第12話 グリーンカレー

 ――とんとんとん、と手際の良い包丁の音が聞こえてくる。


 台所には髪を後ろでひとつに束ね、持参していたらしいカーキのエプロンを身に纏った潮凪さん。ひらひらした花柄なんかを想像していたので、そのギャップがまた素晴らしい。


 こうして台所に立つ彼女を眺めていると、まるで俺たちが夫婦のように錯覚してしまう。

 そして、可愛い一人娘……。


 俺が温かい目で七瀬を見る。

 結果的にはこいつもなんだかんだ晩ごはんの同席を了承してくれたのだからいいやつだ。


「なに考えてるんですか家燃やしますよ?」


「やめ……お前の家も燃えるけどな! ……いいか七瀬、潮凪さんの手料理に免じてまあ今日のところは見逃してやるが、覚えとけよお前」

「はあ、人様が作ってあげたチャンスに感謝もせずなに言ってるんですか」


 七瀬からため息が漏れる。


「いや、ちょっと振り返ってみたけど大概邪魔しかしてないよな」

「大体ですね、せんぱいはなってませんよ。普通女の子が、しかも好きなひとが重そうな買い物袋を持ってたら『持とうか?』くらい聞くべきですし、今も『何か手伝おうか?』とか言うもんですよ」


 俺はその言葉にハッとする。

 た、確かにそうだ……。

 まさか七瀬にまともな指摘をされるとは。俺は思わず頬をかく。


「す、好きな人相手だと萎縮しちゃうだろ? ほら、なんかわざとらしいかなとか」

「……つまらないこと考えてないで、とっとと行ったらどうですか。早くしないと手遅れになりますよ?」


 しっしっ、と手で俺を追いやる七瀬。

 うるせえな。ったく。しかしまあ、もしかすると七瀬なりに応援してくれているのかもしれない。

 ……だが、手遅れとは?


 俺は立ち上がり、潮凪さんのもとへ向かう。

 先程からちらちらと盗み見てはいたが、包丁捌きも含め手際良く作業をしているように見えた。調理しながら洗い物も同時に進めるあたりはさすがだ。


 そこですん、と息を吸い込んだ俺は異変に気づく。

 待て。これは一体、なんの香りだ……?


「潮凪さん、どうですか? もしよかったらなにか手伝いましょうか?」

「あ、大丈夫だよ! あとは煮込むだけだから! ふふ、ありがとう」

「い、いえ、そうですか。へえ、今日のメニューは……メニューは……めっ?」


 な、なんだこれは?

 見ると、鍋の中では緑色の粘度の高いどろどろとした液体がかき混ぜられていた。


 鍋を驚愕に満ちた顔で覗き込む俺に、潮凪さんは嬉しそうに微笑みかける。


「えへへ、今日はカレーだよ! 普通じゃつまらないかなって、グリーンカレーにしてみました!」


 グリーンカレー、だと? 俺は台所に残された食材へ瞬時に目を向ける。おかしい、グリーンカレーは本来その名の通り緑色のハーブ等を使って作られるもの。


 しかしここにあるのはゴーヤにオクラ、ほうれん草の緑系の野菜と海ぶどう。あとは通常のカレーの具材。その他にはめぼしいものは見当たらない。ゴーヤが今の時期になぜ……? う、海ぶどうは5月は旬でもある。だからなんだ。見なかったことにする。


 てっきり袋の中の具材からして、ゴーヤチャンプルーなどの沖縄料理でも作るのかと思っていたのだが……。

 俺が何かを察してリビングの方を振り返ると、七瀬と目が合う。彼女は小さくべっ、と舌を出した。


 ――俺の好きな潮凪さんが、おかしい。

 まさか、七瀬が必死に晩ごはんを止めていたのはこのせい…?


 俺は大人しく潮凪さんのもとへとカレー皿を運ぶ。

 いや、何事も見た目で判断するべきではない。全ては食べてみてからだろう。


 俺は使った記憶のないランチョンマットを引っ張り出すと、机に並べつつ七瀬に話を振る。


「今日はカレーらしいぞ。やったな」

カレーですか?」

「……グリーン」

「そう来ましたか……」


 今日カレーよ! と母に言われてやったあ! カレー? と聞くやつはまあいないだろう。つまりは、きっとそういうことだ。


 俺は覚悟を決める。好きな人への愛は、味を超えることを証明するときが来たらしい。


 七瀬は、机の上に広げられるランチョンマットを見つめつつ、俺には届かないくらいの声でなにかを小さくつぶやいた。


「……私のときには、敷かないくせに」



 ***



「お待たせしました〜、それじゃあ食べよっか」


 三人では少し手狭な机の上に並べられた、潮凪さんの手作り料理。このシチュエーションだけで生きていて良かったと実感する。


 はずなのだが。


「今日はグリーンカレーと、オクラのあえものだよ。沢山あるからいっぱい食べてね?」


 なるほど、海ぶどうたちはどこへ消えた?

 俺は考えることをやめた。

 しかし天使の微笑みでそんなことを言われてしまっては、俺はいっぱい食べるしかない。

 

「「「いただきまーす」」」


 手を合わせ、三人同時にスプーンを手に取る。

 ちら、と七瀬を見ると、どうやら俺がこのグリーンカレーを口に運ぶのを待っているらしい。


 俺は視線をそのまま右に向け、潮凪さんを見る。彼女もどうやら俺が一口目を食べるのを待っているらしい。ったく、まったくどいつもこいつも。


 ――漢ってもんを見せてやる。


 震えるスプーンで俺は緑色の何かをごはんと共にすくうと、堂々と口へ運ぶ。

 そうしてゆっくりと咀嚼して、飲み込む。


「……お、美味しい!」

「ほ、ほんと? 良かったあ」


 俺が言うと、そわそわとこちらを見ていた潮凪さんがぱああっと嬉しそうに笑った。隣で七瀬がやけに驚いたような目をしている。


 嘘ではない。

 いや、確かに普通のカレーがいいけどさ。

 しかしこの緑色と粘度からは想像がつかないほどにこのグリーンカレーもどきはまともな味をしていた。ゴーヤにオクラも入ってどこか夏野菜カレーの雰囲気。


 なにより、潮凪さんが俺のために作ってくれたというだけで幸せだ。


 ぷち、と何かが口の中で弾ける。

 …………うん。やっぱりいるよね。感想に困るが、カレー味の海ぶどうだわこれ。


「ちっ……大当たりか」


 左で七瀬が呟く。こ、これで……? 聞こえない、聞こえない。

 

「今日はね、ちょっと食感で抜け感を出してみました」

「なるほど」

「抜けたよね」


 七瀬と二人で適当なリアクションを取りつつ、食べ進める。七瀬お前雑すぎないか?

 潮凪さん、ファッションみたいなこと言い出したが、これはカレーだ。しかもどちらかと言うと足してる気がしてならない。


「それで、二人はどこで出会ったの?」


 思わずカレーを吹き出しそうになってどうにかおさえる。どこかで来るだろうなとは思っていたが、まさか初手とは。


 なんと答えるべきか。まさか公園で愛を叫んでいたところを、なんて本当のことを言うわけにはいかない。七瀬はというと、俺の方を見ることもなく話しはじめた。


「……一ヶ月前くらいかな。夜にね、ピンポンが鳴ったから出てみたらこのせんぱいが立ってて、『晩ごはん作りすぎちゃったから、いかがですか? げへへへ』って」

「最後足すな。抜け。抜け感を出せお前は」


 潮凪さんがくすくす笑う。

 わ、笑ってくれた……なにこれ嬉しい。

 七瀬は続ける。


「そうして初対面にも関わらず、ごはんを餌にまんまと家に上がり込んだせんぱいはね、私に食べさせながら聞いたの。『げへへ、旨いか? 俺のは?』って」

「ぬ……足せぇ!」


 誤解を招くだろうがと思わず突っ込む。

 潮凪さんは意味を分かっているのかいないのか、可笑しそうに笑い続けている。

 こうやってよく笑ってくれる人、いいよなぁ……。


 しかしなんだ、七瀬のやつとんでもないことを言い出すかと思えば、それらしい嘘を冗談ぽく話してくれるとは。貸しひとつですよ、みたいな顔してるが今日は許そう。


 しばらく笑った潮凪さんは目尻をおさえつつ。


「ほんとに仲良いんだねぇ。二人とも、なんだか夫婦みたい」

「「ふっ!?」」

「な、何言ってんですか潮凪さん。なあ、七瀬」

「…………」


 ……死ぬほど不満そうだな、おい。








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