疑惑 芥川龍之介

ノエル

彼を狂人だと言い切れるひとは、果たして幾人いるだろう。

またまた紅い芥子粒さんにケシかけられて、書いてしまいました! そう、あの芥川龍之介の短編『疑惑』について、でございます。


まことに奇妙なことではありますが、またぞろここで、言語探偵を僭称(標榜?)するわたしは、この物語の原型(アルケーティプス)にあのポーの幻影を視てしまったのでございます。なにを隠しましょう。それは、ポーの言う「天邪鬼の精神」そのものだったのでございます。


え、下らない前置きはいいから、早く結論を言いな、ですって?  まあ、そんなに焦って、お怒りになる必要はございますまい。なにせ、まとめ下手なわたしの書くこと。決して面妖なことは申しませぬゆえ。


さて、そもそもこの小説に出てくる先生は、「実践」との冠を掲げる倫理学の先生とやらで、その学識よりは「実践力」すなわち「問題解決能力」を試される御仁でございます。さして能力も実践力もない先生ではありますが一応、大学の先生を名乗っている以上、世間さまからはそれなりの人物と思われているはず――と、そういう絡みで進行する物語なのでございます。


ま、ご当人のクチを引用して評せば、

倫理学者には相違ないが、(中略)その専門の知識を運転させてすぐに当面の実際問題への霊活な解決を与え得るほど、融通の利く頭脳の持ち主だとは遺憾ながら己惚れる事が出来

――ない、と正直に告白するレベルの先生であったのもまた事実なのでございます。


で、その先生がどうしたのかと申しますと、ある人物が先生の止宿先に訪ねてくるのでございます。

中村玄道と名のった人物は、指の一本足りない手に畳の上の扇子をとり上げると、時々そっと眼をあげて私よりもむしろ床の間の楊柳観音を愉み見ながら、やはり抑揚に乏しい陰気な調子で、とぎれ勝ちに

話し始めるのでございます。


◇◇◇


男の話は、明治二十四年に起こったあの、濃尾の大地震のことに及び、そのときの状況を男はつぶさに語り始めます。

まるで大風のような凄まじい地鳴りが襲いかかったと思いますと、たちまちめきめきと家が傾いで、(中略)庇の下には妻の小夜が、下半身を梁に圧されながら、悶え苦しんで居ったのでございます。(中略)妻の肩を押して起そうとしました。が、圧しにかかった梁は、虫の這い出すほども動きません。(中略)小夜は「苦しい。」と申しました。「どうかして下さいまし。」とも申しました。(中略)私は妻の顔を見つめました。あらゆる表情を失った、眼ばかり徒に大きく見開いている、気味の悪い

顔を――です。

と、そのとき、男の耳には妙な声が聞こえてきます。

生きながら? 生きながら? 私は三度何か叫びました。それは「死ね。」と云ったようにも覚えて居ります。


そのまま放置しておくと、折から起こった火事に身を包まれ、彼の妻は焼け死んでしまうのは必然です。彼が三度叫んだそれは、心のなかに潜んでいたであろう、男の本心だったのでありましょうか。

のちに大地震を描いた「風俗画報」に記憶を呼び覚まされた彼は、当時を述懐して独り言ちます。

それがどう云うものか、云おうとするとたちまち喉元にこびりついて、一言も舌が動かなくなってしまうのでございます。(中略)私の耳もとでは誰かが嬉しそうに嘲笑いながら、「それだ。それだ。」と囁くような心もちさえ致します。


それは、焼け死んでしまう妻を助けるためのいわば、一種の「正当防衛」であったとの偽りを言えと唆す悪魔の言葉でもあったのですが、それを口外することは彼にはできませんでした。そして、彼は先生に重大なことを打ち明けるのです。妻は不幸にも肉体的に欠陥のある女でございました――と。

そして、不思議なことに作者・芥川は、そのあとの行を(以下八十二行省略)として、何も書かず、「………そこで私はその時までは、覚束ないながら私の道徳感情がともかくも勝利を博したものと信じて居ったのでございます」と、その男に続けさせるのです。

倫理に生きる者ならば有していて当然の行動原理。少なくともそれの実践者であるならば、当然起こしていたであろう道徳感情。そしてそれに伴う実践行為がなくてはなりません。

彼は正直に告白します。

が、あの大地震のような凶変が起って、一切の社会的束縛が地上から姿を隠した時、どうしてそれと共に私の道徳感情も亀裂を生じなかったと申せましょう。どうして私の利己心も火の手を揚げなかったと申せましょう。私はここに立ち至ってやはり妻を殺したのは、殺すために殺したのではなかったろうかと云う、疑惑を認めずには居られませんでした。


心のタガが外れるのは、罪なのでしょうか。あのような状況において、妻を殺めるのは罪なのでしょうか。いやいや、そうではない。彼は自分を偽っていたのです。

万一命が助かるのを恐れて、打ち殺したのではなかったろうか。もしあのまま殺さないで置いたなら今の備後屋の女房の話のように、私の妻もどんな機会で九死に一生を得たかも知れない。それを私は情け無く、瓦の一撃で殺してしまった――そう思った時の私の苦しさは、ひとえに先生の御推察を仰ぐほかはございません。


さあ、先生。どうなさいます。倫理の実践者であり、それの指導者である先生なら、どうなさいます。


彼は、最後につぎのように言って話を締めくくるのでございます。

しかしたとい狂人でございましても、私を狂人に致したものは、やはり我々人間の心の底に潜んでいる怪物のせいではございますまいか。その怪物が居ります限り、今日私を狂人と嘲笑っている連中でさえ、明日はまた私と同様な狂人にならないものでもございません。――とまあ私は考えて居るのでございますが、いかがなものでございましょう。


◇◇◇


読者はここに、評者の言うポーが潜んでいないとは言い切れないであろう。芥川はポーの生まれ変わりである。さあ、あなたなら、この状況をどう捉えるだろう。彼を狂人だと言い切れるひとは、果たして幾人いるだろうか。


出典 https://www.honzuki.jp/book/227915/review/257128/

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