第6話 俺のごはんと、俺とごはんー②

「くそおおおおお!」


 それは俺の、心からの叫びだった。


 なんなんだこいつ。潤んだ瞳にわずかに震えた声、赤みがかった頬。まさに完璧だった。目の前にいたのは、どう見ても俺を好きな後輩の女の子。だと、錯覚するほどの自然な演技。


 童貞を殺す方法? 七瀬に聞いてください。


「せんぱいせんぱい。それで、えーっと、私の好きな人がなんでしたっけ?」


 彼女のその声にまで、勝利の色が混ざっている。

 完敗だ。もう清々しいほどの完敗。

 途中なんて俺一人で伏線回収に行っちゃってたからね? そもそもそんな伏線など存在しなかったのに。全て俺の勘違いだった。


 うまく事は進んでいると確信して一人で勝手に盛り上がって。その実、七瀬の手のひらの上でコロコロ転がっていたのは俺のほう。


「単純なせんぱいのことですから、どうせ私の好きな人を突き止めて、それをネタに脅して俺の命令で健気な後輩をあられもない姿にしてやろうだとか想像していたんでしょう?」


「くっ…………」


 後半部分については断固否定したい所だが、方向性は大体合っているので強く出れない。


「珍しく強気だったので何か考えでもあるのかなあ、と期待しましたけど、ざんねんです」


 七瀬はつまらなそうに頬杖をつく。

 もう言い返す気力もない。弱みを握られた人間は弱い。それを跳ね返すことの出来るだけのものを、俺は今持っていないのだ。


 もし七瀬から俺の好きな人は潮凪さんだという話を聞いたとして。彼女はそれをどう思うのだろうか。きっと、男子生徒から言い寄られ続けている彼女は困ったように笑うんだろう。またか、なんて思いながら。

 そうして自らの想いを伝えることさえ出来ない情けない俺に、呆れるのだろう。


「まあ、私も鬼じゃないので。そうですね、今まで通り週に3日くらいごはん食べさせてもらえれば秘密にしますよ」


「増えてるし……」


「あとはせんぱいが今回みたいに変な冗談を言わなければ、ですけど」


 腕に頬を乗せたまま、視線だけをこちらに向ける七瀬。確かに浮かれて冗談を言った俺も俺だが……。


「さっきまでは聞く耳持たなかったくせに、ようやく冗談と認め……」


 ――ちょっと待て。


 今、俺と七瀬がこうしているのは何故だ?


 そう、全ては今日の俺の冗談から始まった。

 潮凪さんへの告白が上手くいったという、少し考えればすぐ分かる冗談だ。


 それを聞いた七瀬がやけに慌てていたことを思い出す。これまでに見たことのないような反応と表情だった。


 あの時の七瀬は、まさか俺、相馬遼太郎なんかと潮凪葵が付き合うはずがない、という意味で驚いているのだろうと思っていた。


 けれどあの後の七瀬の態度。そして今の言葉。まるで俺と潮凪さんが付き合うと、彼女が、七瀬が困るかのような反応だった。

 

 彼女が俺のことを好きなのだとしたら辻褄は合う。しかし、好きなのは当然俺ではない。それは今まさにここで証明されたじゃないか。


 ならば。

 七瀬小春は、に俺を脅している?


 思わず息を飲む。

 ……どうして、今まで気づかなかったんだ。


「どうしたんですかせんぱい。鳩が豆鉄砲、いや、ロケットランチャー喰らったみたいな顔してますよ」


 俺は一人笑う。


 弱みを握られた俺が、それを跳ね返すことが出来るだけのものはもう無いと思っていた。

 それは、こんなにも近くにあった。


「……なあ七瀬。確か、俺の恋は邪魔しませんとか言ってたよな?」


 訊ねると、七瀬はどこか不満げにこちらを見る。そうして、またわざとらしくため息をついて答えた。


「なんですか急に。私は別に邪魔しようと思ったことなんてありませんよ」


「そうか。そうだったよな」


 その通り。七瀬は結局一度も直接俺の邪魔をしたことは無かった。ただ、俺をからかうだけ。


 彼女が実際に潮凪さんへ行動を起こしたのはたった一度だけ。そしてそれは未遂に終わっている。一体なにがあった時か?

 はっきり覚えている。


 七瀬が俺の作ったカレーを食べようとピンポンを鳴らし、俺がガチ居留守を使った時、だ。


 七瀬は俺の様子に違和感を覚えたのか、顔を起こすと言葉の意図を探るように首を傾げる。


 そうして彼女がおそらくそれに気づいた時、俺はもう話し出していた。自分でも驚くほどに冷静に。


「まさか先ぱ」


「俺はさ、七瀬。俺はずっと、七瀬にバレてしまった自分の弱みを、秘密をどうやって隠して、守るかだけを考えてたんだ」


「…………」


 七瀬は一度何か言いたげに口を開いたけれど、その声が俺に届くことはなかった。


「それが間違ってたんだ。もし仮に、七瀬が潮凪さんに俺が彼女を好きだということをバラしたとして、七瀬になんの得がある?」


「そ、それは。ただ先輩の反応が面白いから、ちょっとからかいたくなっただけで」


「俺もそうだと思ってた。でも、違ったんだな」


 俺は根本から間違っていた。

 いつからそうなのかは分からない。もしかすると最初は七瀬の言う通りだったのかもしれない。


 けれど。きっと今は違う。

 彼女の美味しそうにごはんを食べる姿。

 そこに全ての答えはあった。


 七瀬はごはんが食べたかったんじゃなく。


「七瀬は、ごはんが、食べたかったのか」

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