秘密

 腕に鋭い痛みが走ったと思った瞬間に手の力が抜けた。あっと思うまもなくヒナの身体が落下していく。


「ヒナ‼︎」


 その手を追いかけようと身体を反転させたそこに、灰色の影が踊り込みこちらへと手のひらを向けた。そこから一斉に放たれた光の矢がヴィンの身体を切り裂く。


「––––––––ッ、ナツ‼︎」


 急いで光の盾を展開し矢を弾く。襲って来たのがナツだったことや、防ぎ切れなかった光の矢で身体中に傷を受けたことなど今はどうでも良かった。優先しなければならないのはヒナだ。

 そのヒナの姿はかなり小さくなり、地面に近づいていた。間に合わない‼︎


「くそッ、ヒナ‼︎」


 その真下では鳥喰草が大口を開けている。

 鳥喰草に喰われても、地面に叩きつけられてもヒナは助からない。なんとかヴィンが渡した命で足りるだけの怪我に納めるしか手立てはなかった。

 ヒナだけは、助けられる命だけは助けたい。楽園も鳥たちもヴィンにはもはや助けることが出来ないだろう。それならヒナだけでも助けなければ。

 意識を張り巡らせる。ヒナを絶対に助ける‼︎

 鳥喰草の口が閉じるのが見えた。そこにぶつかったヒナが、森の中へ吸い込まれるように落ちていく。


(たのむ、助かってくれ)


 急降下しようと体勢を変えようとしたものの、それは再び放たれた光の矢によって阻まれた。

 ナツの表情はいつもと同じ様子に見える。それが、余計にヴィンの両腕を粟立たせた。一体なにを考えているのか、その表情からは読み取ることが出来ない。


「ナツ、なにをするッ」

「ヒナは楽園にとって異物だ。害になる前に排除する」

「なん……だと……⁉︎」


 ヒナの命が助かるのなら救いたい。そう言ってくれたナツの言葉は嘘だったとでも言うのだろうか。

 いや、そういう嘘はつかないやつだ。これまでヴィンがともに過ごしてきたその全てが嘘でないのなら、ヒナを救いたいと言ったのもその時は真実だったのではないだろうか。だがそれをヴィンが今考えても仕方のないことだ。真実はナツしか知らないのだから。

 そんなことよりもヒナだ。鳥喰草に当たって減速できたから、即死は免れたはずだ。であれば助かった可能性は高い。それでも、姿が見えないことに激しい苛立ちと怒りを覚えた。たとえ助かったとしても、ヒナの恐怖や痛みや絶望は想像するに余りある。

 ナツの裏切りに、そして攻撃に気がついていたらこんなことにはならなかったのに。

 もし打ちどころが悪くて、ヴィンの与えた命では足りなかったとしたら。そんな悪い考えばかりが渦を巻く。


「鳥喰草だって、最初は無害で少し変わった植物という認識だった。俺たちのその誤った判断がこの事態を招いたわけだ」

「お前……‼︎」

「助かればいい。あぁ、そうだね、俺だってそう思う。どうしてここに来たのか、記憶がないという言葉を信じるなら、別にヒナは悪くない。それでも」


 淡々と続けるナツ。

 ナツは。それとも、本当にヒナを危険視して?

 どちらにしても、もう相容れないということは確実だった。そのことに微かに胸が痛んだ。いつかはこの日が来るとわかっていたし、覚悟もしていたつもりだったのに。


「それでも、楽園に害をなす可能性があるなら潰さなきゃならないだろ」

「ふざけるな」


 理解は出来るがそれを許すことは出来ない。それがたとえナツだったとしても。

 力を練り上げる。周囲に無数の電撃が浮かびナツへと放とうとしたその時、眼下で炎が噴き上がったのが見えた。


「くそっ、ナギか‼︎」


 わけがわからずナギを迎え撃ったが、相当手加減していた。その事に今更ながら後悔が込み上げる。

 ヒナが危ない。


「ヒナ‼︎」


 胸が押し潰されたように疼いた。その痛みをごまかすように叫ぶ。

 ヴィンの前にはナツ。冷静そのものの顔で腕を広げ、自分の周囲にナギと同じ炎の玉を出現させる。


「君の相手は俺だ、ヴィン」

「そんな暇は、ないんだッ‼︎」


 電撃をナツに放つと炎が電撃を相殺し爆発する。弾幕のように視界を遮った炎の中からナツが飛び出した。あっという間にヴィンとの距離を詰め、さらに炎を打ち込んでくる。それをすんでのところで交わし、手の中に光の剣を出現させ斬りかかったが、それは同じように剣を出したナツに切り返された。

 ナツの顔には表情がない。


(ナツ、すまない)


 ナツにも、そしてナギにも幾度となく助けられた。果ての方から鳥喰草が侵食してきているのを突き止めたのはナギだ。癒しの力を攻撃へと転化させたのもナギ。そのナギをサポートしながら、冷静な判断で鳥たちを守っていたナツ。

 ヴィンは力を持つ鳥として、そして友としてナツのことが好きだった。もちろんナギも。信頼していた。いつかこんな日が来ると知っていながら。

 果てに着く前に自分が理性を保てなくなるかもしれないと考えると、協力者が必要だった。たとえ果てに着く前に自分が脱落したとしても、あのことに気がつかれたとしても、彼らならヒナを無事に帰してくれると思っていた。ヒナを傷つけるようなことはしないだろうという、その考えがそもそも間違いだったのだろう。どんなに長く彼らを見ていても、その思考までもは完全に理解できなかったのだ。

 自分が誰とも関わりを持たなければ、ナツもナギもこんな思いはせずに済んだはずだ。今はどうかわからないが、いずれはドゥードゥだってそうなるだろう。

 これは全て自分が招いたことだ。


(だけどヒナは奪わせない、それだけは許さないッ)


 助けられる命を摘み取ることなど出来ない。それに––––––––。

 ヒナが楽園の景色や鳥たちを見てはしゃいでいた笑顔が浮かぶ。不安そうな顔も、涙に濡れた瞳も、真っ赤になって恥ずかしがっていた姿も。

 それを失うなど耐えられない。こんな感情を持ったのは初めてだ。


「ずいぶんヒナに執着しているようだねヴィン」

「ああ、そうだな。俺はヒナに生きていてもらいたいんだッ」


 ナツの剣を弾き返し距離を取る。

 ナツの口角が上がった。わざとらしい笑い声を上げたナツは、次の瞬間にその顔を軽蔑の色に変える。


「俺たちの命はどうでもいいのに、か?」

「––––––––ッ」


 ナツは、のだ。もしそうなら、ナギもだろう。ドゥードゥはどうなのだろうか。ドゥードゥがもしナツたちと同じようにヒナを排除しようとするなら、かなり厄介だ。勝ち目がない。

 長期的に見れば生き残るのはヴィンの方だ。だが、今ドゥードゥがヒナの命を消そうとするなら、それを守り切ることは難しい。

 いや、難しくても守らなければ。あの小さくて、それでいてまぶしく光る愛しい命を。


「ん? その顔はアタリか?」

「なんだと?」

「君のいいところは素直なところだ。全部顔に出るところは好きだよ」


 にやりと笑ったナツにうめき声を上げる。ナツは疑ってはいたものの、確信はなかったのか。だからかまをかけて来た、それにまんまと反応してしまうなんて。

 気づかれたか––––––––⁉︎


「そんなにいいやつじゃなければ悩まなかったのになァ‼︎」


 叫ぶように吐き捨てたナツが、再びその腕をふるった。無数の光の刃が生まれヴィンに迫り来る。

 それを電撃で迎え撃つが、全てを弾けない。鋭い痛みが腕と腿に走った。一拍遅れて血があふれ出してくる。


「さあ、本気で来いよヴィン。君は力では俺に勝るが、コントロールは下手だ。俺が倒れるか、君が力の使いすぎで倒れるか、どちらが早いか試そうじゃないか」

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