第6話 呪文?

 この日の放課後。春馬は雄大と公園で待ち合わせて、五十嵐を訪ねることにした。昨日、〈なにわトツプ劇場〉へ連れてもらった時の帰り道、五十嵐の落ち込みは自分たちの失言のようだと春馬は気づいて、なんとか励ましたいと思ったのと、さくらからの質問、リハの件もあるからだ。

 後から来た雄大が、春馬の手に持つ紙袋に目をやって鼻をひくひくさせている。

「なんかいい匂い、その袋はもしや!」

「ピンポン! 店番を頼まれそうになったから、『今から一平らと図書館で宿題しにいかなあかんねん』って言ったら、『勉強やったらしゃない。お腹減るやろうから、これもって行き。先に外のベンチで食べろ』って、お父さんが揚げたてのベニテンくれたんや」

「やった、食べたい、食べたい」と手を叩く雄大に「どうしようかな」とじらす春馬。

「じゃあ、店番したくないからって、嘘ついたこと、おばさんにバラそうかな」

「それはあかん!」

 こう見えて春馬は照れやである。だから両親のように「あげたてさくさくの紅生姜天、どうですかー。えび天、ちくわ天、ごぼう天。穴の開いたレンコン天は、先が見通せて、ゲンええよー」なんて、口から出まかせに声を張り上げるのは、クラスメートのお母さんたちにはもちろん、知らない人にも気が重い。ましてそんな姿、同級生には、ぜったいに見られたくない。だからから、どうしても店番を任されたときはいつも「客よ来るな。クラスメート通るな」と念じながら店に立っているのだった。

「イガラシさん、おみやげ喜ぶかな」と言い合いながら〈ヘアーサロン五十嵐〉の前につくと、ロールカーテンが降りていた。

「あれ、お休み?」

「今日は月曜日だから、きっと定休日なんだ」

「へんなの。たいてい毎日お休みなのに、そのうえ定休日もあるんや」と、春馬が扉のスーモークのガラスをのぞく。

「もしかしてイガラシさん、落ち込んでるんじゃない? だってハルマったら、イガラシさんの書いた『ジェットコースターズ』漫才面白くないって言ったから」

「ダイなんか、ネタすら覚えてなかったやろ!」

「さあ、知らないよ」

 とぼける雄大に春馬は軽くケリを入れ、扉の取っ手を何度も押し引きするが、開かない。扉に耳を近づけた雄大が「なんか聞こえるよ」と小声で告げた。

春馬も雄大を押しのけて扉に耳をくっつけると、かすかであるが、何やら呪文を唱えているような低いつぶやき声。

「ハルマ、あの噂、本当になったみたい」

「そう。ぜったいオレらをうらんでるよな」

などと言い合っていると扉が少し開いて、眩しそうに目を細めた五十嵐が顔を出した。

「あ、なんか声がすると思ったら、君たちだったのか」

「ご、ごめなさい」

「呪いだけは、かんべんして」

 両手を合わせる春馬たちに、五十嵐はけげんな顔をむけた。

「いったい、なんの話」

「だって、今、ブツブツ呪文唱えてたでしょ?」

「えっ、呪文……? ちがうよ。さ、そんなところに立ってないで、入り」

 苦笑しながら二人を招き入れた五十嵐は、手に持っていた小型の機械の停止ボタンを押した。

 春馬がそろりと近寄りのぞきこむ。

「これは、ICレコーダー。この間の久しぶりに書かせてもらった『ジェットコースターズ』の漫才。気を取り直して、いま自分の声で録音して聞いてたんだ」

「そうやったん。オレ、この間のイガラシさん漫才、面白くなかったって言うたから、怒って呪いかけてるんかと思った」

「前にも言ったろう。スベるのには慣れてるって」

 苦笑しながら言う五十嵐に、

「けど、なんでそんなヘンなこと、してるのん。なあ」と不思議そうに顔を見合わせる春馬たち。

「漫才はしゃべり言葉だから、書いたセリフは録音して再生して、耳で聞いてみないとおかしな部分がわからない。これは僕が書き始めたときの習慣だった。そんなこと、今ちょっと思い出してね」

「耳で聞くって、何のためなん?」

「そうだ、前に春馬くん、ダイくんをはじめて見たとき、たしか〈大福〉って叫んだって言ってたね」

 春馬は、イガラシさんの手元を見てうなずく。

「もしも文章なら〈大福餅〉って書いた方が丁寧で分かりやすい。けどしゃべり言葉なら〈大福〉の方が短くて、リズム感いいよね」

「うん。餅がつくと、もっちゃりする」

「そう。より気持ちいいリズムにするため、こうして耳で聞いて無駄な言葉をカットしていくんだ」

「そうなんか!」

「漫才作るのって、結構大変みたい」

「――で、今日はどうしたの」

「あ、そうや! 今日はお土産もってきました。はい、ベニテン」

 春馬は手提げから紙袋を取り出した。

「それはうれしいね。お昼、食べ損ねたもんでお腹が減ってたんだ。食べていいかい?」

「どうぞどうぞ、イガラシさん」

 元気よく進める雄大に、「お前が言うか!」とすかさず突っ込む春馬。

「君たち、いいコンビだね」

「ほんまに?」

「もちろん。いま活躍のコンビの中にも、もと同級生っていうのがわりあいあるから。ちょっと待ってて、お茶入れてくるから」

 五十嵐が暖簾の向こうへ消えたあと、春馬は改めて店内をながめた。

棚という棚に大小三〇〇体以上あるプラモデルとフィギアがポーズをとって並び、奥の丸いテーブルに待機中の一体が、色づけ待ちのエヴァンゲリオン初号機だった。

「これ、みんなイガラシさんが作ったんだよ。いいなぁ、こんなに沢山あって」

順に見て回りながらうらやましがる雄大とは反対に、春馬は心配になってきた。

(この店、よっぽどヒマなんや。ほんまに大丈夫か)

 五十嵐は、持ってきたお茶を鏡の前の台に置いて、三つある散髪椅子の真ん中に座り、両隣に春馬と雄大が座った。

「それでは、いただきまーす」

 大きな鏡には、フライング気味にベニテンにかぶりつく雄大の幸せそうな顔。

「こうして、串にさしてあるのは親切でいいね。手が汚れないし」 

 五十嵐も食べはじめたが、春馬は目の前で両親の味がテストされているようで、ドキドキしながら鏡の中の二人の顔を交互に見る。

「うーん、この味、思い出したよ。母親が中学のときのお弁当のおかずによく入れてくれてね。さめても美味しいし、おまけにこれでお弁当のご飯、みんな食べられる。すっぱさとピリッとした辛さのバランスが絶妙! そのうえほんのり紅色、さくさく感の衣が食欲をそそるねぇ。いやー、だんだんやる気が出てきたぞー」

 五十嵐は憑かれたように喋り続けながら、二つ目の紅しょうが天に手をのばした。


 そのあと春馬たちは店内のテレビで、若手人気コンビ『ツーピース』DVDを見た。

「オレ、笑いすぎて腹筋がいたい」

「ボクも少し面白さ、わかってきたよ」と珍しく雄大もうなずく。

「この『ツーピース』にも台本あるの?」

「もちろん。でも今の彼らは、自分たちで相談しながら書いたのを演じている」

「なんで、イガラシさんらに頼まへんの?」

「若いうちは自分で書いて、腕をみがく必要があるからだ。けどコンビを組んで何年かたつとお互いに飽きてきて、二人でネタを作るのが面倒になったり、マンネリってこともある。そんなとき僕らのような漫才作家に声がかかるってわけ」

「漫才作家って、なん人ぐらい、いるの?」

「大阪でも十人もいないかなあ」

「へぇー、少ない」

「絶滅危惧種みたい。なんで?」

「なかなか、これだけでは食べていけないからね。ほとんどの人がテレビやラジオの台本も書いている。僕の場合は散髪屋だったけど」

「ほんとは、どっちをやりたいのん?」

「もちろん漫才作家。でも、もう注文こないだろうな」

 五十嵐が諦めたように力のない声て言ったとき、春馬はふっといいことを思いついた。

「じゃ、オレらの漫才、書いてよ」

「え、君たちが漫才を?」

「そうかて、さっきイガラシさん、オレらのこと言うたやんか。『いいコンビだね』って。だからオレ、漫才してみたい。な、ダイ」

 あわてて大きく首を振るダイ。真似て五十嵐も首を振る。

「無理無理、今は漫才書ける気がしないんだ」

「なんでなん?」

「正直、いまは何がおもしろいのかが、分からなくなってきて」

「じゃあ、イガラシさん、ドッジボールしてみたら?」

「えっ、なんでドッジボール?」

「そうかて、なんか楽しいことしたら、おもしろいこといっぱい、おこってくると思うんやけど。な、ダイみたいに」と春馬は、雄大が転校した来た日の、ドッジボールの件を話し、雄大も笑顔でうなずく。

「なるほど。確かにそれは一理ある」

 五十嵐がうなずいたとたん、すばやく雄大が右手をマイクに見立てて、リポーター風に声をあげた。

「これは、素晴らしいアイディアです。もしかして、ハルマは天才かもしれませんね」

「おいおい、もしかしてじゃなくて、オレは生まれたときから天才なんですよ」

 春馬は雄大と腕を組み声をあげて笑い合い、つられて五十嵐も笑い出した。

「もう、君たち見てると元気が出るよ」

「ほんとに?」

「じゃ、五十嵐さん、オレらの漫才書いたら、もっと元気でるよ。イガラシさん元気づけるためにも、オレたち、コンビを組まなくっちゃ、な、ダイ」

「あ、あのボクは……」

「いいから、いいから。イガラシさん、オレらの漫才台本お願いします」

「いやいや。僕が書くより、君たちでネタを創った方がぜったいにおもしろいと思うよ」

「創るって、どうやって?」

「漫才は会話だから、いまのように二人で喋りながら創ればいいんだよ」

「なーんや、簡単やん。ほんなら、明日の昼休みに創ろうぜ、ダイ」

「えー、そんなの、イヤだイヤだイヤだ。昼休みぐらい、のんびりしたいよー」

「うちのお母さんみたいなこと言うな! 明日の給食のおかず、好きなもの一つあげるから、な、ええやろ」

「え〜 一つだけ? フルーツは?」

「わかった、ぜんぶやるけど、梨はオレ好きやから、ナシ」

「そんなこと、ナシ」

「よーし、コンビ契約成立!」

「その調子でいいんだ。書いてごらん」

 この日、雄大と別れたあと、春馬は大事なことを思い出した。

「あっ、リハのこと聞くの忘れた」

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