第7話 たまには

 俺が言い終わって数秒後、七瀬の顔がぼわっ、と赤く染まる。明らかに先程の演技とは違う反応。俺は初めて、彼女のことを少しだけ知れた気がした。


「な、な、なん……」


「そんなに俺のごはんをおいしいと思ってくれていたんなら、嬉しいけどな」


「な、なに言ってるんですか! 別に私はごはんが食べたいからせんぱいをからかってるわけじゃなくて、ただ面白いから……」


「そうか。なら潮凪さんにでも誰にでも、秘密を話せば良い。俺が潮凪さんのことを好きらしいですよ、ってな。みんな大して興味もないだろうけど。まあ七瀬がそうするなら、俺はそれより先に潮凪さんに告白でもなんでもしてやるさ」


 俺がそこまで言うとは思っていなかったのか、七瀬はその大きな目を見開く。


「……い、良いんですか? せんぱいにとって潮凪さんはそんな簡単に諦められるものだったんですか!?」


「おい勝手にフラれる前提で話すな。誰が失敗すると決めた? 俺は告白を成功させるつもりでやるに決まってるだろ。だから七瀬、お前も言いふらしたければ勝手に言いふらせばいい」


「……わかりました。せんぱいがそこまで言うなら私だって言い――」


「ただ、そうなれば結果はどうあれ、もう俺がお前に晩ごはんを提供することはない」


「…………っ」


「俺とお前の繋がりは、七瀬が俺の弱みを握っているからこそ成立していたものだろ? なら、七瀬が言いふらそうが俺が告白に成功しようが失敗しようが、潮凪さんを好きという秘密はもう隠す必要も守る必要もないわけだ」


 ぎりり、と歯を食いしばりこちらを睨む七瀬。いつもの飄々とした態度はもうそこには無い。


「……そもそも、誰かを好きなことが弱みであって良いはずがなかった。むしろ俺は潮凪さんを好きになって、強くなったまであるしな」


「……なにそれ。恥っず」


「おいやめろ。今冷静になると俺超恥ずかしい。けどこれは、嘘じゃないからな」


 頬のあたりが熱を持つのを感じながらも、俺は嫌な気分ではなかった。


 七瀬は俺を睨みつけていたが、諦めたのか大きく息を吐いて肩を落とす。


「はあ。そうですか。なら、好きにしたら良いんじゃないですか」


「ああ、好きにさせてもらう」


「ま、からかいがいのあるせんぱいがいなくなるのは残念ですけど、私には関係ないですし。フラれるタイミングが早いか遅いかだけでしょうし」


「お前容赦ないな……」


「というか、フラれる覚悟出来てるせんぱいなんて面白くないです。はいはい、分かりましたよ。私も誰かに潮凪さんのこと言いふらしたりはしませんから、焦って撃沈しなくても好きなタイミングで撃沈したらどうですか」


 なんだ。やけに素直じゃないか。

 しかしなるほど、七瀬が言いふらしたりしないのであれば、俺は焦って告白をする必要もないのかもしれない。


「撃沈するかどうかはまだ分からんだろ」

「しますよ。だって相手は、あの潮凪葵ですから」


 七瀬はそう言ってほのかに笑った。


「そもそも、変なことを言いふらすと私がなんでせんぱいのことをそんなに知ってるんだ? ってなりますからね。こっちが迷惑します」

「それも、そうかもな」


 俺も苦笑する。そんな当たり前のことにも気づかないくらいに、この一ヶ月と少しはあっという間に過ぎていった気がする。


「そっか。秘密が秘密じゃなくなるのなら……これでもう、私とせんぱいの関係も終わりですか」


 七瀬はなんてことないような声音でぼやく。


「一ヶ月ちょっとでしたか? まあ、少しは楽しかったです。これからは赤の他人、ただのお隣さんですから変に干渉してこないでくださいね」

「こっちのセリフだ」


 ……そうか。

 俺と彼女は本来であれば出会うことのなかった先輩と後輩で、俺の好きな人を知られることがなければ、本来関わり合うことなどないはずだったのだ。


 これからは時折学校ですれ違いざまに顔を合わせるくらいで、きっとこうして家でごはんを食べることも、言い争うこともなくなるのだろう。


 七瀬は壁にかかった時計へゆっくりと視線を向ける。時刻はいつの間にか二十一時を回っている。


「もうこんな時間ですか。まったく、遅い時間まで後輩の可愛い女の子を捕まえてとんでもないせんぱいですよ。二度とごめんです」


「こんな遅い時間まで家に居座ってごはんを食べるだけ食べて帰って行く後輩なんて、もう二度とごめんだね」


「……ふん」


 鼻を鳴らして七瀬は立ち上がると、鞄を掴んでこちらを振り返り。


「まあせいぜい、頑張ってください」


 とだけ言って、玄関へと歩き出す。

 俺も立ち上がり彼女の後を追う。いつもはあんなに大きく恐ろしく見えた彼女の背中は、やけに小さい、ただ後輩の女の子のものだった。


「……そうですね、あの日先輩が公園で叫んでいたくらい」


こちらを見ることなく一人で話す七瀬。


「あれくらい本気で告白をしたら、ちょっとくらい、ほんの米粒くらいなら」


「……米粒くらい、なんだよ」


 訊ねると、七瀬は困ったようにこちらを見てから視線をほんの少しだけ逸らし。


「――心動かされる人も、いるのかもしれません」


 そう言って、笑った。


「……アホか、あれは忘れろ。やるならもっとまともに告白するわ」


 七瀬は今日既に一度見覚えのある所作でローファーを履き、トントンと床を叩く。


「じゃあ、まあ。さよならです」

「ああ。さようなら」


 扉が開かれる。きっとこの扉が閉まってしまえば、俺と彼女はもう話をすることもないだろう。


 それは、なんというか。


「……おい七瀬」


 びくっ、と背中を震わせた七瀬は、ゆっくりとこちらを振り返る。


「な、なんですか」

「あー……。いや、あれだ」


 俺はがしがしと頭をかく。


「食生活、ちゃんとしろよな」

「…………はあ? な、なんですかそれ。最後に言うことがそれですか? ……ふ、ふふふっ。バカみたい」


 七瀬はくだらない、とでも言いたげに笑い。大してありもしない胸を張り。


「言われなくても、私は一人で出来ますから」

「そうかよ」


 やっぱり可愛げがなくて、憎らしくて、鬱陶しい後輩ではあったけれど。


 俺のごはんをおいしいと言って食べてくれる後輩だから。


 俺には、そう言ってくれる人はもういないから。


 肺に溜まった息を吐く。余計なものも一緒に出ていったような、そんな気がした。


「――七瀬。……たまには。ほんっとうに、たまにはだぞ?」


 そう呟いた俺を、彼女はじっと見ていた。

 なんで自分がこんなことを言おうという気になったのかよくわからないけれど。


「ごはん、食べにこいよ」


 すぐに七瀬の顔は見れなかった。

 どうせ『は? いやです』とでも嫌悪感満載の顔で言って……。


「…………?」


 反応がないので顔を上げる。

 七瀬はぼうっとこちらを見たままで。


 つう、と彼女の頬をひとすじの涙がつたった。


「な……ど、どうした!?」


「え? あ……、な、なんで」


 七瀬はぐいっと制服の袖で涙を拭うと。


「絶対、い、いやですからっ!」


 そう叫んで、ばたん、と扉が勢いよく閉められる。

 予想外の出来事すぎて、混乱する。あいつ、泣いてたよな? なんで?


 追いかけようと部屋から出ると、右隣の部屋の扉がちょうど閉められるのが目に映る。続けてがちゃん、と鍵をかける音がした。


 俺は生まれて初めて、女の子を泣かせてしまったのかもしれない。


 その日の夜。

 俺は誰かさんのせいで、まったく眠ることができなかった。

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