雛乃が叫んだその時、頭上になにかが現れた気配がした。

 はっとして上を見上げても、なにも見えない。いや、正確には空気が歪むのが見えた。空間がぐにゃりと曲がり、目には見えない球体が雛乃目がけて落下して来る。なにがどうなっているのかわからないが、雛乃にはそう見えた。

 それは空間を歪ませながら雛乃へと迫り、すぐ上で一瞬だけ停止したかと思った瞬間に外側へと向かって弾けた。

 雛乃を中心にして放射状に突風が吹き荒れ、炎を消し飛ばして行く。


「きゃあッ‼︎」


 自分の炎に煽られて悲鳴を上げたナギの姿も風で押され、地面に叩きつけられる。地面にうずくまり突風に耐えている姿は、まるで泣いているかのように見えてしまい、胸が苦しくなる。

 ヴィンが好き。そうストレートに言ったナギ。ヴィンに会うたびに嬉しそうにはしゃいでいたナギ。あれが嘘だなんてどうしても思えない。雛乃はともかく、ヴィンを傷つけようなどと思うだろうか。

 突風が弱まり、ナギが身体を起こそうとして、その顔を歪ませた。どこかが痛むのだろう。


「ナギ‼︎」


 反射的にナギへと一歩踏み出そうとした雛乃に、上から白い影が覆い被さるように降りて来てその行動を阻む。

 雛乃を包み込むのは白い四枚の翼と、長い腕。光を含んだかのような金髪が雛乃の鼻先をかすめた。


「ドゥードゥ……」

「やあ、ヒナちゃん。遅くなったね」


 そう言うドゥードゥは、いつものように笑わない。雛乃が見たことのない鋭い眼差しで、やっと立ち上がったナギを睨みつけている。


「ドゥードゥ‼︎ ヴィンは⁉︎」

「ナツと戦ってる」

「どうして‼︎ ねえナギ⁉︎」


 ナツとナギは共謀して襲って来たのだ。ナツは確かに信用できないとは思っていた。それでも、ヴィンはナツのことを信用していた様子だったし、これまでだって長い時間一緒にいて諍いがなかったのだから、ナツがヴィンを害するとまでは思えなかった。

 ヴィンに言っておくべきだったのだろうか。ナツに注意するようにと。しかし、ヴィンのことだから軽く笑って流してしまいそうな気もした。そんなわけないだろう、と。

 そのヴィンは今、ナツと戦っている。力を持つ鳥同士がお互いを傷つけあっているのだ。本来は癒しの力しか持たなかったはずなのに‼︎


「ナギ、君は自分のしたことがわかっているの?」

「ええ、わかってるわよ。あたしは正気だわ」

「そう。じゃあ、もうなにも言うことはないな」


 そのドゥードゥの言葉に、明らかにナギの顔色が変わった。それは恐怖。泳ぎ出した目が、ドゥードゥに怯えていることを物語っている。

 それでも、それなのにナギは退かない。


「ドゥードゥこそ、わかっているの? ヒナは楽園の住人ではないわ。楽園の外から来たのよ。鳥喰草みたいに‼︎ それがどういうことかわからないの⁉︎」

「ヒナちゃんも鳥喰草みたいに楽園の脅威になる可能性があるってことでしょ。それくらい僕だってわかる」


 ドゥードゥの言葉でやっと理解する。

 最初は、鳥喰草が危険だなんて誰も思っていなかったとナツが言っていた。つまり、それが雛乃にも当てはまると力を持つ鳥が考えても不思議ではない。

 彼らは、楽園を守っているのだから。


「わかってるならなんで⁉︎」

「ヒナちゃんは今のうちに楽園の外へ出せばいいよ。そのためにこうして果てを目指してるんだ」

「出したら脅威が去るかなんてわからないわ‼︎ さらに害をなすものを連れて戻ってくるかもしれない」

「ナギ‼︎ わたし、そんなことしない‼︎」

「うるさいわね、信用できるわけないでしょ‼︎」


 ナギの言うことはもっともだ。崩壊の危機に瀕している楽園側から見れば、雛乃が危険に見えるのは責められない。それを今のうちに排除しておこうという心理になるのも理解はできる。

 皆、鳥喰草の侵食を止められなかったことで自分を責め、後悔しているのだ。

 ドゥードゥの翼が広がる。


「君はヴィンとは違って、ちゃんと状況のわかる子だ。ここで退くのが懸命だと思うよ」

「そんなこと出来たら楽でしょうね‼︎」


 ナギは退かなかった。再び腕を広げて、周囲に炎を生み出す。

 それを見るドゥードゥの瞳は静かだ。


「仕方ないね」

「ドゥードゥ‼︎」


 なんとか傷つけ合うのだけは避けて欲しい。その雛乃の願いは届きそうにない。


「ナギやめて‼︎」

「黙りなさい‼︎ あんたがここへ来なければ良かったのよ‼︎ 全部あんたのせいだわ‼︎」


 癇癪を起こしたように叫び散らすナギの姿に胸が詰まった。

 対してドゥードゥは冷静な様子だ。雛乃の肩を優しく叩き、動かないでねと囁いてくる。

 ナギの腕が大きく動いて、ふり抜かれる動きとともに無数の炎が放たれた。同時にドゥードゥの右腕が前に差し出される。その手のひらの前で、炎は全て弾かれ二人を避けて後方へと飛んだ。後ろでぼうと燃え出した炎も、すぐに突風にかき消されていく。

 それは圧倒的な力の差だった。ナギはドゥードゥに傷ひとつつけられない。もちろん鳥喰草と対峙して来ているのだから攻撃だって出来るだろう。その力を知っているからこそ、ナギは怯えたのだ。


「まだやるの、ナギ」

「邪魔しないでよドゥードゥ‼︎ あなたとは戦いたくないわ‼︎」

「僕もだよ」


 表情を変えないドゥードゥ。その左手が雛乃の右手を握った。すっと細められる金の瞳。

 優雅とも言える動きで、ドゥードゥの右手が頭上に掲げられる。そこに透明な球体が出現した。

 ナギの周りにまた無数の炎が出現し間髪いれず打ち込んでくるが、それらは全て頭上の球体から発射された風によってかき消されていく。そして、その風は容赦無くナギにも襲いかかった。

 鋭い悲鳴、そして飛び散る黒い羽毛と赤い血。ナギの全身を撃ち抜いていく風の弾丸。

 胃から熱いものが逆流したのがわかった。目の前の光景がゆっくりとスローモーションのように見え、その光景が頭に焼きつく。


「やめてドゥードゥ、ナギが死んじゃう‼︎」


 必死でドゥードゥにしがみつくと、やっと風がおさまった。ドゥードゥの右手がゆっくりと下がる。その表情は苦しげだ。


「ナギはヒナちゃんを消そうとしたんだよ」

「でも、でもそれは楽園を守りたいからなんだよね⁉︎」


 楽園を守るために雛乃を消そうとした。格上のドゥードゥを相手に怯えながら退かなかったのも、全ては楽園のため。

 楽園を害するかもしれない異物を取り除こうと、その一心だったのだろう。


「そうだね」


 ドゥードゥの目線が、全身から血を流して地面に倒れているナギへと向いた。まだ息はあるが、意識があるのかはわからなかった。その瞳はかたく閉じられ動かない。負った傷は黒い羽毛のせいであまり目立たないものの、地面に飛び散った血の量からして相当なものだというのは雛乃にもわかった。これが人間だったらとっくに死んでいるところだ。

 力を持つ鳥たちは楽園を守るためにいるのに、雛乃のせいで争っている。そのことが重く雛乃の胸にのしかかる。


「行こう」


 白い翼が広がり、すっと足が浮いた。そのままドゥードゥに手を引かれて上空に舞い上がる。彼は一度大きく鳴いた。

 傷ついたナギの姿があっという間に小さくなった。


「ドゥードゥ、ナギを、ナギを治療してあげてよ‼︎」

「ごめん、今追いかけて来られたら困るんだ。ヴィンを助けないと」

「‼︎」


 さっきナツと戦っているとドゥードゥが言っていたではないか。もしそうなら、止めなければ。

 上昇するとひときわ大きな雷の音がした。いや、雷ではない。おそらく、ヴィンの電撃だ。

 それは、視界のななめ上でフラッシュのように点滅し、四方へと飛んだのが見えた。その近くで羽ばたく茶色い影。


「ヴィン‼︎」


 ドゥードゥが素早く旋回しながら上昇し、ヴィンを正面に捉えた。行くよと声がかかり、真っ直ぐにヴィンがいる方へと飛ぶ。

 そこには灰色の鳥ナツの姿。


(神様、助けて‼︎)


 ◆ ◇ ◆

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