第19話 友達

「せんぱい今日は別の女の子ですかぁ。楽しそうでなによりです」


「こ、これはだな……」


 七瀬がここいいですか? と千歳に優しく訊ねると、「あ、はい」と大人しく一人分のスペースが空く。おい千歳、さっきまですげえ強気だったろ。なに弱気になってんだ。気合い入れろ。


「あの人が見たらなんて言うんでしょうね?」


 俺はごくりと喉を鳴らす。きっと潮凪さんのことだろう。まあもう一部始終を見られているようなものなので、手遅れと言えば手遅れだが。

 というか、別に俺は彼氏でもなんでもないので見られても多分何も起きないのが悲しい。


「こんな可愛い女の子をカフェに連れ込んでこそこそと。一体どういうつもりなんですか?」


 七瀬が言うと、隣で千歳が『えっ……? か、かわいい?』みたいな顔をする。ちょろすぎるだろキャラ崩壊してるぞ戻ってこい。


「いや、連れ込んだのは」


「連れ込んだのは?」


 俺の言葉を遮るような七瀬の透き通った声。

 続くようにして、ゆっくりと千歳が指をこちらへ向ける。

 

「う、裏切ったな千歳てめぇ!」

「長いものには巻かれるんですっ!」


 そこでちら、と七瀬が千歳を見る。そうして自らのお腹の辺りを眺めたかと思うと、きっ、とまた俺を睨みつけた。


「また、おっぱいですか……」


 ぼそり、と冷たく低い声が響く。


「断じて違う! ち、千歳!?」


 千歳は変態を見るような目を俺に向ける。完全に流れを七瀬に持っていかれている。

 助けを求めるようにマスターの方を見るが、コーヒーカップを洗うのに必死のご様子。そんなに洗うカップないだろ絶対聞こえてるだろあの野郎。


「そ、そもそもだな。こうなったのは俺と七瀬が付き合ってるとかいう噂が流れたからなんだぞ? 俺だけの責任じゃないはずだ」

「そ、それは私だって迷惑してます」


 つい、と顔を逸らす七瀬。

 自分が流したんだろうに、よく言えたもんだな……。身を削ってまで俺に嫌がらせするなんて、末恐ろしい女だ。


 しかし千歳の好きな人も絡むとなると、全てを話すわけにもいかない。千歳、頼むからなにかしらフォローを……。


「――これは、BGP案件です」


 俺の願いも虚しく、七瀬はそうつぶやいた。

 そして先ほど腰掛けていたカウンターの席に戻り、青いカバーに白の小さな花があしらわれた可愛らしい手帳を持ってきたかと思うと、そこにメモを取り始める。


 ――BGP?

 BGPって、なんだ?


「な、七瀬? そのB……」

「せんぱい、今日もおっぱいの大きな子にうつつを抜かす、っと」

「とんでもないことメモるんじゃねえ!」


 慌てて手帳を奪い取ろうとするが、動きを読まれていたのかさらりと躱される。


「な、なんてこと書いてくれてんだ」

「これはれっきとした証拠になりますからね」


 青の手帳が自慢げに掲げられる。

 一体なんの証拠だ、どうするんだよそんなのメモして……と俺たちが睨み合っていると。


「――七瀬さんって、そんなに喋るんだね」


 七瀬の横でじっと俺たちのやりとりを見ていた千歳が、ぽつりとつぶやく。


「……は、はい?」


 虚を突かれたように七瀬は横に座る千歳の方を見る。


「私、けっこうびっくりしてるんだけど」

「そ、そりゃ喋りますよ」

「クラスではあんまり喋ってないじゃん?」

「わ、私だって話しかけられたら普通に……。じ、自分からはなんて話したらいいか、きっかけがないとよくわからないですし」


 そう言ってゆるゆると俯いた七瀬の方にずいっと千歳は身体を寄せ。


「ふふ。なんか、かわいい」

「は、はあ? 何言ってるんですか」


 グラスの中でからん、と氷が鳴った。

 ……あの七瀬がうろたえている。対する千歳はというと、意味ありげにこちらに視線を送ってから続ける。


「私の好きな人がね、あなたのこと好きで困ってたの。……ちょっと嫉妬もしてたかも。だから、七瀬さんと噂になってたこの先輩に色々聞いてたわけ」


 七瀬はこちらへ一度視線を向けてから。


「あ、そういう……。で、でもわたしはその人のことをたぶん好きではないので困ります!」

「あははは、なにそれっ」


 千歳は笑う。最初、俺に向けられていたようなわざとらしい作ったような笑みではない、それは彼女の本当の笑顔に見えた。


「ねえ、私と友達になってくれない? 七瀬さん」


 さらに距離を縮める千歳。彼女に下から見上げられるような形になり、七瀬は目を右往左往させてから。


「うう……い、いいですけど離れてくださいっ」


 そう言って七瀬は恥ずかしそうに顔を逸らす。嫌そうな表情を浮かべてはいるものの、本気で抵抗をしているようには思えない。


 いったい、俺は何を見せられているんだ?


「ふふ、やった。じゃあ七瀬さん、あっちで二人でお話ししよ? ねっ?」

「で、でもまだこの人の追及が終わってな……」

「あー大丈夫大丈夫。私が後から協力してあげるから」


 なんの協力だよ。しかし、上手いこと七瀬の追及から俺は逃れられそうだ。ナイス千歳。


「……じゃあ俺は先帰ってるからな。あとは同級生同士仲良くやってくれ。ほら、これで支払い頼むわ」


 そう言って俺が席を立とうとすると、千歳から声が掛かる。


「何言ってるんですか先輩。かわいいかわいい後輩二人を置いて先に帰るつもりですか? 帰り道に襲われでもしたらどう責任取るつもりですか」

「じ、じゃあどうしろってんだよ」


 俺は今すぐにでもここから逃げたい思いで訊ねると、千歳は七瀬の肩にぽん、と手を置いて微笑む。


「かわいい後輩たちの内緒話が終わるまで、ここで待っててくださいね?」

「…………」


 カウンターの席へと向かっていく二人の背中を目で追いながら、俺はため息をつく。

 無意識に手元のグラスを傾けるけれど、薄まった水がわずかに残っているだけだった。


 手を挙げてマスターを呼ぶ。


「ブレンドひとつお願いします……」


 マスターは深く何度か頷いてから、またカウンターの中へ引っ込んでいく。

 向こうで千歳がきゃいきゃい七瀬になにか言っているのが聞こえた。


 ああ、長くなるかなぁ、今日。なんて思いつつ柱の陰から顔を出す。困ったような顔をしながらも、どこか嬉しそうな七瀬の顔が見えた。


 まあ、七瀬に新しい友達が出来たのはいいことだ。クラスでの彼女をやっぱり俺は知らないけれど、もし俺の前でそうであるようにツンツンしているのなら。千歳くらいのやつがグイグイ引っ張ってくれる方がちょうど良いのかも。


 そこでふと、ある疑問が浮かぶ。

 もし七瀬がそうであるのだとしたら。彼女は一体どうやって俺との噂を一年生の間で流したのだろうか?


 ……なんてな。あの七瀬だ、『そんなの余裕です』ってうまいことやるのだろう。きっと。

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