第43話 よくぞ聞いてくれました
むず痒い空気が流れ、俺は堪えきれずに緑茶のおかわりを頼む。七瀬も追加でオレンジジュースを注文した。
「ま、まあ冗談だから。これで分かったろ?」
「そ、そうですね。じょ、冗談ですから」
そわそわとした七瀬と、じっと俺を見る潮凪さん。隣で不満そうにドーナツを頬張る千歳。
なんとも形容し難い雰囲気の中、ドリンクが運ばれてきた。
緑茶を一口飲んで、俺がこの話をなんとか逸らさねばと口を開こうとした時だった。
「――わ、私は冗談じゃなくて『葵』呼びでもいいよ? りょ、遼太郎くん」
空気を読まず、再度燃料を投下していく潮凪さんに俺は緑茶を吹き出しかけた。
そして、なぜか勢いよく七瀬が立ち上がる。
「あ、あ、葵ちゃん……?」
「な、なにかな? ハルちゃん?」
口元をぴくぴくと震わせながら潮凪さんを見下ろす七瀬と、どこか挑発的な目なのに、頬を赤く染めた潮凪さんとが睨み合う。
今潮凪さん、遼太郎くんって……?
夢か……?
俺はもう訳も分からず横を見ると。
「え? …………えっ?」
千歳は睨み合う二人と俺を交互に眺め。
「………………まじ?」
信じられないとでも言うように、けれど何故か目だけはキラキラとさせながらこちらを見て首をかしげた。
俺は何も答えることなくまた緑茶を飲む。
おかしいな、全然味がしない。
「そもそもどういうつもり? こそこそと男の人とデートなんて、ずる……やらしいよ」
「そういうハルちゃんこそ男の子の家に入り浸るなんて、ずる……遊び人」
「私は仕方なくだから! ば、晩ごはん作りすぎちゃったって言うから仕方なく」
「じ、じゃあ私が代わりに行ってあげてもいいよ? ……仕方なくなら、いいよね?」
むむむ、と頬を膨らませつつ睨み合う二人。
「先輩? これは一体どういうことですか説明してください」
隣で千歳が七瀬の真似をするみたいな口調でひそひそと呟く。めちゃくちゃ似てる。
「俺にも分からないから困ってるんだ」
俺もひそひそと言い返すと、千歳は呆れたように肩を落とした。
「……そんなこと言ってるから、先輩はいつまでもクズ野郎なんですよ」
「……なあ千歳。今日俺に当たり強くない?」
「その理由は、自分の胸に手でも当てて考えてみることですね」
素直に胸に手を当ててみる。
そんなこと言われても、渡の件と、七瀬の件と、しばらく顔を合わせても逃げ出していたくらいしか……。
心当たりしかなかった。
頭を抱えた俺が顔を上げると、二人の言い争いはさらにヒートアップしている。
「ちょっと顔が良くて胸が大きくて優しいからって……! 葵ちゃん、こないだは別の男と遊んでたじゃん!」
「あ、遊んでない! 遊んでないからっ!」
慌てたように言い返した潮凪さんと目が合う。遊んでいたとしても俺は責められないし、本当かどうかも分からない。
「は、ハルちゃんだって! こないだ片付け行った時も下着脱ぎっぱなしだったでしょ? しかも中学の時から同じやつ!」
「は、はぁ!? 何言ってるの!? 違うから同じ色の新しいやつだから!」
七瀬は小さく叫ぶと、おそるおそるこちらを見る。どんな言い争いだよ。
俺は聞いていないふりをして店の外を眺める。平和な土曜の昼下がりだ。
……この席以外は、だが。
しかし、いつの間にか七瀬の矛先が俺ではなく潮凪さんの方を向いている。この仲の良さそうな二人でも、こんな風に言い争うことがあるんだなと素直に感心しつつ。
「まあまあ、ふた……」
「――せんぱいは黙っててください」
「――相馬く……遼太郎くんは黙ってて」
「あ、はいすみません」
なだめようとするも、二人に凄まれる。
七瀬の影響か、潮凪さんまでとんでもない迫力だ。先程までの彼女とはまるで別人。
……てか潮凪さんに下の名前で呼ばれるの、結構やばいな。
「先輩黙ってくださいよ」
かなり遅れて千歳がからかうようにぼやく。何も言ってないだろうが後で覚えてろよ……。
「葵ちゃん? いい加減に……」
「は、ハルちゃんは何に怒ってるのかな?」
またも視線をばちばちとぶつけ合う二人。
お互いの暴露大会は止まらない。聞きたいけれど、聞いてはいけない気がする。
なんとかして止められないものかと辺りを見回してみるが、机の上には空いた皿とグラスがあるだけ。
左に向けた視線の先、店内のガラス窓に映った自分が目に映る。
……ふと。俺はこの二人が争っている理由について、見て見ぬふりをしようとしているんじゃないかと気づいてしまう。
「――先輩」
ぽん、と唐突に肩を叩かれて我に帰る。
振り向くと、自信ありげな顔をした千歳がそこにいた。
「ここは私に任せてくださいよ」
「どこかで聞いたような台詞だな……」
俺はきっと怪訝な顔をしているだろうに、千歳はそれを気にすることもなく。少しだけ顔を近づけて、こそこそと耳打ちした。
「……そんなので、なんとかなるのか?」
「任せてくださいって」
千歳は満面の笑みを浮かべたまま、また胸のあたりをぽむ、と叩いた。
それを信じてさっきひどい目にあってるんだけどなあ……。
けれど、他に良い方法も思いつかない。
俺はため息を吐きつつ、二人の方を見る。
「葵ちゃんの隠れむっつり!」
「ハルちゃんの大喰らい!」
かなり言い争いのレベルが落ちてきているらしい二人に向けて、俺は大きめの声で言った。
「そ、そうだ。七瀬こそ、今日はなんで千歳と二人で遊んでたんだ?」
ぴた、と目の前の二人の動きが止まって。
「――よくぞ、聞いてくれましたっ!」
隣に座っていた女が、待ちきれないと言わんばかりに立ち上がった。
ボーイッシュな大きめのシャツが揺れて、今日初めてああ、こんな服着てたのかと改めて気づく。
そして、思う。
…………いや、お前が立つんかい。
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