第38話 絶対ダメです

「…………こ、これは?」


 俺は訊ねる。


 晩ごはんのトマトスープを食べ終え。

 料理を教えるかどうかは置いておいて、ひとまず七瀬がどれほどの実力なのか知ろうということで。


 彼女の好きな卵で一品作ってみよう!(ゆで卵を除く)という流れになったのだが……。


「……お、オムレツ?」

「なんで作った本人が疑問形なんだ……?」


 目の前に置かれたのは、切り刻まれた野菜と炒めつけられた卵の混ざった何かだった。

 頼むから一回オムレツの語源を調べてくれ。


 俺はため息をつきつつ箸を手に取る。

 ひとまず、七瀬の料理の実力はよく分かった。


「ふ、ふん! そんなに嫌なら私が食べ」

「――いただきます」


 ……ふむ。

 味は意外と、悪くないな。

 ある意味しっかりと炒められているおかげか、いい感じに野菜にも火が通っている。


 うん。これあれだ。

 普通のスクランブルエッグと刻んだ野菜だ。


「わりとうまいぞ、これ」

「あ……」


 塩コショウが効きすぎている気もするが、まあこんなもんだろう。顔を上げると、七瀬はおろおろと視線を泳がせていた。


「……なんだよ」

「ど、同情はいらないです」

「するか、そんなもん。いいか? 卵と塩コショウを使えばそうそう不味くはならない」


 オムレツではないけどな。

 幸か不幸か、七瀬にたくさんトマトスープを食べられたせいで、これくらいの量なら余裕で入る。


 もくもくと食べている俺を、七瀬はぽかんと口を開けたまま眺めている。なんでそんな見るんだよ。すごく食べづらいんですけど。


 そこで、気づく。


「……た、食べたいのか?」

「ち、違いますっ! 誰がそんなの!」

「そんなの言うな。作ったの自分だろ」


 頬を染める七瀬を横目に、俺はスクランブルエッグと刻んだ野菜を食べ進めていく。


 ……ふと、小さい頃俺の作った料理を食べてくれた母親の顔が脳裏に浮かんだ。そういえば、俺も初めて作ったのはスクランブルエッグだったか。


 こんな感じにぐしゃぐしゃで。

 それでも、美味しそうに食べてくれていたのをぼんやりと覚えている。


「ごちそうさまでした」


 手を合わせる。

 そして、隣でそわそわそわそわと落ち着きのない七瀬に向けて言ってやる。


「うまかったぞ。俺が教えることは何もない」

「そ、そんなわけないでしょう適当なこと言わないでください教えたくないからって!」

「早口言葉かよ……」


 まったく。

 教えたくないのは事実だが、そんなに大きな声で怒らなくても…………ん?


「七瀬、なんでそんなににやけてるんだ?」


 にやにやとしている七瀬に気づいて、思わず訊ねる。彼女は慌てたように頬に手をぺち、と当てると俺をきっ、と睨みつけた。


「……にやけてません」

「にやけてただろ」

「にやけてないです」


 絶対にやけてただろ……こっそり料理に変なもん入れたんじゃないだろうな。

 俺は食べ終えた皿に箸を重ね、台所へと運ぶ。


「別にいいけどさ……。ま、美味かったよ。気が向いたらまた作ってくれ」

「に、にやけてませんって!!」

「…………?」


 違和感をおぼえてゆっくりと振り向くと、にやにやとしながら俺を睨む七瀬がちょこんと座っていた。


「――やっぱりにやけてるじゃねえか! なんなんだよおまえ!」



***



「なんだかどっと疲れた……」

「こ、こっちのセリフですっ」


 からからと音を立てながら、七瀬がグラスの中の液体を混ぜる。黒と白の液体が混ざり合い、またその色を変えていく。

 

「……話、戻すけど。なんで急に料理する気になったんだよ?」


 これまでの七瀬といえば、俺と出会うまではコンビニ弁当か外食だったと聞いた。料理はしないと言っていた覚えがある。


 俺と出会ってからも、なにかと理由をつけてごはんを食べに来るだけで、作っているところなんて見たことがない。


 その七瀬が急に料理をしたいなどと言い出せば怪しいと思うのは自然なことだろう。


「べつに。私も料理のひとつやふたつ、出来てもいいかなと思っただけです」


 ふい、とこちらを見ることもなく答える。

 そりゃまあ、出来るに越したことはないが……。


「なんか作りたい料理とかあるのか?」

「…………えびふらい?」

「一番最初にそれはなかなか無いチョイスだな……」


 定番の肉じゃがだとか、カレーとか言うものだと思っていたがまさかのエビフライ。

 よっぽどいつかご馳走したやつがお気に召したのだろうか。


「……じゃあ、せんぱいは」

「ん?」

「せ、せんぱいは。女の子が作れたらいいなあって料理なんだと思いますか」


 言い終わると、七瀬はちるちるとカフェラテをすする。

 ……難しい質問だな。ここで女の子が作ってくれるのならなんでもいいと答えるのは野暮な気がする。


 俺は少しだけ考えて、答える。


「……ハンバーグ?」

「子供みたいですね」

「エビフライがよく偉そうに言えたなおい」


 いいだろハンバーグ。個人的には和風のもいいが、やっぱりデミグラスソースのやつかな。


「じゃあ、まあ仕方ないですね。ハンバーグ教えてもらいましょうか。仕方なく」

「なにがだ。俺の意見なんて参考にならないからやめとけ。肉じゃがとかにしとけ」

「せんぱいのためじゃないですから。ほんと自惚れないでもらえますか」

「いやまあ、いいけどさ……。誰に作るんだよ。潮凪さんか?」


 七瀬はジト目をこちらに向けると、不満そうな顔のまま俺に言う。


「誰だっていいじゃないですか。別に味が変わるわけでもないですし」

「? 変わるぞ?」

「……え?」


 驚いたように目を丸くする七瀬。

 甘いな。その段階にいるうちはまだまだ甘々だぞ、七瀬小春。

 

 俺は小さく咳払いをして教えてやる。


「いいか七瀬? 誰に作るかってのはすごく大切だ。ただ作るのと、食べてくれる人のことを思い浮かべながら作るのとじゃ全然違う。食べてくれる人のことを思って、美味しいと言ってくれたらいいな、喜んでもらいたいなという気持ちで作れば、野菜や肉の切り方ひとつから変わってくる。そういう心掛けがだな……」


 ………………って。

 や、やばい。


 な、何言ってんだ俺。つい、無意識のうちに料理のことだから話しすぎてしまった。やばい。


 お腹のあたりから熱が登るのを感じる。

 だらだらと嫌な汗を感じつつ七瀬の方を見やると、わずかに唇を噛んで頬を染めた七瀬が俺の方を真っ直ぐに見つめていた。


「……じ、じ、じゃあせんぱいは」


 やめろ。違う。そうじゃない。


「わた、私のことをずっと思いながら、いつも晩ごはんを作ってくれてたんですか?」


 ――っ。

 無意識にそうしていたことに、自らの言葉と七瀬の言葉で気付かされてしまう。

 俺は恥ずかしさで爆発しそうになりながら、どうにか言い返す。


「……いや。ち、ちょっと今の、なしでもいい?」

「ダメです」


 七瀬はいたずらっぽくつぶやくと。

 まるで天使みたいに純粋な笑顔で微笑んだ。


「――絶対、ダメです」

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