第2話 紅生姜天(べにしょうがてん)とケーキ
学校が終わっての帰り道。春馬は今日のドッジボールの一件の反省から、堀部に近道を教えてあげることにした。どこに住んでるのかを一平の情報で知ったからだ。
「ほんまに焦ったで。先生が縫ってるって言ったときは――」
「ボクも、まさか転校初日で、ズボンのお尻が破れるとは思わなかったけどね」
「卒業文集に書くいいネタできたやろ」
「そんなこと、恥ずかしくって書けないよ。でも、今日は真田くんがイジッてくれたおかげで、休み時間、クラスのみんな喋りかけてくれて、すごく助かった」
「教室入ってきた、おまえを見た瞬間、オレの頭に大福がバーンっと浮かんで」
今朝のやり取りを話しながら、迷路のような路地を進んで行く。
「ね、この路地にはどうして『火の用心』ってポスターが、あちこちに貼ってあるの?」
「ここらへん、狭い道の路地(ろーじ)が多いから火事のとき大きい消防車が入られへん。それにお年寄りが多いし、昔に建った木の家ばっかりで燃えやすい。火事なったら大変やろ」
「あー、そうなんだ」
「あ、このポスター、オレが描いたやつ」
「本当だ。真田春馬って書いてある。でも『火の用心』の字より、名前の方が大きいね」
「そのほうが、オレの名前、みんなに覚えてもらえるやろ。真田春馬に清き一票を!」
「選挙に出るんじゃないんだから。でも、大福はほんとに嬉しかったよ、みんなが笑ってくれて。できることなら、ボク、大福よりモンブランの方がよかったな」
「なんでや?」
「ボクんち、ケーキ屋なんだ」
「ええっ、うらやましい〜、ケーキ食べ放題やん!」
頑固なほど和菓子好きな両親のせいで、大好きなケーキは誕生日とクリスマスしか食べられない。
「今度、余ったケーキ持っていくよ」
「いいね! じゃあ、その代わりにうちの名物紅生姜(べにしょうが)の天ぷら、食べさしたる」
「え、紅生姜の天ぷら!?」
「そう。オレんとこ、商店街で〈紅天〉っていうお惣菜の天ぷら屋をやってる。で、いちばんのおすすめが紅生姜の天ぷら、ベニテンや」
「紅生姜って、牛丼にのってるピンクのアレだよね」
「そう。あの紅生姜を、平たくうすーく切って衣つけて揚げる。特にオレんとこのは、ぽってりした衣がついているのに、サクサクっとして、揚げたては特別の食感や」
「へぇー」
「おまけにうちのには、おやつ用ってのもある」
「それって甘いの?」
「まさかな。けど、これには、お母さん独特にブレンドしたヒミツの衣があって」
「えっ、どんな?」
「ちょっとバラすと、ホットケーキの素がはいってるけど、その分量がヒミツ。冷めてもぜんぜんひつこくなくて――」
「あっさりとした天ぷらかぁ」
「そう。おやつ用は串にさしてある。こうしておくと、どこででも手を汚さんと食べられるし」
「いいね。真田くんちの天ぷらって、そんなにたくさん特長あるの」
「俺、ちょっとジマンしすぎたかな、へへへ」
ふだんの春馬は、店のことなどこれっぽっちも考えていない。なのに気がつけば雄大に、一生懸命ながながと、店の宣伝をしている自分がおかしかった。
「オレ、ちょっと自慢しすぎたかな」と話しているうちに、路地の出口近くに近づいた。
「あそこを左に曲がれば、おまえが知ってる通りに出る」
「ありがとう。近道、教えてくれて。それに、ベニテン美味しそう。聞いているだけで食べたくなっちゃった」
「じゃあ、今度、オレんち来い。食べさせてやる」
「うん、行く。真田くん、今日はたくさんありがとうね」
「その、真田くんっていうのやめろ。みんなのように ハルマって呼べ。オレ、おまえのことは――そうや、ダイって呼ぶから」
春馬は〈大福〉のダイからのつもりだった。しかし堀部は、
「ダイか。ボクの名前が雄大だし、気に入ったよ、ありがとう」
にこっと満足気にうなずく雄大も、春馬におとらずはやとちりのようだった。
それから一週間後の六月三回目の月曜日、やっと雄大に来てもらう時間ができた。
春馬は前日の日曜日に行われた地域の少年サッカー試合の練習で、毎日放課後、近所のグランドで特訓が続いていたからだ。
それで、今日は寄り道もせずに学校から帰った。すると店右奥の調理場から「あのバカ野郎めが!」というお父さんの大きな声。ギクっとした春馬は、
(算数のテストの点バレた? それとも、お風呂洗いの手抜きがわかって……)
めまぐるしく原因を考えながら、店番中のお母さんのそばに行くと、エプロンのポケットから、七月二十七日(日)開催の〈第五回からほり祭りについて〉のお知らせのチラシを取り出した。
「これが、どうかしたん?」
小声で聞く春馬に、お母さんもひそひそ声で告げる。
「さっき、FAXで届いたこれを見せたとたん、急にお父さんの機嫌が悪なって」
「こんなもんぐらいで、なんで?」
三日前、商店街の事務所で今年のからほり祭りの会議があったときのことだ。
「今年も余興担当のお父さんな、出演してもらうゲストの件で、新入りの組合員さんとえらいモメたって。そのこと、このチラシ見てまた思い出したらしいて」
原因が自分でなかったことに、春馬はふーっと胸をなでおろしたが、調理場のお父さんは、「おれは、今年も演歌歌手がええ言うたのに、あいつはテレビに出てる漫才師の方が、若い子は喜ぶって。アホか!」と、腹立たちさをまな板にバンバン叩きつけて、野菜を切っているようだ。
「なんやねん、新入りがエラそうに。この商店街界隈は年寄りが多いんじゃ。そんな事情も知らんくせに、何を言うとんじゃ。おまえの考え甘すぎるわ!って。まあケーキ屋やからしゃーないか」
春馬は調理場を気にしながら、また小声で聞いた。
「どこのケーキ屋さんともめてるの?」
「なんでも、商店街に新しくオープンの〈スワン〉って店らしいわ」
ふと春馬は、ロケの日、一平にもらったチラシを思い出した。急いで店の奥に向かい、茶の間でランドセルをおろすと、棚においたままのチラシを改めて見た。
すると、そこには〈洋菓子屋スワン〉の写真。ドキッとした春馬は念のため調理場へかけこんだ。
「お父さん、その洋菓子屋の人、なんて名前?」
「えっと、たしかホリベや」
「えーっ、堀部――」
「知ってるのか、春馬」
「い、いやべつに」
「そんならエエけど。その名前、口にするだけでも腹が立つ。よう覚えとけ。以後、誕生日もクリスマスも、ぜったい紅白まんじゅうやで。わかったなっ!」
店先に戻りあぜんと立ちつくす春馬は、笑顔でやってくる雄大の姿に気ずいた。
(あ、やばい)
やきもきする春馬の気も知らず、笑顔のままで雄大は、
「これ、パパが、お近づきのしるしに皆さんでどうぞ、って」
持っていたケーキの箱をさしだかけた瞬間、春馬は雄大の前に飛んでいき、箱を押し戻して耳もとでささやいた。
「な、な、今日は公園で遊ぼう」
「えー、紅生姜の天ぷらは?」
「こんど、たらふく食わしてやるから。なっ」
「じゃあ、ボク、ご両親に自己紹介だけでもしておく」
「ええって、今日は――とにかく公園へ行こう」
「どうして? 挨拶しておかないと、ママに叱られちゃうよ」
声をひそめて押し問答をしているところへ、調理場から出てきたお父さんが、あいそよく声をかけてきた。
「お、見かけん子やな。サッカーの友だちか」
「あ、あのぼく……」
「ダイ、いくぞ! 公園へ」
必死で雄大の手をひっぱり駆けだす春馬。
「あーっ、箱の中のケーキが――」
「傘持って行けよー。夕方から雨になるらしいから」
春馬は、店の表でやたら声を張り上げる良夫の忠告を聞き飛ばし、商店街途中の公園に通じる路地へと曲がった。
事情が飲み込めない雄大を空堀公園のベンチに座らせた春馬は、これまでの父親たちの事情を話した。
「そうだったの。ごめんよ、ハルマ」
「別に謝ってもらわんでも、どっちもどっちやから。親同士のこと、オレらにはぜんぜん関係ないもんな」
「もちろんだよ」
「けど、イヤやな。もう二度とケーキは食べられへんのか」
「じゃ、いま食べてよ」
雄大はことづかってきたケーキの箱を、春馬の膝の上にのせた。箱をあけた春馬は、
「うっひょ~。ものすごくうまそう!」
まずモンブランを口に入れる。
「うめ~。甘味が体中に染みこんで、イヤーなこと、きれいさっぱり消えていく――」
そこへ一平がやってきた。
「やっぱりここだった。いま店に寄ったらおばちゃんが、見かけない子と出かけたって言ったから」
「なんか用事?」
「ビックニュース! ハルマだったらきっと飛び上がって喜ぶよ。知りたい?」
「もったいぶらずに、さっさと言え」
「じゃあ、そのケーキ一つちょーだい」
二人の前に立った一平は、わざとらしく指をくわえる。
「どうぞ、一平くん。これ、パパが全部作ったんだ」
「ああ、堀部くんとこ、ケーキ屋さんだってね。どれにしようかな」
にこにこ顔でショートケーキを選んだ一平は、立ったままで鼻の頭についたクリームを気にもせず夢中で食べている。
「――で、ビックニュースって?」
モンブランを食べ終わった春馬が、ひと息ついて聞いた。
「はい、ハルマくん。ちょっとこの雑誌の表紙、見てちょうだい!」
春馬は、一平がまるめて脇にはさんでいた女性ファッション雑誌を抜き取った。
広げた表紙にはぬいぐるみを抱いた女の子が三人、仲良くポーズをとっている。その真ん中が北川さくらだっだ。
「これ、さくらやんか」
「ね、ハルマ、ビックニュースでしょ」
春馬は、思わず口走りそうになった「かわいい!」をぐっと胸に押しとどめて、
「さくらって、へんな格好して、えらそうに真ん中に立ったりして」
わざと興味なさそうにつぶやき、
「さくらちゃん、かっこいいね」
「サインもらっちゃおうかな」
感想を言い合う雄大と一平に、バカにしたようにいった。
「おまえら、子どもか!」
すると雄大に、
「まだ子どもやでー、小六やでー」
へんなイントネーションの大阪弁でつっこまれるし、一平には、
「ハルマも、実はさくらちゃん、可愛いと思ってたりして」
うすうす感づかれているようだ。
「アホかー」
お見舞いしようとしたパンチを、一平はすばやくかわして走り去った。
「おーい、これ、忘れているぞー」
雑誌をもってさけぶ春馬に、公園の入り口で立ち止まった一平は、
「ハルマにあげる。それじゃあ、またあしたー」
両手を頭上で振りかざして走り去った。
「こんなんもらっても、しゃあないけどなぁ」
春馬が雑誌を片手に困ったフリをしているところへ、ポツポツ雨が降ってきた。
(お父さんの言うてたとおりや)
すぐに雨は大粒へとかわる。春馬は雑誌を濡れないようにTシャツの中にかくしていると、公園前にある〈ヘヤーサロン五十嵐〉の店先で男の人が、「おーい」と声をあげて、手招きしていた。
「あ、イガラシさんだ。雨宿りに行こうよ、ハルマ」
「イガラシさん……? あかんあかん、あそこはもと〈五十嵐理容店〉いう散髪屋や。けどあの〈デーモンたわし〉になってから、何されるか分からんあやしい店になってる」
「そのデーモンたわしって、イガラシさんのこと?」
「そう。あのたわしみたいな頭見たら分かるやろ。絶対ダイも近寄るなよ、あの店に」
春馬の顔は真剣だった。
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