第36話 ライバル

 

 私、みんなといるのも好きだけど、一人も好き。ハルちゃんは知ってると思うけど、本を読むのが好き。知らない雑貨屋さんとかで見つけた可愛い置き物を集めるのも、好き。


 ……え? 置き物が可愛くない?

 かわいいよ! ほらハルちゃん、あそこのゾンビのうさぎさん……怖い? な、なんで!?


 ……うん。ご、ごめん、話を戻すね。


 私が相馬くんと初めて出会ったのは去年のちょうど今頃。あ、学校ではもちろんすれ違ったりはしてると思うんだけどね。


 ちゃんと相馬くんを相馬くんって認識したのが、ってこと。私、同じクラスじゃ無かったから、名前も顔も知らなかった。


 最初出会ったのは本屋さん。ううん、そっちじゃなくて、今のハルちゃん家の最寄り駅のそばに大きな本屋さん、あるよね?


 学校の近くだといろんな人に会っちゃうから、帰り道にちょっと遠くのに行くようにしてたの。


 その日は私の好きな本の発売日で、雑誌、漫画、小説とライトノベルのコーナーなんかをゆっくり見て回って、最後にお目当てだった本を買おうとそのコーナーに向かったら――。


 そこに、相馬くんがいた。


 まだ私は彼のことを知らなかったから、同じ高校の制服を着た男の子がなんだかすごく怖い顔で私の欲しい本の前に立ってるなあ、って思うくらいだった。


 まだ真新しい制服に、襟元には私と同じ色をした一年生を示す校章。

 私に気づくと、彼はそそくさとその本を買っていくんだけど……。


 うん。その日はそれだけ。


 その週末だったかな。確か雨が降ってて。

 私は買った本を読もうと、またハルちゃんの家の最寄り駅近くのカフェに行ったの。出来るだけ人の多くなさそうな、ひっそりしたカフェ。


 雨の日にあえて外に出て、カフェとかでぽつぽつ雨音を聴きながら本を読むのが、好き。

 そこにね、また相馬くんがいた。


 制服じゃ無かったからすぐには分からなかったんだけど、わたしが買ったのと同じ本を読んでて気づいちゃった。


 雨だったからお客さんも少なくて。

 相馬くんは私より先にお店にいたから、すごく真剣に本を読んでた。


 私も、同じ本を開いて読み始める。

 次に相馬くんを見た時には、彼は本を読み終えたのかコーヒーを注文してて。すごく満足そうに本をぱらぱらめくって眺めてた。

 

 そこで、目が合っちゃった。

 私はびっくりして目線をすぐ本に戻して。しばらくしてからちら、と目を向けたら相馬くんは気まずそうにコーヒーを慌てて飲んで、すぐ帰っちゃった。


 なんだか悪いことしたなあって気持ちと、もう少し居てくれたら本の感想、話してみたかったなあ、なんて。出来もしないのに思ってみたりして。


 まあでも、もうこんな風に学校以外で会うことないよね、って思ってたら……。

 また、本屋さんで会うんだけど。

 

 その日はまた私の好きな本の新刊発売日。

 休みの日だったから、私は私服で、しかもちょっと変装してた日でね?


 ……うん。まあ、あれだよ。別にそういうのじゃないから。たまたま、ちょ、ちょっと刺激が強いやつだったから、バレないように軽く帽子と伊達メガネかけただけだから。


 ライトノベルのコーナーでお目当ての本を見つけた私がそれを手に取って、そそくさとレジに向かおうとしたら……。


 そこにいたの。相馬くんが。

 す、ストーカーだ! と思った。だ、だって本屋さんでこんなに何度も遭遇すること、あるはずないよ。


 相馬くんは私のことを見て、すっ、と目線を下に落として私の手元の本を見た。そこで私はさあっと青ざめた。


 私が手に持っていたのはいも……は、ハルちゃん! 本棚は探さなくていいから! 


 私は、ああ、バレたかもと思った。別に隠してるわけじゃないんだけど、絶対こういうの読むイメージじゃないと思われてたはずだから、誰かに言いふらされるって。


 相馬くんはなんだかにやりと変な顔をして去って行った。

 こ、この人は間違いなく言いふらす、そんな気がしてすごく不安になった。明日にはみんなが私の買った本のことを知ってて……ど、どうしようって。


 ……まあ結局、その本は買ったんだけどね。


 翌日、ようやく私は知ることになる。

 その男の子は相馬遼太郎くん。隣のクラスの人。……私の、ささやかな秘密を知ってる人。


 私はその日からずっと、相馬くんがそのことを誰かに言いふらさないか心配で目で追ってた。彼と廊下ですれ違うとそわそわして。誰かと話をしてると私のことかもってドキドキして。


 でも私が心配してるようなことは何も起こらない。彼は誰にも言いふらしてないみたいだし、私に何かを言ってくるわけでもない。


 結局、最後までそのことを言いふらされることはなかったんだけどね。


 ――でも、ずっと見てたから段々と分かってきた。


 彼はよく本屋さんに居て。

 たまに、駅の近くのカフェに居て。

 学校では大体一人でふらふらしてて。


 相馬くんは、本が好き。

 いつも本屋さんで、何故かすごく怖い顔で本を選んでる。でも、小さな子がぶつかって落とした本を何も言わずにちゃんと直したりする。


 相馬くんは、コーヒーが好き。

 時々週末にカフェに行って、本を読みながらコーヒーを飲んでる。いつもちゃんと美味しかったです、とお礼を言ってから帰る。

 

 相馬くんは、やさしい。

 ゴミが落ちてたら、人に見られないようにこっそり拾って捨てたりしてる。図書室によく居て、出しっぱなしの本だとか椅子だとかをこそっと片付けたりする。


 ……ごくまれに友達と話している時に笑った顔が、ちょっと犬みたいでかわいい。


 そんなふうに相馬くんのことをひとつずつ知っていった私は、ある日気づいた。


 ……わ、私の方が、ストーカーだっ!!


 最初のきっかけは小さな秘密がバレたこと。

 それを言いふらされたくないからって、私はずっとずっと彼のことを目で追ってて。


 小さな小さな優しいところを知って、素敵なところを知って。いつの間にか、相馬くんのことが気になって仕方なくなってた。


 でもね、直接話したことは結局一年生のうちは一度も無かったんだよ。一度も話したことのない人が……その、気になるのは、変だよね。


 だから二年生になって。

 同じクラスに相馬くんの名前があった時は嬉しかった。話かけようと思ったけど、なんて声かけたらいいのか全然分からない。


 だってよく考えてみたら、私が一方的に相馬くんのことを知ってるだけで、もしかしたら向こうは私のことなんて知らないのかもって。


 そんなある日。

 相馬くんの方から話しかけて来てくれた。

 あの時は嬉しかったなあ。私はもう緊張して、ただ笑うしか出来なかったけど。


 それからほんのちょっとずつ話をするようになって。隣の席になれて。ハルちゃんの隣の家だって知って。一緒にごはんを食べれて。連絡先を聞けて。


 二年生になって、嬉しいことがたくさん。


 そうそう、ハルちゃんと三人で一緒にごはんを食べたとき。相馬くんが明日本屋に行くって言ってて、私すごく気になったなあ。


 他にどんな本読むのかな。おすすめはどんなのだろう。私の好きな本、読んでみてほしいな。相馬くんの好きな本、教えて欲しいな。


 私はみんなといるのが好き。一人も好き。本を読むのが好き。ハルちゃんのことも好き。

 そしてもうひとつ、私の好きが増えた。



「――だから、なんで相馬くんを好きになったかって聞かれたら。こんな感じ」


 私は恥ずかしくなって、思わず枕に顔を埋める。


 ……あれ。ハルちゃんから反応がない。

 おかしいな、もしかして寝ちゃったのかな、なんて思いつつ顔をあげる。


 ハルちゃんとぱっちり目が合う。

 じとりと、納得のいかないような目。

 可愛いなあ、なんて思って見ていたら。


「…………え? そ、それだけ?」


 ハルちゃんは困ったように眉を寄せて声を漏らす。……ん? それだけ? って、ど、どういうことかな……。私、なんか変なこと言った?


「え? な、なにかおかしかったかな……」


 あまりに予想と違う反応に私が狼狽えていると。


「……葵ちゃん、私、言っとくけど負けないから」


 ハルちゃんはそう前置きして、叫んだ。


「私の方がせんぱいのこと、好きだから。そ、そんな小学生みたいな理由に私は負けないからっ!!」


 な、なな…………。し、小学生……?


「わ、私の方がひとつ先輩なんだよ!? それに、小学生みたいってなに!? す、好きになるってそういうものでしょ? そこまで言うなら早くハルちゃんの聞かせてよ!」

「私はその、せ、せんぱいの晩ごはん食べたことあるもん!」

「ず、ずる……じゃなくて! 理由になってないよ!」


 私が言い返すと、ハルちゃんは身体を起こして意地悪そうに笑う。

 

「葵ちゃんが一年間だらだらしてた分、私がリードしてるから。おうち、隣だから」

 

 ……良かった。いつものハルちゃんだ。

 私はそのことに心の隅で安堵しつつ、それとは別の部分に焦りを感じる。


「は、ハルちゃん……? あの、抜け駆けとかしないよね? 私たち、かくしごとは無しだよね?」

「しないよ? わたし、しない」


 ハルちゃんは私から大きく顔を逸らしてカタコトみたいな声で言った。……お、おかしいな。なんでそんなそっぽ向いてるのかな。


「でも、もし間違いが起きたら、その時は……し、仕方ないよね? うん、仕方ない」


 一人納得するハルちゃんに、私はごくりと息を呑む。ま、間違いってなに……? 

 

 ……私は、今まで油断してた。相馬くんと話が出来ただけで嬉しくて、幸せで、それだけでいいなんて思ってた。


 でも、まさか。まさかこんなに近くに、恐ろしいライバルがいるだなんて思いもしなかった。私のいとこ、可愛い妹みたいな女の子。


「……わ、私、せんぱいをデートに誘おうかな」


 見ると、いつの間にかハルちゃんはLINEを開いてなにやらすいすい打ち込もうとしている。


「ハルちゃん!? ちょっと、待っ、あ! な、なんで相馬くんのLINEを……ど、泥棒猫だ!」

「ど、泥棒猫っ!? あ、葵ちゃんのものじゃないから! 早いもの勝ちだから!」


 ベッドの上で私たちはどたばたスマホを奪い合う。


 は、ハルちゃんは。この、私のいとこで後輩の女の子は。


 ――私の、ライバルなんだ。




***



 ――風呂から上がり、布団で本を読んでいると俺のスマホがぶぶっ、と二度震えた。こんな時間になんだと画面を見ると、二件のLINE。


 七瀬小春と、潮凪葵の文字が目に映った。

 

 二人の姿を思い出して、なんとも言えない気持ちになった俺は、おそるおそるそれを開く。


 …………な、なんだ……これ……?


『せんけうデートんたすゆつよ』

『相そにのいゆろゆねいゆやおほにや』

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