第三章 鳥喰草と恋
優しい朝
身体がぽかぽかする。
ああ、この瞬間がずっと続かないかな。そう思うのに、瞳を開いてしまえばそこにあるのはヴィンの美貌、そしてたくましい身体であることが否応なく雛乃を緊張させてしまう。
毎朝のことなのに、いまだに雛乃には慣れが来ない。
「目が覚めたか」
「う、うん」
その美貌の男は、赤い瞳を細めて少しほほ笑んで自分を見つめている。その事に、雛乃の心臓が大きく跳ねた。
まだ夢を見ているようだ。こんな、イケメンと言うのもおこがましいほどの美貌を持つ鳥に抱かれて眠っているなんて。
ヴィンの腕が優しく雛乃を抱き寄せ、その唇が髪をなでる。
「よく眠れたか?」
「うん、とっても。あったかくて気持ちよかった」
「そうか」
優しく髪をなでる手。その感触に全身がむず痒くなり落ち着かない。
ヴィンは自然にこういうことをするのだということは、しばらく一緒にいてわかった。特に特別な意味はないのだろう。雛乃のことを子どもを可愛がるように接しているのではないかとすら思う。
それでも、もう雛乃だって異性を意識する年齢だ。ヴィンがなんとも思っていなくても、雛乃の心臓は律儀に反応してしまう。
「それは良かった」
柔らかに細められた瞳に、苦しいほどに胸が高鳴った。その笑顔が、自分だけへ向けられたものでないことはわかっているつもりなのに、どうしても期待してしまう自分もいると自覚しないではいられない。
ヴィンの距離感が近すぎるせいだと自分に言い訳してみるも、それはなんの役にも立たなかった。
「どうかしたか、顔が赤いようだが」
「ばっ、いや、どうもしてない‼︎」
慌ててヴィンから離れようとするが、その身体はヴィンの腕に押さえられた。可笑しそうに笑いながら、ヴィンは再び雛乃を抱き寄せた。
そこで頭が沸騰し、恥ずかしさで動きが止まってしまう。身体中が熱くて、じんわりと汗がにじむのがわかった。ますます顔が赤くなっているだろうことは、鏡など見なくてもわかる。
「ちょ、ヴィン、起きるから‼︎ 離して‼︎」
「そうか。残念だな」
「えっ?」
残念とはどういう意味だろう。それを聞く暇もなく、ヴィンは身体を離した。雛乃が上体を起こすと地面の上に敷いてくれていた翼をたたみ立ち上がる。そして、雛乃へと手を伸ばした。その手を素直につかみ、引っ張り上げてもらう。ヴィンはその手を離さない。
朝の日差しが二人を包み込んだ。
「あれ、そういえばナツとナギは?」
昨夜この島で寝る時には、ナツとナギの二人もいたのだ。ヴィンは、俺がヒナと眠ろうか? というナツの申し出も、あたしがヴィンと寝るというナギの申し出も頑なに断っていた。特別な意味はないとしても、慣れない人と寝るよりは自分とがいいだろうと雛乃を気遣ってくれるヴィンの気持ちが嬉しかった。
ナギはあからさまに不機嫌だったし、ヴィンに見えないように雛乃へ向けて嫌な顔もして見せたが気にならなかった。
ヴィン以外の三人とは一緒に飛ぶこともあったが、やはり力を持つ鳥としてできるだけ島々を見て回るために離れて飛ぶことの方が多かった。
ただでさえ、力を持つ鳥は個体数が少ない。だからこそ、ドゥードゥもナツもナギも、離れて飛んでいる。できるだけ多くの島の鳥喰草を駆除しようとしているのだろう。
そう思うと、自分のために四人も果てへ向かわせていることが本当に申し訳ない気持ちになる。ここに来ていなければもっと救える命だってあったかもしれないのに。
「明け方行った。また後で合流しよう」
「そっか」
ナギには嫌な思いをさせただろうなと少しため息をつく。ナギだって雛乃をイライラさせてくるものの、彼女は雛乃を助けてくれている立場だ。
でも、ナギにヴィンと一緒に寝ていいよとはどうしても言えなかった。嫌だったのだ。
(ほんと、わたし嫌な女だな)
これまで異性に触れ合う機会なんてなかったから、自分でもこんな感情があるなんて思ってもいなかった。
自分に優しくしてくれただけの男にときめいて、あまつさえ嫉妬するなんて考えただけで滑稽だが、それでも気持ちは止められない。
「あそこで食事していくか」
「あ! 木の実‼︎」
降り立ったのが夜だったせいでわからなかったが、寝ていた野原は森とほど近いようだった。その森の入り口には、赤い実をつけた木々がある。
頷くと、目を細めてヴィンが歩き出す。
(どうしよう、なんか嬉しい)
ヴィンと手を繋いで歩いている。ただそれだけの事に心が浮ついた。
毎日手を繋いで飛んでるが、それはそうする必要があるからだ。しかしヴィンは、最初の夜以来手を繋ぐ必要はない時もそうしてくれている。それがただ嬉しかった。
もし無事に帰れたとしても、これ以上に美しい男性には会えないだろうし、そんな人と手を繋ぐこともないのだろう。そう思うと、この瞬間が本当に特別なものに思えてしまう。
きっとこの思い出は誰にも話さない。話しても変な夢を見たんだねとか、最悪頭がおかしくなったのかと思われるだけだ。だから自分の中だけにとどめておかなくてはならないのだろう。そう思うと少し寂しくなる。
帰りたくないが、楽園の生き物ではない雛乃はいつか帰らなくてはならないのだろう。そうわかっていても、この時間がいつまでも続けばいいのにと願ってしまう。
今どれくらい果てに近づいたのだろう。三日目までは数えていたが、それから日にちがわからなくなった。雛乃がここへ来てどれくらい経ったのだろうか。
「ほら」
ヴィンが赤い木の実をもいで雛乃の手に乗せた。丸くて、すももに似た大きさだ。
あと何度、こうしてこの木の実を食べられるのだろう。果てに近づけば近づくほど、鳥喰草も増えるというから、ゆっくり食事することも出来なくなるかもしれない。
いや、もしかしたら食事すら……。
「ヒナ、どうした? 食べないのか?」
「あっ、いや、あのねヴィン」
それなら今のうちに食事をゆっくり楽しんでみたい。そんな気持ちがわき上がる。
今だって鳥喰草の侵食は続いているだろう。ヴィンたち力を持つ鳥は自分に付き合わないで鳥喰草を相手にした方がいいに決まっている。雛乃を助けてくれるなら、早く目的を果たさなくてはならないこともわかる。
それでも、今だけの静かな時間を味わいたかった。
「あの、この辺に綺麗で景色のいい島ってある? そういうとこで、これ食べたいな」
「そうか」
「あっ、あのでも急がなきゃいけないよね、ここで食べても全然いいよ!」
慌てて付け加えると、ヴィンが二個目の木の実を手のひらに乗せてきた。
見上げた顔は優しいままだ。
「そういうのも良いかもな」
「え、いいの?」
「ああ。駄目な理由はないだろう」
「急がなきゃいけないかなって」
それくらいの時間はあるだろうと言ったヴィンは、木の実をもいでまた雛乃の手に乗せた。それを雛乃はワンピースのポケットに突っ込み、ヴィンに手のひらを差し出す。いくつ食べられるかはわからないが、持てるだけは持って行こう。
「なんだまだいるのか? 食いしん坊だな」
「い、いやこれはヴィンの分も入ってるの‼︎ それに、誰か来るかもしれないでしょ」
そんな言い訳をヴィンは可笑しそうに聞いていたが、そうだなと同意してまた木の実を三つ渡してきた。それを受け取りポケットに詰める。さらに雛乃とヴィンが一つずつを片手に持った。
二人で八つも食べられるとは思えないが、食べきれなければポケットに入れておけばいい。どれくらい持つのかは知らないが、果物のようなものなら翌日食べるくらい平気だろう。
「行こうか、ヒナ」
「ありがとうヴィン」
差し出された手を取る。繋いだ手から伝わる熱が、雛乃の気分を高揚させていく。
食べ物を持って、綺麗な景色の場所で食べる。まるでピクニックのようで気分が弾んだ。知らずにほおがゆるむ。
「嬉しい」
「そうか」
頷いたヴィンが翼を広げた。さっと舞い上がり、力強く翼を羽ばたかせて青空を翔ける。気持ちのいい風が雛乃の髪を押し流した。
(いい日になるといいな)
◆ ◇ ◆
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