第53話 手
「…………」
「…………」
七瀬と並んで無人の駅のベンチに腰掛ける。帰りの電車が来るまで、まだ少し時間があった。俺たちの間には、どうにもむず痒い空気が流れている。
夜の海のせいか、この星空のせいか、それとも夏が近づいているせいか。その理由は分からないけれど。
……俺は、なんと大胆なことを。
自らの言葉と、抱きついてきた七瀬の柔らかな感触を思い返すだけで身体が熱を帯びる。
ようやく正気に戻った俺たちは、大人しく砂を払って帰路に着こうとこうして駅に戻ってきたわけだが。
横に腰掛けた七瀬はこちらを見ようともしない。耳まで真っ赤だ。そういう反応されるとこちらまで緊張するだろうが。
「…………ほ、星。綺麗だな」
「は、はい。…………あの、せんぱい」
「な、なんだ」
「え、と。わたしはせんぱいを好きで、その。……せ、せんぱいもわたしを好きなんですよね」
単刀直入に聞かれると言葉に詰まる。だが、もう後戻りは出来ない。
「……さっき、そう言ったろ」
「じゃあ、つ、付き合ってるんでしょうか?」
「え……?」
七瀬の方を見ると、白の蛍光灯に照らされたふんわりと赤い頬が目に映る。
つ、付き合っているのだろうか。確かに好きだとは言ったが、付き合ってくれとは言ってない。言ってはいないが。
「お互いその、す、好きだと言った以上は付き合っているということになるんじゃなかろうか」
「ふ、ふうん。……ということはですよ?」
そこまで言って、彼女は黙り込む。
ということは、なんだよ。
俺はその先を促すように首を傾げる。
「今から私たちは、せんぱいの家に戻って。せんぱいのことが好きな葵ちゃんとあの拡声器みたいなちーちゃんに付き合った報告をするわけですか?」
俺は咳き込む。
同時に七瀬は困ったような笑みを浮かべた。
「……それ、本当だったんだな」
「本当です。大マジです。……あ。今更気が変わったとか言ったら海に落としますよ?」
先程の暗い海の底のような色の目をこちらに向けた七瀬が言う。怖すぎる。俺は取り返しのつかないことを言ってしまったのかもしれない。
……でも、それはありえない。
俺がずっと考え抜いた結果出した、いや、出せた答えなのだから。今こうしてその言葉を聞いた後でも、俺の七瀬への気持ちは変わらない。
「だから言ったろ。俺は……七瀬のことが……す……」
くそ。なにこれ恥ずかしすぎるだろ。
「き、聞こえにくいですね。蝉がうるさいです」
鳴いてねえだろそんなもん。夜だぞ。
俺は真っ赤な顔で目を爛々と輝かせる彼女から顔を背ける。
「そ、そうだ。とりあえず心配してるだろうから潮凪さん達に連絡を――」
誤魔化すようにスマホを取り出した俺の手首を、七瀬ががしりと掴んだ。
「せんぱい。私たち、付き合ってるんですよね?」
な、なんだ? やけにそこにこだわるな。
「そ、そうだと言ってる」
「こんな可愛い彼女がいるのに、他の女に連絡をするつもりですか?」
「……いや、だって七瀬いまスマホ持ってないだろ」
「…………今回だけですよ」
悔しそうに唇を噛んだ七瀬が言う。
どうやら許してもらえたらしい。
……冗談だよね?
とりあえず潮凪さんに『無事七瀬を見つけた。連れて帰る』というような連絡を入れた俺は、ふうと息を吐く。
そして、七瀬の言葉が脳内で繰り返される。
全く実感が無いが。
俺、人生初の彼女が出来たのか?
しかも、こんなに可愛い――。
隣に座る七瀬の横顔をちらと見る。
少し赤くなった目元。
あどけなさを残しながら、整った目鼻立ち。
駅のホームを抜ける潮風に揺れる髪の毛は、月明かりを受けてぼんやりと輝いている。
不意にこちらを見た七瀬と目が合う。
「……な、なんですか」
「……いや、別に」
「……ふ、ふん。可愛い私の顔に見惚れてたんじゃないですか」
「そんなわけあ…………あるな」
びくっと七瀬の肩が視界の端で跳ねる。
きっとこちらに向いているであろう視線を感じつつも、恥ずかしさのあまりそちらを見れない。
「…………もっと見てもいいですよ」
その声に今度は俺がびくりと反応してしまう。聞き間違いかと隣を見ると、七瀬は顎に手を当てたまま反対側を向いている。小さく覗く彼女の耳はやっぱり真っ赤だった。
……なんなんだこれ。調子が狂う。
そして、またしばらく無言の時間が流れて。
先に口を開いたのは、七瀬だった。
「私、葵ちゃんになんて言って謝ったらいいかわからないです」
彼女からぽつりと漏れたのは、そんなかすれた声だった。
「別に七瀬が謝る必要は」
「勝手に葵ちゃんがせんぱいを好きなことをバラしちゃいましたし」
「でもそれは、七瀬の中で言わないのは違うと思ったから話してくれたんだろ?」
「しかも葵ちゃんにもせんぱいにも隠してました。二人がお互いを好きだったこと」
「それは……七瀬が俺のことを好きでいてくれたから、そうするしかなかったってだけで」
「私を、ずるい女だと思わないんですか」
「……思わない。同じ立場だったら俺だってきっとそうした」
「……私がちゃんと二人に本当のことを伝えていたら。今せんぱいと付き合っていたのは私じゃなくて、葵ちゃんかもしれないんですよ」
悲しそうな声と表情。
いつもはあんなに強気なくせに、そんな顔、するなよ。
「だからなんだ。俺は今七瀬と付き合ってる。これは俺が決めたことで、俺がそうしたいと選んだことだ」
「…………じゃあ」
七瀬は不安と期待が入り混じったような表情でこちらを見ると。
「――私のことの方がちゃんと好きって証明してください」
「し、証明って」
「……だって、せんぱいは推しに弱いから。私に気を遣ったのかもしれません」
ひどい言われようだ。まあ、これまでのことを考えればそう思われても仕方ないのかも知れないが。
「せんぱいは今から家に戻って、葵ちゃんに言い寄られたらすぐ乗り換えるかもしれません」
「人を電車みたいに言うな」
「それと私が葵ちゃんにきちんと謝れるように元気付けてください」
「要求を当然のように増やすな」
「出来ないんですか?」
七瀬はこちらを煽るような声音で言う。
やってやろうじゃねえか。
「……出来るに決まってんだろ」
俺はずい、と七瀬の方に身を寄せる。
彼女は驚いたように後ずさると、大きな目を見開いてこちらを見つめた。
「な、な、なんのつもりですか」
「いいから大人しくしとけ」
「で、でもっ。証明しろとは言いましたがそれは早いっていうかちょっとまだ心の準備がアレというか……」
目を泳がせ、しどろもどろになりながらそんなことを言う七瀬。
何言ってんだこいつ。俺は高鳴る心臓を押さえつつ。
「でもでもせんぱいがどうしてもって言うならっ……」
ベンチの上に置かれた、七瀬の小さな手を握った。
柔らかくて、すこし冷たくて。ほんのわずかに、震えていた。
「………………へ?」
「み、見たか」
「こ、これは?」
「好きじゃない子の手を、握ることはないだろ?」
平静を装いながらではあったものの、内心手汗は大丈夫だろうかとかやりすぎだかもしれないとか嫌がられないかとドギマギしていた俺に。
「…………えへへ」
七瀬はへらっ、とはにかんだ。
「じゃあせんぱいは、体育祭の時のフォークダンスはずっと一人で踊ってくださいね?」
……考え得る中で最もきつい仕打ちだった。
遠くから、電車の音がする。
彼女はその手を。最寄駅に着くまでずっと離してはくれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます