3-3

 朝、など、永遠に来なくても良いと思った。

 いや、早く来てくれとも願った。悪夢から早く目覚めなければ、飲み込まれてしまいそうで怖かった。

 ベッドに潜り込んだ記憶はない。いつ、どうやってここまで帰ってきたのかも、思い出すのが億劫だった。

 それでも、顔を洗って髪を整える。シャツを取り替えて、トラウザーズもプレスの利いたものに履き替える。

 そうしてアークは、いつも通りに部屋を出た。窓からは、午前のまだ力弱い、褪せたような陽光が差し込んでいた。

 夢は終わった。慕わしい夜も。

 なのに、どうしてか悪夢がまだ、続いているような気がする。

 ダイニングに降りると、既に朝食の用意は整っていた。

「おはようアーク! 昨日は遅かったね。俺、結局ここに泊まっちゃったよ」

「……ああ。悪い」

「全然いいよ~。三階のさ、昔俺が使ってた部屋。あそこもっかい使えるようにしたけど、いいかな」

「かまわない。好きにしろ」

「……おはよう、ございます」

 ここは昨夜の続きだった。

 焼きたてのブリオッシュ、淹れたてのコーヒーと紅茶。昨日の残りを温めたのだろう、具のたっぷりとした良い匂いのスープ。

 暖かな朝の風景だ。悪夢は、未だ終わらない。

―――伯爵、と、聞こえないはずの声が聞こえた気がした。

 伯爵。会いたかったわ。ずっとあなたを、探していたのよ。

「アークさん、大丈夫ですか? 何だか顔色が悪いような」

「うん? あー、君、夜出歩くのも久々だったしね。あんまり寝てないでしょ、大丈夫?」

 寄り添おうとしてくれる心が、その気遣いが、今だけはうとましい。

 今の自分にとって、これは失ってはならないものだと解っているのに。

「いつも通りだ」

「そうかな。……どこかで食べて来たのかも知れないけど、君、夜も食べてないからね。朝はちゃんと食べなよ」

 席に着いてはみたものの、食欲などまるでなかった。血。血が欲しい。結局、自分の食糧はそれだけなのだ。

 ああ、やわい肌に牙を沈めたい。ぷつり、皮膚を血管を牙で破って、そこから溢れ出す血。まだ体温を失う前に、舌に熱くさえ感じるそれを、一滴もあますことなく舐め拭って啜りたい。

「アーク?」

「……いや」

 だめだ、引き摺られるな。俺は結局「俺」じゃない。どう足掻いたって、オリジナルにはなれない。解っていたことだろう。

 煩悶する。どこへ進めばいいのか解らない。

 ここは明るく照らされているのに、気持ちは塗り潰された虚無の中、何も見えないままもがいているようだった。

 息が詰まる。

「ミナ、卵には何かかける?」

「あ、胡椒を頂いていいですか。今日もふわふわですね。こんなに美味しいスクランブルエッグ、わたしここに来て初めて食べました」

 ミナ。

 そうだ、ミナ、お前の血だ。いや、違う。ミナ。お前はミナじゃない。

―――伯爵。会いたかったわ。ずっとあなたを、探していたのよ。

「あれ、アルタン?」

「朝から申し訳ない、伯爵。エリク。おはよう、お嬢さん。お邪魔する」

 物思いに沈みかけたその時、裏口からするり、とアルタンが顔を出した。

「仕事へ行く前に、となると、どうしてもこの時間になってしまってな」

「かまわないよ~。座って座って、何か飲むでしょ」

「ありがとう。コーヒーをいいか?」

「君がコーヒー好きなのって、ちょっと不思議だよね……」

 だから俺は犬じゃない、犬だけど。苦笑するアルタンを、アークはぼんやりと見ていた。

 自分は何故、ここに座っているのだろう。傍観者のような気分で、朝食の席を眺めている。

「伯爵。言われていた、キャサリンの件なんですが」

 だが。

 アルタンが視線をひたりと向けてきた。額縁の内側から、急に手を伸ばされたような感覚がする。

「ああ。何かあったか?」

「率直に言って、難しいです。俺はニィやオーエンほど、彼女に詳しくない。ニィ越しに友人として付き合いはありましたが……ですが、変化がありましたのでご報告にと」

「変化?」

「はい。キャサリンはあれ以降、虚脱状態でした。目を離すのは良くないと思い、帰国したニィの部屋に住まわせているのですが……」

 アルタンは元々、ニィの隣の部屋に住んでいる。隣室なら、確かに色々と世話も焼きやすいだろう。

「一日ソファに座って動かず、食事もまともに摂らないような状態でほとほと手を焼いています。それが、ここ数日」

 何かを思い返すように、アルタンは視線を宙へさ迷わせる。

「違う、と。繰り返すようになったのです。何かを振り払うように。違う、でも。だけど主は、でもニィは違う、と。呪文のようにあまりにもぶつぶつ繰り返すので、気になって」

 主は。

―――また出たか、と思った。ニィから聞いた話の中でも、彼女はそう口にしていなかったか。

 だが、それを振り払おうとしているようにも見える。違う、と繰り返すのは、相反する意識が彼女の中で戦っているからではないのか。

(間違ってる、と思ったんです)

 少女が解らないんですけど、と言いつつ口にした言葉が、不意に脳裏へった。

 間違っている。―――もしかするとそれは、力、の使い方が正しくなかったものか。

 キャサリンへ向けられた、ミナの感じ取れる同系統の力、もしくは能力が。

「……洗脳」

 細い糸を手繰ったその先にぽつん、とあるものを、唐突に見付けたかのように、その単語が急激に浮かんだ。

 そうだ、どうして思いつかなかった。聖書にもある。起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい。神の子はその一言で、寝付いた病人をも起き上がらせ、歩かせたではないか。

―――言葉によって人を動かすのも、神の力の内だ。

「キャサリンはどうしてる」

「今日もぼうっとしてますよ。多分、俺が家を出た時と、変わらないでいるのじゃないですか」

 アークはそれを聞くと、考える間もなく席を立った。

「実際に会って確かめたい。アルタン、このあと仕事か」

「はい。ですがまだ余裕はありますよ。一度戻るくらいは出来ますので、ご一緒させて頂きます」

「助かる」

 次いで、アルタンも立ち上がる。エリクが珍しく、眉根を寄せているのが見えた。

「アーク、きみ、昨日からまともに食事していないよ。朝ご飯くらいは食べて行ったら」

「……悪いな、帰ってからだ」

 逃げ出したい、という気持ちが拭えない。そのことが、罪悪感を胸の内側へ重く沈める。

「アルタンが出かける前に行っておきたい」

 それでも、これも正当な理由だ。

「まあ、確かにね。慣れた人が一緒のほうが、キャサリンも安心だろうし……」

 それでも、エリクは釈然としないようだ。

アークは小さく苦笑した。それはどこか、自嘲によく似ていた。

「悪いな。―――行ってくる」

「いいよ。昨日、仕事もひとつ提出したところだしね。今日も俺がここにいるよ」

「助かる」

 街にはびこる、嫌な空気。じわじわと起こっているのかもしれない、ファントムと人間との分断。

 そして、今この時に、この街へ現れた少女―――光奈。ミナ。

 それらは全て偶然なのだろうか。もし偶然でない、と言うのなら。

(教会が)

 掲げたその教義上、絶対にファントムの存在を認めることなど出来ない教会、……バチカンが。

 これまでは無いものとして扱う、という消極的な姿勢を貫いてきたそこが、ついに排除の方向へ舵を切ったのかも知れない。その可能性を、アークは否定できなかった。

「アークさん」

「……行ってくる」

 心配そうに揺れる少女の目を、今は見ない。

 アークは彼女に自分を気遣う台詞のひとつも言わせないまま、くるりと背を向け、そのまま裏口から家を出た。




 ニィの部屋は、いっそ確かにそこへあったはずの生活感さえ拭い去ったかのように、きれいに片付けられていた。

 まるでモデルルームのようだ。染みひとつないリネン、使用感のないテーブル、毛羽立ちのないカーペット。

 こんなに余所余所しい部屋だったろうか、とアークは瞠目する。あるいは、あの刃傷沙汰の面影を彼女へ見せないために、帰国する前のニィが心を配った結果なのかも知れなかった。

 そのリビングの真ん中、ソファで膝を抱えるようにして座り込んだ、彼女がいる。

 キャサリン・ウォーカー。

 ケット・シーの青年、スウィーニィの恋人である女性その人だ。

「……久し振りだな、キャス」

 彼女もまた、この街の夜に棲む住人の一人だった。ニィと付き合い始めて少しするまでは、路地裏で客を取っていた女だ。当然、アークとも顔見知りの間柄である。

「アーク……?」

 やつれた顔を、じっと眺める。

 元からこんな顔だったな、と思う。ニィと出会う前は。

 陽に当たらない肌はいつも不健康に青白く、だから頬に散ったそばかすがやけに浮いて見える女だった。頬も削げ、肉が足りない。赤毛はぱさぱさと艶がなく、くせっ毛をいつもぼさぼさにもつれさせていた。

 けれど、とアークは嘆息する。

 ニィと暮らし始めた彼女は、けしてそうではなかった。ニィはあれでいて、まめな男だ。見る間に彼女の頬はふっくらと丸みを帯び、浅く陽に焼けてそばかすが馴染んだ。

 髪は艶を持ち、ぼさぼさだったくせっ毛はふわふわとニィの手を楽しませるものになった。幸福は、人を綺麗にする。そんな事実を、見た者に教えるような女になったはずだった。

 それがどうだ。これでは、路地裏に立っていたあの頃へまるで逆戻りだ。

「キャサリン。調子が悪そうだな」

「そう……なの。調子が、悪くて……」

 何も写さなかった瞳に、束の間、アークが映り込む。しかしすぐにまた、彼女は顔を膝に埋めた。

 やはり話は聞けないか。アークがガリ、と後頭部を掻いた、その時。

「……違う! 調子の問題じゃない、アーク、アーク助けて。あなたなら、何とか出来るでしょう!?」

 がば、と勢いよく顔を上げたキャサリンが、必死の姿でアークに縋った。ソファからずり落ちたのにも気付かない夢中さで、アークのシャツを握り締める。

「……どうしたんだ、一体。キャサリン、何があった」

 彼女はもしかすると、自らの力で一山を乗り越えたのかも知れない。ふ、と短く嘆息しながら、指の通らないくせ毛を撫でる。

 やっと身近に来てくれた。これなら。

「……頭の中で、声がするの」

 探れるかも知れない。彼女の中にまだあの力が残っているのか、どうかが。

「主は悪しき者をけしてお許しにならない、って。終末の日、御国がきたるその時に、選ばれるのは正しき者だけ。主は偶像をお許しにならなかった。主は偽の神をお許しにならなかった。ソドムとゴモラは焼き払われた。―――ファントムこそが、悪しき偶像、偽の神だって、ずっと、ずっと頭の中で繰り返すの」

 アークは眉をひそめた。清教徒でもあるまいに、現代にそれを言い始めたらまともな生活など誰も出来なくなる。

「わ、わたしは娼婦のままか、って、ずっと責めるの。マグダラのマリアを見よ、って。彼女に出来たことがお前に出来ないのかって。お前は汚くふしだらなままなのかって、何度も何度も―――全ての悪を滅ぼさなければお前は娼婦のままだって、好きで身体を売ってた訳じゃないのに!!」

 キャサリンは、劣悪な環境で育ってきた女だ。まだ二十三だというのに、まともな発達もしないまま老いて疲れている。ニィと出会って、ニィが彼女を支えるまで、住む場所すら持っていなかった。

 教育も与えられず、奪われ続け、それでもどうにかここまで生き抜いてきた女だった。

「殺せ、殺せ、排除しろ、悪は打ち倒せって繰り返し繰り返し脅すのよ。でもニィは悪なんかじゃない、偽の神なんかじゃない、偶像でもない。ただの猫だわ、誰よりもやさしくて強くて素敵な、世界一の猫だわ。そうでしょう!?」

「……ああ、そうだな」

 民話と伝承。

 基督教が布教される以前に信じられていた妖精など土着の神話、信仰は、教会にとって偶像崇拝、邪教にあたる。

 解っていても、アークには頷いてやることしか選べない。

「なのに、声は言うのよ。お前が殺せって。でなければ、地獄の業火に焼かれるのはファントム―――ニィだって。わ、私の手で殺さなければ、主に打ち倒されれば、永遠の炎に焼かれ続けるって。ニィが、ニィがそんな苦しみを受けるなんて、私、わたし、」

 耐えられない、と。

 キャサリンは泣き出した。

「ニィのせいなの? 私のせいなの? どっちが悪いの? ただニィと、穏やかに暮らしたかっただけなのに!!」

 それがそんなに悪いことなのか、と彼女は慟哭していた。彼女にとって、ニィはやっと掴んだ平穏そのものだったのだ。

 巧妙だな、とアークは思った。

 キャサリンは自罰的な女だ。悪いことは、自分のせいだとすぐに思い込む。それはそう責められ続けた人生のせいだろう。

 彼女自身が地獄に、と脅されても、彼女は怯えながらそれを受け入れたに違いない。

 だが、聖書を信じる彼女にとって娼婦であったことは、一番に恥ずべき過去だった。

 ふしだら、とはよく言ったものだ。彼女が一番言われたくないその言葉を、まるで選びに選んで突きつけたかのようだ。

 そうして、自分自身ではなく、愛する者―――ニィこそが地獄で永遠の責め苦に遭う、と脅されたのなら。

 それだけは駄目だ、と、彼女なら思うだろう。ニィを救わなければならない、と思い詰めてしまうだろう。

 少し考えれば、僅かでも冷静になってみれば。

 おかしな言い分だと理解出来るはずだ。そこまで切羽詰まった問題じゃない。預言された終末は、未だ訪れないのだから。

 けれど、彼女にそれを吹き込んだ何者かは、きっと四六時中そうやってキャサリンを追い込んだのだ。彼女が正気を保てなくなるほど執拗に。

(ある意味では、ノイローゼ状態だな……)

 考えながらそろそろと探ってみたものの、彼女の中にもう神性の力は残っていない。

 だとすれば、彼女を陥れた何者かは能力でキャサリンを操っただけでなく、言葉や他の手段でも、徐々に彼女を洗脳していったのだろう。能力が解けた今も、こうして彼女を苛み続けるほど。

……哀れだ、とアークは目を伏せた。

 真っ当に生きようとしている女だった。それなのにまた、自分のせいではない過去に苦しめられている。自分以外の、誰かの思惑に踊らされている。

 こんなに苦しまなければならない女ではなかった。もう充分に、苦痛の先払いは済んでいるはずだ。

「キャサリン、選べ」

 アークはじっと、自分に縋り付く女の涙に濡れた目を覗き込んだ。

 そのいつもは深くたゆたうようなウイスキー色をしたアークの瞳が、じわ、と小さな、けれどけして消えない炎のような赤に変わる。

「アーク……?」

「その声を、消してやることは出来る。だが、その場合、お前は記憶を失う。そうだな、……この半年間の記憶をだ」

 ニィが言っていた。おかしくなり始めたのは半年前頃からだ、と。

 恐らく、その頃からじわじわと彼女は浸食されていったのだろう。抗って抗って、半年以上も誰にも言わないまま耐えて、そうして先日、決壊した。

 それなら、その半年間の記憶を消してやれば良い。使われた能力は、その残滓は、もう残っていない。それなら、記憶を消せばもう終わるはずだ。

「半……年?」

 しかし、アークは半ば知っていた。

「そうだ。その間、お前が悩んだ事も、ニィと過ごした時間も、……ニィを刺したことも、全て忘れる。そうすれば、お前を責める声も消える」

「……だめ」

 彼女が、その手段を選ぶことはしないと。

「だめだよ、だめ。ニィを刺したことまで忘れるなんて。そんなのはだめ。私は、一生、その罪を忘れてはいけないのよ。償わなくてはならないの」

「―――そうか」

 アークは笑った。昨夜からの鬱屈をひととき忘れるような、快哉の笑みだった。

 そっ、とキャサリンの強張った手を、やさしく解きほぐす。そうしてアークは、彼女の足下へ跪いた。

「アーク?」

「―――お前に敬意を表する。キャサリン。お前には不本意だろうが、夜歩く者から祝福を」

 引き攣る指先を、唯一動く左手に乗せる。そうして、一度静かに額突いてから、その指先へ唇を寄せた。

「…………っ!」

 ちくん、と、牙の先が指先の皮膚を割る。刹那、キャサリンはふっ、と意識を失い、その場に崩れ落ちた。

「伯爵?」

 二人の様子を黙って見守っていたアルタンが、慌てて駆け寄ってくる。左腕一本に彼女を支えたアークは、存外に丁寧な仕草で、その身体をアルタンへ渡した。

「キャスに何を、」

「―――俺は祝福のつもりでも、彼女には呪いだろうな」

 ああ、まったく、吸血鬼なんてものは、ろくな存在じゃない。何故人は、それが怖れからだとしても、実在を思ってしまうのか。

 くだらない妄想だと捨て置けば、この世界に生まれ落ちなどしなかったものを。

「……俺の血を僅かだが、キャサリンに与えた。これで隷属の戒めがかかる」

「それは……!」

「従わせるつもりはねえよ。ただ、キャサリンにしつこく残ってる洗脳に対して、抑止力のひとつにはなり得る」

 与えた命令は、拒否。彼女を従わせようとする暗示を拒否しろと、ただそれだけを命じてある。

「聞くな、取り合うな、拒否しろ。そう命じたんだ。全てを消すことは出来ないが、抗う為の力にはなるだろう。あとは彼女次第だ」

「……伯爵」

 アルタンが安堵に満ちた顔で、アークを見上げてきた。

「……感謝します。ニィもこれで、少しは安心できる……」

 犬と猫。それでも、スウィーニィたちとアルタンの仲は、けして悪いものではなかった。

 アルタンは正道の男だ。妖精でありながら人間を愛するニィを、きっと暖かい目で見守っていた。

 だからそれが呆気なく壊されかけている今が、友を思うほど自分のことのように苦しい。

「お前もな」

「……はい。ご助力を、ありがとうございました。伯爵」

 深々と一礼する金髪の犬を、アークは微笑んで見つめた。

―――人間というものは、時折、こんなことをさらりとやってのける。

(ニィを刺したことまで忘れるなんて、そんなのだめ)

 それはいっそ、高潔なまでの強さだ。

非力で、肉体も脆く、空も飛べない。けれどその儚い身体に宿る精神の、なんと真っ直ぐでうつくしいことか。

 勿論、そればかりでないこともアークは知っている。醜く汚いものも、数え切れないほど目にしてきた。

 だが、だからこそ、時折不意に見せつけられる奇跡のようなこのうつくしいものに、惹かれてやまない。

「あとは頼んでいいか?」

「―――はい。大丈夫です。これまで通り、俺が彼女を世話します。ニィが戻るまで、絶対に」

 力強く頷くアルタンにあとのことを任せて、その場を辞した。

―――ああ、そうだ、思えば。

「俺」があの女に執着したのも、きっと、あの毅然とした強さに美しさを見たからだった。

 隷属の呪いを受けて尚、屈しなかったあの高潔な魂に。

 それが今、「俺」ではなく俺を縛るのだとしても―――

 陽が、段々と昇っていく。中天を目指して、空の上でゆるやかな弧を描きながら上がっていく。夜歩く者。その名前には不似合いな陽差しの中を、アークはゆっくりと歩いて行った。

 いつの間にか、悪夢は、その執拗な腕からひとときアークを解放している。そのことに、未だ気付かないままに。



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