第8話 春馬の店番

 翌日の夕方、クラブのサッカー練習に行く前に店番をかって出た春馬は、五十嵐の忠告が効いたのか、店先で声をはりあげていた。


いらっしゃいませー いらっしゃいませ

べにてん名物、紅しょうがてーーーーん

こうばしぃて おいしいでぇ


 昨夜のお母さんの手本を参考に身振り手振りをつけ、まるでミュージカルのような口調の春馬の様子に惹かれて立ち止まったお客さん達のほとんどが、串さしのベニテンや、ナス、蓮根など野菜天ぷら盛り合わせを買っていく。

 作業場から奥の台所へと小走りで向かった良夫が、夕飯支度中のヨシ子に機嫌のいい声で話しかけていた。

「ちょっと聞こえてるやろ。今日の春馬、えらいはりきってるな」

「ほんまやわ。昨日、わたしが教えた宝塚歌劇の影響やろか」

「もしかして、あいつ、入りたいんかな、歌劇に」

「アホやねえ、宝塚は女子しか入られへんの」

「けど急にあいつ、一体どないしたんやろ」

「そろそろ、店つぐ自覚が出てきたんとちがいますか」

「これで『紅天』は、わしがいつ引退しても安心や。あはははは」

 きげんよく笑ったお父さんが、作業場に戻ろうとしたときだ。店先から聞こえてきたのは、意味不明の「ジャズシャンソンカシュ! ジャズシャンソンカシュ! ジャズシャンソンカシュー」。

「なんや、あれ……!?」

 二人が顔を見合わせ店の方をうかがっていると、

「よーし、噛まずに五回言えた!」

 ジャンプしてガッツポーズをする春馬の姿が見えた。

「やっぱり、安心とちゃう!」

 お父さんはあわてて春馬のそばに行き、

「こら、ここでおかしなこと言うな! お客さんびっくりするやろ。なんや、そのジャズシャンション……?」

「ジャズシャンソンカシュ!」

「それや、それ。ジャズソン? いやジャズシャンシャン?」

「ちょうどよかった。オレそろそろ約束の時間。行ってきまーす」

「アカン、約束は三十分やろ! おまえ、まだ八分しか店番してないやろが――」

 お父さんの了解を待たずに店を飛びだした春馬の姿は、商店街を行き交う人たちにまぎれて、たちまち見えなくなった。

「それにしてもジャズシャンショ、もう、なんでいまごろ早口言葉やねん」

 お父さんは台所にむかって、「店、からっぽやでー」と声をかけ作業場に戻った。

 一方、雄大も、昨夜は「スワン」から帰ったママを相手にジェスチャーゲームをしていた。雄大がゴリラや鮭の真似をして、ママに当ててもらおうと熱演するのであるが、ゴリラでさえ当ててもらえなくて、雄大はがっかり。

でもママは、横浜にいた特に比べ、随分活発になった雄大の様子に目を細めていた。


 マンザイ教室三回目の月曜日。

二人ともに、ルーティーンの早口言葉やジェスチャーはやればやるほどレベルアップする。次のステップとして五十嵐は、なんとか書きあげた短い漫才台本を、春馬たちに立って読んでもらうよう、二人の前にビデオカメラを設定したところ、春馬はいつも通りこなせたが、とたんに雄大は声が小さくなり、動きもぎこちなくなった。

「どないしたん? ダイ」

「あのカメラが……、向けられると緊張してできない」とうつむく。そこで春馬にしては珍しく声を荒げて五十嵐に抗議した。

「なんでビデオカメラを置くの? 邪魔やで」

「漫才はお客さんの前でする芸。見られることに慣れないと」

「けど、ダイがびびってるやんか」

「そんなことでどうする。見られてるというプレッシャー乗り越えないと、本番で本領発揮できないぞ」

 二人の言い争いに責任を感じたのか、雄大は二人の顔を交互に見て問いかけた。

「どうやったら乗り越えられるの、ボクにできる?」と、

「それは簡単! 慣れだよ、慣れ!」

 五十嵐は厳しく言い渡してから、続けて力強くはげます。

「ジェスチャーゲームもそうだったけど、最初は二人ともぎこちなく、表情も硬った。けど、繰り返しているうちに少しずつ出来るようになっただろ。それと一緒。回数こなせば自然にできる。さあ、日が暮れる前に苦手を治そう」

 ビデオカメラの前での漫才練習は、ケータリングのおやつタイムを挟んで計十回。その後の休み時間のことだった。

「二人とも、最初に比べるとずいぶんよくなったよ」

 ねぎらう五十嵐に、雄大は喜ぶどころか、

「セリフ読むので精一杯だったもの。ボク、良くなったって実感ぜんぜんないよ」とふたくされている。

「じゃ、どれだけ変わったか、見てみる?」

「どうやって?」

 不審気な雄大に、五十嵐はカメラの録画ボタンを止めて店内のテレビにケーブルで繋いで再生ボタンを押す。すると漫才を演じる二人の姿が現れた。

初めて見る自分たちの漫才を演じる姿に、

「うわ〜オレの声って低いー」

「ボクの笑う顔って変〜」

目を閉じたり、手で耳をふさいだり、椅子の後ろに隠れたりと二人は大忙し。でもイヤがっているわけではない。どこか楽しそうだ。

「ほらごらん。一回目と十回目は二人の様子がちがうっての、分かっただろ」

「確かに。ダイの表情がリラックスしてる」

「じゃ、ボク十一回目はもっとリラックスに挑戦。あっと、その前におやつタイム」

「さっき取ったとこやろ!」とつっこむ春馬。

練習開始後の三人は、初めてそろって笑い声をあげた。


〈アマチュア演芸コンテスト〉の日までの練習では、今日を合わせて二回しかない。

いつものように春馬は公園で雄大と待ち合わせて「ヘヤーサロン五十嵐」店の扉を開けると、ロールカーテンで閉めきった店の中が真っ暗だ。

「あれ? こんちはー」

「イガラシさーん、いないのー」

二人が口ぐちに呼びかけると、「ジャジャーン!」の声とともにパッと明かりがともり、笑顔の五十嵐が立っていた。

「わ~~ なに、これ!」

 目の下に広がる光景に、春馬と雄大は目を見開いたまま固まってしまった。

先週まで棚にずらーっと並んでいたガンダム、鉄人28号、エヴァンゲリオンなど300体以上あるフィギアとプラモデルすべてが、学校の運動場での全体朝礼のように床にずらり整列していたのだった。

「なんでなんで?」

「棚の大掃除?」

 早口で問いかける春馬たちに、五十嵐は真剣な顔で告げた。

「今日は彼らがお客さん。人前で演じるのに慣れてもらうために、彼らをお客に見立てて練習する」

「じゃ、このカメラの三脚は?」

「センターマイクの代わり。これを真ん中に二人が並んで立って漫才をやる」

「うわー、おもしろそう。ダイ、こい!」

さっそく春馬が三脚の前に立ち、手をひっぱられた雄大も並ぶ。

「ここから見ると、ほんまにガンダムなんかが、お客さんみたい。ワクワクするな」

「そ、そうなんかハルマは……。ボク、プラモデルでも、これだけの数に見つめられると緊張して心臓バクバクだよ」

「ダイくん、慣れだよ、慣れ。じゃあ、本番つもりで、僕が『はい!』って言ったら、あそこの洗面台の方から走り出てきて、センターマイクの前でしゃべり出す」

「ボールはどうする?」と春馬が手に持つボールを掲げてきく。

「今日は店内だから、エアーで。それじゃあ行くよ、はい!」

 五十嵐はストップウォッチを押した。

「はーいー、どうもどうも~」

 二人は駆け足で三脚の前に並んだものの、案の定ダイはあとのセリフを二回噛み、さらにツッコミをひとつ飛ばすミス。

「なんか、いつもと違う環境だと、ボクの身体動かないよ」

「ダイくん、リラックス、リラックス。体の力を抜いてクラゲのようにフワフワと」

 アドバイス通りに、ダイはゆらゆら身体を揺らす。

「じゃあ、もう一回、はい! それではどうぞ!」

 五十嵐は、またストップウオッチのボタンを押した。

このコンテストでは漫才はもちろん、落語や手品、腹話術など、どの演芸も三分間を越えると失格だ。その後も繰り返し行われた練習が終わったのは二人の帰宅門限十分前。あたりはうす暗くなっていた。

「今日はここまで。次回が最後だから、練習は公園で実際にドッチのボールを使ってやろう」

「はい!」二人の返事は元気よかった。


 子どもが相手とはいえ、五十嵐にとって久しぶりの漫才の仕事は気持ちが晴れる。春馬たちが帰ったあと、風呂に入った五十嵐は湯船に浸かり、帰り際に頼まれた二人ののコンビ名を考えていた。

「名字でいくなら『真田・堀部』、果物ならば体型から『マンゴーとバナナ』かな……そうそう、ドッジボール漫才だから『ドッジ&ボール』とか――」

しかし、浮かぶどのコンビ名もいまひとつインパクトがない。これまでに多くのコンビ名を見てきたが、いざ自分がつける側になると、ネーミングの難しさを痛感する。

 風呂上がり、ビールが飲めない五十嵐はタオルで頭を拭きながら、キンキンに冷えたビールジョッキに、いつもの『カルギュー』をつくる。これはカルピスに牛乳を混ぜただけの五十嵐特製飲み物だ。

「カルピスと牛乳でカル牛……ドッキングね。ケーキ屋と天ぷら屋かぁ……」

五十嵐はテーブルにあった不動産のチラシの余白に思いついたまま、

――モンブラン、ミルフィーユ、ショートケーキ、揚げ物、ちくわ天、レンコン天など、走り書きをした言葉を口にしては、『カルギュー』をゴクゴク。

そのうちに「あっ」と思わず笑みがこぼれた。


 最後の練習日、公園で実際にドッチボールをしながら漫才を演ってみた。

前回のフィギア作戦が効いたのか、特に雄大は公園に犬の散歩にきた知らない人たちに見られても、さほど緊張はしないようだ。

数回練習してひと休みのあと、立ち上がった五十嵐が手を叩いて告げた。

「よし、これで本当に最後の練習だ。気合入れて行こう」

 それに応えるように、いつも通りに離れて並んで立っていた春馬たちがいつもより大きな声で掛け合いを続けて、ネタが中盤にさしかかったときだった。

「痛たたた〜」としゃがみこんで顔をしかめるダイ。春馬が投げたボールを取り損ねたダイが右手人差指を痛めたのだ。

「大丈夫? すまん、ちょっと気合入りすぎた」

駆け寄る春馬に「だい…じょう…ぶ。ボクが…取り損ねたの…だから」と返すダイのとぎれとぎれの声。走って店に戻った五十嵐が持ってきた救急箱から湿布を取り出し、ダイの親指に貼りつけ包帯を巻いた。

「とりあえず応急処置はしたから。ダイくん、家、どこだっけ?」

「え、なんで家?」

「ご両親に説明しないと」

「オレも行く。ボール投げたんオレやし」

「いいったら、いい。ボクが取り損ねたんだから。ただの突き指だって。それより、もう一回練習しよう」

「ドッジボール漫才はもうやめよう。これ以上、指が悪化するといけないから」

「え〜 せっかく練習したのに」

泣きそうな顔をするダイに春馬が「コンクールはまた来年あるし」とさとす。

「いやだいやだ、出たいよ! ドッジボールなしでも漫才したい。イガラシさんなんとかしてよ、漫才作家でしょ。ねえ」とダイの左手が五十嵐の腕を掴んで揺らす。

 五十嵐は駆け出しの頃、ベテラン漫才師に言われた言葉を思い出した。

――ワシらの仕事は口さえ動いとったら定年はないんや。

――道端で出会った二人が、楽しそうに喋ってたらそれがもう漫才なんや。

ボールがなくても、春馬とダイが楽しく喋れば、それが漫才だ。

「よし、わかった、ドッチボールなしのネタに変えよう。時間もないから、今から店に戻って創るぞ」

五十嵐は、春馬とダイとハイタッチ。

「痛ててて。わすれてたよ、突き指したこと」

「おいおい……」と心配する春馬と五十嵐をよそに「大丈夫。ボク、そう言うお茶目なところあるんだ」とダイは笑っていた。


 店に戻った春馬たちは、ソファーの真ん中にノートパソコンを開いた五十嵐が座り、その両脇に春馬とダイが腰をかけた。

「ドッジボールの『どっち』を使おう。例えば『目玉焼きにかけるのは、醤油かソース? どっち?!』とか」と五十嵐が提案。

「それいい! じゃあ、こんなのどう?」と、春馬と雄大は立ち上がり、

「食後のおやつは、モンブランか紅生姜天ぷら、どっち?」

「ボク両方!」

「どんだけ食いしん坊やねん!」

「修学旅行、行きたいのは北海道、沖縄どっち?!」

「う〜両方!」

「だから無理やねん、選択は一つ!」

 勢いあるやりとりを続け、五十嵐も必死でパソコンに打ちながら負けじと案を出す。

「じゃあ、後半はクイズにしてみよう。三択になってたり、ヒントが出たり」

「ヒントも五個ぐらい出してね」

「それで最後『答えは知りませんので、自分で調べてください!』ってのはどう?」

「ハルマ、その案めっちゃいい!」

 一時間後、新しい「ドッジネタ」完成。

 五十嵐が冷蔵庫から取り出したカルピスと牛乳でいつもの「カルギュー」を作った。

「よし、ネタ完成記念のかんぱーーーい」

三人は軽くコップを当て合い、ゴクゴク飲み干し、春馬がわざとらしくゲップした。

「春馬がゲップした!あははは〜」とダイもすぐに真似、それを「二人とも汚いな〜」と突っ込む五十嵐もゲップ。

漫才創りの楽しさを、久しぶりに実感の日だった。

 

 五十嵐が店の扉を開け春馬とダイを送り出したとき、

「あ、そうや、イガラシさん、オレらのコンビ名考えてくれた?」

 春馬とダイが期待の目を向けた。

「ああ、考えたよ」

「どんなコンビ名?」

 目を輝かせる二人に五十嵐は、

「『モンブランの天ぷら』!」

 言い終わると同時に扉を閉めた。扉の向こうでは、

「何じゃそれ、『モンブランの天ぷら』って」

「笑えるー」

 春馬やダイのはしゃぐ声が聞こえてきた。

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