第17話 小鳥遊珈琲店

 放課後。

 俺は、くだんのカフェにいた。千歳に指定されたのは学校から徒歩圏内の『小鳥遊たかなし珈琲店』だった。


 七瀬に噂のせいで呼び出されたことについて連絡を入れるか迷ったが、とりあえずは辞めておく。まだ話が見えない以上、余計なことは言うものではないと判断した。


 まあ、原因があいつにあるのはおそらく間違いないのだが……。


 俺は手元のアイスコーヒーを啜る。しっかりと酸味が利いているとは思うものの、正直その良し悪しが分かるほどには俺の舌は肥えていない。が、わりと好みの味だった。


 静かな店内を見回す。特に音楽が流れているわけでもなく客もほぼ居ない。雰囲気も良く、落ち着いた空間ではあるが、高校生が気軽にふらりと入る感じの店ではないように見える。


 それで。

 当の千歳憂ちとせういは、なぜいないんだ。

 時計に目をやる。約束の時間などは決まっていないが、それなりにゆっくり来たつもりだ。


 もはやここでの待ち合わせ自体が俺への嫌がらせで、一人でコーヒーを飲まされるだけなのかもしれない。まあ、いい店を知れたと思えばもうそれでもいいけれど。


 なんて思った所で、入り口のベルが乾いた音を響かせる。柱の向こうで黒髪が揺れた。千歳だ。


 彼女はきょろきょろと店内を見回して、俺を見つけるとその目を大きく見開いた。

 そうして真っ直ぐに俺の元へ進むと、目の前の席に当然のように腰掛ける。


「あ、アイスコーヒー、お願いします」


 注文を取りに来た店員にそれだけ返すと、彼女は興奮気味に机から身を乗り出す。


「ここにせんぱいが居るってことは、そういうことですねっ!?」


 千歳は鼻息荒く俺に言った。

 なんでこいつはこんなに嬉しそうなんだ。

 俺はその圧に負けないように冷静に答える。


「いいや違う。そういうことじゃない場合にどうしたらいいか分からないからここに来た」


 俺が言うと、千歳は「は?」と怪訝な顔でこちらを見る。そして納得いかないように首を傾げた。


「ど、どういうことですか。付き合っているからここに来た、そうですよね?」

「付き合ってない。ただ、付き合っていない場合についてこれに書かれてなかったから来たんだよ」


 手紙を机の上に置き、コーヒーに口をつける。俺がグラスを戻した所で、千歳の前に注文したアイスコーヒーが置かれた。彼女はそれに目も向けずに口を開く。


「付き合っていないなら来なかったらいいだけじゃないですか」

「……変な勘違いされても困るからだ」


 念のためだ念のため、と俺が言うと、千歳はなんですかそれとぼやいて続ける。


「じゃあ先輩は、七瀬小春とは付き合っていないと?」

「そうだな」


 答えると、千歳はひどく残念そうにため息をつく。なんなんだよ、どんな感情の入り混じったため息だそれは。


「とんでもない告白をして、振られたと?」

「違うそうじゃない」


 やはりそういう話になっているのか……。


「そもそもな、俺は告白なんてしていないぞ」

「え? で、でも。告白して成功したらしいぞって話もちらほら出てますもん」


 道理で。今朝の一年生男子三人組の顔が目に浮かぶ。噂に尾ひれどころか羽生えとるわ。羽生えて飛んでるまである。


「いいか千歳。それは全部噂で嘘だ。俺は七瀬に告白もしていなければ付き合ってもいないし、まじで何もない」

「そ、そんなあ……」


 悲しそうな顔をして千歳はストローを咥える。肩を落として飲む姿がやけにシュールだ。

 しかし、なんでこいつが残念がる? ラブレターとか言って呼び出しといて、悲しい気持ちなのは俺の方だというのに。


「なんだよ、それを聞くためだけに呼んだのか? わざわざあんな真似までして」

「いやまあそうですけど。……はああ。じゃあ先輩は、見かけによらず全く興味もない女の子と仲良く買い物袋を持って夜道をいちゃつきながら一緒に歩いちゃうただのスーパーヤリチンってことですね?」

 

 ……ん?

 言葉としては聞こえたが、それに理解が追いつかない。


「……な、なんて?」

「スーパーヤリチン」

「その前だ」

「夜道をいちゃつきながら一緒に……?」

「な、なんでそれを」

「先週、コンビニで見ました」


 さらりと言ってのける千歳。

 な、なんだと……?

 そろそろ俺の間の悪さにも驚きを通り越して

 感心してくるぞ、おい。


「私、家あの辺りから近いんですよ。夜アイス買いに行ったらあれ? そうじゃね? って。噂も知ってたので、ああこれはそういうことかなと思いまして」

「そ、そのこと。誰かに言ったか?」

「いえ。まだ」


 千歳はくるくるとストローで黒い液体を混ぜる。結露した水滴がグラスをつたい、机を濡らした。


「つまり先輩は、何もない後輩と一緒に夜道を歩いたりしちゃうわけですか。つまらないですつまらないです」

「…………」

「――噂通りとっととそのまま付き合ってくれたら、よかったのに」


 彼女は頬杖をついて、冷めた声で漏らす。千歳が何が言いたいのか、ぼんやりとだが分かってきた。


「でも先輩。何もないのに夜二人一緒ってのもおかしな話ですよね? 先輩は、七瀬小春とはどういう関係なんですか?」

「別に、家がご近所さんってだけだ」

「本当にそれだけですかあ? 先輩はそう思ってても、向こうはどう思ってるか分かりませんよ? あの七瀬が男子と歩いてるとか、実際見るまで想像つきませんでしたもん」


 想像つかないことはないだろう、と思うけれど、俺が知っている七瀬と彼女の見ている七瀬とでは、全てが同じではないのだろう。きっと。


「……そうまでして七瀬に誰かとくっついて欲しいと思うってことは、なにか理由があるんだよな?」

 

 訊ねると、千歳は一瞬だけためらうような素振りを見せる。そして「まあいいか」とつぶやいてから。

 

「私の好きな人が、どうも七瀬小春のこと気になってるみたいで困ってるんですよね。なのにあいつ、男に興味ありませーんみたいな顔してるじゃないですか。結構、腹立つんですよね」


 千歳は笑顔で言う。


「だからもし先輩が付き合ってくれたのならラッキー、って。それで、確かめようとしたんです。ラブレターですとか言えば先輩、彼女いるからって断るかなと思ったら受け取るし。いやマジなんで? って思ったらこれですよ」


 なるほど。まあ言いたいことは分からないでもない。しかし、女子の世界も色々と大変なんだなと月並みなことを思う。


「……あはは。いやな女だな、って思いました?」


 少し自嘲気味に千歳が聞いてくる。


「いや? 同じことがあったら俺の方が嫌な男になれる自信があるぞ? ……大体、知りたいことがそれなら普通に聞けば良かったろ、俺に。そんな回りくどい事しなくてもさ」

「それは、まあ。そうですけど。面と向かって知らない先輩に話しかけるって緊張するじゃないですか」

「あんなことしといて何言ってんだお前」

 

 けらけらと笑う千歳。目元の印象的な泣きぼくろが目に映る。


「でも私の気持ちが分かるってことは、せんぱ……」


 と、そこでからんとまたベルが鳴った。

 どうしてかわからないけれど、とても、とても嫌な予感がした。


「――あ。マスターお疲れ様です」


 それは聞き覚えのある、声だった。


 

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