第3話 ヘヤーサロン五十嵐
春馬の言う通り〈五十嵐理容店〉は、この町で生まれ育った店主である五十嵐の父親が五十年間近く続けていた店だ。ひとり息子の〈デーモンたわし〉こと公介は、小学生の頃からテレビのお笑い番組が大好きで、理容専門学校在学中より〈演芸・台本創作センター〉に通って漫才台本を書き、卒業後は父親の店を手伝いながら作家活動を続けていた。
春馬も五、六歳の頃までは公介のお父さんにカットしてもらっていたし、商店街の人たちも散髪はここでと決めている家が多かった。ところが五年前に公介のお父さんが急な病気で亡くなった。すでに五十嵐の母親は病死、二人の姉は他府県に嫁いでいた。
このころ漫才やコント番組のレギュラー作家として活躍していた公平は、その勢いのまま店を閉じて東京へと勝負に出た。昼は駅ナカの理容店で働き、夜は台本を書くというスタイルで大阪以上の活躍のチャンスをうかがっていたが、これといったブレイクのないまま、気がつけば上京してから五年経過、三十二歳になっていた。
そこで、もう夢を追う歳ではないと三カ月前大阪に戻り、気持ちも新たに店名も〈ヘヤーサロン五十嵐〉と変えて再開した。ところが以前の客はすでに他の店の常連になっているし、五十嵐自身は父親ほど愛想がよくないうえに、もともと地元には溶け込んでもいない。だから客はほとんど来ないので、店はたいてい閉めたまま状態になっていた。
こんなとき一平が町ネタ探しに空堀周辺をパトロールしていると、珍しく〈ヘヤーサロン五十嵐〉のロールカーテンが上がっていた。スモークガラス越しに店内を覗くと、鏡の前に立っているアフロヘアーの五十嵐が、ひとりで笑ったり顔をしかめたり。口元も動いていて、何かブツブツつぶやいているような、異様な様子が伺えた。
この情報に興味を持った春馬も偵察に行ったところ、その姿はかなり不気味だった。そこで春馬は、悪魔の意味のデーモンとアフロヘアーから連想したタワシを組み合わせて「デーモンたわし」とネーミング。それを一平が〈からほりニュース〉に取り上げたものだから、「デーモンたわし」と、あのブツブツは「嫌なヤツにのろいをかける呪文だ」との好き勝手な噂がひとり歩き。それだけではないと思うが、近所の人も不気味がり、ますます客は寄りつかない。
ということで漫才台本を書く気は失せたうえに、理容に専念する意欲も失くした五十嵐は、小学生のときよりもう一つの趣味だったロボットやアニメのプラモデルを作りに精出して、なんとか毎日をやり過ごしていたらしい。
引っ越してきたばかりの雄大が五十嵐の店へ行ったのは、まさに五十嵐がこんな状態の頃だった。
雄大がひとりで公園まで散歩に来て〈ヘヤーサロン五十嵐〉のまえを通ると、店のスモークガラスごしに、雄大の大すきなガンダムRX-78-2が見えた。
「それでボク、窓からじーっと眺めていると、イガラシさんが扉をあけて『入って見てごらん』って」
「そのとき〈デーモンたわし〉、なんかへんな感じしなかったか」
「べつに。あのヘヤースタイルでちょっと怖かったけど、ガンダムのほかアニメキャラクターもたくさん見せてもらっちゃった」
「後ろから、ブツブツ呪文を唱えられたとかは?」
「ないない。話をすると優しくておもしろくて」
「そうなんか」
「ボク、学期途中の転校だから、クラスに溶けこめなかったらどうしようって。それと、転校を機会にイメージチェンジしたい、って言ったの」
「そしたら?」
「丸刈りにしてみたらって。大阪ではまず目立つことが一番だからだって」
「それで、その頭にしたんか」
「パパとママはびっくりしてたけど、キキメばつぐん。だって、ハルマのおかげもあったけど、クラスにもスーっと溶け込めちゃったもの」
雄大の転校は、かねて大阪出身の父親が地元で独立したいと思っていたときに、祖母名義の商店街の写真屋が店じまいすることになり、ここで〈洋菓子スワン〉開業の運びとなったのだ。
「さぁハルマ、行こう」
雄大について春馬もおそるおそる店に入ると、うわさどおり、店内の壁の周りの棚には、フィギアとプラモデルがところせましと置いてあった。
「こんにちは、イガラシさん」
「おう、君か。丸刈りのキキメはどうだった?」
「はい、ばっちり。こんなにいい友だちもできました」
「へぇー、ほんとにキキメあったんだ!?」
「え、あれ、出鱈目だったの?」
目を丸くする雄大に五十嵐は、
「実は堀部くん見たときに、この子、丸坊主にしたらマシュマロみたいで美味しそう。きつとみんなに評判いいだろう、って思ったんだ」
「ちょっと、イガラシさんったら」
ガクッと、いかにも大げさにうなだれる雄大に、春馬が追い討ちをかける。
「オレが初めてダイを見たときは、思わず大福!って」
「大福か、そらいいや。君、観察力あるね」
「イガラシさん紹介します。同じクラスで一番先に話しかけてくれた真田春馬くんです」
「こんにちは」
春馬は〈ネーミング〉のこともあって、バレてないかビクビクしながらペコっと頭を下げた。
「そういえば、春馬くん最近、商店街で見かけたような気がする。数日前の夕方、へんなヘヤースタイルで、商店街疾走してなかった?」
「えー、あれ、見てました?」
「ああ、かなり目立っておもしろかった」
「あちゃー、さいあく」
へこむ春馬を見て、雄大がつけたした。
「春馬の家は、商店街の下の〈紅天(べにてん)〉っていう天ぷら屋さんです」
「ああ、いつか地域新聞に、紅生姜の天がぷらが評判って、紹介されてたね」
春馬は、五十嵐にもっていた警戒心を少しときはじめていた。
「それにしても、こりゃ面白い組み合わせだな」
「なんで?」
二人は同時に声をあげる。
「だって考えてみろ。洋菓子と天ぷらって、いっしょにテーブルに並ぶことのない二つだから。ちょっと待ってて。久しぶりのお客さんだから、なんかお菓子とってくるよ」
五十嵐はのれんで仕切られた奥の部屋へ消えたその間に、春馬はDVDがたくさん並んでいる本棚を見ていると、ほとんどが漫才コンビのDVDだ。
「うわぁ、ツーピースやイエローマジックまである」
思わず声をあげたところへ戻ってきた五十嵐は、飴やクッキー、柿の種がのった紙皿を鏡の前の台に置いた。
「春馬くん、漫才好き?」
「幼稚園のころに亡くなったおばあちゃんが漫才大好きで。オレ、赤ん坊のときからいっしょに漫才のテレビやビデオを見て、なんにも分からないのに笑っていたそうです」
「へぇー、赤ちゃんのときからのお笑いファンとは嬉しいね。あ、遠慮せずに食べてよ。こんな、ケータリングの残りしかないけど」
「ケータリングって……」
「携帯のなんか?」
「えっと、なんて言ったらいいのかな。劇場にはタレントさんが休む楽屋があるけど、その楽屋近くにお菓子とか飲み物を置いておく。それがケータリング」
との説明に、顔を見合わせ首をかしげる二人。
「また、こんど詳しく説明するよ。あ、ちょっと待ってて」
ふたたび奥に入った五十嵐はお茶と紙コップを持ってきた。ついさっき、たらふくケーキを食べたばかりだから、さすがの春馬も今はお菓子よりもお茶がいい。いっきに飲んでから、さっきから気になっていたことを質問した。
「イガラシさんも『お笑い』が好きなんですか」
意外にも五十嵐は顔をくもらせて、つまらなそうに答えた。
「今は『お笑い』のこと、考えたくもないって心境かな」
「じゃあ、前は考えてたんですか」
「ああ。朝から晩まで寝ても覚めても四六時中――」
五十嵐は投げやりのように言い、三人とも黙りこんでしまった。しばらくすると、
「今の本業は散髪屋――と言いつつこれもさっぱりダメ。でも、再挑戦したいことはあるにはある」
重い空気を破るように、もとの穏やかな笑顔を見せた。だから春馬たちも、
「わかった、ユーチューバー?」
「もったいぶらず教えてよ」
目を輝かせ、そんな様子につられたのか、五十嵐は思いきったように口にした。
「やはり、みんなが大笑いする漫才台本を書くこと――かな」
「えー、漫才って台本あるのん?」
「ああ。今の若手は、ネタは自分たちで作ってるコンビがほとんど。だけど僕が書きはじめたころはよく依頼があって、僕もべテランや若い漫才さんに台本を提供していた」
「オレ、そんな台本、見てみたい」
「今さらなぁ……。けど、ま、いいか」
思い切ったように奥の部屋に行って戻ってきた五十嵐は、手にした蛇腹のファイルケースから取り出した一冊の台本を、「内容わかるかな」と春馬に手渡した。
目を輝かせて受け取る春馬と、貸してもらったガンダムをいとおしそうになでている、無関心の雄大。
「ちなみにこれは『新しい刑事ドラマを考える』ってテーマで、〈もしサッカー好きの刑事だったら〉で書かせてもらった台本だ」
黙読していた春馬が途中から声に出して読みはじめ、なんとなく台本をのぞいた雄大も加わって交代で読みはじめた。
「あの犯人の後をこっそりつけるぞ、カツカツカツカツ(足音)」
「先輩、足音がうるさいですよ。何を履いてるんですか?」
「サッカーのスパイク」
「普通のスニーカーにしてください。犯人にバレますから」
「もう時間もない。俺があの男に接触してくる」
「あぶないですよ。凶器をもっているかもしれません。僕もいっしょに行きます」
「おまえはここで待て。もし俺に何かあっても絶対手は出すな……足を出せ」
「足はええんかい!」
ここまで読んだところで、五十嵐が止めた。
「ありがとう。目の前で声に出されて読まれると恥ずかしいよ。で、どうだった?」
「けっこうおもしろかった。ダイは?」
「うーん。国語の時間、当てられて音読しているようで。緊張してたから、おもしろいかどうかまでは、わかんなかったよ」
「オレ、お笑い芸人になりたくなった。イガラシさん、オレに素質あるでしょうか」
「素質ねえ。〈デーモンたわし〉のネーミングから考えると――」
「あちゃー、これもバレてたんですか。すみません」
おもわず深く頭を下げ春馬に五十嵐は、苦笑しながらアドバイス。
「自分ちの〈紅天〉継いだほうがいいよ。今の業界の状況では、台本の注文ってほとんどないんだから」
「ほんならイガラシさんは今、どんなコンビの漫才を書いてるんですか?」
「残念ながら……今はない」
投げやりのように言いながら、台本はファイルにもどした。
この日の夕食後。お父さんは、さっき誘いに来た焼き鳥屋「鳥よし」のおっちゃんと「カラオケ」に行ったし、お母さんはいまはお風呂に入っている。だからお風呂上りの春馬はパジャマのスボンだけで座布団に腹ばいなって、一平が置いていったあのファッション雑誌の表紙に見とれていた。
「かっこええなぁ、さくら……」
服装と化粧のせいか、高校生にも見える北川さくら。
本誌の「読者モデル」特集ページに、さくらの写真の横にプロフィールが載っていた。
好きな音楽 「Perfume」
好きな食べ物 「イチゴとメロンパン」
いまハマっているもの 「お笑い」
「えーっ、お笑い!」
昼間、五十嵐の台本を読み上げていたシーンを思いだし、雄大と漫才をしている自分の絵を目に浮かべてみる。
やせてるボケのオレと、ぽっちゃりツッコミ丸刈りのダイ。
それを客席から笑っているさくら。
おまけにそれがイガラシさんの台本なら――
ひとりでに笑いがこみあげてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます