5-2

 着替え終えたミナと合流して向かった私的なサロン、とやらは、さすがの一言に尽きる華やかさだった。

 貴賓室、と言われても通用する内装と調度の数々は、ジョージアン様式で纏められている。きっとそれは現在の国王夫婦の好みなのだろう。

 猫足のテーブルも、絹張りのソファも優雅の一言に尽きる。

 その広々とした部屋の中央に、ニィの両親は品良く佇んで自分たち客人を待っていた。

 皆は尻込みするばかりで、入室こそしたものの動けない。ここは仕方がないか、とアークはこっそり嘆息すると、自ら夫妻へ向かって歩を進めた。

 少しだけ近付いて、その場に跪く。右手を胸に当て、ゆるやかに頭を下げた。

「両陛下におかれましては、ご機嫌麗しく。突然のご無礼にも関わらずお目通りをお許し頂けましたこと、恐悦至極に存じます」

 一同が、慌てて自分に倣い、その場へ膝を着いたのが気配でわかった。

……いや待て、ミナ、女性は膝をつかなくていいんだ。何故お前は端正な正座をしている。

 それが噂に聞くジャパニーズ土下座か。それにしてはちょっと違う感じがするな、とハラハラしながら数歩先の床へ視線を落とした。

「あらまあ、あらまあ。ご丁寧にありがとう。だけどどうぞお楽にして頂戴。お嬢さん、叩頭なんてしなくてもいいのよ。あなたがたは息子のお友達なんですもの」

 夫人の声は、いかにも親しみに満ちていた。許しを得て、跪いたままアークは頭を上げる。

 が、ミナは端然と正座したまま、両手をぴん、と伸ばし、指先を床へ揃えていた。

「この度は突然お邪魔しましたのに、ご歓迎頂きましてありがとうございます。不調法で申し訳ございませんが、こちらのお国のお作法を、わたしは存じ上げません。勝手なこととは思いますが、わたしの国のやり方でお礼をさせて頂きたく存じます」

 恐縮しきって縮こまっているか、と思ったが、存外に堂々としたものだった。

 流れるようにうつくしい仕草で、ゆるり、と肘が曲がる。背中の伸びた端然とした姿勢を保ったまま、ミナは静かに一礼した。……やはり、噂に聞いていた土下座とはまたちょっと違う気がした。

「まあ、うつくしいこと! ええ、ええ、知っているわよ、ジャポニズムでしょう?」

「極東の島国をご存知とは、嬉しい限りです」

「勿論知っていますとも! 百年ちょっと前かしら、とても流行してね。わたしたちも随分熱狂したものよ。でも床は冷えるから、どうぞお立ちなさいな。お気持ちは充分頂いたわ」

「ありがとうございます。お言葉に甘えさせて頂きます」

 二人のやりとりを聞きながら、アークはク、と小さく笑った。まったく、ミナには意表を突かれる。まさかそう来るとは思わなかった。ことごとく予想を裏切ってくれるものだ。

……日本のことはよく解らないが、それでも、膝を揃えて座るミナの姿は美しかった。そこからの、流れるような一礼もだ。東洋には東洋のやりかたと美しさがあるものだ、と素直に感じ入る。

「ニィ、お友達を紹介してくれるかい」

「はい、父上。皆、畏まってないで立ってこっちにおいでよ。そんなに遠くちゃ、握手のひとつもできないよ」

 踊るような足取りで、ニィがタタタと夫妻の元へ近付く。そうして、まるでターンでも決めるようにくるり、振り返ると、まず先頭に立つアークを差して笑った。

「こちらが伯爵。お名前は秘されるのが常だから、伯爵とだけお呼びするよ。もしくはアーカード、とご署名されることもあるね」

「まあまあ。ご高名なかたとお友達になって頂いたのね。伯爵。いつも息子が世話をかけます。あなたには命を救われたと聞きました」

「いえ。微力ながら、殿下のお役に立てましたら光栄です」

 それからエリク、ミナとニィは紹介していったが、ただ一人、困ったように微笑む少年の番がきてようやっと首を傾げた。

「えーと、で、一緒に来たからきっと仲間なんだと思うけど、君って誰?」

「ニィ!!」

 壁際に控えていたオーエンが、堪らず叫ぶ。だが夫妻は気分を害した様子もなく、コロコロと楽しげに笑うのみだった。

「いいのよ、ニィ。ご紹介頂かなくても何となく解るわ」

「むしろ、お前は解らないのか?……まあお前が生まれた頃にはもう、かの御方の気配もかなり薄くなってしまっていたからなあ」

 うんうん、と頷いて、父君は少年へ向かい、軽く一礼する。

「ようこそおいでくださいました、いと高き御方。まさかこの末の世で、お目に掛かることが出来るとは思いませなんだ」

「……いえ。私はまだ、ヨハネに出会っておりませんよ」

 相変わらず少年は、困ったように微笑んだままだ。

 だが、それを眺めていたアークは、さすが一国の王だとニィの両親に感心していた。

―――この様子だと、きっとこの夫妻は齢千年近くを生きているのだろう。少なくとも、五百年は超えている。

 妖精、という異なる伝承を生きる者でも、神話の色濃い時代を生き抜いた者の嗅覚はやはり違うものだな。

「さ、堅苦しいお話はここまでにしましょう。向こうでは随分お忙しいようだったと聞きますよ。どうかこの城では、ごゆっくり滞在なさってね」

「手短で大変申し訳ないが、我々は仕事が残っていてなあ。あとは息子に任せるので、何か足りないものがあれば遠慮なく申しつけて欲しい」

「痛み入ります」

「では、良い時間をね。また晩餐の時にでもお会い出来たら嬉しいわ」

「ニィ、王子として恥ずかしくない振る舞いをなさい」

「畏まりました、陛下。陛下の御名に恥じぬよう努めます」

 芝居がかった動作で、ニィが一礼する。

 そうして夫妻が退室するのを見送ったあと、盛大にはあ~……、と嘆息したのは誰あろう、一言も口を開くことのなかったエリクだった。

「いや~……もう……緊張なんてものじゃないよね、ホント。いきなり王さまと王妃さまにお会いするとか。俺ただの狼だもん、作法とかわっかんないよ! アークはさすがだなあ、堂々としてた」

 ミナは何やら難しい顔をしている。

「ニィさんって、」

「やだなあ、ミナ。ニィでいいって。堅苦しいのは嫌いなんだ」

「いえ、そういうお話じゃなくてですね。ニィさんって、王子さまだったんですか!?」

 あははははっ、と、ニィは声を上げて笑った。してやったり、と悪戯が成功した子供のような顔をしている。

「一応ね。でも僕、第十六王子だからさあ。いてもいなくてもあんまり変わんない王子だもん、そこはあんまり気にしないでほしいなあ」

「じゅうろく……!?」

 驚くミナに、小声で囁く。

「猫は多産だからな」

「ねこ」

「お前もそれは知ってるだろう。猫だ」

「ねこ……」

 ミナは何やら、自分へ言い聞かせるようにうんうん頷いている。先刻の堂々とした振る舞いはどこへやら、ちょっと様子がおかしい。

 その猫の王子であるところのニィはといえば、あくまでもいつもの調子を崩さない。

「やー、城に外の人を招くとなると、さすがに僕の一存だけじゃ大したこともできないからね。一応だけでも、両陛下に会ってくれて良かったよ。大変な時に、面倒なことさせてごめんね」

「いや。むしろ突然押しかけて、時間を頂くのも両陛下には大変なことだっただろう。機会を頂いて感謝する」

「……アークって全然思ったことなかったけど、やっぱり伯爵なんだなあ。お貴族さまだ」

「名前だけだけどな」

「ねこ……」

 あっという間に、いつもの空気に元通りだ。混然としかけた空気を、パン、と打ち鳴らしたオーエンの手が鎮める。

「ハイそこまで! お食事の用意も出来てますよ、話すならそちらでどうぞ。気楽に食べられるよう、ニィのダイニングに用意をさせましたから」

「さっすがオーエン。でもホントいい加減、従者みたいなことするのやめなね。お前も僕の兄弟なんだから」

「えっ、オーエンさんも王子さま!?」

「違いますよ! 私はただ、王妃さまに拾って頂いただけの野良猫です」

「えー。でも母上も父上も、僕ら兄弟もオーエンは兄弟としか思ってないからなあ」

「勿論、私も私の家族は皆さまだけと思っておりますよ。だからもう終わり! いつまで経っても移動できないでしょう!!」

 オーエンはどこにいてもオーエンだった。揺るぎない。

 やっと落ち着いた一行は、手早く簡単な食事を済ませるとと、その場で慌ただしくお互いの情報を交換した。

 あの場に居なかったニィとオーエンには、彼らが帰国したあとあの街で何が起こっていたかを説明する。

 そうしてようやっと話が現時点まで追い付いたところで、ウーノから詳しいところを聞こうということになったのだった。

「……簡単に言えば、我々は、聖書に記された終末の予言を果たすべく作り出された神の子です」

 相変わらずの、困ったような笑み。それでも、彼の口調は淡々としている。

「勿論、本物の神ではありませんよ。ファントムとして産み落とされた神です。そうして、その遺伝子を使って作られた子供なんですよ。私たちは」

 ファントムとしての神。

 自分たち怪異や妖精が人間の想像によって産み出された、という事実がある以上、それは確かにあり得ない話ではない。

「盲点だったな……」

 どころか、おそらくは一番に、人に願われ、思い浮かべられるのは確かに宗教的な神というものだろう。人はいつも神に祈り、願い、感謝し、そして縋りながら生きている。

「人類の歴史上、かなり早い時期から、神というファントムは産み落とされたいました」

「それは……そうだろうな」

 ウーノは続ける。だが、その実在は勿論、教皇庁によって特に秘されてきたのだという。

「まあそうだよね~。神さまがホイホイ顔出してたら、ありがたみも薄れるもんね」

 エリクがやけに納得している。その言い草に、何故だかニィがうけていた。

「神、の存在を秘匿しながら我々教皇庁が有利に動けるよう、庁内には教皇直属の秘密組織が存在します。それがアルパエトオメガです。我々神の子供を作る、という計画は、そのアルパエトオメガによって秘密裏に行われたものでした」

 この計画はけれど、今代の聖下すらご存知ではありません、とウーノは付け足す。

「今代のアルパエトオメガの長は、枢機卿アンドルー・ニシット。先代聖下のもとアルパエトオメガの長に任じられた男ですが、今代聖下は、あまりアルパエトオメガに携わっておらず、ほぼこの男が専有しています。計画自体は先々代聖下の時代より始まったようなのですが……何分、まだ私も生まれておりませんでしたから、そこまでは詳しいことが調べられませんでした。アルパエトオメガは暗部でもありますから、人の入れ替わりも激しいんですよ」

 皆、任務の途中で命を落としますからね。淡々と続けられたその言葉に、ミナの顔が強張った。

「ちなみにヌーメリは、アルパエトオメガの実働部隊です」

「あ、あの灰色の」

「はい。……狂信者の集団ですよ。神のため、と名が付けば、人を殺すことも自分が死ぬこともためらわないのですから」

 隣に座ったミナのティーカップが、カチャ、と無作法な音をたてる。

「ミナ」

 さっ、とテーブルの下へ隠された手を、アークは彼女に焼かれ、そして彼女によって癒やされた右手で包み込んだ。手が冷たい。―――そして、指先が震えている。

 彼女には勿論。知る権利があった。

 だが、あまり聞かせたい話でもない。

「その辺りの組織事情は解った。それで、今回の件とミナの事はどうなんだ」

「はい。つまりそちらの女性、我々はゼェロと呼んでいましたが―――ミナさん、と仰るのですね。ミナさんは、そのアルパエトオメガによって神の遺伝子を教会内の選ばれた男性から採取した生殖細胞へ移植し、そうしてこれも用意された女性の卵子と体外受精させて産み出された、救世主計画の実験第一号被検体なのですよ。性別が女性でしたので、試験作となりましたが……そして、ミナさんの次に作られたのが私、一番目のウーノです。同じようにして作られた子供は、現在、都合五人ほどいます。それぞれが、神の子、つまり次の救い主イエス・キリストとなるべく、秘密裏に育てられているのです」

 右手に包んだミナの手が、ひきつるようにその震えを強くした。

「わ、……わたしは、捨て子だと」

「いいえ。ただしゼェロは、これまで生死不明とされていました。生後二ヶ月で、研究所内から姿を消しましたので」

 やっと話が繋がった、とアークは思った。

 つらい話を聞かせる。包んだミナの手を、壊さないように、それでもぎゅ、と握り締めた。

「……それは奴の仕業だ。ミナを攫ったのは、当時俺と一応の和解を果たしていたファントム―――エイブラハム・ヴァン・ヘルシングだった」

 ミナ、と。

 できるだけ穏やかな声を作って、呼び掛ける。

「それがお前の言う、アイブ牧師だ。奴の手紙に、そのことが書かれていた」

 ほんの少しでも、彼女に与える衝撃が小さくなるように、と願いながら。

「牧師さまが……? わたしを攫ったのも。でも、牧師さまがファントム?」

牧師さまは、何一つわたしたちと変わらなかったのに。

「お年もちゃんと、毎年とってましたし」

 そうだ。ヴァン・ヘルシング『教授』は不老ではない。どれだけ調べても、ただの人間だと断言される肉体で生きている。しかし。

「奴は俺と同じ物語から生まれた。だから、産み落とされた時点で毎回五十才を半ばほど越えている。そういう設定だからだ。それに加えて、真正の人間として生まれるものだから、この百年と少しの間に何度も生まれては老いて死んで、もう六人目を数えてる。俺は代替わりなんてしてないのにな」

「物語……? だってアークは、吸血鬼でしょ?」

 ああ、そうか。言ってなかったか、とアークは少し笑った。

 それにしても、少しは気付いていてもおかしくなかったと思うのだが。

「そうだな。俺はドラキュラだ」

「そうなの。でも、ドラキュラってつまり、吸血鬼ってことなんでしょ?」

 ミナには、区別がついていなかったのだ。

 それも当然かもしれなかった。読書家でもない限り、そして怪奇小説を好むのでもない限り、いくら名著とはいえ百年以上前の娯楽小説を読むこともないだろう。勿論、読む者も少なくはないだろうが。

「違うな。吸血鬼はヴァンパイア、だ。俺はドラキュラ。名乗る時にはアーカード、もしくは署名はD。……俺は、一八九七年にアイルランド人の作家ブラム・ストーカーが上辞した小説、『吸血鬼ドラキュラ』をオリジナルとして産み出されたファントムなんだ」

 そして、教授、お前の言う牧師、ヴァン・ヘルシングは。

「俺の不倶戴天の敵として、その小説に描かれている。人々は俺の実在を思うと共に、俺を打ち倒す者としてミナ・ハーカーとヴァン・ヘルシングの実在をも願った。俺たちはセットなんだよ。コインの裏と表みたいなものだ。どちらが欠けても、存在できない」

 同じ物語から、産み落とされた存在なのだから。

そうアークは結んで、じっと自分を見つめてくるミナを見返した。

手の中に包んだ彼女の手の震えは、未だ止まることを知らない。




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