第5話 五十嵐の漫才台本

 舞台ではトップ出番の若手コンビ『ニコイチ』が演じており、舞台の袖には次の舞台で五十嵐の台本を演じる中堅の漫才コンビ中野・林田が待っていた。

五十嵐に気づいた中野は、舞台の袖のすき間から客席をのぞいて、小声で聞く。

「な、五十嵐、今日は親子連れが多いみたいやな」

「はい。中国雑技団の曲芸が目当てのようです」

「ああ、二、三日前の新聞に出てな」

「そうです。それと前の席には熊本からの修学旅行中の中学生が五〇人座っています」

 先ほど知った進行からの情報を伝えると、中野のコンビ相手の林田が、

「ほな最初は『どっからきたんですか?』と軽く修学旅行生にふれて、それから『ほかに行くとこなかったんかい!』までいくわ」と言ったとき『ニコイチ』の漫才が終わった。   

 お囃子にのって袖に戻ってきた『ニコイチ』が、小さく声をそろえて、

「お先に勉強させていただきました」と中野と林田におじぎをした。

「客はどんな感じや?」

中野は口の中の飴をティッシュに出して聞く。

「まあまあいい感じの、温かいお客さんでした」

「そうか。けど今日のオレら新ネタやから、どうやろ」 

「まあ、頑張ってくるわ。五十嵐くん、ウケるように祈っといてくれ」

中野&林田コンビは深呼吸をしてから、駆け足で舞台中央に出ていった。

 

 ボケの林田と突っ込みの中野からなる『ジェットコースターズ』は、テンポの良いしゃべくりが特徴の芸歴一八年の中堅コンビだ。結成三年目で各テレビ局の新人賞を総なめにし、中堅事務所の看板コンビとして注目された。しかし、二人ともにひかえめな性格からか期待以上の活躍はできずに、今ではたまに呼ばれるテレビも「いまいちパッとしない昔の芸人たち」というくくりのコーナーぐらい。同期のコンビがレギュラー番組を持つなかで、劇場にしか仕事のない二人はかなりあせっていた。

 一方、漫才作家の五十嵐も『ジェットコースターズ』と同じようにもがいていた。五年前に上京したもののうまくいかず、地元に帰って理髪店を再開したが離れた顧客は戻って来ないし、若者は繁華街のヘヤーサロンへ行く。こんなとき久しぶり〈ヘヤーサロン〉にやってきた、父親の代からのお客だった〈なにわトップ劇場〉支配人の紹介で書かせてもらった漫才が、今日の『ジェットコースターズ』で、五十嵐にとっても勝負をかけた漫才だっだのである。

 舞台の『ジェットコースターズ』の漫才は、演じ慣れた前半までは良かったが、後半の五十嵐の新ネタに入ったとたんに、ぎこちなさが客にも伝わり、笑いはどんどん減っていく。やがて舞台の二人の顔はひきつり、目が泳ぐ。

そんなコンビの様子を、舞台の袖で祈りながら見ている五十嵐――。

 とつぜん客席で大きなクシャミ。すぐに林田が、

「そら、このさむーい(・・・・)空気やったら、クシャミの一つも出ますわな」と自虐ネタ。

 結局、後半の五十嵐の漫才でウケたのは、客のクシャミのシーンだけだった。

 なんとか演じ終えた中野・林田が、五十嵐の待つ袖に戻ってきた。

「こわかった。正直、舞台の電気ブレーカーが落ちるとかのハプニング、起これへんかなって、漫才をしながら本気で思ったわ」

「せやけど、久しぶりやで。相方の〈タモリ〉さんの物真似を見たのは――」

苦笑いしながら中野も言う。つまり、昔やってウケた物真似ネタまでもひっぱり出さなければ舞台を降りられないほど、舞台は辛い状態だったということだ。

「すみません」

 五十嵐が、申し訳なさそうに頭を下げる。

「いやいや。こっちも、五十嵐くんの書いた台本やるのも初めてで、自分の言葉になってなかったからや」

「また機会あれば――」

 口ぐちに言って、林田と中野はそそくさと二階の楽屋へ戻って行った。

袖に立ったまま見送る五十嵐は、『ジェットコースターズ』が今の舞台で受けたダメージを考えると、このコンビ以上に落ち込み、申しわけない気持ちでいっぱいだ。

(漫才を書くのは、やっぱりもうあきらめた方がいいのかも――)

五十嵐は、またもや弱気になっていた。

 

 三人の長い影が地面に映る帰り道。

五十嵐は春馬たちに、今日見た〈なにわトップ劇場〉の演目の感想を聞いていた。

「オレ、生(なま)の漫才って見たのはじめてやったから、めっちゃ面白かった」と言いながら、春馬は雄大のまるまるとした影を踏み、雄大も、

「ボク、中国雑技団のショーがすごかった。ほら、ボクらぐらいの女の子が、何回も何回も宙返りしたり、タコのように体を柔らかくして見せたりしたところ」

負けじと、春馬の細長い影を踏みかえす。

「そうか。じゃ印象に残った漫才は?」

「やっぱり楽屋で会った『エレキーズ』が最高! ダイは?」

「あの人たちの得意フレーズ、初めて聞いたけど、ボクの頭の中に入り込んでしまって」

 二人はエレキギターを弾く真似をして、

♪ 電気ビリビリ、パンツビリビリ、テストビリビリ~~~

後ろを向いたり横に跳ねたりと、飛び跳ねるようにして歩く。

「ねえ、イガラシさん。明日、『エレキーズ』のDVD借りに行っていい?」

「ごめん、明日は大阪にいないんだ。友達の結婚式に出なきゃならないから」

「ざんねん。それやったら、またこの次にいったとき貸してね」

「ああ、いいよ」

五十嵐は力のない声で返事のあと、勇気を出して聞いてみた。

「プログラム二番目に登場した『ジェットコースターズ』って漫才、どうだった?」

二人は思い出しているのか、少し沈黙があったのち、

「えーと、オレいちばん面白くなかった。ダイは?」

「ボク、いまいち覚えてないよ」

春馬たちは思ったままを口にした。

(やっぱり――)

 この台本に再起をかけていた五十嵐は、二人の正直な感想にますます気力をなくしてしまい、肩を落としてのろのろ歩く。そんな五十嵐に、気づいてふり向く春馬と雄大。

「あれ、イガラシさん、どうしたん。はや夏バテ?」

「今日のお礼に、ボクらがひっぱってあげる」

二人は両方から五十嵐の手をもち、

♪電気ビリビリ、パンツビリビリ、テストビリビリ~~~

ますます楽しげに繰り返したあと、春馬が思いついたように聞いた。

「イガラシさんの書いた漫才って、どのコンビやったん?」

 今さら『ジェットコースターズ』だとは言えない。

「えっと、あー、今日は打ち合わせだけだったから」

五十嵐のごまかす素振りに、春馬はハッと気が付いた。

(しまった。たしか『ジェットコースターズ』ていってたような)

 何か話かけたいのに、何を言っていいのか分からない。きっと今の五十嵐には、春馬が何を話しかけても、言い訳めいてフォローにはならないだろう。雄大ひとりが、

「ほんものの漫才って、思ってたより楽しいね。

♪ 電気ビリビリ、パンツビリビリ、テストビリビリ~~~」とはしゃいでいた。


 夕方、家に帰った春馬は、すぐに店先のお母さんに今日の出来事を話そうとしたとき、

「くそっ! なんでオレが新入りのあいつと、余興担当やねん!」

 奥の作業場から聞こえるお父さんのどなり声。

「夕べの寄りあいでも、また余興のことでモメたみたい」

ヒソヒソ声で顔をしかめるお母さん。せっかくの楽しかった気分を邪魔されてしまった春馬は、

「もう、なんやねん、大人のくせに。ちゃんと仲良うしたらええのに」

あきれたようにつぶやいて、奥の茶の間へあがりテレビを見ていた。

そこへ、とろ火で炊いていた夕飯のカレーの出来具合を見に来たお母さんまでが、

「ええ身分やな、店番もせんと。お母さんかて大好きな宝塚歌劇、もっと何回も見に行きたいねんよ」

思い出したように怒りだし、思いきり耳を引っ張られた。

(なんちゅう親やねん、二人とも。オレに当たり散らさんといてよ)

『エレキーズ』の話をするどころではない。逃げるようにトイレに駆けこんだ春馬は、大きなため息をついてつぶやいた。

「これじゃ、わが家が怒りでビリビリやー」


 月曜日の朝。

春馬が教室に入るなり、待ちかねたように一平が寄ってきた。

「ケータリングって、なんのこと?」

 窓側で四、五人のクラスメートにとりかこまれた雄大の方を見ると、みんな目を輝やかせてうなずいている。どうやら雄大が、一昨日、五十嵐に連れてもらった〈なにわトップ劇場〉の様子を話しているらしく、ここでケータリングの話が出たようだ。

「教えてよ。ハルマの方が詳しいってダイが言ったから。ニュース屋のぼくが知らないのはまずいだろ。だから早く」

 雄大に負けじと説明しているところへ、やってきたさくらが不思議そうに聞いた。

「でもハルマくん、どうしてケータリングのこと知ってるの?」

「そう言うさくらも、なんで知ってる?」

「それは、仕事で行くファッションショーの会場とかに置いてあったから。こういう業界でないと、普通の人はあまり知らないと思うけど」

「まあ白状すると、オレもちょっと業界の人間かもな」と胸をそらせる春馬。しかし、そこへやって来た雄大に、

「それはさ、昨日、たまたま知り合いのイガラシさんに、なにわトップ劇場に連れてもらって、漫才師さんの楽屋見学をしたからね」

あっさりバラされてしまったが、さくらは雄大の言葉にえらく興味を持ったようだ。

「ねぇ、漫才さんたちって、楽屋ではどんな感じ? アホなことばかり言ってるの? 普段着はオシャレ?」

まるで、芸能レポーターのように質問を連発する。

「とにかく、のどは大事やから、のど飴だけは欠かせないって」

「それはそうね。おしゃべりが仕事だもん。あと、漫才もリハとか毎日してるの」

「リハ……?」

雄大はもちろん、春馬も「リハ」の意味がわからずに返事につまる。

「ね、どうなの、リハは?」

いまさら、どういう意味なのかとは、かっこ悪くて聞けない。

「えーと、リハは――」

無理に答えようとしたところで朝のチャイムが鳴り、さくらは残念そうに席へ戻った。

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