第18話 詳しい話、聞きましょうか

 凛としたその声は、静かな店内によく響く。

 その姿は柱が影になって見えない。けれど、まさか。


「あれ、。どうしたの今日は? 珍しいね。あっちのバイトは休み?」


 俺の嫌な予感は、マスターのその一言で確信に変わった。思わず千歳と顔を見合わせる。きっと俺たちは変顔日本選手権準優勝くらいの驚愕に満ちた顔をしていたはずだ。


「はい。ひまだったので。相変わらずマスターも暇そうですね」

「ははは、痛いとこつくなぁ。平日はこんなもんだけど、土日は大盛況だからいいの。シフト、今週も入ってたよね?」

「はい。土曜日に」

「よろしく頼むよ。小春ちゃん、可愛いしみんなの反応いいんだから」

「セクハラですよ。土曜休みます」

「はっは、冗談きついなあ! ……冗談だよね? こ、小春ちゃん? ねえ? 悪かったって! ほ、ほら、好きな所でゆっくりしてっていいから」


 七瀬はマスターを無視したまま辺りを見回す。視線がぶつかる直前で俺と千歳は全力で身体を捻り、机に伏せて隠れた。


「…………?」


 制服は見られても顔までは見られていないはず。うちの高校の生徒がここにいるのは珍しいのかもしれないが、ここ小鳥遊珈琲店は学校から徒歩圏内。同じ制服を着たやつがいたとして、多少違和感はあれど不自然ではないはずだ。


 七瀬はというと、どうやら俺たちの席から直接は見えないカウンターの端の方の席に腰掛けたらしい。ど、どうにかやり過ごしたか……。


 なんて安堵していると、千歳の頭を押さえつけていた手が振り払われる。


「な、な、なにするんですか急に!」


 お怒りのようだがちゃんと空気を読んでか、声のボリュームはかなり抑えられていた。千歳の乱れた前髪の間から見えるおでこがほんのり赤くなっていて、なんだか申し訳ない気持ちになる。


「危ない所だったな」

「助けたみたいに言わないでもらえますか?」


 刺さるような鋭い視線。こっちも必死だったんだよ。


「てか、なんで隠れるんですかっ! まさか先輩、私を騙してるんですか? 実は二人は付き合ってて、俺たちだけの秘密だ……とかやってるんじゃないでしょうね! むしろ好都合ですけど!」

「ば、ばか! こんな所をあいつに見られてみろ! 放課後の落ち着いた雰囲気のカフェに高校生の男女二人。目撃者は七瀬だ。まず間違いなく俺とお前が付き合ってるって噂が流れるぞ!」

「……そ、それは。かなり困りますね。しかも先輩とですよね? きっつ」

「おい」


 今年の一年生はこんなのしかおらんのか? 


 しかし七瀬のやつ、バイトをしているのは知っていたが、まさかここで働いているとは。なんてタイミングの悪い……。

 というかカフェで働いてるのに、俺の家でカフェラテ作るの見て『ほおお』とか言ってんじゃねえよ。


「で、でも先輩。どうするんですか。これじゃあ帰ろうにも鉢合わせしちゃいますよ」

「七瀬のやつがとっとと帰ってくれるといいんだが……」


 俺と千歳はちょうど陰になっている柱から顔を出し、こっそりと七瀬の方を覗き見る。どうやら彼女はコーヒーを飲みつつ本を読もうとしているらしい。


「どう見てもしばらく帰りそうにないな」

「ああやってカフェで本を読む自分に酔ってるんですよあいつは。しかも読んでるのは絶対かいけつゾ○リとかですよきっと」


 お前の中の七瀬、どんなイメージだよ。

 懐かしいな昔好きだったわそれ。

 まあいい。今考えるべきは、七瀬と鉢合わせせずにここを抜け出す方法だ。


「なあ、一つ確認なんだが。七瀬は、千歳のことを見たら気づくのか?」

「同じクラスなんでまあ、多分ですけど」


 多分て。しかしなるほど。それならば……。


「……先輩。私にいい考えがあります」


 俺が何かを言うより先に、千歳が自信ありげに笑みを浮かべた。


「なに? まじかそれは助かる」

「私たちだと気付かれないくらいに、めちゃくちゃ変顔したままお会計しましょう」

「お前、さてはバカだな?」


 俺に殴りかかろうとする千歳をなだめつつ考える。

 この状況では一人ずつの退店がベストだと思っていたが、千歳のことを七瀬が知っているのだとすると、一緒にいた男子生徒だけ置いていくのはかなり不自然だ。極力リスクは排除する形でいきたい。となると。


「ここは任せろ。俺にいい考えがある」

「いいんですか? ごちそうさまです」

「そっちじゃなくてね? そっちを任せろじゃなくて」


 ぺこりと頭を下げた千歳の前で俺はスマホを取り出すと、つい先日手に入れたばかりの七瀬の連絡先を開く。

 そしてそこに、『今、電話出来るか?』と打ち込んで送信。後は七瀬がこれに気付くかどうかだが……。


 少しの間を置いて、七瀬はその連絡に気付いだらしい。画面をしばらく見つめていたかと思うと、あたりをきょときょとと見回してソワソワし始める。


「どうしたの小春ちゃん。なんかいいことでもあった?」

「いいい、いえ別に。ち、ちょっと電話を」


 カウンター越しにマスターから訊ねられた七瀬は、挙動不審な様子で店から出て行く。どれだけ俺からの電話が嫌なんだよあいつは。


 その様子を見ていた千歳は感心したようにこちらを見ると。


「な、なるほど! これで七瀬を店から追い出すことに成功というわけですね? それで、この後どうするんですか?」

「後は普通にお会計して退店すれば……」


 い、いや待て。よく考えると七瀬を店から出したはいいが、あいつが店のすぐそばに居たらどうする? むしろ下手に店から出してしまったことで、あいつの動きが掴めないじゃないか。


 このまま一人ずつ出るか? いや、それでは先程の状況となんら変わらない。まったく俺らしくもない。千歳のバカオーラにあてられたか……?


「なんかすごく失礼なこと考えてませんか?」


 千歳がぼやくと同時、ぶるりと手元でスマホが震える。『なんの用ですか』という七瀬からの返信だ。


 とりあえず外に出た彼女の動きを追おうと窓から外を覗いてみたところで。


 すぐそばに立っていたらしい七瀬と、窓越しに目が合った。


 そのガラス玉みたいに大きな瞳に、整った顔。どこか緊張した面持ちであたりを見回していた七瀬は俺を視界に捉えると、ぎゅっと一度目を閉じてもう一度開く。俺はというと、考え得る限りの変顔で他人を演じることにした。


「……なにしてるんですか先輩。私の変顔でお会計の案、いつの間に採用されたんですか」


 向かいの席で千歳が怪訝な顔をして言う。

 ああそうだな、むしろその案を採用した方が俺はもう少し長く生きていられたのかもしれない。


 からん、と入口のベルが鳴る。

 今度は嫌な予感はしなかった。代わりに、俺は死を覚悟する。


 再度入店してきた七瀬小春は、ゆっくりと俺と千歳が座るテーブルの前まで来る。千歳を見て一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたあと、俺がいつも何度も家で見てきたあの笑顔で、言い放つ。


「せんぱい? 詳しい話、聞きましょうか?」

 

 俺、そろそろお祓い行っとく?



 

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