第3話 奄美の森にて

那美が活動の拠点にしている奄美市住用にあるマングローブパークで、リュウキュウアユの生態に関する報告書をまとめていると、小学生が尋ねて来た。

「すみませんが山田那美さんいらっしゃいますか?」

「はい私ですが。何か御用ですか」

「あの、アマミノクロウサギのことで相談したいのですが」

この小学生は那美の質問に答えて、奄美北小学校4年生の湊和泉と言った。

「私、先生の新聞に載ったアマミノクロウサギの記事を読んで、これを持って来たんです」

「ちょっと見せて下さい」

那美は手に取って資料を見て驚いた。それは今後、奄美が世界自然遺産に登録された時の展示に関する提案だった。

それは、概ね次の様な内容だった。

【マングローブパークは世界自然遺産登録時には中心施設になると思われます。残念ですが、自然遺産登録の対象となる動物は、めったに見られないし、見栄えがしないので、展示には工夫が必要です。

私は奄美でこれまで、生きたアマミノクロウサギを見たことがありません。暗視野での飼育と、他の種類の兎との違いを明確にする展示が望まれます。

そして各個体には、電波発信機をつけて居場所を追跡出来るようにして、観光客が自分の目で、居場所を確認出来るようにして欲しいと思います。

展示場の広さは直径30メートル程度のドーム型にして、奄美の森の自然環境を再現して欲しいと思います。即ち、小川、山、池とリュウキュウアユやタナガ、コウガン、森にはシダ類、ヘゲ類、空にはルリカケス、そして夜の空には星座がある。可能な限り自然を人口的に再現するのです】

 概ねこのような内容で良く考えられていた。


「これあなた一人で考えたの」

「ええ考えました」

「驚いた。小学4年の貴方にここまで考えられたら、私たちの役割はないな」

「先生、そんなことないです」

那美は昔の自分を思い出して、この少女に重ねていた。

「お姉さんも貴方位の時から、アマミノクロウサギに関わって来たけど此処までは出来なかった。本当に驚いた。良い提案ありがとう」

那美のこの言葉を聞いて、和泉は満面の笑顔を返した。


 この笑顔で一気に親しみがまして、那美はこれまで撮った写真や資料を見せて話が弾んだ。一緒に食事をして更に話した。

「私、山にも行きたいんですけど、一緒に連れて行ってください。お願いします」

和泉は思いつめたように言った。

「それはちょっとね」

「何で、ですか」

「危険だし、貴方が驚くような色んな住人がいるの。それにご両親の了解も」

「それは大丈夫です。うちには母しか居ませんが、私は信頼されているので」

「分かりました。でも少し考えさせてください。お母さんとも相談するから。もし良かったらこの本読んで」

「ありがとうございます。読ませて頂きます。それと是非一緒に連れて行ってくださいネ。宜しくお願いします。私もこんな本が書きたいから」

和泉はきっちりと挨拶して帰って行った。

 那美は和泉の熱意に負けて希望を適えてやりたいと思った。


翌日、和泉の母に連絡した。母親は、奄美診療所の看護師だった。話をすると、本人の希望を良く知っていて、是非とも森に連れて行って欲しいとの事だったので、午後の6時迄には返すことを約束して一緒に森に行くことにした。

那美は和泉のような子供に、奄美の森のことを知ってもらって、活動の幅を広げないと大人だけでは、永続的に自然は守れないと思っていた。

というのは、祭りや伝統芸能は子供を積極的に参画させることによって、継承が可能になっており、奄美の森を守る活動にも取り入れたいと思っていた。


2週間後、社長から連絡があり、現地の山に一緒に行く事になった。那美は和泉を誘うことも考えたたが、夜が遅くなりそうなので残念だが、今回は誘わなかった。


社長は本を読んで、那美が森を思う気持ちを理解していた。

「わしはこの山については良く知っているんだ」

「そうなんですか」

「俺の家は貧しくてね。山に入って山菜や果実の実を取って食べたんだ」

「先日は、何も知らずに失礼なことを言ってすみませんでした」

「私も急に怒って悪かったね。君の言葉で初心に戻れた。この山が私の原点なんだよ」

「社長さんは森がお好きなんですね」

山を登り、汗を流しながら話していると、気持ちが通じ合った。那美の活動基地である洞穴に着いた。

「那美さん、あなたもこの場所知っているの。俺も良くここに来て遊んだ。ここに木と枯れ葉を並べて、夜空を見ながら寝たこともあるな」

昔を思い出し懐かしそうに言った。


夜が更けたので、懐中電灯をつけて指笛を吹いた。指笛に社長は驚いたが、それを合図に先ず、アマミノクロウサギの“愛加那”が現われた。

「今晩は、宜しくお願いします」

愛加那が言ったが、何故か社長は驚かなかった。ヤチャ坊、ケンムンも集まって来て、社長が持参した黒糖焼酎で酒盛りが始まった。

社長が、

「ヤチャ坊さんとは以前に逢った様な気がするんだけど」

思い出しながら聞いた。

「俺もどこかで逢った様に思って考えてた。ひょっとして、住用池の横の家」

「そうだ。俺の昔の家だった。そうか、毎日、魚を届けてくれた人か」

ヤチャ坊が「クスクス」と笑った。

「社長さん俺も覚えてないですか。神社で一緒に遊んだけど」

今度は、ケンムンが言った。

「そうか高千穂神社の森で相撲を取って負けたな。その時の・・・」

社長が頭に手を当てておどけた。

「そう、僕が勝った時に転んで顔を怪我した」

「そうそう。これがその時の傷だ」

社長はデコにある傷を摩でながら言った。

「なんだ、みんな知り合いなんですか」

「驚いた」

那美と愛加那が驚きの表情で同時に言った。


 昔話で盛り上がった。

ここで那美が躊躇(ちゅうちょ)しながら言った。

「それで社長さん。この前の開発の件ですけど」

社長の表情が変わった。酔いによる赤と怒りの赤が加わって燃える釜戸(かまど)のような赤い顔になった。

「今日は難しい話はやめて、良い酒を飲ましてくれよ」

懇願(こんがん)したが、森の管理人ヤチャ坊が、

「社長、ここの森の開発はやめてくれよ。他の環境破壊の少ない森の開発は支援するから」

「住民の説得が出来るのか」

「出来ると思う。俺は結構、島の人間には貸しがあるのと弱みを知ってるから」

自信を持って言った。


少しの沈黙が有った。

「信じられないな。人間って裏表があって、金や利害にこだわるから」

「俺を信じてくれよ。人間を金の執着(しゅうちゃく)から解きほぐすから」

「どうして。どんな方法で」

社長は、嵩(かさ:優勢を意識して)にかかって攻めた。

「心の底に沈めた奄美、故郷を思う心を表面に出させる。奄美の太陽と海と空の力で・・・」

やちゃ坊が、日頃の態度からは考えられないキリットとした表情で、決意を込めて社長を見て言った。

社長の表情が厳しくなって、やがて優しくなった。

「分かった。お前さんが約束するなら此処の森は開発しない」

自分に言い聞かせるようにゆっくりと言った。

「社長さんありがとうございます。環境への影響が少なく、より多くの人に利益をもたらす開発の場所を早急に探しますから」

「宜しくお願いしますよ」

社長が手を出すと那美が握り返し、やちゃ坊、ケンムンがそれに加わり、全員の手の上に愛加那が乗って「これにて一件落着。お手を拝借」と言ったので全員が笑った。愛加那が手の上で大きく一回転した。


 ここで那美が三味線(三線)を取り出して、みんなで島唄 “行きゅんにゃ加那節”を唄った。

「行(い)きゅんにゃ加那(かな) 吾(わ)きゃ事忘(くとわす)れて

行きゅんにゃ加那 打(う)っ発(た)ちゃ打っ発ちゃが 行き苦(ぐる)しや

ソラ行き苦しや(ソラ行き苦しや)」

【意味は“行ってしまうのですか、愛しい人。私のことを忘れて行ってしまうのですか。いや発とう発とうとするが、あなたのことを思うと行きがたいのです”という内容です】」

 唄っていると段々と気持ちが一つになっていった。


この夜は一日中、島唄を歌い語り合って、翌日、皆、帰って行った。

那美は歩きながら携帯で、和泉に昨日の出来事を話し、次回は必ず連れていくことを約束した。

「ありがとうございます。宜しくお願いします。嬉しいです」

和泉の弾んだ明るい声が聞こえて来て、那美も元気が出て来た。


この日から、森で山を崩すダイナマイトの爆発音が消えた。

アマミノクロウサギの愛加那は、昨日の話合いと、日頃の育児で疲れていた。子供に授乳し穴に入れて穴を粘土で閉じて、一安心した時、後ろに迫っていた猛毒のハブに食いつかれてしまった。

 段々と毒が回って来て意識が薄れた。那美の笑顔が浮かんだ「那美さん、森を宜しくお願いします」と言うと同時に意識を失った。

 2日後に愛加那の娘は、自力で穴から出て来て、森の奥に消えた。こうして奄美の森に新しい命が受け継がれた。                                   

                                               完


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奄美の森の物語 @takagi1950

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