モンブランの天ぷら

藤田曜

第1話 転校生は大福

あげたて さくさく べにしょーがてん

  こうばしぃて おいしいよー


 店先でお父さんのはりあげる、ちょっとばかり時代遅れの呼び込み声を耳にしながら、真田春馬は洗面所の鏡の前に立っていた。

「おっ、なかなか決まってるんとちゃう?」

ヘアークリームがついた手でかきあげた鏡の中の、ツンツンに立たった髪の毛の自分に見とれていると、鏡にわりこんできたのは、怒ったカマキリみたいな顔のお母さんだった。

「そんなことしてる間あったら、店番手伝い!」

「あ〜時間や、はよ行かんと――」

「行くって、どこへ?」

「ちょっとそこまで、大事な用事」

「大事なって、まさかそんな頭して、テレビの撮影に映りこもうなんて気と違うやろね」

(おー、さすがオレの母。もうバレてるやん)

梅雨の晴れ間をぬって今日、日曜日の夕方、坂の上、つまり商店街東の入り口で『なにわの人情刑事』というテレビドラマの撮影が行われる。 

このニュースは同じクラスの情報屋、樋口一平が教えてくれた。

 テレ屋なのに目立ちたがりやの春馬は、すでにお母さんがお見通しのように、うまく野次馬にもぐりこんで画面に映り込み、あとで一平たちに自慢しようと目論んでいたのだ。

 春馬のTシャツの裾をぐいっとひっぱる母親の手をふりきって茶の間を出た春馬は、店先で天ぷらをあげている良夫の横もすり抜け商店街へ飛び出した。

 豊臣時代、大阪城の堀があった跡なので「空堀」と呼ばれるこのあたりは路地の多い町である。六年生の真田春馬の両親は、こんな町のなだらかな坂道が東西に八百メートル続く空堀商店街の下、つまり西の入り口近くでお惣菜の天ぷら屋「紅天」を営んでいる。 

名物は、衣までがうっすらピンク色した紅生姜の天ぷらだ。

 春馬が、夕方の買い物客でにぎわう商店街を、おばちゃんや買い物カートを押すおばあさんたちを避けながらたどり着いたロケ隊のあたりは、すでに近よれないほどの人だかり。そんな人ごみかきわけ焼き鳥屋「鳥よし」の前にたどり着いた時、無線機を持った汗だくの男に手を広げて通せんぼされ「今から撮影に入りますので、この先への通行は少々お待ちくださいませ」と丁重に断られた。

「なんやねん。もう映るどころか、なんにも見えないやん」

やせっぽちの春馬が必死でジャンプしていると、店先で手羽先を焼いていた、お父さんのカラオケ友だち「鳥よし」のおっちゃんが吹き出した。

「春馬、なにごとや、その頭?」

「えっ、オレの頭がどうしたん?」

「ほら、よく見てみろ」

おっちゃんはぐいっと春馬を店内に引っ張り込んで、壁掛け鏡の前に押しやった。

「ひゃー、ほんまや」

 猛スピートで走ったからか、ツンツンだった髪の毛は台風の被害にあった稲のように後ろへ倒れていた。

「あのな、それ、リーゼントって言うんや。なかなか似合ってるぞ、ははは」

 すると奥から出てきたおばちゃんも、やっぱりあきれたように笑う。

「ちょっと、あんた。この子にリーゼント言うてもわからへんわ」

「ほんなら教えたる。リーゼントちゅうのは、オシャレな男がする髪型。おれも若いころにはそれでバシッとキメて、ようモテた」

「そうそう。あの頃のあんた、かっこよかったわ。けど、今ではこの通り」

 おばちゃんは、おっちゃんの頭にふーっと息を吹きかけてから、「ロケ、豆腐屋の岡田さんところでやってるらしいから、ちょっと覗いてこ」と出ていった。

 はやとちりの春馬は、おっちゃんの後の言葉を聞いていない。 

(これってオシャレなスタイルか。もしかしたらスカウトされたりして)

 店を飛び出しロケ現場に一番近い街灯のポールをスルスル登る。

(たくさんの人おるな。あれ、ランドセル背負った女の子も。なんでこんな暑いのにみんな長袖を着てるねん、どんな顔してるんや? こっち向け、こっち)と春馬はわざと「は、はくしょ〜ん、おら〜」と大きなくしゃみ。

 案の定、びっくりした女の子がこっちを見上げた。

「さ、さくら!」 

「あ、ハルマくん!」

 同時に声をあげたのは同じクラスの、子供向けのファッション雑誌のモデルとして活躍中のさくらだ。

「おまえ、そこで何してるねん?」

「見ての通り撮影。ハルマくんこそ、そんなとこ登って何してるの。危ないよ」

「さくらも、テレビに出るの?」

「ちょっとだけね。っていうか、そのヘンな頭どうしたの?」

「ヘンな頭! ? アホ、これは、おしゃれな髪型リーゼント」

「あのね、ハルマくん。リーゼントってのは、ずっーとむかし、昭和の時代に流行った化石みたいなヘアースタイル。今時そんな髪型ないよ」

 こんなやりとりに、周りの人が春馬に気づいて吹き出したときだ。

「それではテスト本番!」

スタッフの大きな声が響き、さくらは「じゃあ、また明日」と豆腐屋の店の中へ入っていった。一気に力が抜けおちた春馬は、地面に滑り降りる。

「このヘヤースタイルが化石やと――」

 さくらの一言にショックを受けているところに、カメラのシャッター音が響く。見ると同じクラスの樋口一平が立っていた。

「ハルマやったら、絶対ロケ見に来てると思った」

 新聞記者を夢見る一平は、ひとりで月に二、三回「からほりニュース」という、身近な出来事が満載のフリーペーパーを発行している。

「オレの写真、載せるなよ」

「載せへんよ、今回はこのテレビロケもあって、ネタ豊富やから」

「ええこと教えたる。このドラマにさくらも出るらしいぞ」

手についた砂をズボンで払い、春馬は立ち上がった。

「えっ、マジで、マジで、それはすごいニュースや スクープや!」

「豆腐屋の岡田の店先で、ランドセル背負って立ってたで」

「うひょー、いいネタありがとう! お礼にこれあげる。ハルマ、甘党やろ」

  ウエストポーチから〈洋菓子屋スワン オープン記念〉のチラシを取り出した。

「えっ、新しいケーキ屋、できたん?」

「そう。ほら、上の商店街の角に写真屋さんがあったあの跡にな。知らんかった?」

「オレ、あの辺あんまり行かへんから」

「このチラシ端っこの引換券持っていったら、ミニケーキ試食させてくれるって。それも今日中やで」

「一平は行かへんの?」

「本当はそこ取材しようと思ったけど、今はさくらちゃんの方が大事。じゃねー」

ロケ現場がより見えるところを探しにと小柄な一平は人混みをかき分け消えた。

 ミニケーキは試食したかった。が、それ以上に時代遅れと言われたリーゼントと一刻も早くおさらばしたい。もらったチラシはとりあえずポケットに突っこみ、春馬は、ロケのおかげで人通りのすくなくなった商店街の緩やかな坂道を、猛スピードで家に向かった。


 次の日の朝。春馬が学校に向かっていると、追いかけてきた一平が「できたてほやほや」と差し出したのは、さくらの顔が大きく載ったA4の〈からほりニュース8号〉だった。

「えー、もう書いたんか」

「ニュースは鮮度が大事。さくらちゃん、豆腐屋さんの子どもの役やって」

「放送いつなん?」

「たしか、秋頃って言ってたな」と一平は、わざとらしく取材手帳を開いて確認する。

「それで長袖着てたんかー」

「テレビドラマは、だいぶ先のものを撮るからな。あと、ちゃんと裏面も見てや」

 裏返すと、変な髪型で情けない顔した春馬の顔。

「オレの写真、載せるなって言うたやろ」と一平をヘッドロック。

「痛いって、ギブギブ暴力禁止。その代わり、とっておきのビックニュースを教えるから」

「ほんまやろな、言うてみろ」

 ヘッドロックを外すと、右手をマイクに見たてた一平は、

――夕べあるスジから得た情報によりますと、新学期が始まって二カ月もたった今日六月十一日、ぼくたち六年一組に横浜からの転校生が来るとのことです――。以上『からほりニュース』特派員の樋口一平がお伝えしました。

 一平の家には、生まれも育ちも空掘の、まだまだ元気な八十三歳のおばあちゃんが居るから、こんな情報は誰より早くわかるのだ。

 教室ではすでに転校生の話題で騒がしい。もちろん発信元は一平だ。おかげで、さくらもクラスのみんなも、昨日の春馬の変な髪型の件に触れてくることはなかった。ほっとして自分の席に座ったところでチャイムが鳴る。と同時にシルバージャージがトレードマークの担任、福田先生が入ってきた。

「はい、うるさいぞ」

 出席簿の角でトントンと机をたたき、得意の、静かになるまで先生はしゃべりません、戦法を始める。これに従わずにしゃべり続けていると、計算ドリルの宿題が追加されるので皆はすぐに黙るのだ。福田先生はいつものように満足げにニコっと笑い、

「はい、今日はいいニュースがある。それはねえ――」

声のトーンを変えたところで、先に声をあげたのは春馬だった。

「転校生がきまーす」

「こら真田、たとえ知っていたとしても言うんじゃない。これは先生の仕事だろうが」

 福田先生のわざと顔をしかめた様子に、あちこちから笑い声がもれる。

「じゃあ、さっそく紹介しよう。さぁ、中に入って、堀部くん」

 うながされて教室に入ってきたのは、新品の真っ白いブラウスがまぶしい、丸刈りでまん丸に太った子だった。

(なーんや、男かぁ)

 背はクラスで真ん中より少し後ろでやせっぽちの春馬よりも少し高いようだ。ほっぺを真っ赤にした堀部は、体に似合わない弱よわしい声で、

「堀部雄大です、よろしくお願いします」

 気をつけの姿勢でひといきに言ってから、ほっとしたようにペコっと頭を下げた。

「堀部くんはお父さんの仕事の都合で、横浜から引っ越してきたそうです」

 すぐに「はいっ」と手をあげたのは一平だ。

「先生、早く仲良くなるためにも、堀部くんのニックネーム決めてはどうでしょうか」

 あわてた先生が一平の案を止める間もなく、春馬の頭にあるモノがはっきり浮び、善し悪しの判断前に「大福!」と浮かんだイメージを口にしていた。春馬の放ったひと言に一瞬、教室には「笑っていいのか」と迷う沈黙が漂ったが、破ったのは意外にも堀部だった。

「あの……ボク、確かに美味しそうだけど、せめて生き物にしてほしかったなあ」

はにかんだ笑顔の切りかえしに教室は笑いに包まれ、つられて笑った福田先生もあわてて難しい顔に戻り、

「真田! 言っていいことと悪いことがあるぞ」と強い口調で注意。が、堀部は、

「あの……先生、ボク平気です。前のクラスでは豚まんって呼ばれていましたので」

 教室にはさらに大きな笑い。ただ春馬だけは、なぜか悔しくて笑えなかった。

 五時限目の算数が終わり、六限目の体育は跳び箱だったが、福田先生は堀部が早くクラスになじめるようにと、ドッジボールに変えた。

 ドッジボールのエース的存在の春馬がいつも以上に燃えたのは、相手チームに堀部にいるからだ。ぽっちゃり体型はあきらかに不利で、すぐにチャンスがやってきた。

仲間から外れて一人になった堀部めがけて「これでもか!」と言わんばかりに、力いっぱい投げたボールが顔面に命中。堀部は足を滑らせひっくり返った。

「よしゃ〜」とガッツポーズし飛び跳ねる春馬。

すぐに誰が「あっ、鼻血!」と叫ぶ。飛んできた審判の福田先生がティッシュで応急措置をして、念のため保健室へと連れて行った。

そのあと、すぐに春馬に駆け寄り、抗議したのはさくらだった。

「ダメでしょ。至近距離から思いっきり投げるなんて」

「ボールが浮きあがったんや、太ももを狙ったつもりやのに」

「あとでちゃんと謝るんよ」

さくらは強い口調で言い、女子の輪に戻った。


 ホームルームの時間に堀部の姿はなかった。福田先生はいつものように「明日の宿題を発表する」と黒板につぎからつぎへと書き始め、あちこちから不満の声があがる。いつもは真っ先に文句を言う春馬だが、今は堀部のことが気になって無言。

「はい、連絡事項は以上、それじゃあ日直」と先生がホームルームをしめようとしたとき、さくらが声をあげた。

「先生、堀部くん、どうしたんですか」

「今、保健室で縫ってもらってる最中だ」

「えー」といっせいに上がる驚きの声。

「そろそろ終わるころだから、誰か迎えに行ってやれ」

反射的に手を挙げた春馬に先生は「よし、頼んだぞ」

 春馬は小さくうなずき教室を飛び出した。

まさか縫うまでの怪我をおわすとは――。

三階の教室から階段を二段飛ばしで降りて、ダッシュで一階の保健室に駆け込んだとき、養護教論の白井先生が針と糸をしまっているところだった。

「あら春馬くん、血相かえてどうしたの」

「堀部くん、大丈夫ですか」

「今、縫い終わったところ」

「えっ、縫うって、顔ですか……」

「顔じゃないわよ、お尻よ」

「お、お尻!?」

思わずポカンと口を開ける春馬。そこへカーテンを開け堀部が出てきた。

「先生、ありがとうございました」

「堀部、お尻……縫ったんか」

「そう。制服のスボンでドッジボールしたから、ひっくり返ったときビリっと破けちゃったんだ」

「なんや、それ〜〜」と春馬の力が一気に抜けた。

「もしかして、縫うって、怪我だと思ってたの」

白井先生の声のトーンも一気に上がる。

「だって、血が出てたって言ってたから」

「血は鼻からよ。相変わらずの早とちりね」

白井先生につられて堀部も笑う。

「笑うな! 本当に心配したんやぞ」

安心のあまり、春馬はベットにドサッと寝そべった。

「ごめんね、心配かけて。えっと、春……?」

「春馬だよ、真田春馬! 覚えとけ! あ〜、こっちが具合悪くなってきたやんか」

「大丈夫?」

 心配そうに顔をのぞき込む堀部に、「逆だよ、もう逆!」笑いながら怒る春馬だった。

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