放射線灰かぶりとカボチャの破邪

広河長綺

第1話

浮浪児の少女が、ガラスの靴に見とれている。

小さいおでこをピッタリとショーウインドウに付けて、中で飾られているガラスの靴を睨むようにジッと見ている。

その姿に私は見とれていた。

あまりにも美しかったから。


時刻は午後6時。日が沈み、放射線灰も増えてきて視界も悪くなる。

それでも、信号待ちの車内から沿道の店を眺めていてはっとする程に、その浮浪児の少女は目立っていた。降りしきる灰ごしでもはっきりとわかる程に、金色のショートカットの髪は鮮やかで、青い目は宝石のような深い輝きを放っていた。

確かに浮浪児なので、体も服も汚れている。でも、お風呂に入って高級なドレスを着たら、ちゃんとかわいくなるだろう。そう確信できるほどに、その子の持って生まれた美しさが内面から滲んでいた。


「ジャネットお嬢様、どこをご覧になっているのですか。そろそろステロイド剤を飲まないといけない時間ですよ」

あまりに見とれていたので、声をかけられるまでメイドのザラに不審がられていることに気づかなかった。

我に返って横を見ると、ザラステロイド剤を10錠私に差し出している

どうやらさっきからステロイド剤を差し出されているのに無視してしまっていたらしい。

確かに前回ステロイドによる免疫抑制剤を飲んで7時間程経っている。

このままでは私の免疫が、体内の金鉱虫を殺してしまうだろう。危ないところだった。

「あ、ごめんなさい」

謝りながら、慌てて差し出されたステロイド剤を飲む私に、

「灰かぶりのことを見るなんて頭がおかしくなったのですか?」

ザラがキツい言葉を投げてくる


だが、それも当然と言えた。

灰かぶりと言えば、除染省役人の下の一般市民のさらに下に位置する社会の底辺。

一般人以上の人が体内に入れている金鉱虫(放射線を食べる細菌)を買って体内に入れることができず灰の放射線を浴び続けている人たちだ。

除染省役人が気にする対象ではない。


「ちょっと、暇つぶしよ」

ごまかした。

ザラはやれやれといった感じでため息をついた。「ヒマだというなら、今日の事故偽装計画のこと考えてもらえます?」

私があいまいな表情で笑っていると、信号が青になったので自動運転の車が発車してしまった。こうして少女の姿は完全に見えなくなった。


「あら失礼」私はザラに謝罪した。「そうだったわね。今日の夜9時に決行ということで良いんですよね」

「本当にわかってます?じゃあ確認として聞きますけど、目的は?」

「いくらなんでもそれくらいわかってるよ。ライバルの社のミスに見せかけて発電所を壊すんでしょ」

「はい。しっかりしてくださいよ。我らが財閥がライバルのを陥れる絶好のチャンスです」


役人による、発電所事故の自作自演。

もし一般市民が知れば反政府デモの原因にもなりそうな計画だが、実際は珍しいことではない。

除染省の中は常に派閥争いが続く。その結果として国に損害を与えることも日常茶飯事だ。


だが、今日の計画は規模が大きい。緊張はしていた。


「でもさ、私がすることって、静脈認証スキャンされるだけだよね」

「はい」ザラは頷いた。「アクセスさえできれば、後のハッキングは私がしますから」

「よかったー。じゃあ、ラクチンだ」

「でも、あなたじゃないとアクセスができないんですよ。頼みますよ」

ザラは少しでも私に事故偽装のことを意識させようとしてくる。


「ハイハイ」

私が適当に頷いていると、自動運転車が突然停止した。

慣性力で体が前につんのめる。

「なに?」

私は車の窓から外を見た。ドームの少し手前。まだ到着していない。

「一応今回のターゲットにした発電所を見せておこうと思いまして。上を見てください」

ザラが上を指さした。

車の窓越しに上を見るのは大変で、私は姿勢を低くして、窓を下から覗き込んだ。


その結果、鉄塔の上にカボチャがぶら下がっているのが見えた。

よく見るとツタが鉄塔に絡みつきながら登っていき、上の方でかぼちゃの実をつけていたのだった。

「これが位置エネルギーカボチャ。私のハッキングでこれを落とすわけです」

ザラの説明に私は「へぇー」とバカみたいなリアクションをするしかなかった。

今は、さっき見た灰かぶりのことだけ考えていたかったから。



カボチャ見学の後、ドームに入った私たちはその足で、位置エネルギーカボチャ制御室に行った。

平常時は完全無人制御なので、誰もいない。ザラはタッチパネルをいじりはじめた。

そして数秒後に、画面に円が表示された。

「これが静脈認証です。じゃあ、お願いしますね」

「はい」

頷いて私は、その円に手のひらを置いた。

すると、ビーっという音とともに「OK」という文字が表示された。

拍子抜けするほど、あっさりと終わった。


「よし、アクセスが許可されました。あとはやっておくのでジャネット様は部屋に帰ってください」

私に自由時間与えてくれるなんて珍しいと思ったので「あれ、ここにいなさいとか言わないんだ」と聞いてみた。

「まぁ、今日は特別な事情があるんですよ。後でわかるでしょう」

「ふーん。じゃあ、後はよろしくね」


私はそう言って静かにその場を離れた。廊下を曲がって、ザラの視界から出た所で、走り始める。


どんな事情がザラにあるかは知らないが、とてつもなくラッキーだ。

これでドームの外に出て、自由行動ができる。小言を言われることもない。

そして、あの美しい灰かぶりの少女を探せるのだ。


―――灰かぶりのことを気にするなんて、頭おかしくなったのですか


ザラの辛辣な言葉を思い出す。

自分でも頭おかしいとは、思う。さっきチラッと見ただけの灰かぶりの少女に執着するなんて。それでも、どうしても、もう一度あの灰かぶりの少女に会いたい。

彼女の鮮やかな金髪と可愛らしく赤みがかった頬を見れば、放射線灰でくすんだ日常が輝くんじゃないか。

そんなバカげた期待が止められないのだ。


ただ、気になるのは昔聞いたことがある灰かぶりの特徴だ。それによると、灰かぶりは基本ホームレス生活で残飯をあさるので、ゴミを食い尽くさないように1日ごとに行動範囲が変わる、らしい。

つまり今日会えなければ、次にいつ会えるのかわからないということだ。


今行くしかない。

私は自室の化粧ポーチの中にある、紫色のカプセル10個と緑色の錠剤3個を服用した。紫色のカプセルが金鉱虫入りのカプセルであり、緑色がステロイド。私が個人的に所有しているカプセルはこれで全て。

これで金鉱虫の死亡を防げるのは2時間だけ。

放射線灰の中、私が外で自由に行動できるのも2時間だけだ。


急がなければ。


私は小走りのまま、ドームを出た。

灰が本降りになってきた。視界も薄暗い中、駆け足で町の中心部に入った。

信号待ちの時に見た、雑貨店に駆け込む。

あの少女がガラスの靴を見ていた店だ。

アンティークな雑貨やオシャレな万年筆が棚に並ぶ。

それらには目もくれず、私は店員の前に向かった。


全速力で走ったせいで息が切れる中、「失礼します、はぁ、除染省長官のジャネットです。除染作業に協力ください」と店長に声をかけた。

「ガラスの靴を店頭で眺めていた金髪ショートカットの灰かぶりの少女を知りませんか?」


もちろん除染省の業務とは何の関係もない私用だが、除染省の役人が一般市民に命令する決まり文句のようなものだ。


しかし店長は「知らないな」と首を振った。


しかし、このまま諦めるわけにはいかない。

あの少女は周辺の雑貨店にも訪れていたかもしれない。


隣の店、その隣の店。

入っては除染省の肩書を提示して、質問する、を繰り返す。

しかし、目当ての少女を知っているという店長はいなかった。

少女が訪れていても、店長は覚えていないのかもしれない。

5店舗目を出た所で、足が止まった。

ちょうどその時、時計がピロピロと鳴った。

もうあと30分で、12時になってしまう。ステロイドの効き目が消え、私の体内の免疫細胞が金鉱虫を殺し始める。そうすれば、もう放射線から私を守るものはいない。


私はどうするべきだろう?

命の危険を顧みず、少女を探すべきだろうか。

私にそこまでの覚悟はあるだろうか?


答えはNOだ。私はそこまで愚かになる程に、熱狂していない。

第一明日になれば絶対会えなくなるわけではない。会える確率が下がるだけ。

生きていれば将来会えるかもしれないのだ。


とても後ろ髪を引かれる思いだが、グッと我慢して、ドームに向かって歩き始めた。

少し歩いてヤバいと気づいた。


聞き込みで歩き回ったせいで、足が重たくなっている。


このままのペースだと、時間までに帰れない。

私はもつれる足を根性で動かして、何度も何度も何度もこけそうになりながら、ドームの前まで来た。

息が、とてつもなく、苦しい。

一生懸命走っているからなのか、放射線による健康障害の初期症状なのか。


ちょうど入り口に警備員が立っている。

「はぁはぁ、あの、すいません。長官のジャネットです。ドームのドアを」

まで言ったが、開けてくれませんかとは言えなかった。

警備員が、ばたっと倒れたから。

まるで人型ロボットの電源が切られた時のような、脱力した転倒だった。

そして体の下から赤い液体が広がっていく。

放射線灰で白くなっていた地面を赤く塗り替えていく。

警備員は、射殺されていた。


「ジャネットお嬢様、どこいってたんですか」

警備員の背後にはザラが立っていた。手には銃を持っている。

「まさか、ザラが撃ったの?」

私の震える声でした質問に、ザラはあっさりと「はい」と答えた。


「どうして」

「命令だからです」当然のことであるかのように、ザラは言った。「灰かぶりによるテロ組織破邪がこのコロニーの中の人間を皆殺しにしろっていうからです。今頃コロニーの内部は地獄ですよ」

「なんでテロリストが中に入れるの?」

「位置エネルギー保存カボチャが落下して、ドームに当たり、穴があいたから。まぁ私がそうなるように仕向けたんですけどね」


ということは「権力争いのためにカボチャを落とす」計画自体が仕組まれていたのか。


「どうして、そんな悪い奴の仲間になったの?」

「取引です」ザラの顔が少し歪んだ。嫌なことを思い出したような口調で、説明する。「私が裏切ることで、私とジャネットお嬢様の命だけは助けてもらえるのです」

「じゃあ、ここから、離れようよ。あとでゆっくり話聞くから」

「命だけ助かると言いましたよね?自由になれるわけじゃないのです。私たちは破邪のトップの人形として、これから生きていくんですよ」


ザラの言葉に最悪の想像が頭に浮かぶ。

「それってつまり、性奴隷になれってこと?」


「違うよ」

ザラの背後から出てきたマスク姿の女性が、私の疑問に答えた。殺気を放ってはいるが背は低い。

「だって、破邪のトップは私だから。私は女で異性愛者だから」


「じゃあ、私たちに何をしてほしいんですか?」と震える声で女リーダーに尋ねると、

「私の着せ替え人形になれ」と女は答えた。


着せ替え人形?意味が分からない。


戸惑っている私の目の前で女はガスマスクをとった。

いかついマスクの下から現れたのは、あの、ガラスの靴を見ていた少女だった。

「私はテロリストのトップとして生きてきた」その少女は可愛い顔とはかけ離れた力強い声で語り始めた。「その代償として私は女の子らしいオシャレをする時間がなかった。だからかわいい服に憧れても、着ることができない。どうしても違和感を感じてしまうから。だから私はテロ行為のついでにかわいい女の子を誘拐して、監禁して、着せ替え人形として飼うことにしたの」


破邪のリーダーは、カバンからガラスの靴を取り出しポイっと投げた。私の目の前にカラカラと転がる。地面に積もっていた放射線灰で表面が汚れた。

「ジャネット、それを履きなさい。そのガラスの靴は今日の夕方見つけて、私がかわいいと思ったものだ。これを履いたお前がかわいければ、着せ替え人形として認めてやる。かわいくなければ、生かす価値がないので殺す」

灰かぶりの少女は私に銃口を向けた。


私は息をのんで、祈りながら、そっと、ガラスの靴に右足を差し込んだ。

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放射線灰かぶりとカボチャの破邪 広河長綺 @hirokawanagaki

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