5-4
そもそも、何故教会が、その一部の過激派が、組織の手で救世主などというものを造り出そうとしたのか。
何故そこまで、終末の預言を現実のものとしたがったのか。そこに現在の教皇庁の問題がある、とウーノは見ていた。
「歴史が進むにつれ、教皇庁はその影響力を減じています。ですが、それは当然のこととも言えます。二千年以上前の信仰が、今も連綿と受け継がれていることこそ奇跡的です。私はそう考えるのですが、教皇庁に権力を求める一部の過激派は違いました」
歴史の中、教皇は一国の運命さえその手に握ることがあった。教皇庁を敵に回した国家は生き残れない。教皇庁が認めないものは世界に否定される。
確かに、そんな時代もあったのだ。
「彼らは焦っていました。奇跡は過去のものとなり、神のみわざは遠くになるばかりです。それも当たり前なことなのですが……そこで、彼らは考えました。神はいるのだから、もう一度、神の子に。救い主イエス・キリストに降臨して貰えばいいのではないか、と」
しかもその実在する「神」は、人間によって生まれたファントムです。祈りの方向性、人の思念に影響を受ける都合のいい神でした。
ウーノはそう苦い顔をする。
「実際に終末が来る必要はありません。ですが、人々の前で奇跡を起こしてみせる救い主が必要だった。だからせっかく手の届くところに都合のいい神がいるのだから、その子供を造ってしまおうと」
そういう話だったようですよ、とまるで他人事のように言いながら、ウーノは静かにミナを見つめた。
「そうして生まれたのがゼェロ、試験作の姉上です。ですが姉上はその力、どの程度『神』の力を受け継いだのかも解らないうちに攫われてしまった。そこで次に造られた私、そして弟たちは、正しく救い主の道筋を歩むべく、彼らの『調整』を受けながらいくつものパターンを試行錯誤されつつ育ちました」
二番目、ドゥーエには生粋の英才教育を。生まれながらの神の子として、帝王学と神の視座からの神学を。
「そして、私は。……救い主イエス・キリストの道筋をなぞるべく、大工でこそなかったものの敬虔な一般家庭に預けられ、そこで血の繋がらない弟妹と育ち、……そして三十才になった時、ヨハネの洗礼を受けることが決められています」
けれど、二番目は。弟ドゥーエは。
そう続けて、ウーノはこの時初めて、顔を俯かせた。
「早くにヨハネの名を持つ枢機卿より洗礼を受けたことで、精神的に未熟なまま救い主の力を開花させました。だから彼は信じているのです。自分こそが救い主であるのだと。なまじ力を振るえ、そう吹き込む者たちが周りにいるばかりに」
「……それが、今回の件の黒幕か?」
ミナの脳裏に、傲慢な少年の姿がよぎる。姉さん。出来損ない。
きっと、あの子が二番目だ。彼女はそう、確信していた。
果たして、ウーノも頷く。
「そうです。……あの子が今回、こんな暴挙に出たのは、その傲慢さと孤独故のことなのです」
ウーノは、一般の家庭に預けられて育った。
善良な、ただただ 善良で敬虔な家庭だった。血の繋がらないウーノを本当の息子だと言って愛し、実の子である弟妹と何の区別もなく、十五で組織へ戻るまで真剣に育ててくれた。
だからウーノは、愛を知っている。認められることを知っている。
だが、ドゥーエは。
「あの子は、孤独です。そして不安なのです。神の子として優秀でなければ、周りの者は一斉にあの子を見限るでしょう。それを知っているから、必死なのです。自分こそが救い主であると、そうでなければ誰も自分を見てくれないと、それがあの子を突き動かしているのです」
そんな時、あの子は聞いてしまった。
生まれてすぐに行方不明になった。試験作であるゼェロのことを。
「研究員の、ほんの軽口でした。思ったより子どもたちの成果が上がらない、と」
一番目はあてにならない、二番目は傲慢でとても救い主という器じゃない。三番目以降は、まだ幼くて使い物にならない。
それなら、もう一度探してみるか。行方知れずのプロトタイプを。
女だが、案外一番使えるのかも知れないぞ。
「そして実際に、ゼェロ―――ミナ、あなたの捜索が始まりました。総力を挙げて、という規模ではありませんでしたが、その事実こそが、彼を逸らせました」
ならば実力で認めさせてやる、と、彼は実働部隊の一部を引き連れてこの街に来た。
「教皇庁の影響力が減じている今、ファントムは最早無視の出来ない勢力になり得る可能性を持っています。少し考えれば、たとえ一度殲滅したとしても、物語が存在する限り何度でも何度でも蘇るのだから、ファントムを消滅させることなどできないと解るのに」
それでもドゥーエは、解り易い手柄として、ファントムの殲滅を選んだ。
それがおそらくは一番解り易く、そして叶えやすく思える手柄だったからだろう。
「この街は、世界的に見ても一番まとまったファントムの生息地です。出自も何もかもが違うファントムたちが、自治をもって一ヶ所に固まっている。そんな街は他にない。だからドゥーエは、標的にあなたがたを選んだのでしょう。そこに彼女が現れたのは、不幸な偶然だった。ですが伯爵、あなたや教授とのつながりを思えば、必然であったと言えるのかも知れません」
斯様に、運命とは、偶然とは、皮肉なものなのだ。
「そしてドゥーエは、あなたを見付けました。ミナ。あなたの発した白光は、あの強烈な父の御力は、わたしたちにとっては真夜中に打ち上げられた花火のごとく鮮烈に、はっきりと、あなたの存在を知らせました」
それは、ミナがこの街へやってきた、最初の日。
刺されたニィと、おそらくはドゥーエの手によって洗脳されたキャサリン。
そして、だからこそ、自分の中にもある力が間違った使われかたをしていると無意識のうちに感じ取って、それを正そうと爆発した、初めてのミナの力。
「……あなたを見付けた瞬間から、ドゥーエの目的はふたつになりました。ファントムの排除と、あなたの排除。あなたがそのファントムをまとめている伯爵の元へ身を寄せていたことも、……まったく、皮肉な偶然でした」
そう結んで、ウーノは語るのを終えた。
―――これで、全ての線が繋がった。
ひとつひとつの事件、トラブルは点ではなく、ひとつの線が円を描くように結ばれたものだった。
そうしてそれは、ただ一人、ミナという少女を起点としている。
アークは隣に座るミナをそっと見下ろした。もう右手の中に包んだ指先は震えておらず、そのぬくもりも暖かに戻って来ていたが、それでも硬い顔つきでじっと自分の膝を見つめているのが気になった。
「その間、お前は何をしていた?」
だから、もう少しだけ、彼女に時間を。
こうしてソファへ座り、落ち着いて話を聞き、自分の考えをまとめるための時間を。
「ウーノとやら。あてにならない一番目。何故お前は傍観者のような顔をして、ここで賢しら口を叩いているんだ?」
「私、は―――」
アークの指摘に、ウーノはそれまでの泰然とした大人びた様子が嘘のように、身体を縮こまらせた。
「私は。何もしないことを、選んで引き籠もっていました」
「……何だと?」
ビク、と少年の肩が跳ねる。
……そう、淡々とした語り口に忘れかけていたが、彼はまだ「少年」だった。
ゼロのミナに続く、一番目。
だとすれば、まだ学生の年齢であるのだろう幼さだ。
「怖かったんです、私は。もし本当に救い主が立って、終末の預言が成就したら。……確かに私が預けられた父母は、弟妹は、善良で敬虔でした。ですが、聖書に照らし合わせれば、それでも足りない。正しき人とは言い切れない。通った学校の友人も、隣家のご夫妻も、先生も、通った書店のオーナーも。皆、皆やさしくて楽しくていい人たちだったのに、彼らは正しき人、神の御国に招かれる人々ではないのです。……私は、それが恐ろしかった。もしかすると、彼らを裁くのが自分のこの手かも知れないと思うと、余計に」
或いは、ウーノは賢かった。力に奢る二番目よりもずっと。
だからその恐怖を、感じることができたのだろう。
「だから私は、何もせず……組織の中で与えられた一室に引き籠もりました。ただ、このままの状態で逃げ続けても、いつか二番目が全てを壊すのも解っていました。だから組織の中でも穏健派と呼ばれる人々と秘かに繋がりを持ち、事態の趨勢を眺め、……今回、さすがに見過ごせないと、これが終わりの一歩目になってしまわないようにと、どうにか部屋を出て来たのです。……」
まるで懺悔でもするように、少年は告解する。その肩が、ことここに至って初めて、ぶるぶると震えていた。
「……ウーノ」
アークの隣、それまでずっと俯いていたミナが、そっと少年の肩に手を置く。
とても労しげに。
「頑張ったんだね。それは、何もしなかった訳じゃないよ」
あなたは、あなたのやり方で戦っていたんだ。
「姉上……」
「そんなにつらいのに、あなたは、わたしに何も知らないままの自由を願ってくれたんだね。そんなやさしい子が弟で、お姉ちゃん嬉しいよ」
「お、弟」
「あれ、だってあなたも姉上って言ったじゃない。違うの? いくつ?」
「ち、違いません!! 十七才です、弟です!」
少年はぶるぶると首を振った。頬がほんのりと赤い。
「ね、ウーノって確か、一番目って意味だよね。でもあなた、違う名前がちゃんとあるんでしょう? お父さんとお母さんには、なんて呼ばれていたの?」
「なまえ、は、……捨ててきました。わ、私は、もう父と母に、弟や妹たちに、そう呼んで貰えるような人間ではないから」
「バカね。そんなはずないでしょ。さ、教えてよ。あなたのお名前は?」
「…………、あ、アディ。長い名前は、アドリアーノ……」
おそるおそる、怯えるように、少年はその名前を口にする。
ミナは笑った。晴れ晴れとした笑顔だった。
「良い名前じゃない! アディ、アドリアーノね。じゃあ、決めたわアディ。アーク、エリクさんも」
ミナはもう、俯いてはいなかった。震えてもいなかった。
その目は真っ直ぐに、前を見据えて輝いている。
「協力を、お願いしてもいいですか。ちょっと二番目の弟に教育的指導が必要みたいなので、お尻を叩きに行こうと思います!」
「―――ハ!」
そうして明るく言い切ったミナの、あまりにも矮小化した言い草に堪えきれず、アークはまたしても声を上げて笑ってしまったのだった。
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