空を自由に飛びたいな
京屋月々
空を自由に飛びたいな
私は空を飛べるタイプの人だ。
空を飛べる人は珍しくなく、通勤や通学なんかで飛んでいる人をよく見かける。
休日には空中散歩を楽しんでいる人も多い。
飛べるタイプの人は飛ぶことが好きな人が多いし、飛べない人からは羨ましがれたりもする。
でも、私は飛ぶことがあまり好きじゃない。
文化祭では手が届かない高い場所への飾り付けをさせられ、体育祭では空からの撮影に使われた。まるで
飛べると言っても、ドラえもんのタケコプターやドラゴンボールの
一度飛んでいる姿を写真に撮ってもらったら、まるで首吊り死体のようだった。
うっかり街中で飛んでしまいクスクス笑われた事もあった。
大きな手との
JRの駅に飛んでくれと伝えても、降ろされたのは地下鉄の駅だったり、
飛ぶ高さや速さも全然思った通りにいかないので、いつも文句をつけるのだけど、その
問題が起こると、次は気をつけてと私はお説教した。彼はわかった、と素直に聞き入れるが、次もまた同じことをするのだ。
最初はとても申し訳なさそうにしていたので、しょうがないかと許した。
けれど、こうも毎度のように問題を起こされるとイライラも
ある時、学校でちょっといいなと思っている男子と話している時、急に浮かび上がってしまったことがあった。私の浮ついた気分を
(ちがう!そういう意味での『浮ついた』じゃないのに!!)
男子は突然の光景に驚いた後、プッ!と吹き出し、ごめんごめんとその場を足早に去ってしまった。
私は大きな手に激怒した。首吊り死体のように宙を舞う様子を、彼に見られるなんて本当に最悪だ。二度と持ち上げないで!と強く責めた。
大きな手はひどく落ち込んだ様子で、それ以来、私を持ち上げることはなかった。
それから1年ほど経った時、大きな手の存在がなくなっていた事に気づいた。
代わりに別の大きな手が、私に憑いている感覚があった。
どうやら、この透明な大きな手という生き物(といっていいのか?)たちは、ヤドカリが自分に合った
新たに取り憑いてきた大きな手は、私の意思をきちんと汲んで飛んでくれた。
以前の首吊りスタイルではなく、大きな手の平に腰掛ける形で私を運んでくれた。空中でブランコに乗っているように快適で、とても気持ちがよかった。
だけど、私はあの不器用な手に摘まれて、不自由に空を飛んでいた頃が懐かしく、少し愛しく思えた。
幾年か経ち、2歳の娘を抱き商店街を飛んでいると、首根っこを掴まれているような姿で飛んでいる女学生を見かけた。彼女は恥ずかしそうに、何かに怒っているように見えた。
私は彼の変わらない様子が嬉しくて、クスッと笑った。
空を自由に飛びたいな 京屋月々 @kyoyatsukiduki
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