第44話 きっと想いは伝わらない

「――わ、わたし。渡くんに告白しようと思ってナナちゃんに相談してたんです!」


 立ち上がったまま両手を握って熱く言い切った千歳を、俺はただ見つめることしかできなかった。


 彼女は興奮しているのか頬はほんのりと上気しており、目は爛々と輝いている。けれど表情は真剣で、声はかすかに震えていた。


 俺は、そんなふうに堂々と言える彼女のことを。どうしようもなく、羨ましいと思ってしまった。


 ただ。その相手が問題だ。


「ちょっと待て。渡ってあの渡だよな?」

「あの渡くん以外にいませんけど」

「…………」


 やっぱりあの渡くんだよなあ……。


 俺は無言の圧力を七瀬へと向ける。七瀬はふい、とすぐに顔を背けた。

 一体、今七瀬と千歳の間ではどういう話になっているんだ……?


 七瀬と言い争いをしていた潮凪さんも、『告白』というワードには興味深々のようで、大人しく席に着くと千歳の方を見て目を輝かせている。


 そういえば、俺が千歳からラブレター風の果たし状みたいなものをもらった時もずっと潮凪さんは興味を示していたな。

 『いもこい』も大好きみたいだし、こういう恋愛絡みの話は好物なのかもしれない。


「……えと。千歳ちゃん、だよね? その人に告白、するの?」

「そうです。なので今日はモテるナナちゃんに相談をしてたんです」

「へええ」


 潮凪さんは意味深な笑みを浮かべると、七瀬の方を見やる。七瀬は我関せずとでも言いたげにストローを咥えてオレンジジュースを飲んでいる。


「けどナナちゃん、『私は恋愛経験ない』とか言うんですよ? 全然参考にならなくて困ってたんです。そんな時に、恋愛百戦錬磨って呼ばれてる潮凪さんにもお会いできて本当嬉しいです!」


 千歳が満面の笑みでそう言うと。

 ぴしり、と潮凪さんと七瀬の表情が固まった。


「れ、恋愛経験くらいある!」


 先に七瀬が何故かカタコト気味で言い返す。

 続くようにして、潮凪さんが言った。


「…………えと。ん? れんあいひゃく……な、なんて?」

「恋愛百戦錬磨ですよ! 一年生の私たちでも知ってますよ。潮凪さんと言えば、寄ってくる数多の男子生徒をバッサバッサと切り捨ててきたと聞いてます」

「えっと、それは……」

「ナナちゃんも言ってました! 私の知り合いに潮凪葵って人がいるんだけど、恋愛のいろははその人に聞けば間違いないって」


 潮凪さんはぷるぷると頬を膨らませて隣の七瀬を睨む。七瀬はというと、ほぼ真後ろでも向くのではないかという勢いで顔を背けていた。


 ……やっぱ、百戦錬磨なんだよな。

 その言葉に俺が肩を落とすと同時、千歳の明るい声が響く。


「だからアドバイス、くださいっ!」

「そ、そんな急に言われても……。ほら私、その……わたりくん? のこと知らないから」


 潮凪さんは珍しくおどおどしながら答える。


「……それも、そうですね」


 千歳がふむ、と顎に手を当てた所で潮凪さんはほっと息を吐く。続けて「ハルちゃん?」と聞いたことのない低い声で呼びかけていた。


 そして俺の隣でスマホをぽちぽちとやっていた千歳は、躊躇うことなく潮凪さんへその画面を向ける。


「この人なんですけど」

「え! しゃ、写真あるんだ」

「なんで写真持ってんだよ」


 思わず突っ込む。

 千歳は気まずそうに身を捩ると。


「……一緒に撮ってもらっただけですけど」


 渡くん?

 き、君はアイドルか何かなのか……?

 俺なんて写真撮ってもらえますか? とカップルなんかに言われたことは数あれど、一緒に撮って欲しいなんて言われたことは勿論ない。


 千歳に示された画面をまじまじと眺めていた潮凪さんは。


「わ。かっこいいね」

「ですよねっ!!!」


 微笑む潮凪さんの言葉に気を良くしたのか、千歳はべらべらと渡のことを話し始める。サッカー部でイケメンで爽やかで優しくてと千歳は一通り説明をして。


「――で、その渡くんはナナちゃんのことが好きなんですけど」

「……え?」


 ノータイムで首を傾げた潮凪さんの横で七瀬の肩がびくりと震える。

 両手で持っていたグラスも揺れて、からん、と氷が涼しげな音を立てた。


「潮凪先輩、好きな人が他の子を好きな場合って、どうしたらいいですかね?」

「ど、どうしたらいいか!? う、うーん。は、ハルちゃんと相馬くんはどう思う?」

「あ。この人たちは当てにならないんで」


 千歳、言い方。俺の方は間違ってないけど。

 そしていつの間にか潮凪さんの遼太郎くん呼びも終わっていた。少し寂しい。


「潮凪先輩っ。どう思いますか?」


 きらきらとした目で潮凪さんを見つめる千歳。助けを求めるような潮凪さんと目が合う。彼女は困ったような笑みを浮かべた後。


「す、好きな人がいる人に振り向いてもらうためには……積極的にいくしかない、かな?」

「やっぱりそうですよね。告白するしかないですよね……」

「ゔぇっ!? そ、そうなのかな……でもいきなり告白は……」


 そうなんですけどね、とぼやきつつ千歳は頬をかいて。


「でも告白でもしないと、きっと想いは伝わらないのかなって」


 彼女は当然のように、さらりとそう言った。

 

「告白して、私のこと意識させて、あれ、もしかして俺この子のこと好きかもな……って思わせたら勝ちかなと」


 はにかむ千歳は、口の悪い後輩ではなく。

 恋をする、一人の女の子だった。


 俺は何も言えず、潮凪さんも、七瀬もただぽかんと彼女の方を見ているだけ。


「え……ど、どうしたんですかみなさん」


 狼狽えるように呟いた千歳に、潮凪さんと七瀬がぴくんと反応すると。


「い、いや……そう、だよね」

「意識させたら、勝ち……」


 それぞれがひとりごとのように、ぽつりと漏らす。二人はちらちらとお互いを見やると、ひそひそと何かを言い合った。


 そのやりとりに多少の違和感を覚えつつも、俺は恋愛のアドバイスなど出来やしないので、大人しくしておく。


「で、どういうシチュエーションで告白するかなんですけど」


 告白することは本当に決定しているのか……と俺が一人驚いていると――。


「ち、ちーちゃん? この話、ここでするのは危ないと思うんですが。誰が聞いてるか、分からないし」

「え? そう? 別に私は……」


 辺りを見回した七瀬が、急にそんなことを言い出す。千歳が言い返そうとするのを遮るかのように、さらに潮凪さんが口を挟んだ。


「確かに大事な話だしね。あんまり人がいない所がいいよね。い、移動する?」

「私は、いいですけど……どこか良いとこ、ありますか?」


 どうやら潮凪さんとのデートはここで終わりのようだ。残念だが仕方ない。

 そして関係ない男子は帰れ、しっしっとでも言われそうだなと思いつつ、緑茶を飲み干す。


 ……なんで誰も何も言わないんだ?

 ストローがずずっ、と小さく音を立てると同時。俺がゆっくりと顔を上げると。


「相談するにはぴったりの場所があります。……カフェラテ付きの」


 七瀬はなぜかこちらを見ながら言った。

 カフェか、何かだろうか? それならここのドーナツ屋でも同じ気がするが……。


「うんうん。私たち以外に人もいないし、もしかしたら……晩ごはんもついてくるかも」


 潮凪さんが続く。


「ふ、二人ともそんなに真剣に相談に乗ってくれるんですか……。うう、持つべきものは友達と先輩ですねっ」


 千歳は二人を交互に見ながら、目を潤ませて嬉しそうに微笑む。何かが、引っかかる。


 ……晩、ごはん? どうも嫌な響きだ。ファミレスとかだろうか? いや、しかし人が居ないとなると、隠れ家的な店か?


「――せんぱいはどうですか?」

「――相馬くんはどう思う?」


 同時に二人が俺に訊いてくる。

 千歳もこちらを振り向くと、協力してくれますよね? という子犬みたいな素直な瞳で俺を見る。俺に訊かれてもという感じだが……。


「……そりゃまあ。いいんじゃないか?」


 答えると、二人はまた目を見合わせて頷く。


「決まりですね。じゃあ、いきましょうか」


 七瀬が真っ先に席を立つと、艶のある髪を揺らしながら伝票を掴み、レジへと向かう。潮凪さんに続いて、俺と千歳も彼女らの背中を追う。


「先輩にも、協力してもらいますからね?」


 いつの間にか横に並んだ千歳が、俺の方を見上げつつ言う。


「……どうなっても知らないからな」


 そうは言ったものの、千歳と渡の件についてはこのままと言う訳にはいかないと思っていた。その責任が、俺にもきっとある。


 四人で会計を終え。

 人通りの増してきたショッピングモールを出て。駅の構内を抜けていく。


 ……ショッピングモール内でもなく、電車に乗るわけでもないらしい。俺は楽しそうに話す彼女らの後を、大人しくついていく。


 駅を出て、見覚えのある道を進んでいく。

 お、おかしいな、この方向は……。

 いや、まさか。きっと七瀬が知っている店かなんかがあるのだろう。


 いつものコンビニを横目に、さらに進む。

 進んで、見覚えのあるアパートが見えて。階段を登って、そうして。


「――ここです」


 七瀬が指差したのは、見間違えるはずもない俺の家だった。


「おかしいだろっ!!!」


 俺は、叫ぶと同時に膝から崩れ落ちた。

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