果てを目指して

 ヴィンの隣では、ヒナが楽園の風景にいちいち目を輝かせている。その姿を見ながら、そうか楽園は美しいのだと改めてヴィンは認識した。

 端に行けば行くほど鳥喰草がはびこり、枯れた地ばかりになる。それでもここは輝くまさに楽園に違いなかった。

 眼下を大小さまざまな大きさの島が通り過ぎていく。本当に小さな島もあれば、飛んでも飛んでも端がなかなか見えてこないくらい大きな島まで多種多様だ。


「ねえ、川の水は島の外に落ちるでしょ? なくならないの?」

「水は循環している。空に消えた水はまた島から湧き出る、なくなることはない」

「なにそれ、どういう原理なの?」

「原理とはなんだ。そういうものだろう」


 話が通じないことが多いものの、それが逆に彼女が元いた世界と楽園の違いを明確にしていた。ヒナは本当に、全く違う世界から来たのだ。そのことが疑いようもなく胸に迫る。

 であれば、帰さなければ。ヒナだけでも、助けられるのなら。

 楽園の端から内側へと押し寄せる崩壊を知っているからこそ、おそらくドゥードゥも協力しようと思ってくれたはずだ。そしてきっと、ナツとナギも。自分たちが助からないということを、知っているからこそ。


「ねえ、じゃああの鳥たちは? ヴィンたちと姿が違うけど、鳥なの?」


 ヒナが指差しているのは、島の上を飛び回る鳥の群れ。どうやら彼女の中の『鳥』とは彼らのことを指すようで、ヴィンやドゥードゥも鳥だということに違和感を感じているらしかった。


「あれは力を持たない鳥だ。俺たちは力を持つ鳥。だが、どちらも鳥であることは間違いない」

「力を持つ? なにかすごい力があるの?」

「お前に命を分けた」

「あ、そっか。ありがとう、ヴィン」


 ヒナの顔が無邪気に笑う。

 ヒナの表情はよく変わる。楽園がよほど珍しいと見えて、あれはなんだこれはなんだと質問しては歓声を上げている。本当にひな鳥が世界を見る時と同じような感じだ。

 かと思えば昨日は急に泣き出したりとなんとも忙しい。突然知らない世界に放り出されたとあっては無理もない話だとは理解できるが、自分が同じ状況になってもその感情の変化を体験できそうになかった。


「本当に綺麗ね。こんな景色地球じゃ見れないもんなぁ」

「ちきゅう?」

「わたしが生まれたところ。島は浮かんでないし、空を飛ぶには飛行機が必要だし」


 ヴィンにとってヒナの話は、なにを言っているのか理解に苦しむところが多い。それでも、そうかと頷く。それはなんだ、どういうものだと質問したところで、ヴィンに理解できるとは思えなかった。


「鳥喰草とかそういう危険な植物はいなかったわ。あれはなんなの?」

「もともと楽園にはいなかった」


 鳥喰草には、楽園のものとは異質な気配がある。それは、力ある鳥みんなが感じるはっきりとした違和感だった。ヒナも違和感があるが、それとはまた違う感じがするし、ヒナのいた世界のものでもないだろう。

 最初はその違和感の正体がわからなかった。なんだか違和感がある見たことのない植物が生えている。それくらいの認識。特に害もなかった。

 その最初の邂逅からずいぶん時が流れて、ある時突然鳥を喰い出してから楽園は一変した。果ての方から内側へと向かう崩壊の始まり。


「果ての空間に裂け目がある、あそこから……」


 なんとか崩壊を食い止める方法を探して果てへ向かったナギが見つけたのが空間に開いた裂け目。そこから発せられる違和感。

 その裂け目こそが、この世界の裂け目ではないのか。力ある鳥は全員そう考えた。そもそも、楽園に果てがあることは誰もが知っていることだ。果てへ行くと、空は続いているように見えるのにそれ以上進めなくなるのだ。そこが楽園の終わりという認識であり、その裂け目はその認識を確信に変えたのだ。

 楽園の外に出られるのかと試してみたが誰も出ることはできなかった。

 鳥は楽園からは出られない。それが結論だ。

 ヒナだって出られるのかはわからない。だがヒナは鳥ではない。試してみる価値はあるだろう。


「それで果ての方に行くと鳥喰草が多くなるのね。果てって遠いの?」

「果てだからな。それなりに遠い」

「そうなの。あ、ねえヴィン見て! あの島、花が‼︎」


 ヒナが嬉しそうに指差したのは、少し先に見えている大きめの島だった。少し位置をずらして上下に島があり、上の島から下の島へと川が流れ落ちていくのが見えた。

 その島の大地は一面が薄いピンク色に染まっている。森の木々が一斉に花を咲かせているのだ。


「桜? ううん、そんなわけないよね。でも、桜みたいできれい……」


 一面のピンク色が眼下へと広がってくる。風に舞上げられた花びらが上空にまで届いた。それをヒナが嬉しそうに目で追っている。

 ヒナの世界に、あの花に似たものがあったのだろうか。


「降りてみるか?」

「いいの⁉︎」


 明らかに嬉しそうな顔をしたヒナに、ヴィンも知らず口角が上がる。

 泣こうがわめこうが、ヒナを助けてやりたいという気持ちは変わらない。それでも、笑っている顔を見れた方が嬉しいのは間違いない。


「ああ。そのうちドゥードゥたちと合流しないといけないしな」


 少し寄り道をした方が、向こうが早く追いついてくれることになる。ヒナの命がどこまで保つのかは未知数だが、ヴィンが与えた命はまだヒナの胸に十分な量ある。しばらくは大丈夫だろう。

 もし足りなければまた与えればいい。

 野原のような開けた場所はあまりない。それでも、川の近くに降りれば飛び立つのは容易だ。


(あぁ、あそこにするか)


 ヴィンの目に止まったのは下側の島。上から大量の水が流れ落ちる先。

 丸く大地がえぐれ、そこに水が降り注ぐ。その水を受けて、周囲の花も光っているように見えた。


「あの滝壺へ降りよう」

「うわぁ……きれい、本当にきれい。ありがとうヴィン」


 ゆっくりと下降する。眼下に咲く一面の花に視線を固定したヒナは、ふいに顔を歪めた。

 その瞳から大粒の涙を流し、それが風に流されて飛び去った。


 ◆ ◇ ◆

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