第3話 デザートもあるから
「へ?」
あまりにも七瀬が良いリアクションをするものだから、思わず俺も間の抜けた声を出してしまう。いつものこいつなら馬鹿にしたような顔で頭でも打ったんですか? とでも言ってきそうなものなのに。
「いや、あのさ」
ぽかんと口を開けたままにしていた七瀬は、俺の反応にようやく気がついたのか、慌てて床に落ちたエビフライと箸を拾い上げる。
「あ、すみま……せん。そ、そうなんですか良かったですねでもまさかせんぱいがあのあお……潮凪さんとなんて、一体どんな悪どい手をつかって」
落ちた箸の方を皿に戻したかと思うと、拾ったエビフライを手に持ったまま忙しなく話し続ける七瀬。逆だ。お前エビフライ持ってどうするんだよ。
「いや、付き合ってないけど」
「恐喝……お、お金? それとも……」
俺が言うと、聞いているのかいないのか七瀬はぶつぶつ一人考え込んでいる。というか何言ってるんだお前は。人を何だと思っているんだ。
「体操服と上履きを盗んで……それで」
本当に何だと思っているんだ。
「だから付き合ってないって」
ようやく七瀬はこちらを見た。そのまんまるな目は一度宙をふらふらと彷徨ったかと思うと、やがてなにかに気づいたように俺の元へと戻ってきた。
「――は?」
不満と苛立ちと侮蔑と呆れをない混ぜにしたような、ゴミを見るような目。先程までエビフライで目をキラキラさせてそこに座っていた女の子はもう居なかった。
彼女は何故か手に持っていたエビフライを俺の皿の上に置いた。
俺は背筋が凍る感覚に見舞われながらも、なんとか言葉を絞り出す。
「じ、冗談だよ、もしかして本気にしたか? 実は席替えで潮凪さんの隣の席になってさ。ちょっと話も出来たし嬉し……くて……」
「なんだあ、そうなんですかあ」
言葉が尻すぼみになったのには理由がある。目の前の七瀬がにこりと、見たことのないような笑みを浮かべていたからだ。温度のない冷め切った、氷のような笑顔。
もしかすると、俺は取り返しのつかない冗談を言ってしまったのかもしれない。
「七瀬……? ほ、ほら、エビフライ冷めちゃうから」
取り繕うように俺は優しく声をかけると、七瀬は指についていたエビフライの油を俺のTシャツの裾で拭いた。
「ありがとうございます」
「えっと……」
返事をしてがぶり、と七瀬が頬張ったエビフライは、俺の皿に乗っかっていたものだった。
「あの……七瀬さん? それ、俺のエビ……」
「で、なんて言って告白したんですか?」
「いやね、付き合ってないし告白も……」
がぶり。またも俺のエビフライが七瀬の小さな口で噛み切られる。これはそういう下ネタではない。
「なんて、告白したんですか」
がぶり。がぶり。
「ひ、ひいぃ」
その時俺は思い出す。
七瀬小春という後輩の女の子のことを。
昨日彼女が82点だとか、手伝いましょうか? なんて言ってくれていつの間にかどこか仲良くなれたような気がしていた。
けれど違う。七瀬の前での俺は無力だった。
「楽しみだなぁ。お付き合いしてるんですもん、明日からせんぱいと潮凪さんの関係、隠さなくてもいいんですよね?」
そう言って七瀬は残りのチキン南蛮を平らげると、ごくごくと麦茶を飲んだ。もちろん俺のを、だ。
ぷはっ、と美味しそうにそれを飲み干した後、俺を見つめる彼女のその目は、いつか見たあの日の目と同じ色をしていた。
「な、七瀬……さま。これはほんの冗談でですね……? 付き合うどころか潮凪さんとはひとことふたこと会話を交わしただけで……つい出来心で、七瀬をちょっとからかってやろうと思っただけで」
「あの潮凪さんとお付き合い出来るなんて羨ましいなあ。私、嫉妬しちゃってみんなにお話ししちゃいそうです♡」
「た、頼むから……それだけは」
もしそんな話が出れば俺、相馬遼太郎がおかしな噂を流していると思われるだけだろう。付き合ってもいないのにとんだ勘違い野郎、いいや、もはや変態に近い。
「ふう、お腹いっぱいです。ごちそうさまでした」
いつの間にか残りの味噌汁とごはんまで平らげた七瀬は、満足そうに手を合わせるとすぐに立ち上がる。いつもは片付けもしない皿をきちんと台所まで運び。
「さあすぐに帰らないと。約束でしたもんね! 食べたらすぐに帰る!」
そう言って七瀬は鞄をひっつかむと、小走りに俺の部屋から出て行く。トントン、とローファーのつま先を玄関で叩いて。とっておきの笑顔で。
「せんぱいっ、お付き合いおめでとうございます!」
「――ち、ちょっと待ってくれえ! デザートも、あるからぁ!!!」
彼女を止めないと俺の学生生活は終わる。
その思いで俺は叫んだ。
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