、それが逆に怖くてなにも言えなくなる。


(仲間の鳥を襲わせる……?)


 違う、なにを考えているのか。そんなことをしてヴィンに何か得があるなんて思えない。それに、仲間を失って悼んでいる様子は、決して演技ではなかった。雛乃には、それは本当に悲しんでいるように見えた。

 ヴィンは鳥喰草の場所を最初から知っている? そんなはずはない、それならむざむざ仲間の鳥を襲わせることもないだろうに。

 ヴィンの手の感触を思い出す。熱くて大きな手。その手が髪をなでる感触。

 あんなに優しい気持ちを持つヴィンが、鳥喰草側なわけがないではないか。どう考えてもこんなことを言って動揺させてくるナツの方が怪しい。もしかしたら、ナツはナギ以上に厄介な相手なのかもしれない。そう思うと緊張で身体が強張るようだった。


(でも、ヴィンは信頼していたみたいだし……)


 ナツに初めて会った日だって、信頼しているから雛乃を預けたのだろう。そう思っても、安心できない。ヴィンはもしかしたら、ナツにもナギにも騙されているのかもしれないのだから。


(ヴィン、どうしよう、どうしたらいい……?)


 ちらりとヴィンの方を見ると、彼はちょうど雛乃に背を向けていた。

 今はなにも気づいてないふりをして、やり過ごすしかない。

 赤い果実にかじりつくナツ。羽毛と皮膚以外は人間となんら変わらない形。だからこそ逆に、得体の知れないものを感じざるを得ない。


「ねぇーえヒナ、木の実があるってヴィンが……」


 すぐそばでしたナギの声に驚いてびくりと身体を震わせると、ナギが不服そうな声を上げた。

 ナツに気を取られていて、ナギが側に来たことに全く気が付かなかった。


「あ、そこに……」

「え、一個しかない! お腹空いちゃう〜」


 しゅんとした表情を作ったナギは、そのまま雛乃の耳に唇を寄せた。


「あたしの分はないってことね。意地悪」

「なっ……‼︎」


 勝手にやって来ておいて意地悪はないだろう。雛乃はナツもそうだが、ナギが来ることも知らなかった。それなのに誰か来るかもしれないと、余分に持って来た気持ちをこんな風に踏みにじるなんて!

 全身の血の気が引く。それは楽園に来て初めての怒り。

 ナツの先ほどの発言もあって、気持ちが混乱する。


「やだぁヒナどうしたの怖い顔して」


 ナギは悪びれる風もなくそう言いながら木の実を拾い上げた。それを頭上に掲げると、少し離れた場所でこちらを見ているヴィンへ見せる。ヒナが木の実くれたよ、と嬉しそうな顔でヴィンに報告するナギに、ヴィンもほほ笑んで頷いている。

 ありがとうとにっこりほほ笑んでお礼を言ってきたナギに、またさらに怒りがわく。


「一個でも嬉しいわ、お腹空いてたの。あと何個かはドゥードゥに持ってきてもらうわ」

「そう」


 怒りを出さないよう努めて冷静な声を出そうとしたが、声が震えた。ヴィンに背を向けたナギが、そんな雛乃の様子にいやらしい笑みを浮かべた。

 そのまま空へと目線を動かし、鈴のような愛らしい鳴き声でさえずりはじめた。ドゥードゥに連絡を取るのだろう。

 鳴き終わると、ナギは再びこちらへと視線を向けてくる。整ったお人形みたいに綺麗でかわいい顔。大きな胸ときゅっとくびれた腰。艶のある黒髪。どこをとっても勝てる要素なんてない。


「やだ、暗い顔して、疲れてるの?」

「そんなことないけど」


 疲れているとすればナギのせいだ。そう心の中でつぶやく。

 そんな雛乃の心中を察してだろう、ナギの表情が変わる。にっこり笑っているものの、その目は意地悪そうにつり上がっている。そして、そんな表情まで様になっている。

 ナギがぐっと距離を詰めて、雛乃の耳元に口を寄せた。


「ヒナってヴィンが好きなの?」

「なっ……」

「だって、いつもそんな目をしてあたしのこと見るんだもん。こわぁーい」

「……」


 まるで鈴を転がしているかのような声。その声が余計に苛立ちを生む。

 わざとやっているくせに!


「でもぉ、諦めたらスッキリするわよ〜。そしたら仲良くしましょ」

「な、なに言って……」

「ヒナはいつか帰っちゃうし、あたしとヴィンはあーんなことやこーんなこともする仲だからぁ」

「なっ……」


 脳内にヴィンを押し倒したナギの姿が浮かぶ。

 あんな事とはなんだろうか。それを思い浮かべようとして、慌ててその考えをふり払う。

 でも、もしそれが本当なら。


(わたし、馬鹿みたいじゃない)


 いや、馬鹿なのだろうと雛乃は嘆息をつく。

 こんなところに訳もわからず一人で放り出され、たまたま居合わせたヴィンが優しくしてくれた。それだけなのだ。それなのに変に意識して、自意識過剰にも程がある。

 自分が生きる場所はここではないし、雛乃は鳥でもない。


「ねぇナツ、鳥喰草どうだったの〜?」


 今度はナツへと寄って行ったナギが、自分が倒した鳥喰草の事を得意げに報告し始める。そのせいでナツに先程の言葉の真意を聞くこともできない。

 ナツは一体どういうつもりであんなことを言ったのだろう。本当にそう思っているのだろうか?

 ナツへの不信感やナギへの苛立ちで頭の中が混乱し、うまく物事を考えられない。

 静かに歩み寄ってきたヴィンが、雛乃の頭を軽くなでた。見上げると穏やかな顔が雛乃を見つめている。

 その瞳に吸い寄せられるように、ヴィンの手を取った。それにヴィンの瞳が細まり、笑みが浮かぶ。


(わたし、こうしていたい)


 たとえ吊り橋効果だったとしても、そう思ってしまう気持ちは止められない。

 ナギがちらりとこちらを向き、繋がれた手を見た。それでも、ヴィンの手前なのかなにも言わずに愛らしい笑みを浮かべてまたナツへと向き直る。

 二人はそのまま楽しそうに話し込んでいたが、やがてナツがこちらへと歩み寄って来た。


「いい時間をありがとう。俺はそろそろ行くよ」

「ああ。俺たちもしばらくしたら行く」

「ゆっくりしてくるといいよ。じゃあ、またね」


 にっこり笑ったナツの身体がすっと宙に浮いた。


「ヒナちゃん、木の実ありがとう」

「あっ、ナツ待っ––––––––」


 雛乃の声を待たずに、ナツはさっと上昇して飛び去ってしまう。その背に向けて、ナギが大きく手を振った。

 ナツはどうしてあんな意味深ことを言ったのだろう。答える気もないのに。

 そのナツと入れ違いになるように、白い鳥が上空に姿を現す。


「ドゥードゥ‼︎ 待ってたわ‼︎」


 優雅に着地したドゥードゥにあふれるような笑顔を向け、ナギが両手を差し出した。その手に、ドゥードゥが持っていた木の実を三つ乗せる。

 やったぁ! と飛び跳ねて喜びを全身で表現するその姿に、一瞬毒気を抜かれる。それは雛乃から見ても愛らしくて見惚れてしまうほどだ。

 しかし次の瞬間に、ナギは雛乃と繋いでいたヴィンの手を無理やり引っ張ったのだ。


「ちょ……‼︎」


 抗議の声を上げようとした時には、二人の手は離れてしまっていた。そして、ちゃっかりその手をナギがにぎると、一緒に木の実食べましょうよとヴィンを引っ張りまた雛乃から離れていく。

 もう苛立ちを通り越して、胸が苦しい。雛乃の方が後から来たとはいえ、こうもあからさまに嫌がらせをされると悲しかった。

 ナギがヴィンを好きだというのを知っているからこそ、余計に苦しい。


「やあ、ヒナちゃん」

「ドゥードゥ……」

「あの子、押せ押せ一辺倒だからね」


 ドゥードゥは肩をすくめて笑っているが、雛乃はそれどころではない。

 目の前で肌を寄せ合い木の実を食べる二人は、雛乃の感情を抜いてしまえばお似合いのカップルにしか見えない。そして、雛乃が帰った後も二人はこの世界で暮らす。彼らにとっては、その方がいいに決まっていた。

 木の実を食べ終わると、ナギは身体を擦り寄せるようにヴィンの腕を取った。もう一方の手をヴィンの背に回し、胸にほおを寄せる。

 その姿に、ヴィンと初めて寝た夜のことを重ねてしまいつい目をそらしてしまう。雛乃の価値観でしかないのはわかっていても、全裸の男女なのだ。それが想像させるものに、羞恥心が込み上げてくる。

 そっとそばに白い影が立った。ドゥードゥだ。その大きな身体を折って、雛乃の耳に口を寄せた。

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