第5話 俺のごはんと、俺とごはん

「好きな人……? 私のですか? いませんけど」


 立ち上がったまま振り返ると、さらりと七瀬は答えた。


 意表を突いた質問をしたつもりだったが、彼女は眉一つ動かさない。俺の言葉の意図を探ろうとするかのようにじっとこちらを見ている。


 手のひらにじわりと汗が滲む。だが今更後悔しても遅い。もう俺はこの道を突き進むしかないのだから。小さく息を吐いて、続ける。


「――俺はお前の好きな人を知っている、と言ったら?」


 ぴく、と七瀬の肩がわずかに揺れた。

 ……反応ありだ。ありだが、よく考えたら俺なんかにはこの反応で好きな人の存在の有無を見抜く力は無かった。多分いるだろういてくださいお願いしますと前向きに思うことにする。


 七瀬はお手本のような笑みを浮かべたまま、元居た席に着く。……よし、彼女をどうにか同じ土俵に立たせることには成功したらしい。


「もし仮に私の好きなひとを知っているのだとしたら、なんで今日もごはんをご馳走した上でティラミスにカフェラテまで差し出したんですかね? ドMなんですか? せんぱい」


「それは俺が懐の深いビッグな先輩だからだ。なあ七瀬。その質問をするということは、いるんだよな?」


「いませんよ。知ってるんですよね? 早く名前でも言ったらどうですか?」


「とても身近な人だよな、七瀬」


「…………っ!」


 驚いたような表情を一瞬だけ浮かべたかと思うと、すぐに顔を背ける七瀬。

 心臓が飛び出るかと思った。俺はとてつもなく重要な賭けに勝ったらしい。


 好きな人は大体身近だろうの精神。本人がそうだと思えば身近なのだ。潮凪さんと俺だって身近だ。席隣だし。


「……いつから。ど、どこまで、知ってるんですか」


 七瀬は顔を背けたまま、悔しそうに呟く。どこまでもなにも、俺は何も知らない。が、どうも俺には適当なことを自信ありげに言う才能があるらしい。いける! チャンスだ!


「どこまでもなにもないだろ。七瀬、お前の同級生のまだ中学生みたいなやつらと一緒にするな。俺は先輩だからな。見てたら分かる」 


「……じ、じゃあ先はせんぱいは、最初から全部知った上で私をからかってたんですか」


「……まあ、そういうことになるな」


 俺は意味ありげに手元のグラスを揺らす。もうすっかり氷は溶けてしまっていた。


「私の使ったお箸とお皿で妄想を膨らませ」


「そう」


「夜な夜な妄想の中で私を好き勝手に弄び」


「そうだ。いや待てそうじゃない。だまれ」


「…………」


 危うく向こうのペースに乗せられる所だった。

 しかし俺が七瀬をからかった、だと? なんのことだ。からかわれまくってサンドバッグのようになっていたのはどう考えても俺のはずだが……。


「そ、そんなに見ないでくださいっ」


 俺自身気づかないうちに見つめていたのか、七瀬は恥ずかしそうに小さく叫ぶ。


 いつもとは全く違う、しおらしい七瀬の態度。恥ずかしそうに手で口許を隠し、俺をちらちらと見つめるその瞳はまるでガラス玉のように潤んでいる。


 少しだけ、彼女のことを、七瀬を可愛らしいと思ってしまった自分を殴りたい。


 ――その瞬間。俺の身体に電撃が走る。

 気づいてしまった。俺のした質問の内容。七瀬のこの態度。全くもって予想外の方向から現れたその可能性を咀嚼している間に、七瀬は言った。


「わ、わたし」


「な、なんだよ」


「私、せんぱいのことが、すっ、好きなんです」

 

「…………へあ?」


 驚きのあまり、情けない声が漏れる。

 ……は? こいつはなにを言っている?

 先輩とは誰のことだ? 俺のことだ。


「な、なに言って……」


「好きなんです!」


 ふざけているのかと思ったが、真っ直ぐにこちらを見る七瀬の表情は真剣そのものだった。わずかに赤みがさした頬。彼女のこんな表情を、俺は今まで見たことがなかった。


 七瀬が、俺、を……?


 どくりと心臓が高鳴る。

 まさか。信じられない。


 いや、でもこれまでのことを思い返すとあちこちにヒントはあったんじゃないか? そうだ。こいつのこれまでの異常なまでに生意気な態度も全て俺への気持ちの裏返しで……。


 あの日高台の公園に七瀬がいたのも、もしかすると一目惚れした俺に告白をしようとしていたんじゃないか。


 そこで潮凪さんへの俺の告白を聞いてしまった七瀬はどうしようもない、その抑えきれない感情を俺にぶつけて……。


 ――そうか。ピースが繋がった。


 七瀬はごはんが食べたかったんじゃなく、ごはんが食べたかったんだ。


「そ、そうだったのか……」


 全てを理解した。

 俺は晴れやかな気持ちで顔を上げる。


 そこには。


 勝ち誇ったような笑みを浮かべる七瀬がいた。


「ま、こんなもんですかね」


 そう言って、七瀬は耳にかかる髪を手で払う。俺はその艶のある髪の毛を、ただ目で追うだけで精一杯だった。


「な、な……んだ……と?」


 動揺を隠せない俺はどうにか立ち上がるも、がくがくと震える足を抑えることが出来ない。


「で、せんぱい? なにが『そ、そうだったのか……』なんですか? 私、気になります!」


 悪魔なんて生ぬるい。こいつは魔王だった。

 まんまと騙された童貞の俺は、膝からがくりとその場に崩れ落ちた。


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