ピクニック

「この島はどうだ?」

「わあ、素敵!」


 ヴィンが指差した先には大きな黄金色の島が浮かんでいた。地面に生える草は金色、そして木の葉は金色を中心に赤い色まで美しく紅葉している様子だ。それは、雛乃に日本の紅葉を思い出させる。

 桜に似た花が咲き乱れていた島もあったが、ピクニック気分を味わうなら紅葉の方がふさわしい気がした。


「あそこに降りよう」


 その島には小高い丘があり、ヴィンが指し示したのはそこだった。広い景色を見渡すことが出来る丘の上は開けていて、食事をするのには丁度いい。もし鳥喰草がいたとしてもすぐに逃げられる場所でもある。

 そこへ降りてみると、上空から見下ろすのとはまた違う絶景が広がっていた。ずっと後方にある木立も美しいが、丘の下に広がる紅葉と青空が言いようのない美しさで雛乃の胸に迫った。

 なにより、こんな美しい風景をヴィンと一緒に見ていられることが嬉しい。


「すごいね……きれい……」

「気に入ったか?」

「うん」


 胸がいっぱいになる。これからどれくらいこんな景色を見られるのだろうか。いつまでこうしてゆっくりした食事の時間が取れるのだろう。

 そもそも、自分は無事に帰れるのだろうか。

 そんなことを考えると、胸の奥になんとも言えない切なさが押し寄せてくる。それを押し込めるように、ヴィンの顔を見上げた。

 今だけはこの時間を楽しみたい。


「わたしのいた世界ではピクニックする人がたくさんいてね」

「ぴく、なんだ?」

「ピクニック。外で食事をすることなんだけど」

「外で? 内もあるのか?」

「あ、あぁ、そっか楽園って外しかないんだよね」


 全く知らない世界。その世界の住人に日本での暮らしを説明するのは少し難しい。そう思って苦笑する。


「わたしのいたところは、みんな家に住んでるの。ほら、羽毛ないから寒いし、暑さにも弱くて。だからこう、おっきな囲いを作るのよ」

「巣みたいなものか?」

「あはは、そうかも。ヴィンたちも巣とか作るんだ?」

「ああ。繁殖の時だけだが」

「えっ⁉︎」


 繁殖、その響きに一瞬心臓が大きく跳ね、胸からその衝撃が身体中に伝わった。繁殖と言うからには、繁殖行為を……そこまで考えて頭がオーバーヒートしたみたいに動かなくなる。

 そう言えばヴィンたちは人に近い姿をしているとはいえ、自分たちのことを鳥だという表現しかしていない。それに、力を持たない鳥と同じ鳥だとも言っていたではないか。


「ん? どうした?」

「ヴィンもその、繁殖、とかしたりするの……?」


 思わずそう口に出してしまってからはっと我に返る。あわてて口を手で押さえたもののもうあとの祭りだ。急激にほおが熱くなったかと思うと、耳の奥でごうごうと血の流れる音がした。

 恥ずかしさですぐに全身が火照った。


(ば、ばかばか! 心の声が漏れちゃったッ)


 普通の男子にすら聞けないようなことを口走ってしまうなんて。これはなんというか、楽園での日々が非日常のせいに違いない。そんな言い訳を心の中でして、気を落ち着かせようと努める。

 そんな雛乃の気を知ることもなく、ヴィンは不思議そうな顔をした。


「いや、俺はまだだな」

「あっ、そ、そう……まだなんだ……」


 まだと聞いてほっとした気持ちが胸に押し寄せる。それと同時に、雛乃が去ってもし楽園が鳥喰草から解放されればヴィンも繁殖をするのだと理解できてしまい、一気に気持ちが落ち込んだ。

 ヴィンは鳥。雛乃は人間。なにもかもが違う。ヴィンの距離感が近いのも、人間とは違う感情があるのかもしれない。


「ドゥードゥは知らないが、ナツとナギもまだだな。そもそも、力を持つ鳥は滅多なことでは繁殖しない」

「そか、本当は会うこと自体あんまりないんだっけ」

「ああ」


 だからと言って、ヴィンが繁殖するとなったら雛乃には止められないのだろう。その時には、雛乃はもう楽園にいないのだろうから。

 まずは楽園を鳥喰草の侵食から守らなくてはならない。その方法はまだ見つかっていない。

 それなのに、ヴィンの繁殖について一喜一憂するなんてお門違いだ。最低だ。


「じゃあ、鳥喰草をなんとかしないとね……」

「そうだな」


 頷いたヴィンが、雛乃の顔を覗き込む。視線が交わっただけで、雛乃の胸がときめいた。こんな、この世のものとは思えないような美貌の男性に見つめられて意識しないでいられる方が嘘だ。

 胸が苦しい。


「そんな顔をしなくてもいい。俺たちの事を心配してくれるのは嬉しいが、楽園は俺たちがなんとかする」


 ヴィンは微妙に雛乃の表情を勘違いしているようだが、それを訂正することは出来ない。


「わたしに出来ることある?」


 なにも出来ないのはわかっている。それでも、雛乃は役に立たないと言われたようで心が痛んだ。


「そうだな、無事に帰ってくれたらいい。ヒナが帰れるなら、鳥喰草を追い出す手立てがわかるかもしれないからな」

「そう、だよね」


 そうだ、雛乃が帰れるか帰れないかで楽園の運命が決まるのかもしれない。それならば、役に立つと信じて帰った方がいいのだろう。

 雛乃にだって、心配してくれている人はいる。父や母、肉親のみんな、クラスの友達、そしてきっと彼も。だから帰った方がいいのはわかっている。ただ、雛乃の気持ちだけが追いつかない。

 雛乃が帰った後、楽園が助かるのかもわからない。雛乃は助かっても、楽園もヴィンもどうなったかわからないまま、雛乃は一生そのことを気にかけて生きていく事になる。

 帰りたくない。


「でも、なんか、わたしだけ帰るの……少しさみしいな」

「そうだな」


 ヴィンの表情が柔らかくゆるんだ。その表情に、なぜだか泣きたいような切ない気持ちになった。

 行かないで欲しいと言って欲しい。そんな馬鹿なことを考えてしまう。


「だが、ヒナが無事でいてくれる方がずっといい」


 優しい眼差し。心からそう思ってくれているだろうことがわかるからこそ胸が痛んだ。

 本当に馬鹿みたいだ。何度もそう思っているのに、学習能力が欠如してしまったみたいにまた期待してしまうなんて。


「食べようか」


 ヴィンが手に持っていた木の実を目の前に見せてきて、やっと雛乃も笑顔を作った。

 そうだ、ここへはピクニックに来たのだ。これからこんな機会が訪れるかもわからない。それならば、多少の切なさは隠して思いっきりこの時間を楽しもう。


「うん!」


 雛乃も手に持っていた木の実を差し出し、ふたつをこつんと合わせた。自然に笑みがこぼれる。気持ちのいい風が吹いて、二人の髪を揺らした。

 口に含んだ木の実は、甘い中にもほんのりとした酸味が彩りを添えている。果物のことはあまり知らないが、地球上にもこれほど美味しい果物があればいいのにと思うくらいに美味しい。


「んんっ、美味しい!」

「それは良かった」

「景色もいいし、木の実も美味しいし、それに……」


 この世のものとは思えないほどの美貌の鳥が隣でほほ笑んでいる、その部分だけを心の中でそっとつぶやく。

 ここが天国じゃないのがおかしいほど、幸せな時間。


「しあわせ」

「そうか」


 ヴィンの手が伸び、雛乃の頭をなでた。その感触に、飲んだこともないお酒に酔ったような気分になった。不思議と、目の前の紅葉がきらきらと光を放っているかのように見え、ヴィンの息遣いが聞こえるくらいに耳が敏感になる。

 ヴィンとずっと一緒にいればそのうち慣れるのかと思ったが、この感覚は強くなるばかりだ。ヴィンを意識せずにはいられない。

 それに吊り橋効果だってまだ有効なのだろう。そう考えて気を落ち着かせる。


「ね、座っていい?」

「ああ」


 ポケットから木の実を取り出し地面に並べ、自分も腰を下ろす。

 なんだがおままごとみたいだ。それでも、この木の実はお弁当で、自分は紅葉狩りに来ているのだ。とびっきりかっこいい男性と。

 そう考えると少し心が明るくなった。

 ヴィンはその雛乃の様子を見て、隣に寝そべった。たて肘をついて木の実を口に含んで行く。


「ヴィンったらお行儀が悪いのね」

「なんだそれは」

「いや、いいの。あはは」


 そうだ、ここは日本じゃない。そんな常識なんて気にしなくていい。

 木の実を口に含む。その甘酸っぱさが頭の奥まで浸透して、さらに空気が澄んで輝くように見えた。

 美しい紅葉と、高くてどこまでも続く青空。そこでこうして平和な時間を過ごせている。それが嬉しい。

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