第16話 付き合ってない場合は
ああ。こんなに気まずい朝の時間は、一体いつぶりだろうか。
「せ、先週はありがとね?」
潮凪さんは隣の席から俺にぎこちない笑みを向ける。
「こ、こちらこそ」
ちら、ちらと俺の制服のポケットの辺りに向けられる潮凪さんの視線。そこには、先程の見ず知らずの後輩から貰った手紙が入っている。
「相馬くんってモテるんだねぇ……」
潮凪さんの感心したような呟きに、俺は咳き込む。
「な、なわけないから。これは違うから。あれだから。回覧板だから……」
「か、回覧板? で、でもあの子はラブレターって……」
「い、いや……それなら潮凪さんの方が貰ってたりとか」
「っ! わ、私は全然っていうか……」
冷や汗がすごい。俺は何も悪いことをしたわけじゃないのに、なんでこんなにいたたまれない気持ちにならなくちゃならない?
潮凪さんは俯いたまま、鞄をごそごそとやっている。先週末はあんなに自然に会話ができたというのに、また逆戻りだ。
そもそも、誰なんだあいつ。
千歳憂、と言ったか? 名前すら聞いた記憶が無い。
……くそ。それなりに生徒がいた時にあんなことを言い出すものだから、クラスメイトからもちらほら変な視線を向けられている気がしてならない。
俺は大きく深呼吸をする。慌ててしまえばより注目を集めてしまう。冷静に、なんてことはない風を装うんだ。そう、自分はエビフライだと思え。
……でも俺、今までラブレターなんて貰ったことがあっただろうか。最近は貰ってないな、なんて格好つけようと思ったけれど、最近どころか遡れば幼稚園の時にみほちゃんから落書きの紙をもらって以来かもしれない。
今時ラブレターなんて絶滅危惧種だとばかり思っていたけれど、まだ残っていたとは。
てか俺、本も電子じゃなくて紙派だし、告白もメールとかじゃなく対面がいいよな。うん。俺ももし告白するなら絶対直接言う。
……とか言ってる場合じゃねえ。
俺はポケットに入っているラブレターとやらを握りしめる。こいつの中身を、確かめなければ。
そもそもだな。好きです付き合ってくださいとでも言われて渡されたならまだしも、『ラブレターです♡』なんて言って渡されたのだから、からかわれている可能性は高い。
――でももし、告白だったら?
……もしそうだったら、俺はどうするのだろうか。千歳憂。彼女の顔だけ見れば、俺なんかには勿体無いと周りは口を揃えて言うだろう。
断りでもすれば、何様だと言われるのも目に浮かぶ。そして七瀬なら……。
いや、なんで七瀬なんだ。俺は頭を振って集中する。潮凪さんがいるだろ、俺には。
もしその思いが叶わないのだとしても、ほいほい楽な方に逃げるような男にはなりたくない。
ごくりと勝手に喉が鳴り、続けてホームルームの開始を告げるチャイムが響く。
少し遅れて入ってきた先生を合図に、日直が号令をかける。そうして席に着いた俺は、誰にも見られないように手紙をゆっくりと開いていく。
ふと左を見ると、潮凪さんが興味津々といった様子で俺の手元をじっと見ていた。
「…………あ」
慌てて潮凪さんはぱっ、と顔を逸らす。なにそれ可愛い。もしかして、少しでもこの手紙のことを気にしてくれているのだろうか。
まあそんなはずはないと分かっていても、俺は気を強く持たなければいけない。好きな人がいる男は、こんなものに惑わされているわけにはいかないのだ。
かさり、かさりと手紙を開いていく。
可愛らしい金魚の絵が描かれている。気がつかなかったが、紙自体も少し変わった素材だ。和紙に近い風合いを感じる。
高鳴る心臓と震える手元をどうにかおさえつつ開いた手紙には、丸みを帯びた字でこう書かれていた。
『――相馬先輩へ。
七瀬小春と付き合ってるんですか?
もしそうなら、今日の放課後下記のカフェまで来てもらえますか?
千歳』
手紙の下の方には、おそらくそのカフェのものであろう店名と住所が記されていた。
それを読み終えた俺は、おそるおそる手紙を裏返してみる。そこには何も、書かれていなかった。
左を見る。潮凪さんはわくわくした目で俺の方を見ていたけれど、また慌てて顔を逸らす。これもう楽しんでんな、この子。
――しかし、なるほどな。
俺はひとつ息を吐いて頷くと、手紙をゆっくりと折りたたみ、頭を抱える。
で?
付き合ってない場合は?
あと俺のドキドキ返せ。いや最初から分かってたけども。……泣いていい?
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