第10話 天国と地獄のマンザイ効果

 月曜日、朝の教室でランドセルをおろしている春馬のところへかけ寄ってきた一平が、春馬の机の上に丸めて持っていた新聞を広げた。赤ペンでかこった〈地域ニュース〉のコーナーには、

――昨日、吉田神社で行われた「アマチュア演芸コンテスト」での特別賞は、小学六年生の真田春馬君と堀部雄大君の同級生コンビ『モンブランの天ぷら』。二人の両親は空堀商店街で天ぷら屋〈紅天〉と洋菓子屋「スワン」を……

の説明とともに、漫才中の春馬と雄大の写真も載っていた。一平はいま教室に入ってきたばかりの雄大にも声をかけている。クラスメートもびっくりしていたその中で、さくらが自身を励ますように「私も春馬くんたち見習ってがんばらなきゃ。次のファッション雑誌のオーディション、ぜったい受かるようにね」との言葉が、春馬には一番快くひびいた。


 放課後、うきうき気分で帰った春馬に、店番中のお父さんが「これ、なんや!」と目をむいて差し出したのは、一平から見せられたのと同じ新聞だった。

(あっ、やばいっ)

「さっき来たお客さんが『これ、あんたとこの息子さんやろ』と持ってきたの見たら、あろうことか、今一番きらいな堀部の息子と――バカもんっ!」

「だって、それは……」

「だってもへったくれもあるかっ! あんなヤツの子と漫才して賞を貰うやなんって、何としてもけったくそ悪い。金輪際アイツの息子と遊ぶのは、ぜったい禁止、ずうっと店番してろっ!」

 新聞をくしゃくしゃっと丸めてゴミ箱に投げ捨て、どすどす作業場へもどった。すると、奥で様子を伺っていたお母さんがささっと出てきて、調理場の方をチラ見しながら、

「朝からずーっと、虫の居所悪いんよ。夕べの会合でもまた堀部さんとモメたらしいて。その上にこんな新聞記事やろ。しばらくは春馬、お父さんの言うこと何でも『はいはい』と聞いて、大人しくしとくんやで」

小声で言いながら、ゴミ箱から拾いあげた新聞を伸ばして畳み、エプロンのポケットに入れた。 

(しゃーないな。今日だけでもお父さんの言うこと聞いとこか)

ランドセルを茶の間に置いた春馬は、お母さんと交代して店先に立った。すると買い物に来たおばちゃんたちが立ち止まって口ぐちに、

「新聞、見たよ」

「どこで漫才ならってるのん?」

声をかけたそのついでに「おいしそうやね、これもらっとこ」と、紅生姜天や、ナス、玉ねぎ、かぼちゃのなどの野菜を盛り合わせた天ぷらセットを買っていく。気がつけば毎日八〇個用意していた紅生姜天は早くも完売。この嬉しい誤算にも、お父さんは苦虫をかみ殺してような顔をしていた。

同じようなことは雄大の洋菓子屋「スワン」でも起こっていた。だからこの日の二人は「マンザイ教室」に行くことはできなかった。


 新聞に載ってからというもの、春馬と雄大は学校のちょっとした人気者だ。昼休みになると「漫才したん、どの子?」と下級生までがのぞきにくる。そんな中で急に顔を見せるようになったのが、隣のクラスのミーハー男、上田ナオトだった。

 ナオトはサッカークラブで一緒だが、ハルマはいろんな点で気が合わない。夏休みにハワイへサッカー留学するとホラを吹いたり、自慢げに持ち込み禁止のスマホを学校に持ってきたりと数えあげればきりないが、何より気に食わないのは、さくらにちょっかいをかけるところである。だから最近は放課後、サッカーに誘われても無視をする。春馬のこんなそっけない態度を感じ取ってか、最近ではダイと一緒に歩いているときも、ナオトは雄大にだけしか話しかけない。今日も、学校からの帰り道、後ろから追いついたナオトが、春馬たちの間に割り込んできてダイにだけ話しかけていた。

「ダイって、ガンダム好きなんやろ?」

「うん、特に初期型がね」

「俺はシャア専用ザク好きやねん」

「ボクも。かっこいいよね、あれ」

「そうや、俺とダイで、ガンダム漫才とかしたら面白いかもな」

「本当だね〜」

「よーし、きまり! 俺、ネタ書いてみるわ」

イキって言うナオトにムカムカするが、「ガンダム」に魅かれ、笑みを浮かべ聞いている雄大にも腹が立つから、翌日の放課後、雄大には用事ができたと言って先に下校した。

  一人で帰るのは久しぶりで、家が遠く感じられる。店には昨日に引き続きお客さんが群がっていた。

「あら、噂をすればスターのお帰りやないの」

「春馬ちゃん、今度サインちょうだいよ」

 笑いながら冷やかすおばちゃんらの話を、満面の笑みで聞いていたお母さんが、「今お父さん配達中や。すまんけど」とお使いを頼みかけたが、「ちょっとお腹、痛いねん」と振り切って茶の間に駆け込み、ランドセルを放り投げトイレに逃げ込んだ。

「もう、なんでナオトみたいなやつと仲良くしゃべるねん! オレが怒ってるってわかってんのか。ダイもあいつも、ほんまに鈍感」

 そこへ、お客さんのとぎれた間に戻ってきたお母さんがトイレのドア越しに、

「ちょっと、ハルマ、何ブツブツ何言うてんの……大丈夫……薬飲むか……」

気がかりそうにたずねる声。無視していると、

「晩御飯、おとうちゃんは会合でいらんのやて。そやからあんたの好きな麻婆豆腐にしたろうと思ったけど、今日はおかゆにしとこか」

「あかんあかん、もう治った」

あわててトイレから飛び出した春馬に、

「ほな、それにするから、山田さんところで絹こし一丁買ってきて」

待ち構えていたお母さんが五00円玉を手渡してきた。

「ちぇっ、見たいテレビあったのに」

「お母さん、ずっとひとりで店番してるんやで。ちょっとは手伝い」

 春馬は岡田豆腐店で絹ごし一丁を買ってすぐに戻ろうと思ったが、隣の和菓子屋の大福が目に入り、急に雄大が気になりだした。そこで、もしもと思い公園に寄り道すると、部活帰りの中学生グループと、犬の散歩をしているおばさんしかいなかった。来たついでに〈ヘヤーサロン五十嵐〉をさりげなく覗こうと歩き出したとき、扉が開いて、

「ダイ、また一緒に遊びに来ような」

出てきたのは、ニコニコ顏のナオトと雄大だった。目があったダイはいつものように手を振り「ハルマー」と笑顔で話かけてきたが、聞こえないふりをしていると、

「春馬、俺も漫才する」

 ナオトがイキって胸を張った。その態度にプチンと切れた春馬は、

「漫才はな、客のいる舞台の上でやって初めて漫才じゃ!」と返し、そのままダッシュで家に向かった。

(ダイ、なんでナオトと一緒やなねん。アホちゃうか!)

走りながら買い物袋を振り回す。おかげで絹こしの形が崩れ「あんた、どういう持ち方して帰ってきたんや」と叱られたうえ、二人で食べた夕食の麻婆豆腐は、いつもの味がしなかった。


 春馬たちが夕飯のこの頃、公民館では日曜日に開催の〈からほり祭り〉の最終の打ち合わせが行われ、副会長の挨拶がはじまっていた。

「――ということで、商店街西の下からゴールの東に向かって競争の〈坂かけあがりレース〉の時間帯は、商店街をぜんぶ使っての競技になりますので、店の前の片付けなどのご協力を重ねてお願いします」

入れかわって、会長が立ちあがる。

「えー、それから当日公民館で行う〈からほりエンジョイライブ〉ですが、今年は真田さん推薦の演歌歌手と、新会員の堀部さん提案の若手漫才コンビにお越しいただくことになっております。ただ我々には、若手コンビの方との交渉の方法が分かりませんので、今回はその分野に詳しい方にお願いしました。では、どうぞご挨拶を――」

 マイクを渡されて立ったのは、五十嵐だった。

「こんばんは。普段は空堀公園前の〈ヘヤーサロン五十嵐〉で理容師をやっております」

と言いかけると、すぐに会長がこんな説明をつけ足す。

「五十嵐君は、われわれもずいぶんお世話になりました和雄さんのご長男です。亡くなったお父さんの理髪店を再開するため、最近、東京から戻って来られました。またその一方では漫才を書いたり、〈なにわトップ劇場〉のイベント構成もやったりと、演芸の方面でも活躍をしておられます」

てれくさそうに聞いていた五十嵐は、

「今回お願いしたコンビは、前年の漫才の賞を総なめにした『ツーピース』です。急な出演依頼でしたが、うまい具合にこの時間スケジュールがあいておりまして、これがその資料です」と用意してきた『ツーピース』のプロフィールの用紙を回した。

「彼らの単独ライブは、チケットがその日で完売するほどの人気コンビです。当日も東京で仕事ですが、ライブ開始一時間前に大阪へ戻ってくる予定だと連絡を受けております」

説明を終えた五十嵐に代わって再び会長の、「ではこの件について疑問、質問のある方はいらっしゃいませんか」との言葉が終わったとたん、さっと手を上げたのは春馬の父親の真田だった。

「すまんけど会長はん。やっぱり余興の担当、やめさせてもらうわ」

「ちょっと真田さん。何を今さら――」

「わし、ウマが合わんのや。あの男とはっ」と向かいに座っている堀部を指さした。

「指ささないでください! 失礼でしょ」

すぐに堀部が、強い口調で言い返し、また真田が続ける。

「出し物にも異議あるんや。この商店街のお得意さんのほとんどはお年寄りなんや。それに、若い漫才師目当てに若い子がドカッと来られても、対応でけへんねんやろ」

「なんて時代遅れなことを。まず商店街の将来のことを考える方が大事でしょ。それには若い人たちにもどんどん来てもらわないと――」

「その考えが甘いんじゃ! おまえとこの甘ったるーい洋菓子のようになっ!」

「そういうアナタの考えも、天ぷらのように軽すぎるんですよっ!」

またもやむし返される言い争い。

「ちょっとちょっとお二人とも同じ商店街の組合員でしょ。お互いに力合わしてもらわないと。この件についてはもう議論しませんから。それではこれで、みなさま、お忙しいところありがとうございました」と会長は、あわてて会議を終わらせた。


 翌朝、春馬が教室に入るなり雄大が飛んできて「昨日はごめん」と頭を下げきた。

「別になんとも思ってない」と春馬は目を合わさない。

「ナオトくんに、無理やり五十嵐さんへ行こうと誘われちゃって」

「だから、その話は、もうええって!」

 強い口調で返しているところへ、ハイテンションの一平がやってきた。

「あっ、お二人さん、厳しい顔して、新ネタの議論?」

「違うっ。そうや、ダイがナオトとコンビ組むそうやから、一平、オレとコンビ組まへんか」

「えっ、いいの。やりたいやりたーい。一回漫才演ってみたかったんだ。ネタてきにね」

「よーし一平、さっそくネタ考えようか」

「ヒャッホー、来月のトップニュースはこれで決まりだ!」

仲良く教室から出て行く春馬と一平の背中を、ポカンと見つめる雄大だった。

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