6-2

 ガシャー……ン、と、甲高い悲鳴を上げてショーウインドウのガラスが割れる。

「探せぇ、探し出せ! 化物を炙り出すんだ!!」

「化物を探せ! 探して殺せ、殺し尽くせ! あたしたちの街を取り戻すんだ!!」

 街は混迷を深めていた。

 あちこちから、細い煙が上がっている。パァン、と響く銃声。どさりと重い何かが地面へ倒れる鈍い音。

 ケット・シーの国より帰ってきたアークたちを出迎えたのは、街を席巻する魔女狩りだった。住民達は手に手に武器を持ち、血走った目で、街を徘徊し自分たちとは異なるものを見付けようとしていた。

「探せ、探せ!」

「殺せ、殺し尽くせ!!」

 其処此処から怒号が響いている。そして、それに紛れて、いくつかの悲鳴も。

「―――……先手を取られたな」

 チ、とがら悪くアークは舌打ちした。

 ニィたちと今後のことを話し合い、こちらから打って出るつもりで帰参した。だが今、彼らの想像よりももっと悪く、敵の手は街を絡め取っている。

「向こうも、一度失敗しています。挽回に必死なのでしょう」

「だからといって、これはちょっとおいたが過ぎるよね」

「……やっぱり、お仕置きが必要よねこれは」

 最後の一言は、何故かやたらに低く迫力のある声で呟いたミナだ。

「いたずら小僧はほんっ―――とうに困るの。ええ、本当にね。何度も何度も院の弟たちに、よぉおおおおっく言い聞かせたものですよ、お姉ちゃんは」

 聞けば、院にはミナの下に、十三人の子供がいたらしい。さすが長女の貫禄である。

「悪いことは悪いのよって、誰かがちゃんと言ってあげなきゃ」

 軽口に紛らわせているが、当然、ミナもことの重大さは理解している。これはもう、子どもの行きすぎた悪ふざけで済む話ではない。

「どうだ、アディ。解るか」

「はい。……街全体を、網のようにドゥーエの力が覆っています。おそらくは教会を通して信者たちにじわじわと洗脳していたものを、神力で一気に拡大したのでしょう。我々の持つ力は、口に出したことを現実にするものですから……」

 救い主イエスが立て、と言った病人は、寝付いた床を自ら払って歩いたように。海よ割れろ、道を示せと掲げたモーセの杖が、あの大海を割ったように。

「現実を従わせる力、か。ああ、本当に人間らしい神の有りようだよ」

 そうやって人間は、想像からファントムを産み出した。

「ミナ。お前はやれそうか」

「……多分。でも、こんなふうに、街全体は無理です」

「いい。予定通り、頭を叩く。ドゥーエの力が消えれば、このパニックは治まるな?」

「はい。そのはずです。洗脳だけで、ここまでの騒ぎは起こせません。基本的には、ここは人間とファントムとが隣人として良い関係を築いてきた街なのですから」

 ウーノ―――今はアディと呼ばれる少年の力強い肯定を得て、アークは自らの魔力を放出した。

 身体の一部を黒く霞ませ、生まれた靄を無数の小さな蝙蝠へ変える。その一匹一匹に、声と力とを持たせて街中へ放った。

「行け。―――行って、皆を守れ」

 蝙蝠は、人間に紛れて住むこの街の、全てのファントムへアークたちの伝言を運ぶ。

 必ずこの狂騒は終わらせるから、今は自分の身を守って、隠れていろと。もしも妖精たちなど、帰れる場所がある者は、向こうの世界へ一時避難するようにと。

「アーク、終わった? イケた?」

「ああ。ミナのおかげで、だいぶ力を取り戻した。この街全域に使い魔を配置する程度は、今の俺なら問題ない」

「ふふ、そうか。頼もしいね」

 さあ、この一日で全てを終わらせよう。

「ニィ、アルタンは」

「うん。キャスのところに居るように、お願いしてる。キャスを守って、って」

「……お前が傍についていてやらなくて、いいのか」

「うん。これでいいんだよ」

 ニィはいつもの顔で笑った。

「守るなら、僕よりアルタンが正解。クーの国の男は騎士だからね。こうと決めた人の事は、絶対守り抜いてくれるんだよ。それが友人の恋人であろうと、剣の主でなかろうと絶対にね」

 それに、僕は。

「さすがに頭に来てるからさ。キャスに酷いことした奴を、一発殴ってやらなきゃ気が済まないんだよね……」

 ぞっとするような声色は、ニィの本気を余すことなく伝えてきた。オーエンはただ、そんなニィの後ろで当然のようにお供します、と頷いている。

―――とにかく、ことの頭を叩く。

 それはニィの国を出る時に決めてきたことだった。

「おそらくドゥーエは、あの教会の聖堂にいます。教会は勿論、封鎖されているでしょう」

「正面突破か?」

「いえ。固めているのは十中八九、ヌーメリです。彼らは簡単に殺し、簡単に自分も命を捨てる。愚策です。姉上を連れ出した時には手薄だったのでむしろ正面から出られましたが、今回は裏側から回り込んだほうがいいかと」

「裏口か?」

「いえ。……イーストの五番、その突き当たりに、地下を通じて教会まで伸びる隠し通路があります。元々は小学校と教会を繋ぐ避難経路だったようですが、今はもう任命された司祭も助祭も知りません。ヌーメリが見つけて、彼らはそこから教会の地下、隠し部屋へ出入りしていました」

「なるほど。では、そこから行こう。地下なら、邪魔する人間も少ないだろうしな。お前、案内できるか」

「勿論です」

「―――じゃあ、そろそろだな」

 アークはバサリ、とその背で黒い大きな羽根をはためかせた。

 ふ、とその様子を見た、ミナが笑う。

「どうした?」

「アーク、本当に吸血鬼みたい。黒いマントに、黒い羽根。赤い目に長い牙」

 歌うように数え上げられたその特徴に、アークも笑った。

「知らなかったのか。俺は本物の吸血鬼なんだ。だから」

 悪役は悪役らしく、神の使者相手に対決といこう。

 片腕へ、巻き込むようにミナを抱く。アディは狼の姿へ変化したエリクの背に乗り、ニィたちの瞳の中で瞳孔が細長く、縦に伸びた。

「行こう」

 短く告げて、アークがふわり、ミナごと空へ舞い上がる。

 飛ぶように走るエリクを先頭に、そうして彼らは、混乱のただ中へと駆けだしたのだった。




 イースト五番通りの最奥へ辿り着くまでの道のりは、けして簡単なものではなかった。

「あっぶな!」

 恐れ気もなく振り下ろされたナイフの一撃を、横っ飛びに飛びすさってエリクが躱す。

「アディ大丈夫!? しっかりしがみついてて!」

「は……はい!」

 アークはその襲撃者を、空中から一羽の蝙蝠をぶつけることで倒した。蝙蝠は、アークの魔力の塊だ。襲撃者の頭部をぶわり、黒い靄で覆って気絶させる。

「おっと、油断しちゃ駄目だよ!」

 その横合いから飛び出して来た男は、ニィの拳に殴り飛ばされてビルの壁へと叩き付けられた。オーエンはそんなニィの背中を守って、銃を構えるもう一人の男を蹴り飛ばしている。その爪先でべきっ、と銃身まで蹴り折ったのはご愛敬というものだろう。

「化物だ! 化物がいるぞ!!」

「こっちだ! 殺せ!!」

 住人達は、わらわらと集まってきてアークたちを囲もうとする。今は力押しで突き進んでいるが、このまま押し切れるかどうか。

「……エリクの手はもう、使えないしな」

 前回取り囲まれたその時には、エリクの使ったベナンダンテの守護の力でどうにか敵を一掃した。

 だが、あの手はリスクも大きい。隙が出来すぎる上、今はエリクもアディを守らなければならない。

 オーエンへ襲いかかる男へまた空中から蝙蝠を飛ばしながら、アークは舌打ちした。

 倒しても倒してもきりがない、のは、前回もあったことだ。織り込み済みではある。だが、だからといっていたずらに消耗するのを黙って見ているわけにもいかない。

「……ミナ」

 頼みの綱は。

「もう……少しです。もう少しで、多分、掴めそう……」

 腕に抱いた少女、ミナの放つ白光だった。

かつてこの街に来た初日に、ミナはその光でキャサリンの洗脳を解いている。

―――懸念事項はひとつ、姉上が洗礼を受けていないことです。

 ケット・シーの国を出る前、ウーノであるアディはそう言った。

「救い主イエス・キリストがそうであったように、私たちの力が完全に神と繋がるのは、バプテスマのヨハネから洗礼を授けられたあとになります。おそらくはそれが、一種のトリガーなのではないかと」

 だからドゥーエは派手に能力を行使できる。

 だからアディは、漏れ出た分をやりくりしてしか、能力が使えない。

 そして、ミナは。

「姉上は、潜在的な能力で言えばおそらくドゥーエを凌駕するでしょう。あの光の柱を見ても、それは明らかです。ですが、姉上はまだ洗礼を受けていない」

「教授は、わざとミナが洗礼を受けないよう留めていたそうだ。おそらく奴は、そのからくりを知っていたんだろうな」

「そうですね。もし姉上が力を使っていたとしたら、見つかるのはきっとずっと早かったでしょうから……」

 洗礼を受けないまま巨大な力を行使することは、無理矢理に身の内にあるものを絞り出して消耗することに等しい。

「ですから、この状態のまま姉上が力を行使することは、あまり望ましくない。既にかなりの負担がかかっているはずですから」

 ミナはこれまでに三度、その力を使っている。ニィの部屋で一度目。エリクを癒やすのに二度目。そして、アークの命を掬い上げるのに三度目。

「……確かに一度目は、光が収まるのと同時に気を失って、一日近く昏倒していた」

「昏倒で済んだのは、運が良かったと思いますよ。神と繋がらないまま、人間の身体で神の力を無理矢理従えるんですから、最悪」

 人としての器、肉体が、耐えきれず壊れます。

 アディの言葉に、アークたちはミナの能力を限定することに決めた。

 使えるのはただ一度。

 囲まれたその時、突破口を開くため、付近の住人にかけられた洗脳を、その範囲内だけで解くことだ。

 だが、それは暴発という形で行ってはならない。必ずミナの意志で発動し、制御されなければならない。

 ミナはその発動のきっかけを、「間違っている力の気配」と言っていた。それを直そうとしたのだと。

 ならば、それを意識的に捉えることが出来れば、もしかしたら。

「あっ……!」

 その気配を探るために、アークはミナを連れて空中を飛んでいた。

「どうした、見つかったか」

「はい! これです、見えますか。この、細い糸みたいな……」

「……俺には見えない。だけど、お前には見えているんだろう」

「はい。これは良くないものです。……このままじゃ、いけないものです」

 ミナの輪郭が、じわり、とあの白い光に滲む。

 けれど。

「……大丈夫ですか」

「ああ。何ともない。……むしろお前が、暖かい」

 今度の光は、もうアークを焼かなかった。

 ミナがそっと目を伏せる。

「―――……」

 白い光、はあの時のように爆発はせず、水紋のようにきれいな円を描いてミナを中心に広がっていった。

 眩い光。

―――それでも、目を眇めて尚、見つめずにはいられない光。

 アベニューCとイースト五番通りの交差する、その入口で、そこから先へ進めなかったアークたちを囲むように、光はどんどん広がっていった。

「……すごいや」

 エリクがうっとりと呟く。

 ミナの光は、どこまでも清浄で、無垢だった。触れた端から人々の瞳の狂乱が消え、ふっ、と意識を失って倒れていく。

……だが。

「ミナ。そこまでだ」

 アークはそっと、片手でミナの目を覆った。途端に、ミナの身体からあの白光が消える。

「アーク」

「これ以上は、お前がもたない」

 抱えているから、解る。光が強く輝くほどに、その眩さが広がっていくごとに、ミナからは体温が失われていくことが。今、触れた頬が氷のように冷たくなってしまっていることも。

「でも、まだ!!」

 洗脳を解けたのは、アベニューCとイースト五番通りの交差する、ほんの一部分だけだった。

 これではまたすぐに、アークたちを嗅ぎ付けて操られた住人が集まってきてしまう。

「うんうん、無理は良くないよねえ無理は」

 しかし地上から、アークたちを見上げてニィが手を振っていた。

「と言うわけで、ここは僕たちに任せて進みなよ。足止めぐらいはするからさ」

「お任せ下さい、伯爵。ミナ」

 エリクの尻尾をトン、と叩いて前へ押し出し、道を塞ぐように二人で並び立つ。

「ニィ。だが、」

「うん、一発殴ってやりたかったけどさ。そもそも辿り着けなかったら意味がないでしょ。だからアーク、代わりに思いっきり殴り飛ばしてきてくれる?」

 ニィはいつもの、脳天気にさえ見える楽天家の顔をして笑った。

 そうして笑ってくれたから、アークも迷わず、頷くことが出来た。

「……お前も、無理をするなよ」

「だーいじょーぶ。まっかせて! これでも僕は武闘派だからね!!」

「……ニィはこれでも、国元では軍の一師団を任されています。私が保証しますよ伯爵、ニィは強いです」

「ハハ、頼もしいな。―――エリク!」

「おっけー!」

 一度、足を止めていたエリクも、頷いてまた走り出した。

「後は頼む!」

「どうか、怪我をしないで……!」

「君たちもねー! ちゃんときついの一発、お見舞いしといてよ!!」

 手を振るニィたちに見送られながら、アークはその場から飛び立った。

 イースト五番通りの突き当たり。

 あの時、一度は永の眠りを覚悟したその場所から、フェンスを飛び越えて、その先へ。

 その背中を眺めて、ニィは笑う。

「さあてオーエン、久々に暴れようか」

「……今だから言うが、お前は無茶をしすぎなんだよ。ニィ」

「おっ、調子が戻ったね。だから言ってるのに、いつもそれでいいよって。君、自分の名前の意味、知ってる?」

 ミナの光に触れられなかった住人達が、未だ操られたままの人々が、またわらわらと佇むニィたちの元へ集まりつつある。

「知っている。だからこそ、そう思ってくれるお前達を、俺は守りたいんだ」

 オーエン。

 それは古い言葉で、神の贈り物、という意味を持つ名前だ。

「……まったく、頑固なんだから」

「お前もな」

 二人は顔を見合わせて、ニッ、と笑った。

 オーエンは、ニィが生まれたその日に拾われた野良猫だ。それからずっと、ニィと同じ乳を飲み、兄弟として育ってきた。

 その結びつきは、きっとどんなものよりも強い。

「まあ、君がいるなら何とかなるでしょ。―――ケット・シーの王国近衛が第三師団、師団長『太陽の』スウィーニィ。友誼と、剣を捧げた女性の名誉のため、今ここに参る!」

「……凶兆オーエン、同じく参る」

「そのいかにも黒猫! っていう二つ名、かっこいいよねえ!」

 そうして二人は、笑いながら向かってくる襲撃者の只中へとその身を躍らせたのだった。




 フェンスを飛び越えたアークたちは、そのまま小学校の敷地へ入り込んだ。アディの先導で、巧妙に隠されている地下通路へ潜り込む。

 イースト六番、そして七番を縦断し教会の背面から地下室へ辿り着くという。地下室を抜けてからいくつかの部屋を進み、壁の裏側へ隠されている通路を進むと教会の、一般にも開かれている地下階に出るのだと言う。

「多分教会は、司祭も助祭も軟禁されていると思いますよ。内部はヌーメリの制圧下にあるはずです」

「そこから聖堂までは」

「階段を上がって、廊下を進めばすぐです。……が、」

 素直に進ませてくれるかどうか。そう案じるアディを背中に乗せたまま、しかしエリクはからからと笑った。

「素直じゃない人には、お引き取り願いましょ。そこはミナの言う教育的指導! なんじゃないの?」

 地下通路も、無人、という訳ではない。時折、教会の方からヌーメリたちがやってくる。おそらくは、追加の扇動部隊だ。

「結構しつこいよね! この人たち!!」

 その度に、アークたちは足を止めて戦う事を余儀なくされた。

 討ち漏らしもある。狭い通路では、どうしたって敵の後続までを一度に倒しきることが出来ないのだ。

 遭遇する度、敵の人数は増えていった。それをまた倒しながらじりじりと進んで、……ようやっと、教会の地下室、その入口まで辿り着く。

「うわ、ぞろっぞろ来た。増援連れてきてるよコレ」

 教会側の出口に、灰色の僧服を着た男達が待ち構えている。結局は、時間が掛かろうともこのまま力押しで行くしかない。

 頷き合って目問いでそう決め、アークはそのまま、ミナを抱えて進もうとした。

 が。

「アーク! うしろ!!」

「……チィっ!」

 言われて振り向いたその先、小学校側の出口方面からも、わらわらと灰色の僧服すがたの男達が近付いて来ている。

 挟み撃ちだ。こんな狭い通路で。

(……どうする)

 アークはミナから腕を離すと、その身体を押しやった。非戦闘員であるミナとアディを守りながらここを進むには、二人を真ん中に、先頭をエリクが、しんがりをアークが守って戦うしかない。

 だが、そう考えた時。

「アーク、チェンジ!」

「エリク……!?」

 足下を低く這うようにして駆け抜けたエリクが、アークの前にするりと立った。

 これまでの狼の姿ではなく、人狼、の大きな身体になって、狭い通路を塞ぐように佇む。

「ここは俺に任せて、お前たちは先に行け!……って、人生で一度は行ってみたいセリフだよね~。まさか使う時が来るとは思わなかったけどさ」

「エリク!」

「挟撃はねえ、守って戦うとホントやばいから。動けなくなってるうちに増援がどかどか来ちゃってさ、結局消耗戦で負けちゃうんだよ。一番良いのは各個撃破」

 そうして、ドン、とアークの背中を突き飛ばす。

「と、言うわけで、ここは俺に任せて、前だけ突破して。後ろは絶対抜かせないからさ。君なら出来るよね?」

「…………っ」

 迷っている暇はなかった。ここで時間が過ぎれば過ぎるほど、エリクの言ったことが現実になるだろう。

「……無事に戻れよ」

「あったりまえじゃん! 俺まだシニョリータとデートしてないもん。ね、ミナ。約束したもんね、デートしようってさ」

「はい……! エリクさん!!」

「だから全部片付いたらさ、そしたら今度は俺のこともエリクって呼んでよ。で、保護者付きのデートをしよう!」

 さあ、行って!!

 晴れ晴れとした顔で、エリクが告げる。

「…………っ、デートは不可だ!」

 だからアークは、冗談のようなそんな台詞を叫びながら、言われた通りに駆け出すしかなかった。

「ほら保護者だ! お父さんだよ!!」

 ゲラゲラ笑いながら、エリクも敵へと突っ込んでいく。その背中を振り返ることは、もうアークには叶わない。

 エリクが自ら通路の小学校側へ突っ込んでいったのは、アークたちと敵との間に出来るだけの距離を作るためだ。その配慮を、無駄にしてはならなかった。

 ミナを離した両手から、長い爪が刃のように伸びる。ここに居るのは、戦う覚悟をし、自ら選んで向かってくる敵だけだ。

「ミナ、アディ。……うしろを絶対に離れるなよ」

「解った」

「……解りました、どうかお気を付けて」

 ヒュ、と振り上げた手が、空を切る。

 そうしてアークは五指の鋭い刃を武器に、待ち構える敵の射程距離内へ飛び込んだ。

「……そこを、どけぇえええッ!!」

 ひたり、とこちらへ向けて、構えられる銃口。薄暗い通路へ、赤い火が花のように散る。

 ダダダダダダ、と凄まじい発砲音が幾重にも重なって聞こえた。その間、三分。

「撃ちかた止め! マガジン交換、発砲準備!」

 後方からただ一人、灰色の僧服へ緑のファシアを巻いた男が指揮している。

「……やったか?」

 銃弾の雨が止んだ通路はし……ん、と静まり返っていた。通路出口へ並べるぎりぎりの三人で、幅一杯に行った弾倉全弾の一斉掃射。普通なら、これで生き残れる人間などいない。

 しかし。

「ヒッ……!」

 素早くマガジンの交換を行いながら、油断なく前を見据えていた男が息を飲んだ。

 闇。

 マズルフラッシュに焼かれた目が慣れるまで、少しの時間を要した。闇。そればかりが広がって、動く人影はない。そのはずだったのに。

「残念だが、銃なぞ効かん」

 その闇のすぐ向こう側に、白く幽艶な美貌の男がいた。赤い瞳が、炎のように揺らいでいる。

 ヒュカッ、と空気を切る音が聞こえたか、と思うと、男の足下にごとりと重い何かが落ちた。

 それが小機関銃の長い銃身だということに、気付くまで少し掛かった。

「う……うわあああああああ!!」

 闇、と思ったのは、廊下いっぱいに広げられたアークのマントだった。魔力を通して硬化すれば、即席の盾ぐらいにはなる。

 がた、と崩れた隊列。

 銃身をその鋭い爪に切り落とされた男は勢いよく後退ったが、すぐ後ろへ控えている後続にぶつかって折り重なり、倒れ込んだ。

「貰って行くぞ」

 ばさ、とマントを羽根の代わりにはためかせて、アークは低く飛ぶ。そうして、倒れ込む男達の手元を狙いその爪をひるがえらせた。

 カシャ、ガシャン。

 目では捉えられない速度で、アークの爪は彼らの持つ銃を切り刻んでいく。無残な鉄くずと化した銃身が、互いにぶつかりながら床へ落ち、高く澄んだ悲鳴を上げた。

「ひ……、ひぃ、」

 その隙に、アークはざっとそこへ待ち構えていた男達の人数を目で数える。

 一列三人、三列、最後列に指揮官一。十人ほどなら、このまま押し切れる!

「もう終わりか?」

 何をしている、撃て、撃て。後方から、指揮官が叫んでいる。

ヌーメリ、と言ったか。人間相手に荒事を繰り返して来た後ろ暗い組織の実働部隊でも、本性を現した吸血鬼の本気と戦ったことはないらしい。

 だが、彼らの恐怖も、仕方のないものなのかも知れなかった。

 人間は、本能的に闇を恐れる。そしてアークの本質は、まさにその闇、そのものなのだから。

 カツ、とアークの踵が床を打った。カッ、カッ、……カツ、ン。

 殊更にゆっくりと、僧服の男達へ近付いていく。ニィ、と下弦を描いて吊り上がった唇の端からは、突き出た長い牙が、通路の僅かな灯りを弾いてきらめいていた。

「ば、……化物」

「そうだが?」

 何を言っているんだ、こいつらは。

「どうした。かかって来い。お前達は、その化物の相手をしに来たんだろう」

 何故今更、こんなに怯えるのか。そんなもの、解っていて敵対したんだろうに。

「光栄に思え。―――この不死者の王が、お相手つかまつる」

「う……わああああああ!!」

 ドンッ、ドン、ドンドンドンッ、と。

 続けざまに重たい銃声が響く。機関銃は全て壊したが、個人個人で装備しているハンドガンまではまだ手を付けていなかった。

 しかし。

「だから、銃なぞ効かんと言っているだろうが」

 ばさり、と翻したマントの黒い表地が、その全てを受け止めている。勿論、一発の流れ弾さえも後ろへは通していない。

(これほど変わるものか……)

 百年以上をかけて、ゆっくりと消耗していった魔力。

 血を飲まない以上、減るばかりで戻ることすらない力だった。そうがどうだ。今、力は満ちあふれ、身体の隅々―――それこそ髪の一本にまで、行き渡っているのが解る。一度は瀕死にされたはずの銃でさえ、今はもうなにひとつ恐れるものではない。

 自分が口にしたのは、ただの乙女の生き血ではなかった。敵ですらある、聖なるものに連なる血だ。本来ならば、この身体を今度こそ焼き尽くすはずのものだった。それなのに。

(……これは、知らないほうがいいものだったな)

 願いひとつで、間を滅ぼすはずの力が魔に力を与えるものになる、など。

 この件が片付いたら、よく考えなければならない。諸刃の剣だ、とアークは思った。もしミナが今度は、自分たちファントムの側から狙われることとなったら―――ファントムも一枚岩ではない。悪しき者として生まれ、そのまま人間に害する一派もいる。そんな者たちがもしも、ミナの血を手に入れてしまったとしたら。

(……もっとも、)

 たとえ一滴たりとも、他の誰かにくれてやる気はない。

 フ、と小さく笑いながら、アークはむやみやたらにハンドガンを乱射してくる敵の一人に近付いた。

「下手くそ」

 その銃身を捕まえる。そうして、いつかもそうしたように、銃口を自分の胸へぐい、と押しつける。

「ちゃんと狙って撃てよ。ここだろ?」

「う―――うわあああああ!!」

 ドンドンドンッ、と続けざまに三発。重い銃声が響いた。

 けれど。

「だが、残念。もう何度も、効かんと言ったはずだがな」

 至近距離から間違いようもなくアークの胸を撃ち抜いたはずの銃弾は、背中のマントにふかりと受け止められてそこで止まった。カン、カンカンッ、と床へ落下して軽い音をたてる。

 身体の一部をあの黒い靄に変化させて、すぐに戻す。今は息をするように簡単なこれも、つい先日まではここまでスムーズに行うことは出来なかった。

 力、がみなぎるというそれだけで、こうまでも違うものか。

 掴んだ指先、その爪の一振りで、ハンドガンの銃身も呆気なく断ち切られた。

「ばけ、化物! うわああああああ!!」

「……だから、そうだと言っている」

 いったい何と戦うつもりで出て来たのか。

 嘆息するアークの眼前で、がたがたと敵の隊列が崩れた。既に教会側出入り口に敵の姿はなく、その奥、地下室の半ばほどまで後退を許している。

 だが。

「何をしている、退くな! もう一度掃射だ!! 陣形を崩すな!!」

 さすがに指揮官は、まだ心が折れていない。

大したものだが、それが被害を広げることになると気付かない時点で、既に冷静さを失っているのかも知れなかった。

「ハハ……、ハハハ」

 ああ、笑いが込み上げてくる。アークは肩を震わせて笑った。

 肩に手を回す。片手で、マントの留め金を外す。

 ケット・シーの国で用意された着替えは前時代的なシャツと上着、そしてトラウザーズにマントだった。これでは、まるで小説に描かれたオリジナルそのままだなと笑えてくる。

 けれど。

「―――都合がいい」

 ふわり、床へ落ちようとしたマントへ魔力を流し、片手を振って通路の出入り口へ張り付けた。ミナたちはまだ、地下室まで歩を進めていない。

「アーク!?」

「そこにいろ。流れ弾に当たりでもしたらかなわない」

 それに。

「……さあ、お楽しみといこうじゃないか」

 本性を剥き出しに戦う姿を、見せたくない。

 ヒッ、と誰かの喉が、おかしな音をたてた。やけにしん、とした室内に、奇妙なほどよく響く。

「さあ来いよ。本気でお応えするぜ」

 ざわ、とアークの全身から黒い靄が立ち上った。全てが黒く翳ったような顔の中央で、赤い目だけが血のように―――否、炎のように、ゆらめきながら輝いている。

「―――構え!」

 小機関銃はもう全て壊したはずだが、敵も武器がひとつだけ、という訳ではなかったのだろう。アサルトライフルやハンドガンなど、様々な銃口がたった一人、アークを狙っている。

「ふ、ハハ、ハハハ」

 アークは笑いながら両手を広げた。

「撃て―――!!」

 ドガガガガ、ガガガ、と重なり合う銃撃音は、耳をつんざくほどの大音声だ。アークの振れたような笑い声を圧倒的に掻き消して、部屋中にわんわんと響く。

 けれど。

「ヒィっ!?」

「がっ……」

 次々に倒れていったのは、敵兵たちのほうだった。ふっ、と空気へ溶け込むように全身を黒い靄へ変化させたアークが、一人一人の喉元へ巻き付き、頸動脈を締め上げていったのだ。

 そうして、指揮官が気付いたその時には。

王手チェック、と言いたいところだが」

 アークはしゅるり、と人の姿を取り戻し、指揮官の背中へひたりと張り付いていた。

「キングと呼ぶには、貴様は役者不足だ」

 言いざま、ト、と首筋に手刀を叩き込む。

 その一撃で、あっという間に意識を刈り取った。取り敢えず、ここはこれで終わりだ。

 アークはゆったりと片手を差し伸ばした。その簡単な動作で、ふわりとマントが常の柔らかさを取り戻して手元に戻る。

「アーク!」

 やっとのことで目隠しと足止めとを外されたミナが、必死の形相で駆けて来た。無事で良かった、と心から思う。

「ミナ。怪我はないか」

「こっちの台詞だよね!? 何で一人で行っちゃうの!!」

「相手は銃を使ってた。流れ弾に当たったらお前など一発で終わりだぞ」

「そうだけど……!!」

 悔しそうにミナが唇を引き結ぶ。アークはふっ、と少しだけ、笑った。

―――どうせなら、連れていって。

 あの時、泣きじゃくりながら口にしたミナの本当の望みは、別に忘れたわけじゃない。

 だから連れて行く。どこまでも。

「アディ、このままここを通り抜けて良いのか」

「はい。……次の部屋に隠し扉があります。そこを抜ければ、教会の教務棟です」

「解った。―――行くぞ」

 まだ頬を膨らませている、ミナの手首を捕まえる。そうしてアークは、ほんの少し歩調を緩めて走り出した。

 隠し扉を抜けて、教務棟に出る。廊下にはまるで人の気配がなかった。

「……ヌーメリ、とやらは出払っているのか。守りが薄いな」

「街のほうへ……、ハァっ、人手を割いているのかも知れません。洗脳しているとはいえ、扇動者は……必要ですから」

 それでも、まるで敵がいない、という訳にもいかないようだった。時折。

「! いたぞ、こっちだ!!」

「チィっ、お前達伏せてろ!」

 廊下の角、階段の踊り場などから不意に灰色の僧服は現れる。

「邪魔だ!」

 だが、今のアークにとってはどんな敵も敵ではなかった。片手、を振り上げるだけで事足りる。

「うわあああああ!!」

 悲鳴はいつも、敵側から上がった。アークの手から放たれた黒い靄はするりと敵の顔に巻き付き、すっぽりと頭を覆う。そうして一秒にも満たぬ間に、どさっ、と重い音をたてて床へ沈むのだった。

 階段を上って、一階へ。

 そこから端まで駆ければ、建物の中央、聖堂へ繋がるドアがある。

 しかし。

「来たぞ、ここで何としても討ち取れ!!」

 敵にとっても、そこが最後の防衛線だ。僅か数メートルの廊下には、見渡す限りにぎっしりと、僧服の男達が押し寄せてきた。

「アーク、」

 ミナとアディとの二人を背に庇って、一瞬立ち止まる。アークはひとつ、大きく息を吐き出した。

 大丈夫だ。今なら。

「―――心配ない」

 ふ、と掲げた右手に、黒い靄を生じさせる。煙の玉のようなそれ。

「行け」

 見る間に大きく膨らんだそれは、アークがザッ、と手を振り下ろすのに合わせて、無数の蝙蝠の姿に変わった。

「うわああああああ!?」

「なっ、何だこれ―――ぎゃああ!!」

 蝙蝠たちは廊下を埋める大軍となって、押し寄せた敵のもとへ殺到した。

……それはまるで、黒い塵がぶわりと風に乗って吹きつけたかのような光景だった。

 顔へ、頭部へ。上半身へ。

 叩き付けるように、己が身をぶつけていく。そうして触れるが早いかまた黒い靄の姿になり、敵をすっぽりと飲み込んで、その意識を失わせていくのだ。

「……すごい」

 ミナがぽつりと呟いた。怖がらせたか、と振り向いたアークの目に映ったのは、しかし頬を紅潮させて瞳を輝かせているミナの姿だった。

「凄いね、アーク!」

「……ハハ」

 全部、お前が取り戻してくれた力だろうに。口にはしないまま、ただ、少し笑った。彼女のその視線に、救われる。

「あの扉です! あの向こうに、」

「―――聖堂だな」

 そうして三人は、体当たりするような勢いでバン、と聖堂への扉を開けた。

 目に飛び込んできたのは、鮮やかな空。

 十字架に張り付けられたイエス・キリストの後ろ、その壁一面に描かれている昇天の光景だった。

 光差す青空、磔にされた救い主イエス・キリストの周囲を天使たちが舞う。

 左右には洗礼者ヨハネと聖母マリアが。それぞれに光を戴きながら、子が天へと迎えられるその瞬間を見つめている、そんな場面を描いた壁画だった。

 そうして、そこに。

 最後のヌーメリ数人を護衛にと置いた、純白のカソック姿の少年が立っていた。

「……まさか、出来損ないどもが手を組むとはな」

 フン、と少年は鼻を鳴らした。事ここに至っても、彼は己が見たいものしか見ていない。

 それが明らかな呟きだった。

「それに何だ、ウーノ。お前はただでさえ役に立たないというのに、よもや化物と手を結ぶとは」

「……ドゥーエ」

「そこの馬鹿な女はともかくとしてもな」

「ドゥーエ、やめなさい。お前には何も見えていない」

 言い返すアディの口調には、だが力がなかった。彼はもう、説得の無駄を知っている。言葉ごときでこの弟が引き下がるのなら、彼は今頃、こんな所に立ってはいなかっただろう。

「ねえ」

 しかし。

「そこの馬鹿な女、っていうのは、もしかしてわたしのことかな?」

 ひやり、とした笑みを浮かべてそこへ割って入ったのは、意外なことにミナだった。

 ドゥーエは動じない。

「お前以外に誰がいるのだ」

「ふふ。本当に困った子ねえ、もう一人のわたしの弟は。言って良いことと悪いことの区別もつかないのね、幼稚園児なのかな?」

「なっ……幼稚園児!?」

 さすがにその物言いは予想外だったのだろう。ドゥーエが目を剥く。

 アークはプッ、と思わず噴き出していた。まったく、見ていて飽きない娘だ。

 ミナはその場から、ツカツカと歩き始めた。ヌーメリたちが身構える。アークもその場で片手を持ち上げたが、その緊張の中を、ミナだけは何気なく無造作に歩いて行くのだった。

 さすがにドゥーエが、不審げに眉を寄せる。それでもすぐさまヌーメリたちを動かさないのは、あくまでもミナをただの女一人、と思っているからなのだろう。

「どうした。やはりこちらへ付くか。賢い選択だぞ、出来損ない」

「あっ、また言ったね。ああもう本当に困ったお口だなぁ。うちの子達より聞き分けが悪そうだわ」

「……お前はさっきから、何を訳の解らないことを言っている」

「わたしは普通のことしか言ってないよ。ドゥーエ」

 そうしてミナは、少年の目の前に辿り着くとその場所でぴたり、と足を止めた。

 じっ、と少年を見上げる。

 少年はアディによく似た、焦げ茶色の巻き毛をしていた。面立ちは秀麗であるのに、吊り上がった眉といい、歪むように引き上げられた口端といい、どこかいびつで傲慢さばかりが目立つ。はあ、とミナは嘆息した。そうして、射貫くようにまっすぐな眼差しで、ひたとドゥーエの目を見据えていた。

「ドゥーエ。誰にも教わらなかった? あなたが勝手に傷付けていい人なんて、どこにもいないんだよ」

「……お前は何を言っている?」

「そっか、言ってることの意味も解らないのか。じゃあもう、こうするしかないね。本当ならお尻を叩くんだけど」

 え、と。

 少年が目を瞠る間もなく、彼の頬が、パァン、と渇いた音をたてた。

「な―――」

 振り上げられたミナの手が、勢いよく自分を打ったのだ、と少年が気付くまでに、少しかかった。

「お前……!!」

 瞬間、少年を取り囲むヌーメリたちが一斉に動き出す。ミナをその場へ叩き伏せようと、その一歩目を踏み出そうとする。

 しかし、アークのほうがずっと早かった。アークはミナがその手を振り下ろすのとほぼ同時に、無数の蝙蝠を既に産み出していた。

 ぎゃあああああ、と、野太い悲鳴が聖堂にこだまする。男たちは喉を、胸を掻きむしるようにして蝙蝠を、黒い靄を引き剥がそうとするが、何一つ叶わずただ自分に爪を立てただけでばたばたと倒れていった。

 ミナはその中央で、ドゥーエと未だ、正面に対峙している。その強い眼差しは、弟からの応えを待ってひたりと見据えられたままだった。

「……私を打つということの意味が、解っているのだろうな」

「勿論。弟が間違ったことをしているなら、それは駄目よって教えるのは姉の役目でしょ」

「この……出来損ないが!! 跪け! 伏して私に隷属しろ!!」

 少年は激昂した。そうして、何の疑いもなくびしりとミナへ指を突きつける。

……それ、は、きっと力であったのだろう。

アークも確かに感じていた。あの嫌な気配、相容れない力がじわりとその場へ放たれたと。

 しかし。

「する訳ないでしょ。ホントにお馬鹿な子だね」

 ミナは両脚をしっかりと床に付けたまま、その場に力強く佇んでいた。

「よく周りを見てみなよ。あなた、裸の王様だよ。ねえ、恥ずかしくない? 厨二病なんて今時流行らないよ。正直、そのイキりようは見てるこっちが恥ずかしいよ」

「っ貴様……!」

 よく見れば解る。

 いつものように大量に、ではないが、ミナの輪郭には、あの白い光がじわりと滲んでいた。同じ力だ。従わせようとするドゥーエの力と、それに抗うミナの力が押し合いをしている。

「……ドゥーエ、もうやめなさい」

 そこへ、カツ、とアディも一歩を踏み出した。

「お前にはもう何も出来ない。してもいけない。街の人々へかけた洗脳を解いて、私と一緒に帰るんだ」

「煩い引き籠もりが! 偉そうな口を叩くな、私に従え!!」

「お前がそこでそう怒鳴っても、何一つ、お前の思う通りにはならないよ」

 それまであまりにも違う人生を歩んできた三人の姉弟が、いびつな三角形を描いて、同じ舞台に佇んだ。

「お前の力は、私にも姉さんにも通用しない。お前にも解るだろう、……同じものが私たちにもあると。もう諦めるんだ」

「俺のほうが上だ!! お前らのような出来損ないどもとは違うんだ!!」

「ドゥーエ、」

 それは、見た通りの。

 子供が駄々をこねている、それだけの姿だった。これだけ街を掻き乱して、多くの人々を操って、傷付けて、掻き乱したにも関わらず。もう口調さえ、取り繕う余裕がない。

 アークはただ黙って、その光景を見ていた。ミナやアディの言葉は、きっとあの少年には届かないだろう。

「ミナ」

 どうやっても相容れない者、解り合えない者というのは厳然として存在するのだ。だから。

「もういい。そいつを―――」

 拘束しよう、と。

 提案して、踏み出すはずの一歩目がよろめいた。トッ、と何かがぶつかったような軽い衝撃が、背中に走る。

「……何?」

 いやああああああああ、とミナの悲鳴が静まり返った聖堂に高く響いた。どうした、ミナ。何が起きた。お前は何を見ている。

 アークは彼女の視線を追って、ゆっくりと自分を見下ろした。

 いつの間にか自分の胸から、細い銀の杭が生えている。

「…………っ」

 ガフっ、と呼吸のついでに血が噴き出た。あれほど身体中に満ちていた力が、急激に抜けていく。

 がくん、と、その場に両膝を突いた。ぼたぼたと血がこぼれる。何だこれは。何が起こったのかも解らないまま、目の前が徐々に暗くなっていった。

「―――やあ、ちょうどいい場面に出くわしたね。そろそろ勝負がつくのかな?」

 この場にそぐわないのんびりとした声を、背中で聞いた。

 そうしてアークは、カツ、コツと靴音を鳴らしながら見知らぬ紳士がゆっくりと自分を追い越していくのを、ただ呆然と、見守るしかなかったのだった。




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