第21話 噛み砕かれるキャベツ
牛乳や卵なんかが残ってた気がするな、って時は大抵残っておらず。逆にあれ無かったよな、と思って買うと、あったりする。
冷蔵庫の中ってのはそういうもんだ。
そして、やっぱり我が家の冷蔵庫の中にはそんな大したものは残っておらず。
それでもなんとかなってしまうのだから、料理っていいもんだよな。
残っていたいくつかの野菜と、冷凍していた豚バラを炒めてシンプルに味付け。
味噌汁には残りふたつだった卵を落としてやる。半熟になるようにうまく調整するのにも、もう慣れた。
もう1品だが、唯一多めに残っていたほうれん草を睨んだ末に困ったときのツナ缶。軽く和えて、胡麻を多めに振って完成。
ちょうどごはんも炊けたらしい。
「七瀬、運ぶの手伝ってくれ」
「は、はい」
リビングで珍しくいい子にして待っていた七瀬は、やけに素直に皿を運んでいく。そうして席に着くと、敷いていなかったはずのランチョンマットの上に料理が並んでいた。
おそらく先日潮凪さんが来た時に使ったものを七瀬が引っ張り出して来たのだろう。
「……いるか? これ」
「先輩の味気ない料理にはこれくらいの華がないとですから」
相変わらず失礼なやつである。しかもなんでちょっと嬉しそうなんだよ。
「よし。いただきます」
「……いただきます」
二人で手を合わせ、箸を手に取ったところで気付く。メインの野菜炒めを一人の感覚で大皿に盛ってしまっていた。
「あー、悪い。いつもの癖で皿ひとつにしてたな。取り分け……」
「別にこのままでいいです」
「そ、そうか?」
七瀬はまるで気にしていないというふうに、箸をつける。俺より男らしいなお前。湯気の立つ野菜炒めをもぐもぐと頬張ると、七瀬はいつものように目を輝かせた。
「……っ。おいしいです」
「ま、残りもののあり合わせだけどな。とりあえず炒めとけば大体美味くなる」
おいしいと言われて嬉しくないやつはいない。割と味付けうまくいったな、なんて自画自賛していると、もぐもぐしている七瀬と目が合う。なんか、本当にハムスターみたいだな。すごく毛並みの良いやつ。言ったら殺されそうだが。
……そういえばここ最近かなりの頻度でこいつとごはんを食べている気がする。この状況が当たり前みたいになってきているのが怖い。
「――み、み、見つめすぎですっ! 人が食べてるところを視姦して楽しいですか!? そういう趣味があるんですか? ば、晩ごはんポイント案件です!」
もぐもくごくん、と口の中のものを飲み込んだ七瀬が叫ぶ。
「これだけで!? お、横暴だ! ……そ、そうだ! 味噌汁の半熟たまごでプラマイゼロだろ!」
俺が言い返すと、七瀬はこちらをじとりと見つめたまま汁椀を手に取る。卵を箸で割った彼女は、とろけるかとろけないかの絶妙な黄身を見るなり顔をしかめて不満そうにつぶやく。
「仕方ないですね……特別ですよ」
「いいのかよ雑なシステムだな。画期的なポイント制度はどこいった」
「たまごさんありがとう」
「聞け」
まったく。
普段はあんな態度のくせに、ごはんの時だけはこんな感じで憎めないのだからたちが悪い。
「……そういや、今日千歳とどんなこと話してたんだ?」
訊ねると、七瀬はこちらを見ることもなく答える。
「なんで私が先輩に教えなきゃいけないんですか」
なんて可愛くない後輩だろうか。
「それはそうだけどもっとさあ……。まあいいけど。友達出来てよかったな」
「先輩と一緒にしないでください。そもそも私、友達普通にいますから」
「お、俺にだっているんだからな?」
「友達って言うのは、自由ですもんね」
「遠い目で俺を見るな。ほんと人をなんだと思ってるんだ」
と、そこで俺は大切なことを思い出す。
どこかで絶対に言ってやろうと思っていたことだった。
目の前で味噌汁の卵を大切そうに食べている七瀬にむけて、俺は箸を置いて口を開く。
「七瀬、俺はお前に言わなければならないことがあった」
ごくん、と七瀬の喉の鳴る音が聞こえた。
慌てているのか、目を丸くしてきょどきょどと落ち着きがない。ふん、いつにない俺の怒りの雰囲気を感じて怯えているのだろうか?
「――やってくれたよなあ、おい……? 一体誰が、七瀬に熱い告白をしたって? とんでもない噂流してくれたなてめえ……」
だんだんと七瀬の顔が呆れたようなものに変わっていく。いやなんで? なんで逆にこいつは落ち着きを取り戻してる? メンタル鋼か?
「はあ……そんなことですか。先輩、もう演技はいいんですよ。私だって先週は葵ちゃんの前だったから気を使って話を合わせましたが、いつまでとぼけるつもりですか?」
「なに……?」
想像していたのとまったく違う反応に、違和感を覚える。七瀬がふざけているようには見えない。
「先輩が仕返しであんな噂を流したせいで、私がみんなからどんなふうに見られたか……。なんか思い出すとムカムカしてきました。これもポイントいいですか?」
「ち、ちょっと待て。な、七瀬が俺への仕返しで噂を流したんだろ?」
「な、何言ってるんですか? よく考えてみてください、私には微塵もメリットは無いんですよ? 自分を苦しめるような噂、流すわけないじゃないですか」
困ったようにこちらを見る七瀬に思わず息を呑む。それは分かっていた。だからこそ聞きたかった。そんな噂を流すメリットはないのに、なんでそんなことをしたのかと。
「なら、千歳か……? いや、でもあいつは」
「ちー、いえ、千歳さんはむしろ私にも噂の真偽を確かめてきたくらいですから違いますよ」
「じゃあ、一体……」
考え込む俺に、七瀬は優しく微笑みかける。
「せんぱい。素直になりましょうよ? ね? むしゃくしゃしたせんぱいは、可愛いかわいい後輩に告白したという事実を手に入れるためにあんな噂をほんの出来心で」
「いるかそんな事実!」
「……え? 本当に違うんですか?」
「違う」
そんなまさか、という顔をする七瀬。
つまり俺は七瀬が、七瀬は俺がこの噂を流していたとずっと思っていたわけだ。
「それが本当なら、誰が……?」
七瀬がぽつりと漏らす。俺は最後の一口だった和え物をよく噛んで飲み込む。俺でも七瀬でも無いというのならば。
「――もし、俺が七瀬に熱い告白をしたという噂が流れれば、誰が一番得をすると思う?」
「そんな人いません。世界のみんなが悲しみます」
「おい」
しかしそうだ。誰も得をしない。
つまりは……。
俺は麦茶を飲み干し、真剣な顔で言う。
「どうも俺たちを陥れようとしている奴がいるらしいな……」
「私はまだしも、先輩なんかを陥れてどうするんですか」
ひどくない? 毎回さあ。ちょっとくらい、格好つけさせてくれてもよくない? 前もあったよねこんなの。
「まあ、わかりましたよ。私たちに嫌がらせをしている奴がいるということですね。どうりで……」
七瀬はなにか納得したようにふむ、と頷く。
「なにか心当たりがあるのか?」
「いや、なんだか視線を感じるなあって結構前から思ってたんですけど」
視線……?
そこで気づく。
「そういえば七瀬、さっき帰り道でもなんか気にしてたよな? ……見られてた、ってことか?」
「ま、まさか。でも、確かになんだか変な感じがして」
「そうだ。前にも七瀬、潮凪さんに言ってたよな? 最近怪しいやつが出る、って。それも――」
「いや、それは先輩のことです」
「俺かよ! 紛らわしいわ!」
まったく緊張感がないというか……。
こいつには怖いものはないのか?
「で、でも。もし本当に誰かにつけられてたり、ずっと見られてたのだとしたら、わたし……」
七瀬は口ごもる。つい先程まで進んでいた箸も止まってしまった。
そりゃ、そうだよな。こいつも女の子なんだ。誰かに見られているかもしれない、陥れられようとしているかもしれないってのに平気なはずがない。
潮凪さんにも頼まれてるんだ。
こういう時は俺が支えになってやらなくては。
「……わたし、仕返ししてやりたいです」
「ああ、俺が……」
…………え?
なんて言った? と俺が聞き返す前に、七瀬の箸が残りわずかな野菜炒めに伸びて。
ばりっ、とキャベツが噛み砕かれた。
「もし勝手に噂を流した人がいるんだとしたら、ですよ?」
ごくり、と今度は俺の喉が鳴る。
七瀬はぺろり、と小さく唇を舐めて。
深く、暗く染まった瞳で俺を見て、言った。
「――ねえ、せんぱい。このままで終わらせるわけにはいきませんよね?」
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