あの、晩ごはん作りすぎちゃってませんか？

第4話 ティラミスと、カフェラテと

「ティラミスとか作れるんですか。はむ……これは……なるほど」

　もうほぼ帰りかけていた七瀬を、デザートという秘密兵器でどうにか連れ戻すことに俺は成功していた。ドアの隙間から覗いた夜は、いつもより深く、暗く見えて俺の焦りを加速させる。

　時刻は二十時を迎えようとしていた。

　もぐもぐと手作りのティラミスを美味しそうに頬張る七瀬を見ながら俺は正座しており、頭はフル回転している。

　きっとここが、運命の分かれ道だ。七瀬に脅され続ける日々か、それとも自由の日々を掴み取るのか。

　……しかしこいつ、いっつもなんか食べてんな。もはや食べてるところしか見たことないまである。

「おいひい」

　お、俺のティラ……いや、落ち着け俺。このティラミス、後で一人で食べようと楽しみにとっておいたのにとか言っている場合ではない。

　今の俺がやるべきことは明確だ。俺の平穏な学校生活と初恋を守るために七瀬に余計なことをさせない、言わせないこと。

　そして問題は、それをどうやって達成するか。

　分かっていたことだが、いつまでもこのままではいられない。予定外ではあったが、これはある意味良い機会だ。

　そもそもなんでこんなことを考えなければならないのかという感じだが、これが弱みを握られた者の宿命というやつだろう。

　しかし、七瀬もティラミスを食べて少しは落ち着いた筈だ。もしかするとさっきのあれこれ言いふらすだなんてのは、彼女なりの冗談なのかも……。

「ティラミス食べたからって、さっき聞いたことは忘れませんよ」

　こいつ、ひ、人の心を……？

「のど、かわいたなぁ」

　俺の気を知ってか知らずか、七瀬はぽつりと漏らした。

「……水でいいか？」

「明日、潮凪さんの所に挨拶に行こうかと思うんです！　いつもせんぱいがお世話になってます、って」

　どうも冗談じゃないらしい。本気（マジ）だ。

　健気な後輩でも演じるかのように七瀬は言った。あどけなさをあえて残すかのような笑みが、今はとても恐ろしい。

「ぐっ……コーヒーでいいよな」

「喫茶店で出てきそうな美味しいアイスカフェラテが飲みたいです」

　つんとした態度で言い切る七瀬。

　まじで覚えとけよこいつ。

　仕方なく俺は冷蔵庫から挽いてあるコーヒーの粉を取り出し、それを直火式エスプレッソメーカーに水と共に詰める。あとは文字通り火にかけるだけで、エスプレッソの出来上がり。これをミルクで割ればカフェラテの完成だ。ちくしょう。

「ほおお」

　七瀬は俺がカフェラテを準備する様子を眺めて興味ありげに声をあげたかと思えば、こほんと咳払いをしてまたティラミスの方へと向かう。

　エスプレッソメーカーを火にかけている間、俺は考える。このままでは、いつまで経っても俺は七瀬小春の晩ごはん奴隷だ。それだけは避けたい。

　この状況を打開するために今の俺に出来ることはなにか。意味があるとも思えないが、とりあえず目を閉じて思案する。

　まず一つ目。

　そもそも俺が『潮凪さんが好き』という事実を握られているから七瀬に頭が上がらないわけだ。……ならば、実際に潮凪さんに告白をしてしまうのはどうか。結果はどうあれ、七瀬に脅されることは無くなる。

　しかし、これにはほぼ確実に撃沈するというリスクが伴う。七瀬のせいで焦って告白してフラれるのは避けたい。いや焦らなくてもフラれるんだけどね？　でもせっかく隣の席になったのに。というか俺が辛い。ので、一旦却下。

　二つ目。

　至極簡単、大人しく俺が七瀬に晩ごはんを作り続けること。この関係性になってから約一ヶ月だが、大体週に二度のペースで作ってきている。

　先日のカレーを食べようとピンポンしてくる事件など鑑みると、どうも俺の料理自体は気に入っているらしい。晩ごはんを提供する回数を増やすなど、上手くやれば秘密を守らせる交渉は可能だろう。

　ただ晩ごはん代と作る手間がかかること、そして一人の時間が奪われるというデメリットがある。

　お金については一人も二人もそこまで大きくは変わらないのでなんとかなるにしても、何が嬉しくて七瀬にどうのこうの言われながら一緒にメシを食べないといけないのかという話だ。

　しかしこれは俺が我慢すれば良いだけなので、秘密を守るためなら、これが最も選ぶべき選択肢なのかもしれない。

　そして三つ目。

　これは先日ふと思いついたものだった。

　俺には好きな人がいる。これを七瀬に知られてしまったからこういった状況になっているわけで。

　――ならば、七瀬小春は？

　俺も、あいつの好きな人を突き止めてしまえばいいんじゃないか？

　性格は置いておいてもあの見た目だ。既に彼氏がいてもおかしくはない。が、こうして俺の家で平然とごはんを食べているのでそれはまずないと仮定する。七瀬も一応女子高生、好きな人の一人や二人くらいはいるだろう。

　もしそれを突き止めることが出来れば、七瀬と俺の状況はイーブン。お互いに弱みを握る展開に持ち込めればそれは抑止力になる。

　ただこれは、好きな人がいたら、突き止めることが本当に出来れば、というたらればになるが……。

　と、考えたところでエスプレッソメーカーからこぽこぽと音が漏れる。抽出が終わった合図だ。

　グラスに氷とミルクを入れ、その上から出来立てのエスプレッソを注ぐ。考えはまとまっていないが、何もせずにこのまま七瀬を返すわけにはいかない。

「ほらよ」

　七瀬と俺の前にグラスを置く。からん、と氷が鳴って白と茶の液体が混ざり合う。

「ふん。ちょっとオシャレな感じでカフェラテを作れるからって威張らないでください」

「ほおお、とか言ってたやつに言われたくない」

　七瀬から鋭い視線が飛び、思わず顔を背ける。危ない危ない、今のこいつは刺激するべきではなかった。

　そこでふと気づく。あれ、ティラミスは……？　もう食べたの……？

「で。わざわざ呼び止めてなんのつもりですか？」

　ちるちると七瀬は手元に置かれたカフェラテをすする。平静を装っているが美味しかったらしい。口元ぷるぷるしてるぞ。

「話したいことがある」

「潮凪さんとのノロケとかいりませんよ」

「だから付き合ってねえよ……」

　ノロケられるならむしろノロケたい。まじで。

　七瀬はというと都合の悪いことは聞こえない耳をお持ちのようで、何を言っても無駄だと言わんばかりにこちらを見ている。

「もういいです。これ飲み終わったら帰ります」

「んなっ……な、に……？」

　みるみるうちにグラスの中の液体が減ってい……無い！　もう無い！　早いにも程があるだろ！

　七瀬は立ち上がる。

　この可愛くない後輩は、駆け引きなどではなく本当に帰ってしまうのだろう。そして、俺の秘密を明日学校で嬉しそうに話すのだ。

　ふと、潮凪さんのふわりとした笑顔が脳裏に浮かぶ。

　くそ、考えはまだまとまっていない。

　けれど、ゆっくりしている時間も無い。

　俺はあてもなく口を開いた。

「七瀬。話をしよう」

「いやです。なんですかその顔は」

「…………」

　落ち着こうと俺はカフェラテで口を湿らせる。ほのかな苦味とミルクの甘味がちょうどよい。

「――七瀬。話をしよう」

「キメ顔しろって意味じゃなくてですね……」

「良いだろちょっとくらい格好つけさせろやこんちくしょう！」

　思わず叫ぶ。そうして気づく。

　こいつはそもそも俺の話を聞く気がない。普通に、まともにやっていてもからかわれておしまいだ。

　ならば。

「……俺の言い方が悪かった」

　そうして俺は、答えも何も分からない、あてのない旅に出ることを決めて、言った。

「七瀬の好きな人の、話をしよう」