第2話 席替えと、エビフライ

 GWも過ぎ去り、どこか遠くに夏のにおいを含んだ風を感じる5月後半。俺は今日も学校への道のりをぺったんぱったん進んでいく。


 前を進んでいく同じ制服を身に纏った生徒たち。ふと目に映った一人の女子生徒の後ろ姿がどこかの誰かさんに似ているような気がして、昨日の夜のことをふと思い出す。


 嬉しそうにごはんを食べる顔、生意気な態度、帰り際に一瞬だけ見せたどこか寂しそうな表情。そして82点。彼女は俺のごはんを美味しいと思……。いやいやいや。


 余計な考えを振り払う。

 そもそも俺は被害者なのだ。なにが嬉しくて、俺の弱みを握っただけの見ず知らずの後輩の女の子にごはんを提供しなくてはならないのか。


 ……まあ、その弱みを握られたということが問題なのだが。全ての原因とも言える自らの叫びと同時に、潮凪さんのふわりとした笑顔が脳裏に浮かんだ。


 続けてそれを塗りつぶすかのように、いつの日かの悪魔のようなあいつの笑みが思い返される。


『――せんぱいってなんで潮凪さんを好きになったんですか? あ、顔? え? お、おっぱいですか? うわあ……きも』

『まだ何も言ってねえよ!』


 くそ。朝から嫌なことを思い出してしまった。確かにそこも魅力的ではあるがそれだけには収まりきらない良さが……じゃなくてだな。

 

 大体、優しさでごはんを作っている俺に対して、あんまりじゃないか? いや、違ったわ優しさじゃなかったわ脅されてるからだったわ。


 ひとつため息をつく。


 別に神様を信じちゃいないが、俺は別に悪いことをなにもしていないんだから少しぐらい良いことがあってもいいんじゃないかと思う。

 

 宝くじが当たって欲しいだとか、モテモテになりたいだとかそんな大それたことは言わない。ただ、せめて……。



 ――その数時間後のこと。


 ありがとうございます。

 俺は心の中で神に感謝していた。すげえ小さく机の下で見えないようにガッツポーズまでかましていた。ありがとう。やっぱり良いことをするといつか自分に返ってくるものなのだ。


 担任の先生が席替えをする、と言い出したのが始まりだった。そもそも席替えなんてのは学期ごとだとか、テストが終わるごとにするイメージなのだが、どうも先生の気分次第なところがあるらしい。まあそれはいい。大事なのはその結果だ。


 俺は左隣、窓際の席へ視線を送る。

 そこにいた女の子は、窓から吹き込んだ風にさらさらとした髪の毛を揺らしながら微笑んだ。


「と、隣だね。よろしく相馬くん」


 少し照れくさそうに頬をかいた彼女を見て、俺も声にならない声でどうにか応える。

 そういう所だぞ? そんな天使みたいな対応をするから、男子が騙されるんだ。まあ俺もだが。


 さらに強く吹いた風に、彼女の前髪がふわりと浮かぶ。別に見てはいけないものではないのに、思わず目を逸らしてしまう。


 彼女は前髪を手でおさえたまま、恥ずかしそうにこちらを見て、「すごい風だね」なんて言ってまたとふわふわ微笑んだ。


 後ろで揺れるカーテンと差し込む日差しまで、まるで彼女のためのものであるかのようだった。まぶしい。これはまさに、七瀬に振り回されて苦しんでいた暗闇のような日々に差し込む光。


 ――俺はあの潮凪葵と、隣の席になったのだ。



 ***



「……なんだか、今日はやけに豪華ですね」

「まあ遠慮せず食えよ。作りすぎちゃってな」


 その日の夜のこと。

 俺は昨日「明日、かなあ?」とかふざけたことをぬかしていた七瀬の分まで晩ごはんを用意した。そう、どうせどこかで無理矢理用意させられるのなら、こういう気分がいい日に限る。


 ちなみにだが連絡はメールでしている。今時なんで、と言われそうなものだが事務的な連絡くらいしかしないのでこれで十分だ。


 今日は七瀬もアルバイトは無かったらしく、なにか罠でもあるのではと疑っていたようだが、食欲に負けて現れたようだ。


 まあ怪しむのも無理はない。二日連続で七瀬に晩ごはんをご馳走した記憶はないからな。しかし、これでしばらくは俺の秘密は守られるだろう。


 彼女は俺をじとりと怪しんだ目で見てはいるものの、好きだと言っていたエビフライを目の前にしてごくりと喉を鳴らした。


「エビフライにエビフライにエビフライにチキン南蛮とかもう二日分のごはんじゃないですか……しかもいつもより美味しそうなサラダに具沢山のお味噌汁まで。なんなんですか? 今日せんぱいの誕生日でしたっけすみませんプレゼントとかありません」


 エビフライを1本ずつ数える七瀬。彼女の中でのエビフライの扱いの良さがうかがえる。


「違う」

「……ちなみにいつなんですか?」

「七月」

「ふうん。まあ全く興味ないですけど」


 なら聞くなよ、と普段なら言い返している所だが今日の俺は違う。潮凪さんの癒しのおかげで俺の心は寛大だった。


「ほら、冷めちまう前に食べようぜ」


 俺に遅れていただきます、と手を合わせて小さく呟いた七瀬はまだ訝しげに俺を見ていたものの、食欲には敵わないのか大人しく箸を手に取り、大ぶりのエビフライにかぶりつく。


「…………っ!」


 瞬間、目を輝かせた七瀬を横目に俺はほくそ笑む。

 ふん、ただのエビフライだと思ったか? 甘いな、今日のエビはそんじょ其処らのエビではない。フライにするとひょろひょろになってしまうような弱小のエビとは違うのだ。


 しかも手作りのタルタルソース、こちらは具材もゴロゴロで食べ応えも抜群。食べ盛りの女子高生でも満足出来る一品に仕上がっているはずだ。


 潮凪さんと隣の席になり、また話をして彼女の笑顔が見れた。こんな日くらいは少し良いものを食べたっていいだろう。


「お、美味しいです」


 もぐもぐもぐ、とエビの旨みを確かめるようにしていた七瀬が漏らす。美味しそうにごはんを食べている時だけはこいつもただの後輩の女の子に見えて、少しだけだが可愛らしいところもあるなと思ってしまう。


「そうだろ?」


 俺も満足げに頷きながらエビフライを口に運ぶ。サクサクの衣とぷりぷりでしっかりと締まった身。奮発した甲斐があった。

 七瀬の勢いは止まる事なく、2本目のエビフライへと箸が伸びる。


「ほんとどうしたんですか、まさか、潮凪さんへの告白でもうまくいきましたか?」


 飛躍しすぎだろと思うも、いつもからかわれている仕返しだ。たまには驚かせてやろうと、俺はわざとらしく照れ臭そうに笑ってみせる。


「いや実はな……そうなんだよ」


 エビフライをあーん、と自らの口に運んでいた七瀬の動きが止まった。


「――え?」


 目が合う。近くからまじまじと見ることのない、彼女の大きな黒い瞳。長く綺麗なまつげが目に映り、ああ、こういう所が大人びたとか言われる理由かと一人納得する。


 からん、と音を立てて七瀬の箸が床に転がった。とっておきのエビフライも重力には逆らえず、そのまま箸と共に落ちていく。


ぱちぱちと彼女はまばたきをして。


「――えっ?」




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