第3話 後編

 シシリアが学園に入学するとイージスは彼女を慕う男子たちから多くの妬みや嫌味といった悪意を受けるようになった。

 あまり気の強い方ではなかったイージスはそれらの悪意に耐えられず次第にシシリアとの交流を避けるようになった。

 ある時、嫌味を言いに来た者達に

「僕達は政略結婚だから彼女とは仕方なく婚約しているんだ」

 と言い返すとその噂はあっと言う間に学園中に広まってしまった。

 その状況に焦ったイージスはそれまでよりシシリアを避けるようになり、かろうじてやり取りしていた手紙にも何を書けは良いのかわからなくなって返信することが出来なくなってしまった。


 夜会やパーティへのエスコートの送迎さえ顔が強張り、馬車での会話も出来ない。ダンスなどしようものなら顔が引きつりそうになってしまうのを感じて大事なファーストダンスさえも踊ることが怖くなった。


 そんな鬱々とした日々を送っていたあるパーティの会場で知らない令嬢に頼まれた。

「もし良ければ私とダンスを踊ってくれませんか?」

 普通であれば男性からの誘い文句のそれを令嬢の口から聞いたイージスはふっと気持ちを緩ませた。

「ご令嬢からのお誘いを断るなど紳士として恥ずべきこと。お受けしましょう」

 そして踊ったのはそのパーティのファーストダンスだった。


 それから何度か夜会やパーティでその令嬢とファーストダンスを踊ることがあった。

 そしてあの夜会のダンスを踊っている時のことだった。

「そう言えばお会いする度にこうしてダンスをご一緒していただくようお願いしておりましたが、イージス様には婚約者の方はいらっしゃいませんの?」

 令嬢は今更のように聞いてきた。

「あ、あぁ、実は僕には婚約者がいるんだけどね…」

「まぁ!それでは私はその方に悪いことをしてしまっていましたのね!」

「い、いや、それが彼女とはいろいろ間違ってしまったんだ。そう、間違えたんだ…」

「え?あら、そうでしたの?誰でも間違いはするものですわ。そんなものこれから正してしまえば良いのですもの!」

 そんなこと!と笑い飛ばされたイージスは呆気に取られたけれどすぐに楽しい気持ちになってつられるように笑った。


 それからの夜会は久しぶりに楽しい気分のまま過ごすことが出来た。

 しかし楽しい気分が続いたのは夜会から帰ろうとシシリアを探し始めるまでだった。

 いつもなら出口近くの壁の花をして待っているはずのシシリアの姿をどこにも見つけることが出来なかったからだ。


 仕方なく会場出口の係の者に聞くと随分前に退場していると言う。

 婚約者の自分に声をかけずに帰るとはどういうことかと苛立ちで微かに残った酔いが醒めた。

 自分はファーストダンスを他の令嬢と踊って婚約者を放ったらかしにしていたことなど棚に上げて。

 侍従に自分の馬車を支度させると会場を後にした。

 その頃、王宮から王都の中心へと向かう通りを多くの騎士達が慌ただしく行き来していたのだが、久しぶりの楽しい気分を台無しにされたイージスはむっつりと目を瞑っていたのでそれを見ることなく自宅へ帰って行った。


 そして翌朝届いたシシリアの訃報。


 亡くなったのは昨夜。

 昨日シシリアの屋敷へ夜会のエスコートをするために迎えに行ったのは自分。

 そして本来屋敷へ送り届けるまでがエスコートした自分の役目だった。


 何が起こったんだ?


 一一一一一


 その日、王国騎士団総隊長の娘の訃報が知らされた。


 耐えるだけ耐えて悲しく散ってしまったシシリア。


 侍女は自分が代わりになれば良かったのにと長い間塞ぎ込んだ。

 両親は娘の優しさに甘えてシシリアを取り囲んでいた状況を知ろうとしなかった自分達を責め続けた。


 周囲からの悪意に恐れを感じてシシリアの婚約者としての立場から逃げていたイージスは、シシリアの悩んでいたことやあの事故へと継がった経緯を知った両親から罵られた。

 イージスの両親はシシリアの事を昔から自分達の娘同様に扱っていた。何よりシシリアは親友夫妻が大切に育てて来た令嬢だった。

 イージスは婚約者を大切にすることが出来なかった息子を見限った両親から領地へ戻り代官をしている叔父の元で働くことを命じられた。

 しかしイージスにはシシリアについて両親が知り得た詳しい内容を伝えられることはなかった。


 イージスは王都を離れる前日、シシリアが転落した橋に花束を持って足を運んだ。


「あら?イージス様ではありませんか?」

 声をかけてきたのはあの夜会でファーストダンスを踊った令嬢だった。


「イージス様の間違いは正されましたのね。私がお役に立てて良かったですわ」

 ふふっと口の両端を上げ、先日とは違う怪しい微笑みを浮かべると軽く会釈をしてからすっとイージスの脇を通り抜けて行った。

 突然現れた令嬢から言われた話の内容に疑問を覚えたものの、すぐにはっと気付いて振り返った先に令嬢の姿はなかった。


 イージスはシシリアが何も告げずに夜会から去った理由を知らされていなかった。


「まさか……」


『あら、そうでしたの?誰でも間違いはするものですわ。そんなものこれから正してしまえば良いのですもの!』


 満面の笑みでそう言い切った令嬢の顔が呆然としたイージスの頭に浮かんだ。


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お嬢様は亡くなられました 金色の麦畑 @CHOROMATSU

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