第2話 12年目の夏
アマミノクロウサギの“加那”と逢った時から12年が経過した。あの夏から初めての奄美である。加那と逢った夏から那美には予期せぬ出来事が起こった。父親が交通事故で亡くなり、奄美大島の祖母も病気がちとなり大阪に引き揚げた。そして、那美は大学を卒業し、森を守るために一人で奄美大島にやって来た。
那美の仕事は、奄美と沖縄(琉球)を世界自然遺産に登録する活動の支援である。
那美は奄美の森が道路で分断され、一部の山は土砂採取を行うために崩されているのを見た。また、アマミノクロウサギの天敵として、マングースと野ネコが脅威となっていることも知った。
全てが、人間の生活を豊かにするためと思って行った行為の反動だった。自然環境を守りながら、生活を豊かにする活動が必要と思った。
また、人口が減少し街に活気が無いのも気になった。人が減少すれば自然は回復する傾向にはなるが、那美は『人間と自然が共存出来て初めて、奄美の森が守れる』と思っていた。
人間が居なくて自然のみがある風景は寂しい。
1週間分の荷物を背負って、昔、“加那”が案内してくれた洞穴に向った。ブッシュを掻き分けて進んだ。近くの集落がなくなったので、森が街に迫って居るのだ。
洞穴に到着して2日目の夜、アマミノクロウサギがやって来た。背中に白い2センチ程度の丸があった。『あの時のアマミノクロウサギ“加那”ちゃん』と確信した。
「加那ちゃん」
那美が自信を持って呼んだ。
「私は加那の娘の“愛加那”です」
恥かしそうに言った。二人の会話を聞いて、“やちゃ坊”と“ケンムン”もやってきた。やちゃ坊が持ってきた黒糖焼酎を飲みながら話しが弾んだ。
「最近は、山が削られて環境が破壊されています。それに野ネコに追われたり、強敵のマングースにも襲われる機会が増えたんです。あなたは私の母に森を守ると誓ったのに何もしてくれないですね」
愛加那が、那美を鋭く攻めた。
やちゃ坊は「最近は、俺を恐れる人間も少なくなって森を守れなくなった」と嘆き、ケンムンも「優しい人間が少なくなって、森に関心を無くしてむやみに森の木を切る人も増えている。それに最近は誰も俺と相撲を取ってくれないし」
と淋しそうに呟いた。
「すみません。私の力不足です」
那美は涙を流し、体を震わせて皆に謝った。ケンムンが「那美にも色々事情があるから」と慰めた。
「でも那美、早く行動しないと手遅れになるぞ。分かっているのか」
大きな声で、やちゃ坊が怒った。
「僕に出来ることはないですか」
「私に出来ることは」
ケンムンと愛加那が言ったが、那美は答えに困った。
「今日はもう遅いし、那美にも考える時間が必要だから解散しよう」
黒糖焼酎を飲まない愛加那が、助け舟を出してくれ、ケンムンは「これから、森に来た時は指笛を吹いて」と言って、那美に吹き方を教えた。少し練習すると小さな音が出るようになって、皆が笑った。
那美は山を降りて、むかし祖母が住んでいた家に帰って、森を守る方法を夜も寝ずに考えた。そして、森を開発する人に開発する部分と開発しない部分を分けてもらうように提案することを思いついた。また、ケンムンに頼んで森の野ネコとマングースを集めて貰って話し合うことにした。
野ネコは那美の説得に応じて森を出る事になった。
マングースは説得に応じなかった。
「俺たちの行き場所はないんだ。人間のペットにもなれないし、動物園も受け入れてくれない。俺たちをハブ退治に森に放したのは人間だよ。勝手だよ余りにも」
「俺たちは野生で生きるよ、人間の勝手にはならない。俺は森に帰る」
那美にも、これ以上適切な解決策を見出せず、無力感をヒシヒシと感じた。
「すみません。本当に申し訳ありません」
「俺たちは森で生きるしかないんだ」
マングースは森に帰って行った。那美には引き止める言葉がなかった。
「マングースさん許してください。私の力不足です」
マングースには申し訳ない気持ちで一杯だった。
野ネコは、避妊手術をして個人のペットや街ネコとして飼育される事になった。
次に那美は森を開発する建設会社の社長の説得に向った。気持ちを込めて受付で訪問を告げると、社長は気軽に逢ってくれた。突然の訪問にも係わらず逢って話しをすると、気さくな人で父親のイメージとも重なって安心した。
気を良くして、「ところで社長さん。アマミノクロウサギが生息している地域の開発を止めていただきたいのですが」と社長の顔を真正面に見て、単刀直入に切り出した。
少し沈黙の時間が流れた。
「あなたは、自分が言っていることが分かっているのか。私には社員とその家族を守る責任があるんだぞ」
社長が日焼けした顔を真っ赤にしてきつい口調で言い返した。
那美は一方的な自分の言葉を恥じた。
「すみません。私の言い方が悪かったです。人間の生活を豊かにする開発は必要ですが、地域を限定して頂きたいと思うのですが」
「それは俺も分かっているんだ。それで苦労しているんだよ。俺は世界で一番、奄美の森を好きだと思っている」
話はかみ合わなかった。
「私もアマミノクロウサギと出逢った12年前から、奄美の森のことを考えてきました」
社長の表情が少し柔らかくなったが、お互いの思いが巡って長い沈黙が流れた。
「社長さん。この本を読んで頂けませんでしようか」
那美は最近書いた、アマミノクロウサギの本を社長に手渡した。
社長は少し目を通した。
「分かった。これを読ませてもらって、またこちらから連絡するから」
「ありがとうございます」
本が二人の間合いを調整し、お互いの顔に笑顔が戻った。
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